💰それぞれの休日
チトセが広場でホークスブリゲイドのメンバーに怖がられていた頃。
ダリスは一人、自分が生まれ育った邸宅を見上げていた。
「まだ一年も経っていないのに、ずいぶんと久しぶりな気がするな」
一人前になるまでは戻らない、そう決心して家を出たのに。
いまだ中途半端なままで、この門を再びくぐらなくてはならない。
そう思うと、なかなか次の一歩が踏み出せずにいた。
そんなダリスの気持ちを見透かしたかのように、門の向こう側からこちらに駆け寄ってくる小さな影がひとつ。
「ダリスお兄様!!」
可愛い妹、アオハの声だ。
つい最近、遊びに来てくれたばかりだから、これといって懐かしい感じはしないけど、いつ会ったってアオハは可愛い。
「おかえりなさい、お兄様っ!」
ダリスが踏み込めずにいた門を軽々と越えてくると、子犬のようなはしゃぎっぷりで、ダリスの胸元へと飛び込んできた。
アオハをそっと抱きしめ、菖蒲色の長い髪を優しくなでる。
気持ちよさそうにウットリした顔をするアオハを見て、やっぱりここは自分がいつか帰るべき場所なのだと感じた。
「アオハ、ただい……。いや、今日はこの家に帰ってきたわけじゃないんだ」
「そうなんですの?」
アオハを静かに地面に下ろすと、乱れた襟を正して深く深呼吸をする。
「ちょっと用事があってね」
そしてついに。
ダリスは門の内側へと、足を踏み入れた。
幼い頃から慣れ親しんだ庭を横目に開放的な長い廊下を歩き、屋敷の奥にある客間へと通される。
十五年も住んでいたはずなのに、知らない場所に迷い込んでしまったような違和感を覚えた。もしかすると、飾られている絵画や装飾品など細かいところが以前とは違うのかもしれない。
しっかりと一人前になってこの家の門をくぐったなら、もっと違う印象を抱くのかもしれないけど。
応接室で待たされること五分。
静かに扉が開き、懐かしい顔が部屋へと入ってきた。
「よく来たな、ダリス」
「お久しぶりでございます」
恭しく頭を下げ、おおよそ九カ月ぶりに会った父と挨拶を交わす。
「一人前になったからこの家に戻ってきた、というわけではないのだろう?」
「はい。まだまだ未熟者ですので、もう少々お時間を頂ければと」
「そうか。……二つ名は『奴隷遣い』だったか」
「…………ッ!?」
その言葉は、まさに青天の霹靂だった。
まさか貴族である父の耳にまで、ダリスの二つ名が届いていたとは思いもよらず。
何と答えたらいいのか、どうにも喉から声がでない。
「奴隷を使役して、モンスターを狩る異色の冒険者。武芸を重んじるクラノデア家の当主としては思うところがないわけではないが……。武の才に恵まれなかったダリスが、冒険者として有名になっていることには素直に驚いているよ」
「あ、ありがとう……ござい、ます」
言葉が喉につっかえて、思ったように言葉がでない。
気づけば、熱を持った雫が頬を伝って落ちていった。
「あれ……? なんだ、これ。おかしいですね」
ハンカチを取り出して目元を拭う。
親に認められることが、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。
思えば前世では、認められるどころか心配をかけてばかりだった。
結局、ブラック企業に過重労働で殺されているのだから親不孝も甚だしい。
今度こそ、自慢の息子だと思って貰えるような人生を歩みたい。
そのためにも、ホークスブリゲイドとの戦いには絶対に勝たなくてはならないのだ。
今日だって、そのためにここを訪れたのだから。
「本日は父上にお願いがあって参りました」
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ダリスが父の言葉に涙をこぼしていた頃。
ジュハは平原の街ザンドを囲む壁の外にいた。
もちろんダンジョンへと向かっているわけではない。
戦闘力Eの回避型タンク一人では、ダンジョンの入り口にいる黒リスすら仕留められないのだから。
向かっているのはクレイヤンド王国とキディール帝国の国境を越えたあたり。
今いる林を抜ければ、目的地はもうすぐだ。
ジュハは帝国にある小さな村の出身だ。
その村には亜人と呼ばれる種族だけが住んでいる。
国境近く、という場所は大前提としてとても治安が悪い。
隣国からの度重なる侵攻(もちろん王国から侵攻することもある)によって、生命も財産も常に危険に晒されている。
そんな場所では野盗や奴隷狩りといった犯罪集団による被害も多い。
「こうやって外を歩くのも久しぶりだなあ」
ジュハが奴隷になったのは、例に漏れず奴隷狩りにあったためだ。
そのまま囚われて、牢に入れられて、ダリスに買われて冒険者になって。
右手に浮かんだ奴隷紋に縛られ、自由に行動することは叶わなかった。
そして今、ジュハの右手にはあの忌々しい奴隷紋は影も形もない。
思わずニヤニヤしてしまう。
チトセが『奴隷契約を解消して』と言い出したことにも驚いたけれど、それを承諾してしまうダリスにはもっと驚いた。
ジュハとヨミにいたっては、まだ代金を払い終えていないとも聞いている。
つまりダリスには借金だけが残ったわけだ。
ジュハの長い耳がピクリと動いた。
その耳は、普通の人間よりもちょっとだけ遠くの音を聞くことができる。
ダリスから貰った赤黒いグロテスクなうろこの盾と、ショートソードを構えて敵襲に備える。
「おいおい。このウサギ野郎、生意気にも武装してやがるぞ」
「どうせ見掛け倒しだろ」
「おい、ウサギ野郎。抵抗しない方が身のためだぞ」
現れたのは三人の男。
ろくに手入れもされていない剣、ボロボロになった革の胸当て。
日頃、ジュハが相手にしているモンスターに比べれば恐ろしくもなんともない。
以前、自分を攫っていった奴隷狩りの男たちも、思い返せば彼らとそう変わらない格好をしていたような気がする。
あの頃は剣を向けられただけで、恐怖のあまり足がすくんでしまったが、今のジュハは三人の無法者たちを観察する余裕があった。
連携の取れていない動きで襲い掛かってきた男たちの剣を、ジュハは盾でいなし、剣で牽制する。
三人を追い払うのに、さして時間も体力も使わなかった。
「僕はあんな奴らに自由を奪われたのか……」
過去の自分を振り返り、ジュハの口から乾いた笑いが零れ落ちる。
しかし、考えてみれば奴隷に身をやつしたからこそ、今の成長があるともいえる。
禍福は
林を抜けた先に、ジュハは懐かしい景色を見た。
そこには、彼の生まれ育った故郷があった。
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ジュハが奴隷狩りを撃退していた頃。
ヨミは一人で屋敷にいた。
「……………………ヒマすぎる」
何もやることがない休日の留守番。
時間を持て余したヨミは、奴隷紋が消えた真っ白な手をカップに伸ばす。
来客用のちょっと高価な紅茶はいつもより少しいい匂いがした。
💰Tips
【亜人の村】
亜人は被差別人種である。奴隷などを除き、その多くは都市に住む権利を持たないため亜人たちだけの集落を形成する。
その集落でさえも、人間たちの村に押されて都市近郊には作ることができない。
結果的に、危険地帯である国境周辺に亜人たちの集落ができることになる。
王国の兵士も、敵国が攻めてくれば出兵するが、亜人が被害に遭っている程度では助けに出てくることもない。
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