05:いたみわけいふ

 復讐は新たな悲しみを生むから止めておけ。

 徹底的にやるのなら話は別だけど。



 どうしてあんな事を言ってしまったのだろう――という後悔は人生に標準搭載されているもので、これの厄介な所が、いくら寝たらすぐ忘れるタイプの人間であっても寝て起きた頃にやって来るため回避のしようがなく、これが覆水盆に返らずということだわっはっは! と、どこからともなく勝ち名乗りが聞こえてきて、起き抜けに悶々とした気持ちを味わわされる。


 午前6時。

 学生はまだまだ眠っているべき時間だ。


 疲れていたはずなのにいつもより一時間も早く目が覚めてしまった。


 やけに目が冴えて二度寝もできず、しかしまあ、首の痣を隠すのに丁度良いと前向きに捉え、わたしは右手に歯ブラシ左手に櫛を持ち、歯磨きをしながら寝癖を直していた。


 お菓子の国のお姫さまってチョコミントで歯磨きするのかな。

 ジャムとかで髪の毛整えるんだろうなあ。

 なんて風に考えながら両方を終えて洗面所を出る。


「おかーさーん。コンシーラーってやつ貸して」


 言いながらリビングへ入ると、お父さんとお母さんが並んでテーブルについていて――その向かいに。


 涼し気な顔をした煉夏ちゃんが座っていた。


 わーお。うっそだあ。


 煉夏ちゃんらしき人物はマグカップに口を付けたのち、昨日よりいくらか穏やかな目でわたしを一瞥する。


 気品あふれる居住まい。どう見ても煉夏ちゃんに見える。我が家にこんなおしとやかな遺伝子は存在しない。


 目が合ってからしばらく、恋に落ちるのに十分すぎる時間を消費してなお、わたしは何も言えなかった。


 煉夏ちゃんも何も言わなかった。

 ただただ黙って、冷静にわたしを観察している。


 対するわたしは一見冷静に見えるかもしれないが、ただ単に頭が回っていないだけだった。意識が覚醒しきっていたらとんでもない驚き方をしたと思う。


 わたしは視線を煉夏ちゃんに固定したまま母に尋ねる。


「お母さん。今日って太陽西から昇ってたりする?」

「なに言ってんの。せっかく煉夏ちゃんが来てくれたんだから挨拶しなさい」


 母に促され恐る恐る挨拶を試みるわたし。


「お、おはよう? 煉夏ちゃんさん」

「おはようございます岬葉さん」


 カップを置きながら穏やかな笑みを見せた煉夏ちゃんは、次いで「相変わらずですね」と声に陽気な色付けをする。


 煉夏ちゃんだ。

 この見事な猫かぶりは間違いなく煉夏ちゃん。


 徐々に意識が通常モードへ切り替わっていくと、まるで自分だけが異常に気付いている主人公のような感覚が湧き上がってきた。


 とりあえず簡単な質問から。


「えーっと、どうしたの? こんな朝早くに。昨日なにか忘れ物でもした?」

「ふふ。まだ寝ぼけているみたいですね。昨日約束したじゃないですか、一緒に学校へ行こうって。不安だから起こしに来てくれ、とも」

「言ったっけなぁ」

「言いました」


 クスクスと天使の微笑みを見せる煉夏ちゃんに続き、父と母も笑う。


 真実に違和感のない嘘をくっつけられた。朝6時の訪問という非常識の壁を突破するにあたってわたしは利用されたようだ。


 つまりわたしは使えるパーツ。

 一歩前進、としておこう。


 うーむ……煉夏ちゃんが何を考えているのか分からない。

 分かってたことなんて一度もないんだけど。


「それでは行きましょうか。朝課外、遅れると大変ですから」

「え? 待ってなにそれ――」

「ほら早く着替えてください。ほらほらほら」


 眼光に鋭さが増し、眼力だけでわたしを押し出そうとする。


 確かにわたしの通う学校では朝課外なる取り組みが――いや待って、無い無い。いくら勉学以外に精を出しているわたしでもそれくらいは知っている。


 煉夏ちゃんはディティールの荒い嘘も扱うらしい。


 そこまでしてわたしを学校に行かせたい理由は、まあ大体想像がついてきた。


 わたしは言われるがまま自室へ戻り、制服に着替えて鞄を持って、結局首はそのままで再びリビングへ。

 優雅な佇まいの煉夏ちゃんがわたしを迎える。


 朝ご飯を食べる習慣はないから問題ないとして、生まれてこの方こんなに早く登校したことがないわたしは、何して過ごせばいいのかが目下の不安となる。


 一人には慣れてるしどうにでもなるか。

 決意と共に煉夏ちゃんと家を出て、わたしは一度骸輪家を見遣った。


「レンちゃんは?」

「何の為に私がこんなことをしていると?」


 そうだよね。

 ごめんねレンちゃん。埋め合わせはするから、煉夏ちゃんと二人で話せる機会を優先することを許して欲しい。


 自分勝手で、ごめん。


 それから見慣れた通学路を煉夏ちゃんと並んで歩く。

 間に三人くらい入っても余裕のある距離。言葉を必要としない心地よい空間――からは程遠い緊張感のある無言。


 わたしは横目で煉夏ちゃんを見ながら言う。


「懐かしいね。覚えてる? 二人で遠くまで遊びに行ったことあったよね」


 当然返事は無かった。


 心の奥でしくしく泣きながら、鞄から取り出したタオルを首に巻く。いつどこで手に入れたかも覚えていない原色系のものだ。


 首を隠せて間も埋められる華麗な一手。


 そうすると煉夏ちゃんがこちらをじぃっと見つめてきたから、わたしは笑顔で応じる。


「似合う?」

「なんのつもりですか」

「いや、首隠さないとさ」

「……恥ずかしくないんですか。私は恥ずかしいです」

「気にしないけど、別に」


 実際の所わざわざ隠す必要はないと思うけれど、万が一、興味を持った何者かに突っ込まれて説明する苦労を考えるとこうしておいた方がいいだろう。


 それはタオルも同じか。

 根本療法ではなく対症療法なわけだし。

 今更どうしようもないのでこのままファッショナブルに走り切ろう。


 再び沈黙が訪れる。

 煉夏ちゃんは更にわたしから二歩ほど後ろに離れていた。

 わたしが位置を変えると連動して一定の距離を保つ。


 息ピッタリだね、と言ったら睨まれた。

 しくしく。


 亭主関白のような構図で歩き進むことどれくらい経ったか。


 わたしの通う高校と煉夏ちゃんの通う中学校は徒歩で二十分くらい離れた位置にあり、てっきり呉服店を境に分かれると思ったが、なんと煉夏ちゃんはわたしの学校まで着いてきた。


 都度わたしが繰り出す雑談の全てをスルーし、ついに無言を貫き通したその胆力は天晴だ。


 そんな時間も、おしまい。

 どちらからともなく校門の前で立ち止まる。


「兄さんには私から伝えておきます」


 そして煉夏ちゃんは言葉尻にブレーキを利かせて言った。


「な、なんて?」

「頭が悪すぎて朝課外に出ないといけなかったのに、頭が悪すぎて忘れていたと」

「……そこまで悪くはないけどね」

「失礼しました。悪いのは頭ではなく頭でしたね」


 変わってない。

 とにかくわたしの頭が悪いと思っているらしい。反論の余地が無いのが悔しい限りだ。


 しかしようやく会話の取っ掛かりが見つかったので、わたしは意気揚々にクイズを出した。


「問題です。わたしの偏差値とわたしの体温、どっちが高いでしょうか」

「体調によるのでは」

「わたしのことめちゃくちゃバカだと思ってない!?」


 ギリギリまで体温上がっても余裕勝ちするから。たぶん。絶対。

 留年だけはしないように気を付けよう。


「――ふふ。思ってます」


 不敵に笑んだ煉夏ちゃんは、跳ねるような所作でこちらに背を向ける。


 このまま何事もなかったかのように学校へ行くのだろう――いや、違う気がする。

 わざわざわたしを学校まで護送したのは、レンちゃんに近付かせたくないから。


 二人の時間を邪魔されたくないから。

 つまり。


「まさか帰るつもり?」


 ぴたり、と煉夏ちゃんの歩みが止まった。

 図星らしい。


「いいえ。学校へ向かいます」

「じゃあわたしは一回帰ろうかな」


 確信を持って意地悪を言うと、振り返った煉夏ちゃんは目を細めてわたしを睨みつける。


 いまにも襲い掛かって来そうな感じ。

 なんだろう、ゾクゾクする。


「……分かりました。以前の私が愚かでした。あの時は一方的だったと反省しましょう。さて紹沼岬葉さん。あなたはどうすれば私と兄に不干渉でいてくれますか?」


 依然眉間に籠った力は抜かないままで、けれど物腰柔らかに。

 目下の相手に言い聞かせるように、煉夏ちゃんは笑った。


 改めて訊かれると答えに窮する。

 どうすれば、ね。

 どうにもならない。


 何をどうしても、不干渉という結論だけは、否定させてもらう。


 答えは決まっているけれど、煉夏ちゃんの求める答えではないから――答えられない。


「わたしの質問に正直に答えたくれたら、とりあえずいまは大人しくするよ」


 だからわたしは、質問に質問で返すという禁じ手に恥ずかしげもなく手を出した。


 人目を気にする煉夏ちゃんらしからぬ、嫌悪感をありありと出したしかめっ面。しかし否定しないということは、続けても大丈夫ということだろう。


 でもどうしよう。

 勢いで言ってしまったから心の準備は出来ていないし、整える時間も無い。


 だけど折角二人きりで話せる千載一遇のチャンスだし、ええい、言っちゃえ。


「煉夏ちゃん。わたし、何をしたのかな。何が嫌でわたしを嫌ってるの? それは謝っても許してもらえない? 教えてよ」


 煉夏ちゃんから見たわたしはどんな人間なのか。


 何が気に入らなくて、どこが嫌いで、どうして拒絶するのか。


 聞きたくないけど知らなくてはならない。


 直せる部分は直す努力をして、直せない部分は折り合いの付け方を探りたい。


 いま自分がどんな顔をしているか分からないけど、普段使わない部分に力が入っている気がした。


 煉夏ちゃんもまた、珍しい顔。ぽかんとした、驚いているような呆れているような、どちらとも取れる表情をしている。


「……本気で言ってます?」

「教えてよ」

「え、いや……でも、えぇ?」


 顎に手を当て思案顔をしているが、明らかに困惑の色が濃い。その動揺っぷりはやはり人目を気にする煉夏ちゃんらしくなかった。


 やがて持ち直すとわたしの目を真っすぐに見据える。


「他人に真実を求めるのなら、自分も真実を語るべきです」

「どういうこと? わたし嘘は言ってないけど」

「嘘ばっかり! そんなこと言ってほんとは私を欺こうとしてるんでしょう!」


 前のめりで頬を膨らませる姿は紛れもなく求めていた反応で、わたしは自分の頬が緩んだのを感じた。それを見てか、煉夏ちゃんは慌てて顔を引き締め咳払いをする。


「今のは忘れてください。不覚です」

「心に深く刻み込まれた」

「~~っ! そういう所が嫌いなんですよ! もう! 知りません! 絶対戻ってこないでください! 来たら必ず息の根を止めます!」


 そう言って恥ずかしそうに走り去っていく煉夏ちゃんだった。


 結局分かりやすい答えは貰えなかったけど、わたしも答えてないし痛み分けってところかな。


 今日のところは。

 痛み分け。

 痛み。

 痛いだけ。

 痛い。

 痛くない。

 痛いのは嫌いだ。

 痛いのは、本当に、嫌い。


「またあとでね、煉夏ちゃん」


 遠ざかる背中に手を振りながら、わたしは。

 わたしは。

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