見返りを求めなかったのは事実だ。けれどあの頃はまだまだ無自覚だったから、そんな風に単純な優しさだけをふうりに差し向けられたのだろうと、今になって思う。

 洋食器のエリアから逃げるように立ち去ったわたしたちが次に向かうのは北欧食器のエリアだ。SNSでよく見かける特徴的な柄のカップや皿が陳列された店舗に入ってみると、価格は先ほどの店と比べ全般的に手に取りやすい。デザインもシンプルで使い勝手のよさそうなものが多く、ポップでビビットな色合いにも心躍らされる。ふうりもきっと気になるものがいくつもあるのではないかと様子を窺っていると、案の定その両手には既に二つのマグカップが握られていた。

 ふうりは二つを見比べながら真剣に悩み始めているようで、買うべきものは皿だということさえ忘れてしまっているようだ。下手をすると同じ柄の食器を一揃いで買いたいとでも言い出しかねない状況で、わたしはふうりの耳元に口を寄せると「お皿を見ようね」と、まるで園児に言い聞かすかのような猫撫で声で囁いてみるが、瞳を輝かせ始めているふうりはもう聞く耳さえ持ってくれない。

「ねえねえ、こういうのどう?」

 前から欲しいと思ってたんだよねー、と言いながらふうりが示した皿は割に深さのあるボウル型をしている。サラダやスープを盛るのにちょうどよさそうなサイズで、食卓にひとつあると便利そうな品だ。側面に大きく描かれたフルーツの模様も配置やバランスがよく、飽きの来なさそうなデザインだとは思う。けれども今日ここに来たのはボウル皿より汎用性のある平皿を買うためだったと、危うく頷きそうになって思い出し、首を横に振る。

「コーンフレーク食べ放題だよ」

 諦め悪く意味のよくわからない主張をしてくるふうりに苦笑を返すと、ふうりはふてくされて頬をわずかに膨らせる。そんな風に幼げな行動をしたとして、現在のふうりはどうしたってひとりの大人でしかなく、同じだけわたしもそうであることに変わりはない。肉体は時の流れに抗いようなく膨れていったのだった。それこそ幼少期にいくらでも食べたコーンフレークのおかげであるかもしれなかった。食事の分だけ成長した身体。しかし一方心はどうなのだろうとわたしは時折考える。心もまたはち切れんばかりに膨らんでいったのだろうかと、確かめようもないのに胸に手を当てて追想すれば、いつか聞いてしまった記憶があるのは膨れすぎた心が破裂して、みるみるうちにしぼんでいった、あまりにも悲しい音だった気もする。いつの間にそこまで膨れ上がってしまったのだろうと、棚に戻されたボウルに目をやりながら、未だ解けない問いの答えを追い求めゆく。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る