中学を卒業したふうりとわたしは私立の女子高に進学した。周りから男子のいなくなった教室は居心地がよく、わたしにとってはなんとも快適な空間となった。けれどふうりにとってはいつしかそこは寂しさを覚える場所になってしまっていたことを、わたしは長い間気付いていなかった。気付かないよう心がどこかでそれを拒絶していたのかもしれない。数学の先生がかっこいいだとか、通っている塾のイケメン講師がよく喋りかけてくるだとか、この前行った美容院の美容師がチャラかったけど優しかっただとか、なにかにつけてふうりが口にする身近な大人の男性に対しての憧れを、わたしは気のない相槌を繰り返すことでいつまでも聞き流した。彼女がなにかに気付いてしまうのが怖かった。気付いて後、実際になにかを手にしてしまう未来がすぐ側まで迫ってきていることを、まだまだ受け入れたくなかった。

 そうして日々をやり過ごすうち次の春は来ていた。春休み明けのふうりは髪を明るい茶色に染めていた。ゆるくパーマもかけたようで、風にふわりとなびく毛先はいつものストレートヘアからはかけ離れて垢抜けて見えた。その時までにわたしはなにかしらの覚悟をしておくべきだったのに、心はふうりの新しい髪型以上のゆるやかさを保ったままだった。現実などなんだかんだでずっと変わらずそのままに流れ続けるのだろうと、本気で信じていた。

「見て」

 ありふれた一日の終わりだった。寝ようと思って携帯を見るとふうりからメールが届いていた。写真が一枚添付されていて、開くとそこにはわたしの知らない男の姿があった。ぼやけた横顔だけが写し取られていて、目鼻立ちはよくわからなかった。わたしは純粋に疑問を抱いた。ふうりがこんな写真を送ってきたことはそれまで一度もなかった。わたしはなにひとつ勘付きさえしなかった。勘付かないわたしは普通に返信した。

「誰?」

「彼氏」

 打てば響くような返事の速さだった。たったひと言、それだけに一瞬に突き刺されたような衝撃を受けた。好きな人ができたでも、告白されたでもなかった。それは既に始まってしまっていた。わたしが今更なにをしようが防げるものではなくなっていた。

「まじか! やったじゃん! おめでと!」

 やたらと興奮気味の絵文字を何種類か詰め込んで、自分でも思ったより素早く文面は完成されていた。いかにも衝撃を受けましたという感じのメールを、その衝撃の強さを立証するため悩まないうち送信してしまうと、やっとのことで気付いた。確かにわたしは現実として多大な衝撃を受けていた。しかしそれは明るさしかない文章を丸ごと覆せるほどの暗さに満ちたものだった。もはや寂しさでも悲しさでもないそれは暗黒そのものだった。

「他にも写真あったら送ってよー」

 思ってもないことを打ち出して迷わず送信すれば、待ってましたとばかりに新たな写真が十枚ほど立て続けに送られてきた。見れば余計に傷付くと頭ではわかっているのに指先は制御できずそれらを次々開けていった。正面を向いたポートレートからふうりとのツーショットまで、すべては春休みの間に撮影されたらしかった。男に光が当たり顔の詳細がわかればわかるほど心の闇はさらに暗さを増していった。それでもわたしは「他にもあったら全部見せて!」と偽りの願いを打ち出し、送信ボタンを押すことで自らの想いを裏切った。既にわたしは治しようもなく壊れていた。こうなってしまえばあとはもうひたすら傷付き果てたかった。

「なんか意外。まほろこういうの興味ないと思ってた」

 甘ったるく照れたふうりの文章が目に入り、画面が滲み出すまで長くはもたなかった。

「でも、うれしい。ありがと!」

 送るだけ送ってその後ふうりは寝落ちてしまったようだった。わたしは最後のメールを画面に表示したまま、映し出された言葉を噛み締め続けた。きっとふうりにとってはなんでもない、明日には忘れてしまうだろうそれらさりげない感謝の言葉が、こんなにもわたしの心を食い止めて、暗闇に落とされたことなどもはやどうでもよく感じてしまえるほどにわたしを救い出してしまえるのが、悔しいのかなんなのかわからないのに、それでも結局のところその夜わたしは誰より幸福だった。ふうりは微笑んでいた。うれしい、と言って恥ずかしそうにはにかんでいる、そうして幸福に眠りこけているだろうふうりの寝顔が目に浮かんだ。その顔はきっと生涯忘れられはしないのだろうと強く思った。

 この瞬間を支柱としてわたしという人間の一生が広がってゆくのだろうと、泣きながら悲嘆に暮れながら、その晩のうちにわたしは生まれ直す必要があった。生まれ直してから再び同じ人間としてふうりの前に現れなければならなかった。わたしはふうりの側にいたかった。ふうりの側にいられさえすればそれでよかった。そう願うような人間に生まれ変わることだけが、わたしがふうりの横に立ち続けられる方法だった。

 ふうりの彼氏はひとつ年上の背の高い男だった。バイト先のファミレスで知り合ったというその男は背の高さ以外にこれといった特徴のない人間だった。ふうりがこの男のなにを好きなのか、現実に数回会わせられてなおわたしにはぴんと来るものがなかった。それでもその男と一緒にいる時ふうりの目は常に恋焦がれていた。わたしはそれを見る度自分に失望した。ふうりとずっと一緒にいるのにふうりの恋をこれっぽっちも理解できない自分が情けなかった。



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