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 本当に欠片も、と、思い返しながら手に取った皿は、南国の海のように綺麗な瑠璃色をしている。オーバル型をした大皿で、シーフードサラダやあさりのパスタなどを盛り付けてテーブルの中央に置けば随分見栄えするだろうなとイメージは膨らむが、しかしこのサイズでは他に取り皿が必要になってくるし、そうなると本末転倒でしかない。

 諦めて皿を戻し、振り返るとふうりは今度は箸置きのコーナーの前に移動していて、両手でひとつひとつつまみ上げては光に照らしてゆったり鑑賞している。あれほど皿を買いに来たと諭したのになお移り気の激しいふうりに呆れつつ、その指先を眺めれば自然と想起されるのは、やはり彼女がこれまで触れてきたあらゆるものについてだった。

 考えてみれば、ふうりの手が最初にわたしの手に触れた時から、その手が徐々に離れて、わたしの方から触れにいかなければならなくなった今に至るまで、ふうりの指は常にありとあらゆるものに触れ、世界に触れ続けていた。それは有機物であれ無機物であれ、女であれ男であれそうだった。ふうりの手というのは、いつも本当に自由だった。その手が触れたのはきっとかつてのわたしのように不自由で頑ななそれぞれに違いなかった。だからこそ明白なのは、そういう風にしてふうりが分け与えてきた、優しさとも強さとも言いきれない特有のしなやかさを感じた経験のあるのは、わたしだけのはずがないということだ。わたしはそれをずっと認めたくはなくて、それゆえに長い間苦しみ続けていたのかもしれないと、持っていた箸置きを戻し、新たな箸置きを掴んだふうりの手を見つめながら、ようやく思い至る。

 世界に対してふうりは初めから解き放たれていて、偶然にもそれを早く見つけられたのがわたしだったというだけの話だと、大人になった今になって納得ができるのは、成長ゆえだろうか、あるいは喪失ゆえなのだろうか。自嘲するような気分で少しばかり笑みを浮かべれば、おもむろにふうりは振り返って「なに笑ってるの」とおかしそうに指摘する。「別に、笑ってないよ」と笑みを隠さず近寄れば、ふうりは今手にしている箸置きと色違いのものを手に取って、手のひらに二つ並べわたしの目の前に持ち上げる。

「水色がまほろで、オレンジがわたし」

 それは小さな木の葉のかたちをした硝子製の箸置きで、透明の表層の中心に絵の具を一滴垂らしたようにわずかな着色がある。同じ型を使って作られたのだろう、二つは全く同じ輪郭をして、違いは色だけだ。「お揃いでいいでしょう?」と微笑むふうりに、どうしても自然な笑顔にはなれず、中途半端な笑顔を返すしかできない。

 わたしはふうりとこんな風になりたかったのかな、と、彼女の手の中の箸置きを今一度眺めれば、しかしそれらはやはりどんなに対に見えたとして別々の個体であることに変わりはない。同じ型で生まれようが、同じ日々を過ごそうが、その延長には同一性の永続など保証されるはずもない。とすればまた、ふうりとわたしというそれぞれ別個の二人が、なにかひとつのかたちとなって表されることなど、仮にふうりがわたしと同じ想いを抱いていたとしても、それはどこまでも幻想に過ぎないような気がする。

「買わないよ」

「えーでも、安いのに」

「皿を決めないと」

「けち」

「ふふ」

 そうなのだ。幻想でしかないことなど、初めからわかりきっている。それでもわたしは望んでいるのだろうか。今もなお。ふうりが箸置きを手放し、空の両手を軽く組んで、ふてくされたような伸びをする。それを網膜に映しながら、わたしはまた意識を飛ばし、遠いところから考えてしまう。幻想でしかないのに、それでなお、やはり手にしたいのだろうか。ふうりとのかたちを。無理矢理にでも当てはめて、自らに、そして他者に見せつけてやりたいのだろうか。友人でも親友でもない、もっと特別ななんらかの、ひとつのかたちとして。

 幸福にかたちがあるのなら、それはどんなかたちだろうと、ふと疑問が過る。こうして不変のものをいつまでも追い求めてしまう、愚かしい性は一生治りそうもない。



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