💰いつから私は


「お世話になりました」

「……………………」


 頭を下げて部屋を出ていく男を、ショウは黙って見送った。

 これでもう三十人になる。


「これは一体、何が起こっているんですか……」


 ショウは顔を伏せて、なにかを振り払うかのように頭を左右に揺らす。

 頭を悩ませているのは、度重なるメンバーの脱退である。


 冒険者という仕事はリスクが高い。命を落とさずとも腕や足を失ったり、失明したりすることも珍しくない。ほかにいい仕事が見つかれば、冒険者をやめるという選択肢は必ず出てくる。


 だから、これまでもメンバーが抜けていくことはあった。

 それでも一カ月に一人か二人だ。それが今月は一気に三十人である。


 はじめは大きな問題ではないと思っていた。

 脱退したメンバーも、ホークスブリゲイドでは最底辺に位置する戦闘力Ⅾの雑魚。いなくなったところで支障など出るはずもないとタカを括っていた。


 しかし、その後も次々と。

 それも戦闘力が低い者から順に、バラバラと脱退していく。

 彼らが皆、を見つけたとでもいうのか。


 百人ちょっとのメンバーから三十人も抜けては、これまで通りの体制を維持することはできなくなる。総勢六十五名でダリス達を妨害していたチームも既に半壊状態。


 抜けた分を補充するには、ダンジョンに遠征している精鋭部隊を呼び戻すしかなく、そんなことをすればクランは収入の柱を失ってしまうから当然できない。


「こんなところで頭を抱えていても、なにも進展しませんね」


 人数不足で連絡役も配置できない状態だ。

 これまではアジトでメンバーに指示を出していたが、もうここで待っていても意味がない。



 街に出ると、これからダンジョンに向かうのであろう冒険者たちの装いが目についた。誰も彼もが、忌まわしいあの盾を持っている。以前と違うのは、表面の色が人によって様々で、例の赤黒いグロテスクな盾は誰も持っていないということ。


 ここのところ、ダリス達への対応やら、やめていくメンバーの引き留めやら、引継ぎやら、クランの仕事が忙しすぎて日中に街を歩くなんてことがなかったから気がつかなかった。


 ホークスブリゲイドのメンバーが足りず妨害が上手くいかなくなった結果、ダリス達が改良したうろこの盾を売りはじめたのだろうか――と、考えたところでショウは違和感に気づいた。


「いくらなんでも、多すぎるんじゃないですか?」


 元々、うろこの盾は小規模生産で、一カ月に四十から五十個しか出回らない商品だったハズだ。しかし、どう見てもそれ以上の数が出回っている。


「……武具屋」


 そうだ。ならばどうして、武具屋の店主共は押しかけてこないのか。

 投げ槍がちょっと出回っただけでも、『なんとかしてください!』と怒鳴り込んできた強欲なヤツラが今の状況を許すとは思えない。


 この平原の街ザンドで一体何が起こっているのか。

 しっぽの先だけでも捕まえられれば。

 ショウは急いで街の武具屋へと駆け込んだ。


「いらっしゃい。おお、ショウさん!」


 上機嫌な様子で、ショウを出迎える店主に後ろめたさは見られない。

 隠し事をしている、といった心配は要らないだろう。


 すぐにでも『うろこの盾』について話をしたいのだが、焦った様子を見せるわけにはいかない。すぐに警戒されるか、足元を見られる。


「やあ、順調ですか?」といつもと変わらない様子を装い、店主に世間話を振る。


 しかし、店主の返事はショウを驚嘆させるに十分なものだった。


「ええ、そりゃあもう。『うろこの盾』と『バクラージの投げ槍』の発注ルートまで整えて頂けるなんて、頭があがりませんよ」

「発注ルートを、うちが……」

「特にあの『色を選べる』ってやつが好評でして。最近じゃ、冒険者だけじゃなく、旅人さんも護身用にって買っていくんですよ。金貨5枚もする高級な盾だっていうのに、飛ぶように売れるんですから。でも、アレは護身用っていうより、ファッション感覚でしょうな。……あれ? どうかされましたか?」


 リーダーであるはずのショウが何も知らないうちに、ホークスブリゲイドがダリス達と武具屋を繋いだことになっていた。


 体中から嫌な汗が噴き出してくる。

 いつだ。いつからだ。


 ――いつから私は、裏切られていた?


「ちょっと、顔が真っ青ですよ。大丈夫ですか、ショウさん?」


 ショウは居ても立っても居られず、武具屋を飛び出した。


「勝っていた。私は勝っていたはずです」


 ほんの一カ月ほど前には、もうダリス達は手も足も出ない状態だったハズだ。

 ダンジョンに来ても、満足に狩りもできずに帰っていく日々だ、と連絡役からの報告を受け取っていた。


 その連絡役もすでにクランを脱退しているが。



 広場を走り抜け、ショウが向かった先は、以前に何度も足を運んだ場所だった。

 ダリスに最後通牒を突きつけてからは一度も訪れていない。


 彼の屋敷を目の前にして感じたのは、懐かしさでなはく畏怖。


 この屋敷にはバケモノが住んでいる。

 たった四人で、街で一番大きなクランを瓦解させたバケモノ。


 この屋敷はこんなに大きかっただろうか。

 この屋敷はこんなに禍々しかっただろうか。

 この屋敷はこんなに荘厳だっただろうか。


 もし魔神というものが実在して、その棲み処があるとしたら。


 ショウの背中を冷気が走る。

 何かがまとわりついているかのように足が重たい。


 この屋敷は人がいるときは鍵を掛けないらしい。

 玄関にベルはついているが、ショウはほとんど使ったことがない。


 以前は気軽に開けていた玄関扉も、今日は巨大な岩のように重たい。

 静かに押し開けると、ショウが来ることがわかっていたかのように、ウサギの亜人が出迎えてくれた。


 亜人ながらに『神速』の二つ名を持つ冒険者、ジュハだ。


 しかし……、以前と何かが違うような気がする。

 違和感の正体がなんなのか、わからないまま案内された場所はダリスが執務室と呼んでいる部屋だった。


 扉は既に開いている。

 はて、この部屋の扉は内開きだっただろうか……。


「やあ! ホークスブリゲイドのショウさん。調子はいかがですか? ふっ、……なんてな」




💰Tips


【脱退】

 クランへの参加は冒険者たちの自由意志によって成り立っており、当然脱退するのも当人の自由とされている。とはいえ、様々なクランを渡り歩く行為は『コウモリ』と蔑まれるので推奨されない。

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