06:この世の全てが間違っていても
煉夏ちゃんの可愛さに免じて大人しくすると決めたわたしは、教室に荷物を置いて校内をうろついていた。
時刻は6時半過ぎ。
部活によっては朝練をしているようだけど、主に屋外なので校内はほとんど人気が無く貸し切り状態。
何をしようか考えながら曲がり角を折れると、そこで誰かにぶつかった。
謝りながら顔を上げると、そこには数学教師の……名前は忘れたけど、とにかく先生が立っていた。
「ごめんなさい。私ともあろう者がうっかりしていたわ」
「こちらこそすみませんでした。ちょっと考え事を」
「あなたは注意力が散漫だものね。紹沼さん」
「わたしのこと知ってるんですか」
「ええ勿論。だってあなた、浮いているもの」
歯に衣着せぬ物言いだった。
どうせなら歯の浮くようなことを言って欲しい。
「困ったことがあったらなんでも相談しなさい」
「困ったこと……あ、それじゃ早速いいですか?」
「任せなさい」
胸を張るなんとか先生。
即決で相談に乗るその姿勢はやけに眩しく見える。
頼られることに喜びを感じることのできる人は、危なっかしさはあるけれど、善人なんだろう。
自己犠牲。
リノちゃんとは合わないだろうな。
「人を探してるんですけど、リノちゃんって子で」
「知らないわ。力になれずごめんなさいね」
「待ってくださいせめて考えてる素振りくらいしてくださいよ」
やっぱりどうだろう。リノちゃんって言った辺りで発声準備終えてたし。
出来ることを出来る範囲で取り組む人なのかもしれない。
「私は教師よ? 全校生徒の名前くらい当たり前に記憶しているわ。該当する名前はゼロ。おめでとう紹沼岬葉さん。幸せね。こんな素敵な教師に教鞭を執って貰えるのだから」
「そんなはずないじゃないですか。いるんですよ凶暴なのが」
したり顔で遥か高みから見下ろしてくる先生だった。
やけに自信家な人である。
わたしのプロファイリングがいかに当てにならないかが浮き彫りとなったが、それはそれとして。
わたしはここで打ち切るのを良しとせず、更なる特徴をあげた。
「えーと、前髪のとんでも長い子で」
「ああ」
すると先生は伸ばした人差し指を顎に当てて言った。
「その子なら知ってるわよ。A組の
「ゆきのこうし……おりのちゃん?」
一文字ずつ丁寧に反復する。
ゆきのこうしおりのちゃん。
リノちゃん。
そういうことか。
リノちゃんではなく、檻乃ちゃん。
わざとわたしが聞き違えるように言ったわけだ。
「彼女も浮いてる子だから、あなた達が仲良くなってくれるのなら私も嬉しいわ。これは直感だけど、すぐに打ち解けられると思うわよ」
「え、そうなんですか?」
「同じ穴の貉という言葉があるじゃない」
「もう少し言葉を選んだ方が」
「臭い物に蠅がたかるとも言うわね」
酷い言いざまだ。
類は友を呼ぶとか同類相求むとか似た者同士とか無難な着地点はいくらでもあるのに。
好戦的な言葉選びは嫌いじゃないけど、わたしはともかく嫌な気持ちになる人は少なからずいるだろうから、今すぐにでも止めた方がいいと思う。
「先生って子供嫌いなんですか?」
「そんなことないわよ。嫌いな食べ物はあっても食べ物自体は嫌いじゃないの」
「ああ、そういう……じゃあわたしが嫌いなんですか」
「どうしてそういう結論になったのかしら」
どうやら自分の攻撃性に自覚が無いらしい。
自信家にありがちな視野狭窄。
「私は生徒に対して公平よ。気に入らなければ何でも言ってきなさい。悉く捻じ伏せてあげるから」
「……実はわたしの親、教育委員会の偉い人なんですよね」
「おめでとう紹沼さん。あなたは今後数学のテストで満点以外取れないわ」
「そういうのやめた方がいいと思います!」
めちゃくちゃ権力に媚びる人だった。大人の世界は恐ろしい。
立ち話が段々と熱を帯びてきたところで、先生が朝練に顔を出さないといけないから、と立ち去ろうとする。
学校で人と話すという珍しさからくる名残惜しさに、ついもうちょっとを求めてしまう。
「ありがとうございました。あの、先生はもう少しマイルドな言葉選びをした方がいいと思います」
「あら。言ってくれるじゃないの」
「できます?」
「余裕ね。これでも子供の頃は辞書になりたいと夢見ていたのよ」
「へえ。それじゃあ、先生の一番好きな言葉ってなんですか? 獅子身中の虫とか?」
厳めしい響きが好きそうだし勝手なイメージで言ってみると、先生は神妙な面持ちで腕を組み、やがて閃いたように心得顔をして、言った。
「アルコール9%」
〇
A組の教室は早朝らしく順当に無人だった。
誰も居ない教室はどこか高揚感に満ちていて、わたしはとりあえず教壇に立って室内を一望する。
なるほど確かにここからなら生徒の様子がよく見えそうだ。
浮いている、か。
捉え方次第で毒にも薬にもなる言葉。
わたしは前向きに受け取った。
さてさて、リノちゃん――改め檻乃ちゃんの席はどこだろう。
雪ノ格子なら五十音順では最後の方だろうけど、いまは七月だし一度か二度は席替えをしているはずだ。
どういった基準で行われるかはクラスの体質によるから分からない。
視力の問題で席を移動するケースもあるにはあるだろうけど、檻乃ちゃんの目つきが悪かったのは目が悪いからではなく性根に依存するものな気がする。
となると完全にアトランダムか。
いや、待てよ。
確かどこのクラスも座席表が分かりやすい場所にあるはずだ。
でなければ友達もいないのに風邪を引き、そのタイミングで席替えなんてあった日には目も当てられない――しかしそもそも席替えがあったという事実を知る術がないため、気休め程度の方策でしかないけれど。
そこ私の席なんだけど――恐ろしい響き。
常在健康が数少ないアピールポイントであるわたしは、実感に欠ける架空の出来事に身を震わせながら教壇の中を漁った。
無い。そんなはずはない。
全員が全員なんとか先生みたく生徒全員を把握しているだろうか。
「わたしだったら無理だな」
言いながら黒板を見ると、端の方に堂々と貼りつけてあった。
灯台下暗し。
座席表は名前の記されたマグネットを張り替えられるようになっていて、名前の文字が大小様々なのは各々が自分で記入したからだろう。その中に見覚えのある筆跡で雪ノ格子と書かれたマグネットがあった。
五列ある内のど真ん中、一番前。教壇の真正面に構える席が檻乃ちゃんのものだった。
髪の毛で隠れてるとはいえ、あの瞳が眼前にあるなんて教師というのは大変な仕事だ。
わたしは檻乃ちゃんの席へ移動して椅子に座る。引き出しからノートを取り出して捲っていく。
最初の数ページは真面目に板書をまとめていたけれど、途中から落書きが増えていき、果てはウェディングドレスのデザインと思しき絵が描かれていた。
次のページは真っ白。
授業に集中してない証拠だ、それも現在進行形。
え、檻乃ちゃん一番前の席でなにやってんの。こんなに堂々と。
人のこと散々言っといて自分も変わらないじゃん。
わたしはちょっとしたお返しに悪戯を決めた。
筆記用具も引き出しに入っていたので赤ペンを握り、ドレスのラフに「物理法則を無視している部分があります。勉強しましょう」とメッセージを追加し、シャーペンに持ち替えて次ページへ。
そこにわたしは、13時を指した時計、階段を上る前髪の長い女の子、その子が青空の下でショートヘアの女の子と並んでいる絵を描いた。
昼休みに屋上で待つ。わたしなりのメッセージだ。
退屈しのぎの遊び心。我ながらうまく描けたことに満足しながら席を立ち、一度伸びをして教室を出た。
〇
四限目の授業が終わってすぐに購買で菓子パンを買い、屋上へ向かった。
一階から三階まで上がり、更に上へ。階段をのぼりきるとやや広いスペースがあって、その奥に扉がある。万が一の可能性に賭けて扉を押してみたが、当然施錠されていた。
8戦0勝8敗。しっかりした学校である。いつかわたしが倒す。
敗者に相応しい埃の溜まった床、その壁際に腰を下ろしクリームパンを食べながら、檻乃ちゃんを待つ。
ややあって規則正しい足音が聞こえてきて、片手にパック飲料を持った檻乃ちゃんが現れた。
「私を呼び出したからにはもう逃げられない」
「おはよ、檻乃ちゃん」
檻乃ちゃんも煉夏ちゃんも悪魔みたいな発言好きだよね。
落ち着いてじっくり姿を見ると、他人を寄せ付けない刺々しさを全身から放っていて、出会い方が違っていたらなかなか声を掛け辛そうな感じだ。
檻乃ちゃんはわたしから少し離れた位置に座ってストローを齧り始める。
おやおや、そのストローを一体なにに見立てているのかな? 表情が見えない分より口元が強調されて恐ろしいよ?
わたしは速やかに場を和ませることを決めた。
「檻乃ちゃん、目綺麗だよね。隠さなくてもいいのに」
おべんちゃらでなく本心を伝えると、檻乃ちゃんは顔をこちらに向けて、わずかに口をもにゃもにゃさせる。
「……そんなことない。髪の長きは七難隠すっていうからこれがベスト」
だからって前髪だけ伸ばすのは違う。むしろ美点を隠しているのだけど、本人が納得しているなら、まあいいか。
「無駄話は余剰でするべき。本題はなに」
「まあまあ、これも十分本題なんだよ。わたしは檻乃ちゃんのことをもっと知りたい」
「卑怯。自分は隠すくせに」
「わたしが? そんなことないよ。わたしは結構オープンな方だからさ。深く考えてないだけ」
「アサリってことだ」
その辺りは諸説あるみたいだけど、中々的を射た発言のように感じられる。
檻乃ちゃんの言葉を受けて、過去に一度だけ言葉を交わした人のことを、思い出す。
浅くていい。
自分の話なんて他人にするものじゃない。
浅くたっていいんだよ。
肝要なのは見せ方だ。
誰しもね、相手を理解したいわけじゃない。
相手を理解した気になれればそれでいいんだ。
大切にするべきなのは自分自身だよ。
自分を愛せる人間は、決して他人を愛さない――。
「紹沼岬葉」
「えっ」
ふいに名前を呼ばれ意識が現実に引き戻される。
最近はめっきり無くなっていたから油断していた。
わたしの意識を強烈に惹き付ける過去回想。
嫌な記憶。
わたしは大袈裟にかぶりを振り、そして会話を元通りに繋ぎ直す。
「じゃあわたしの話をするね。昨日あれからレンちゃんに連絡とったんだけどさ、色々あって煉夏ちゃんにバレちゃった」
「ふうん。その辺りはなんとかして。約束した。それで?」
「バレたのはわたしが何か企んでるってことくらいだから、なんとかなる……かなぁ」
「大丈夫。あなたならやれる。がんばれ」
やたらと投げやりに感じられるのは、きっと勘違いではないだろう。
まさかこの子、既にわたしは用済みだとでも考えているのだろうか。
小癪な。
「檻乃ちゃん。ねえ檻乃ちゃん」
「何度も呼ばないで。聞こえてる」
「レンちゃんと会ってなにするの?」
「あなたに教える必要は無い。私には無敵の必殺プランがある」
「教えて」
「いや」
テンポ良く否定が投げ込まれる。
檻乃ちゃんは自分を棚に上げるタイプらしい。
「教えてくれなきゃわたしも無敵の必殺プランを使わせてもらう」
「なにそれ。話して」
わたしはクリームパンを一口齧って咀嚼する。それから企んでいるような顔を作って檻乃ちゃんへ向けた。
手持ちのカードに無敵も必殺も、それらしい性質の物もないけれど、彼女はわたしと違って考えるタイプだから、勝手にあれこれ邪推してくれるだろう。
もしかすると良いアイデアをポロっと零してくれるかもしれない。
「と、あなたは考えてる」
全部お見通しだった。
わたしの考えを明るみに引きずり出して嬲り殺し。
外れだよ、と否定してみたが檻乃ちゃんは確信しているようで、わざと大きな息をつき、その吐息に前髪がわずかに浮き上がった。
「浅はかだけどそういうのは嫌いじゃない。仕方ないね。いいよ、教えてあげる」
そう言ってスカートで床を拭くようにしてわたしへ寄ると、今度は肩と肩がくっつく距離。
やっぱりこの子はパーソナルスペースがバグってる。
わたしもそういうのは嫌いじゃない。
「もし煉冬様にネタバレしたら殺す」
檻乃ちゃんは上機嫌な息遣いでカッターシャツのボタンを上から順に外していく。
なにをはじめるつもりなの。
わたしの当惑をよそにボタンを外し終えた檻乃ちゃんは、シャツをずらして胸部を露出させた。
心身ともに露出。
いきなりのアブノーマルな告白に身構えたが、その飾られた胸元を見ておおよその意図を理解できた。
身も蓋も無くアホ。
檻乃ちゃんは、下着の代わりにリボンを巻いていた。
「私がプレゼント」
「めちゃくちゃバカ」
現実で試みるばかたれがいるとは思っていなかった。
繰り返すけど、めちゃくちゃバカじゃん。
どうしよう、わたし檻乃ちゃんのこと好きかもしれない。
「バカはあなた。先達に失礼。古来より連綿と受け継がれてきた現存する魔法だから」
確かに。まんまとわたしに効いているわけだから、あながち嘘ではないのかも。
狙った効果とは違うだろうけど。
どう考えても檻乃ちゃんの分が悪いのに、しかし彼女は毅然とした態度を崩さない。
「あなたもやればいい。骸輪煉夏に」
「煉夏ちゃんにぃ? すっごい顔すると思うよ。それにわたしじゃ似合わないし」
「そんなことない。そういうのはやり切ってから言って。幸いスペアがある」
どんな想定をすれば予備の必要性に至るのか、この場では考えないでおくとして、それよりもわたしが言及するべきは手渡された薄ピンクのリボンだ。
「10センチくらいしかないけど」
「それで足りるよ」
「足りるわけあるかぁ!」
昨日に引き続き執拗な胸弄り。だから全然変わんないんだってば。
閑話休題。
そもそも何が本題だったかわたしはすっかり忘失しかけていたが、これはこれで間違ってはいないのか。
ひとまず分かったのは、檻乃ちゃんは平気で変なことをするから手綱を握るのは難しい。下手に制御しようとすれば想像の斜め上から鮮やかな袈裟切りを放つだろう。
流石に恋してる相手を傷付けることはないと思うけど、一応聞いておく。
「檻乃ちゃんさ、レンちゃんに危害を加えたりしないよね」
「バカにしないで。するわけない」
「でもわたしには平気で尖がった物突き付けてきたじゃん」
「あなたは煉冬様じゃない」
なるほど。完璧な理屈だ。ぐうの音も出ない。
そんなわけあるか。
はいはい、と投げやりに返して続きを切り出そうとすると、機先を制するように檻乃ちゃんが立ち上がった。
「じゃあ早速行こう」
「え、どこに?」
「煉冬様の学校」
――と、ピクニックにでも出かけるような気軽さで。
口元をいっぱいに綻ばせて。
無邪気に。
この世の全てが間違っていても、自分だけは間違っていないと信じているみたいに。
檻乃ちゃんは笑った。
眩しいくらいに真っすぐな子だ。
「……約束は放課後だけど、待ちきれない?」
「それもそうだけど。サプライズで喜んでもらいたい」
この見たい物だけを見て、見たい物を見ようとする精神は見習う部分がある。
だからわたしは「そうだね」と頷いた。
「それに自己紹介は本番前に済ませるべき。そういえばあなたにはまだだった。私は雪ノ格子檻乃。利害が一致する間はよろしく」
「うん、それじゃ改めて。わたしは紹沼岬葉。末永くよろしくね」
わたしは笑ってみせた。
檻乃ちゃんは一転して口を真っすぐに結んでいた。
それはかつての煉夏ちゃんのように線引きをする行為にも見えたけど、だからといってわたしの意思は変わらない。
だって、わたしに言ったのは檻乃ちゃんだ。
しないよ、見苦しい真似は。
災難だよね。
気持ちなんて言わなければ伝わらないのに、言ったところで伝わり方は人の数より遥かに多い。
多分わたしと檻乃ちゃんの間には大きなズレが生じているのだろうけど――わたしも決めたから。
だから、よろしくね。
仲良くしよう。
雪ノ格子檻乃ちゃん。
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