第3話 同居初日・前 (グロ注意)
翌朝、早速家事を教えてやろうとしたが、だるかったので動画サイトで検索したやつを見せた。洗濯機の回し方とか、掃除機とか、食器洗いの仕方とか。彼は物覚えが良いらしく、一度説明すればだいたい理解した。あとは実践あるのみだ。
まずは、洗濯機に入れて洗剤を入れてスイッチを押すだけの簡単なお仕事だ。洗い物は俺の服。今着ているやつしかないので必然的にパンイチになってしまうが致し方がない。昨日の騒動のせいで、血やら土埃やらで意外と汚れている。黒っぽい服だから目立たないだけだった。
俺がエアで一連の動きをやってみる。ハチスは食い入るように見ていた。
「やってみるか?」
「はい!」
洗濯物を洗濯機の中に放り込むと、彼は恐る恐るといった様子で蓋を閉めた。
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても壊れたりしないから」
「はい、ですが、初めてなので緊張してしまって」
「まあ、慣れるまでは慎重にやったほうがいいかもな」
俺はスタートボタンを指さす。彼は深呼吸をすると、意を決したように「えい!」とボタンを押す。
ピッと音がして、ゴウンゴウンと音を立てて回り始める。
「わあ、凄いです」
ハチスは目を輝かせて洗濯機を見ている。
「これが回るんですね!」
「そうだよ。次は掃除だな」
この洗濯機は乾燥機能もあるからそれなりに時間がかかるはずだ。その間に掃除をしてしまおうという作戦だ。
「掃除機はどこにあるのでしょう?」
「この家には掃除機は無いんだよ」
「そうなのですか」
「代わりにこれを使う」
俺は雑巾を手に取る。前回の掃除からそんなに時間が経ってないから、箒の過程は飛ばしていいだろう。
「これで床や壁を拭くんですね」
「そうだ。まずは濡らすんだ」
水を溜めたバケツを持ってきて、雑巾を浸す。それから固く絞って、しゃがんで床を磨く。
「こうやってやるんだ」
「な、なるほど」
ハチスにそのまま渡すと、見よう見まねで動かす。
「そうそう。うまいぞ」
「本当ですか?」
「ああ、飲み込み早いよ」
褒めて伸ばす方針で行こう。
「ありがとうございます」
ハチスは太陽のような顔を見せる。俺のほうがたじろいでしまう。
「うん、よし、じゃあそこが終わったら今度はこっち頼む」
「はい!」
彼は元気よく返事をした。
掃除が終わったので洗濯物を取り出そうと思ったのだが、まだ終わっていなかった。
「先に昼飯にすっか」
時計を見るともう正午を過ぎていた。
「私、料理ができません」
ハチスが申し訳なさそうな顔をする。
「そういえば言ってたな。別にいいよ、朝みたくコンビニで適当に……」
言いかけたところでパンイチなのを思い出した。
「出前取るか。何食べたい?」
「私におしょくじはいりませんから」
「食べる練習だと思ってさ」
「そういうことなら……」
ピザを頼んだが、やっぱりくるみ割り人形みたいな動きで食べている。チーズが伸びるので大変そうだ。とりあえず「口を閉じて噛め」と言っておいた。
食べ終えた頃、洗濯が終わったので服の畳み方を教えて、その後はお風呂を掃除してもらって湯はりもしてもらった。一日でここまでできるのはすごい。
そして彼は、夕飯を作ると言い出した。
包丁を扱いだしたので、さすがに心配になって後ろから覗き込む。
動画を見ながら、猫の手をきちんとやっている。だが、彼の手は、力仕事をしたことがないように綺麗なせいか危なっかしい。俺はハラハラドキドキで見守っていたが、野菜を切るのは上手だった。
「おっ、上手いじゃんか」
「ありがとうございます」
玉ねぎのみじん切りも危なげなくできていて、ちょっと感動したくらいだった。
「お前、料理したことあるのか?」
「ありません」
「ないのになんで出来るんだ? 本当に動画見ただけか?」
「いえ、概念として知っています」
「へぇ」
天使とは一体どんな存在なのか。俺が考えていると、ようやく終わりってところで油断したのか、何かがまな板からポロンと落ちる。
「あらっ」
ハチスはそんなテンションの悲鳴を上げた。俺は笑ってしまった。
野菜の切れ端だろうか、と拾ってあげるためにしゃがもうとすると、それは野菜ではなかった。
「ゆ……指?」
「うっかりしてしまいました」
俺は度肝を抜かれたのだが、ハチスがそんな調子なので拍子抜けし、慌てふためくこともなかった。
「痛いか?」
「いいえ、痛みは感じません」
俺は、おそるおそる、手元をのぞき込む。野菜と、包丁だけだ。
「血も出てないな。本当に人間じゃないんだな」
「はい、私は天の使いです」
彼は床の指を右手で掴むと、断面を俺に見せてきた。
うわっ、と俺は一瞬目をつぶったが、そっと見てみると、傷口は真っ白で血の一滴も出ていなかった。
ほかの天使がどうかは知らんが、ハチスにいたっては外側だけ人間で、中身は違うらしい。食ったものとかどうやって消化しているんだろうか。痛みも感じないらしい。
「天使なのでパパッと治せます」
考え込む俺が渋い顔をしていたらしく、ハチスは明るく言った。切断面同士を押し付けると、指切りマジックのようにピタッとくっついた。本人は大丈夫そうでよかったが、俺は頭を抱えた。
「盲点だったな。これも練習しなきゃ」
「これもですか?」
「俺以外の人前で同じことしたら引かれるぞ」
「でも、天使は死なないのです」
「だからってこんな可愛い子が指切ったままだとおかしいだろ」
「盲点でした」
彼は真剣な表情で言う。
「痛がってみろよ」
「どのようにですか」
「たとえば昨日の俺みたいな」
「わかりました」
ハチスはふっと虚ろな目になった、かと思うと目を見開き、ベチッ! と音を立てて床に崩れ落ちた。変なポーズだ、と思ったが、もしかして落ちた時の再現なのだろうか? 彼の目と鼻あたりから血が流れだした。グッと眉間にしわが寄り、歯を食いしばる。鼻から鼻血の気泡がせり上がり、頬へ流れる。昨日の俺こんなだったのか。
「っておい、待て、それは包丁のリアクションじゃない」
俺は慌ててハチスを抱き起こす。
「あっ」
ハチスは我に返ると、目をぱちくりさせた。
「これは痛がっていませんか?」
「違う。もっとこう、……何というかな」
俺が言い淀んでいると、彼はスイッと姿勢を正し、ぐいぐいと袖で血を拭っている。
「とにかく、勘弁しろよ、下からクレーム来たらどうすんだ」
「すみません」
ハチスはシュンとする。
しかたがないのでパソコンのフォルダから似たような状況の動画を探し、再生した。
ハチスはじっくり見て、「はい」と言った。
「ではやってみます」
そう言って指を切り落とした。
え、そっから? と思ったがリアクションが始まったので見ておく。
「うぅっ、あぁっ……」
血を見たハチスは涙を浮かべながら、顔を歪める。
「うっ……あぁ……」
苦しそうに身をよじる。
「あ、あ……」
顔色が悪くなり、冷や汗まで出てきた。
「ああああああ!!!!!」
「うぉおっ!? うるさい!!」
彼の声が脳を直撃し、俺は思わず叫んでしまった。
「ごめんなさい!」
彼は謝ったが、まだ悶えている。
「あ、あ、ああ、うっ、ぐうっ、」
体をビクンと跳ねさせ、小刻みに震えだした。
「ん、んっ、はっ、は、はっ、はーっ、は、は、」
呼吸が荒くなり、息を止めたり吐いたりを繰り返す。床にうずくまり、頭をぐりぐりと擦りつける。
「痛いか?」
「いいい、い、いた、いたい、です、すごく」
「だよな」
俺はどんな顔をしたらいいのかわからず、口がひきつった苦笑いするしかなかった。
「はい、ものすごおおおく痛いです、痛すぎて、もう、」
ハチスは泣きそうな声で言った。
「よしよし」
頭を撫でた。それを終わりの合図だと察したらしい彼が体を起こした。
「はい、とても痛かったのです」
彼は自分の手を見る。断面は、肉や骨まで再現されていてクオリティが高い。
「痛がってる演技、上手いな」
「ありがとうございます」
「これなら大丈夫だろ。ちょっと出血が少ねえけど。まあ俺ちょっとトイレ行ってくるから関連動画見といて。予習」
俺が用を足していると、ハチスの悲鳴が聞こえてきた。予習早いな、と感心しつつ急いで戻った。
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