Summer Fate

結剣

第1話Summer Fate

「んん……あっつ……」


 8月のある夜、自室のベッドでうたた寝をしていたシーラは、寝苦しさに耐え切れずに目を覚ました。


 起き上がってみると、部屋着だけでなくシーツまで汗でびっしょりと濡れている。

ふと壁掛け時計に目をやれば、時刻は既に18時近い。

「やばっ、もうみんな来てるかな……!」

 シーラは今日の予定を思い出し、着ていた部屋着を雑に脱ぎ捨てた。本当はシャワーでも浴びたいところだが、そんな時間はない。着替えに袖を通し、それから姿見の前に立ち、くるりと回っておかしなところがないか確かめた。


 今着替えたのは、七分丈の藍色のシャツに灰色の膝上丈のフレアスカートだ。自分の体を見回す動きに合わせて碧の瞳が動き、後ろに纏めたブロンドの髪が揺れる。

「地味かな……ううん、でも派手なのは私なんかには似合わないし……」

 すると階下からチャイムの音が聞え、シーラはいそいそと部屋を後にした。


「あらシーラ、お友達が来てるわよ」

「知ってる。ちょっとお祭りに行ってくるわ」

 シーラは玄関に立つ母に告げると、母は何やら怪訝そうな表情を浮かべた。

「……なに、母さん? どこかおかしなところでもあるかな」

 シーラは自身の体を見下ろしながら首を傾げる。

「ううん、ごめんなさい。お洋服、とっても似合ってるわよ。ただ……少し顔色が悪いように見えたから」

「そうかな?」

 先ほど姿見で見たときには特に何も感じなかった。だが言われてみれば、どうだろう。少しばかり頬が紅かったかもしれない。


「部屋が暑かったせいかな。……行く前に冷たいモノでも飲んでいくわ」

「あらそう。なら少し待っててちょうだい」

 そう言って母が持ってきてくれたのは、シーラが好んでいる果実ジュースだ。赤い赤い、ラズベリーの。

「ありがと、母さん」

 コップを手に取り、仰ぐ。喉を液体が流れていく。

「それじゃあ行ってくるね」

 赤く濡れたコップを置いて、シーラは笑顔で家を後にする。月明かりに照らされる外は少しばかり暑い気もしたが、酷暑というわけではない。このイギリスという国は、アジア圏の国と比べて夏の最高気温は低く暮らしやすいと、以前留学生の東洋人が話していた。


「おーい」

 門の近くに立つ友人2人に声をかければ、揃って振り向き、笑顔を浮かべる。2人ともシーラのクラスメイトで、同じ13歳の友人だ。

「遅いよシーラ。どれだけ待たせるの?」

 2人にいる内のひとり、赤毛のリリーが言う。

「えっ、そんな待たせた? チャイムが鳴ってから急いで出てきたけど」

「結構待ったわよ。……ところでシーラ、少し家がドタバタしていたような気がするけど、気のせい?」

 リリーの隣、青髪のイヴェットの言葉に、シーラは思わず首を傾げる。さて、特に騒がしかった様子はないと思うが。


「まぁいいわ。私の気のせいだったみたい」

「それよりシーラ、イヴェット。早く行きましょ」

 リリーは笑顔で言うと、二人の手を取って歩き出した。向かう先は、この街『ランズクレスト』で行われている、『サマーフェイト』という名の夏祭りの会場である噴水広場だ。

 と言っても、メインの会場が街の中心である噴水広場というだけで、街の至る所に出店が並んでいる。


「あ、見て。あの露店、レインの家のパン屋さんだ!」

 リリーの指さした先を見れば、確かに見慣れたロゴが目に入った。

「あ、本当だ。去年まではなかったよね?」

 レインというのは、シーラたちの共通の知人の名だ。

「経営不振でここまで出てきた、とか」

「ちょっとちょっと、レインが聞いたら怒られるよ~」

 イヴェットの言葉にリリーが首をすくめて周囲を見回し、シーラは思わず口元を緩める。

「どうせなら何か買っていってあげよ──」

 不意にくらっと視界が揺れ、シーラは言葉を途切れさせた。そんなシーラを、リリーの体が受け止める。


「シーラ? どうかした?」

「なんか、立ち眩みが……」

 リリーの腕の中で言う。

「人が多いから、疲れちゃったかな」

「そうかも……」

 周囲を見れば、シーラたちと同様に祭りを楽しむ人たちがかなり増えている。その熱気に当てられてしまったかもしれない。

「なら少し人の少ない場所で休もうか?」

 リリーの言葉に頷くと、イヴェットも同様に首を振った。

「その間、私はレインの店を見てる。なにか買って、それから合流するわ」

 そう言うとイヴェットはパン屋の露店の方へ足を向け、その背を見ながらシーラとリリーは人混みを離れる。

 

リリーと共に向かったのは、噴水広場からは少し離れた、自然公園の一角だ。

 昼間はお年寄りや子供連れの夫婦がまばらに見られる場所だが、この場所は露店の出店が禁止されていて、そのせいか今は人気がない。

「さ、座って」

 リリーに促されてベンチに座ると、一気に体から力が抜けた。それを見たリリーは心配そうな表情を浮かべ、顔を寄せてくる。

「大丈夫? 無理しないで、今日は帰って休んだ方がいいんじゃ……」

「ううん、大丈夫。せっかくのお祭りだし、ここで休んでたら、すぐに良くなると思うから」

 シーラの取り繕った笑顔に、リリーはなおも心配そうな表情だ。


「でもシーラ、ほら……」

 リリーはしゃがむと、シーラの額に自らの額を当てた。綺麗な赤毛が頬をくすぐり、同じように赤い双眸が至近距離からシーラを見つめる。

 こんな体調だからか、こんな時間だからか、こんな祭りの日だからか。なんだか妙に気恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまう。

「こんなに熱いし、赤くなって。本当に大丈夫?」

 白磁のように透き通った肌がシーラに触れる。ドクン、と心臓が跳ね、次第に早鐘を打つ。

「う、ん──大丈夫だよ」

 こんな体調だからか、こんな雰囲気だからか、こんな気分だからか。喉が渇いて上手く言葉が出ない。そうだ。まずは何か口にしなくては。こんなときは、好きな飲み物が飲みたいな。赤い赤い、ラズベリーの。



「──あれ、シーラ。リリーは?」

 自然公園から噴水広場へ歩く最中、イヴェットに声をかけられた。手には肉の挟まったパイを手にしている。

「リリー? ……あ」

「あ……って」

「いやその……はぐれちゃったみたい……」

 頭をかきながら言うと、イヴェットは呆れた表情を浮かべながらパイを一口頬張った。

「何やってんだか。……ああでも、丁度よかったかも」

 その言葉に首を傾げると、イヴェットの奥から歩いてくる男が一人。


「やぁシーラちゃん。こんばんは」

「キリヤさん! こ、こんばんは!」

 姿を現したのは、ロンドンの大学に通う暮らす留学生の東洋人、キリヤだ。

 キリヤは笑顔を浮かべた後、シーラを見て目を細めた。

「あの……なにか?」

「いいや、ごめん、不躾だったね。オシャレをしているキミが可愛しくてつい」

 そんな言葉を向けられ、シーラの頬は一瞬で紅潮した。

「おお、瞬間湯沸かし器みたい」

 イヴェットの軽口を無視し、シーラはキリヤに笑顔を向ける。

「ありがとう、キリヤさん。でもキリヤさんこそ、今日はいつにも増して……その、カッコいいです」


 キリヤは東洋人にしては背の高い方で、身長は170後半だ。瞳は東洋人にしては珍しい濃紺で、鼻筋は高く唇は薄い。艶のある黒髪は長く、ハーフアップにしていることもあり、どこか女性的な雰囲気もある。

 そんなキリヤに、シーラは想いを寄せていた。


「さて……」

 頬を赤らめるシーラを見て、イヴェットが呟く。

「私はリリーを探してくるから、シーラはキリヤさんと一緒にいなよ」

「イ、イヴェット⁉」

 突然の言葉に驚くも、イヴェットは有無を言わさずシーラにパイを一つ押し付け、手を振って歩き去ってしまう。

「行っちゃったね。せっかくだし、お言葉に甘えようか」

 キリヤと言えば、まるで打ち合わせでもしていたかのような余裕を見せ、シーラに手を差し伸べた。

「さ、行こうか」

 その甘い言葉に逆らえるわけもなく、熟んだ瞳を向けて、シーラは頷き手を取った。


 キリヤと手を繋いで歩く中、彼は色々なことを話してくれた。少しばかり引っ込み思案なところのあるシーラにとって、積極的に話をしてくれるキリヤのそういうところは、彼を好ましく思う理由の一つだ。

「それにしても」

 キリヤが呟いたのは、イヴェットから受け取ったパイを口に運んでいるときだった。どうやらイヴェットが買ったのはイノシシ肉のパイのようで、濃い味付けは食欲をそそったが、茶色の肉は少し硬かった。ついさっき口にした白く柔らかい肉の方が、シーラは好きだ。

「何年ぶりだろう。ラングクレストのサマーフェイトに参加するのは。去年は大学が忙しくて、向こうに泊まりっぱなしだったからなぁ」

 懐かしむようなキリヤの言葉に、シーラは少し驚いて首を傾げた。


「キリヤさん、この街に越してきたのは……去年の春ごろ、でしたよね? それ以前にもこの街に来たことがあったんですか?」

「うん、昔。今から……10年くらい前に一度ね」

「10年……。私が3歳くらいのころですか」

「そうだね。もしかしたら、どこかで顔を合わせてたかも」

 笑いながら言うキリヤの言葉に、シーラは笑みを浮かべながら頷いた。

 少なくともシーラに3歳ころの記憶はない。だがもしキリヤと会っていたのなら、少しばかり運命的だと、この出会いと再会は運命だと、そう思いたい。

「そのときはどうしてこの街に?」

「家族旅行でね。イギリスを周ってたんだ。こっちの大学を目指すようになったきっかけも、実はそのときなんだよ」

 と、そんな他愛ない話をしていると、何やら後ろの方が騒がしくなった。


「おい! 自然公園で女の子が倒れてるって!」

「本当か⁉ おい、早く救急車を──」

 自然公園。シーラとリリーがいた場所だ。

 ──そう言えば、あの後イヴェットはリリーと合流できただろうか。そもそもシーラは、いつどこでリリーとはぐれたのだろうか。

「……なんだろう、何かあったのかな?」

「みたいだね。……でもまぁ、僕らには関係のないことじゃないかな」

 振り返っていたシーラの頬に、キリヤの手が触れた。

「今は、サマーフェイトを楽しもうよ」

「──はい、キリヤさん」

 甘い言葉を前に、シーラが微かに覚えた違和感は霧散する。

 憧れの人が、自分と共にいることを是としてくれている。シーラにとって、それ以外はどうでもよかった。


 それからシーラは、キリヤと共に屋台のゲームに興じた。あまりイギリスでは馴染みがないが、日本には射的という遊びがあるらしく、キリヤとは別の東洋人がそんなお店を開いていた。

 まずキリヤが手本を見せ、それに倣ってシーラも銃の引き金を引いた。随分手が込んでいるゲームで、的は縦横無尽に逃げ回る。シーラは的を追いかけ、引き金を引く。弾の命中した的は赤く弾けてその場に倒れ、残った的はより機敏に動き出す。

 なるほど、的に当てる度に難易度が上がっていくわけだ。よくできたゲームだと、シーラは感心して笑みを浮かべる。キリヤはその様子を笑顔で見ていてくれた。


 それからキリヤは、ガラス細工の商品を売っている屋台で、シーラにアクセサリーを買ってくれた。透き通るような透明に、赤い飛沫がアクセントとして入っているガラス細工のイヤリング。

 だからシーラもお返しにと、キリヤにガラス細工のブレスレットを買って渡した。これまた透き通るような透明に、赤黒さがアクセントのブレスレットを。


 それから二人は、道端で泣いている子供を見つけた。赤い石畳の上で、膝を抱えて泣いている女の子を。

「迷子かな……。ねぇ、キミ」

 シーラが腰を屈めて話しかけると、女の子はビクッと肩を震わせ、大粒の涙を零しながら全身を退いた。なにか、とても怯えているようだ。

「こんなところでどうしたの? お母さんやお父さんは一緒じゃないの?」

 口元を緩めて問うと、女の子は一層顔を歪め、震える指で噴水広場を示す。

「えーっと……」

 噴水広場には、文字通り山のような人だかりができていて、誰のことを指しているのか分からない。どうしたものかと悩んでいると、見かねたキリヤが肩に触れた。

「この子の両親を探そう。でもその前に、この子が待っていられるよう、椅子の一つでも持ってきてあげようか」

 キリヤの言葉に頷いてシーラは辺りを見回すも、周囲に椅子はない。ならばと近くに落ちていたハイザイに手を伸ばし、シーラはそれを折り、砕き、形を整える。

 ハイザイは外側こそ柔らかかったが、中に通った芯は堅く、簡単にはいかなかった。だがキリヤがコツを教えてくれて、それからは芯を折るのも砕くのも、時間をかけずにできるようになった。

「今キミのお母さんとお父さんを探してあげるから、キミはここに座って待ってて」

 そんな言葉と共に、シーラは出来上がった椅子を置く。白い芯には赤く柔らかいナニかがこびりついているが、座る分には困らないだろう。

「……あれ?」

 椅子を置いて顔を上げれば、女の子は気を失っていた。


「仕方ない」

 シーラは女の子を椅子に座らせ、改めて噴水広場に目をやった。

 そこにあるのは、折り重なった人の山。祭りの熱気に呑まれ、気付けば動かなくなっていた、夥しい数の人の山。

 はしゃぎすぎて怪我をした人、調子に乗って食べ過ぎて、腹を壊した人、火に触れてしまって火傷した人。人混みに押しつぶされた人、お腹から向こうの景色が見える人、焼け爛れてしまった人。とにかくたくさんの人が、そこで山になっている。

「これは探し出すのが苦労しそう」

 シーラは呟きながら、ふと噴水の水面に映った自分を見た。ポニーテールにしていた髪はいつのまにかほどけていて、背中の中ほどに広がっている。瞳は赤く光っていて、口元には白く綺麗な牙が一対。

 精一杯のオシャレだった藍色のシャツは赤く濡れ、灰色のフレアスカートにはスリットがあり、蠱惑的な脚のラインがあらわになっていた。


「私、いつの間に──」

「今のキミは、とても綺麗だ」

 背後から声をかけられ振り向けば、赤い瞳をこちらに向けるキリヤの姿があった。

「10年前、そしてさっきまでのキミとは随分見違えた」

 その言葉に脳裏に浮かぶ記憶があった。物心つく前の幼い日。シーラを見て口元を歪める、今とまったく同じ彼の姿。

「見てごらん、キミの美しさに、人々は見惚れている」

 キリヤが指さした先、山になっていない残りの人々が揃って膝をつき、大粒の涙を浮かべた揺れる瞳でシーラを見ていた。


 ああ、ダメだ。体が熱い。その視線、その仕草。そんな風にされたら、欲情が抑えきれない。興奮が抑えきれない。心臓が早鐘を打つせいか、喉が渇いて仕方がない。

「我慢する必要はないよ、シーラ。……あの人たちに貰ってくるといい。キミの大好きな、赤い赤い、ラズベリーのジュースを──」

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