03:ひとりよがりのハッピーエンド

「――ということがありました」


 夕暮れ時の学校で凶器を突き付けられるという危機的状況下にありながら、うっかり相手を挑発してしまいあわやお陀仏――その寸前、わたしは命乞いを試みた。


 チクリとした鋭い痛みを感じるのと同時、一か八か、先日果たした幼馴染との再会における会話、その導入を覚えている限りそらんじると、切っ先はわたしの首を離れ、背後の危険人物は黙って聞き入った。


 節目節目で『ただの幼馴染であること』を強調しながらレンちゃんが人目を気にしながら帰宅するところまで語り終えると、背後の人物は満足気に唸ったのち沈黙する。


 余韻の邪魔をしない為わたしも同じようにした。


 無言の恐怖を巧みに操るストーカー嬢はたっぷり静寂を流し込み、わたしの体感時間で五分くらい経つと、ようやく口を開いた。


「自慢は終わった?」

「終わってません。なぜならわたしは自慢なんてしていないからです」

「幼馴染をやたらと強調する所にムカついた」


 わたしがレンちゃんに下心を抱いている、と彼女が勘違いしていることを察し、身の潔白を証明するために洗いざらい吐き出したのだけど、配慮というか理解というか、とにかく色々足りていなかったらしい。


 わたしは自省しつつ言い直す。


「じゃあ、友達。弟の方がしっくりくるかな」

「おとうと? 家族ってこと?」

「わたしはそう思ってるんだけどね」


 ふうん、とストーカー嬢は無機質に返し、それから話を切り替えた。


「これからいくつか質問する。『はい』か『いいえ』で答えて。返事は?」

「はい……」


 彼女の淡々とした口調は否応なしに緊張を運んでくる。


 質疑応答。取り調べ。

 そんな言葉を連想するくらいには、わたしと後ろの子との間には明確な区切りが存在する。


 現状わたしは暴かれる容疑者といったところだ。

 

「あなたと煉冬様は何歳の頃に知り合った?」

「三歳くらいです、確か」

「-1」


 謎のカウントが始まった。

 不吉すぎる。


「……なんの数字ですか?」

「質問には『はい』か『いいえ』で答えて」


 ズルすぎるそんなの。


 わたしを痛めつけたいだけとしか思えない。仮に沈黙を選んでも結果に大差ないのが分かってしまう。


 なんの数字だろう、これ。


「いつか私が自暴自棄になって。誰かに八つ当たりしたいと思った時。この数値を参考にする」

「はいぃ……」

「あなたは煉冬様のなに?」

「……はい」

「はい。灰。灰かぶり。つまりシンデレラ。自分がお姫様だって言いたいの?」


 あまりにも自由な論法だった。論法というより殺法だ。


 従ったら従ったで不当な論理が幅を利かせ迷いもせずに走り出す。既に結論は揺るぎなく決定しているように思われた。


 魔女裁判だ。魔女は絶対この子の方なのに。


 このままではまずい。常に後手に回り続けている現状をなんとかしないと、殺すはただの脅しにしても何かしらの理不尽が降りかかる気がする。


 もはや遅きに失しているのかもしれないが、その辺りは目を瞑って、打開策の欠片だけでもと探し始めたその時だった。


 ストーカー嬢がこれまでよりも丁寧な発音で、わたしに訊いた。


「ねえ。怖くないの? いきなりこんなことされて」


 さっきまでとは違う。

 熱を帯びた芯がある――と、思った。


 この問いはこれまでと毛色の異なる、自分以外に答えを委ねる問いなのだと、わたしの答えを待つ問いなのだと――そんな風に、だから迷ったけれど、正直に答えることにする。


「そりゃあ怖いよ。だけど、あなたは怖くない」


 言葉が届かないタイプのストーカーだったらめちゃくちゃ怖かった。


 でもこの子は少なくとも会話らしきものを成立させられるし、なにより相手の話を黙って聞くことが出来るのだから、人間関係を作る土壌は備わっているように思える。聞き上手――とは言い難いのかもしれないけど、全くの不向きではないだろう。


 つまりホラーとしては凡。

 怖さはあっても首位を狙うにはまともすぎる。


 怖くないし、嫌いじゃない。

 むしろ白状してしまうと、これくらいグイグイきてくれる人間は好き側に分類されるのがわたしである。


 口には出さないけど。

 彼女は再び「ふうん」と呟いた。


「やっぱり邪魔。脅しが利かないなら痛めつけるしかない」

「そうしてくれるとこっちも容赦なく首を突っ込めるよ」


 わたしは精一杯澄まして答える。


 打撲なら耐えられるけど切り傷は嫌、というか痛いのが嫌だからやっぱり勘弁願いたい。

 痛いのは、本当に、嫌。


 早速撤回しようかを考えていると、ストーカー嬢の右腕がわたしに巻き付き両腕を押さえながら抱きしめるようにする。


 反射的に身構えようとしたが既に動けない。


 間を置かず、右耳に慣れない感覚。後ろの子が髪の毛を巻き込みながらわたしの耳を噛んでいた。


「ちょっ――痛いって!」


 彼女が歯を立てたのは頭頂部側、耳輪の辺り。痕が残るくらい強く噛み、痛みを訴えるわたしの反応を全て無視して、強弱をつけながら繰り返し噛み続け、それから痕を優しく舐めると舌を這わせたまま少しずつ下へ移動していく。


 何をしてるんだこの子は。


 わたしはくすぐったさに悶えながら、耳たぶを甘噛みされる頃にはすっかり脱力気味で、熱くなった顔を隠せないことが無性に恥ずかしかった。


 誰が見ているわけでもないのに。


 次は首筋。噛んだり唇で挟んだり挙句吸いながら、それを何ヶ所かに分けて、吸血じみた行動を続けていく。

 人型ヒルか。


「くすぐったいからっ、やめて」


 振り払おうとしても力で彼女には敵わないため、わたしは為す術なく首元も蹂躙される。彼女の左腕に顎を突き上げさせられ、ついには喉元まで味わわれるのを、もうどうにでもなれと捨て鉢気味に受け入れるわたしだった。


 こんなのはじめて。どうしたらいいかわからない。


 どれくらい続けていたのか、ようやく落ち着いたストーカー嬢は最初の体勢に戻り、けれどもわたしの両腕は解放しないままで言う。


「これで人前には出られないね。二年くらい消えないから」


 身体の火照りを悟られないよう、抑揚に気を付けながらわたしは答えた。


「病院じゃなくてお寺に行った方がいいやつ?」

「夏の間は家に籠っているといい。その間に私は全てを終わらせる」

「……別にいいよ。髪でほとんど隠れるし。友達いないのに誰が気にするの」

「私が匿名で先生に言う」


 陰湿な手段をいとも容易く選ぶ子だった。

 せめて正々堂々密告してよ。


 それともあれかな、この子は自分の行動が一点の曇りなく正義理論をお持ちなのか。大統領の器だ。


 耳から首にかけて、所々に熱を感じる。これくらいならいくらでも言い訳は立つと思うけど、わたしのように浮いている人物がおかしな行動を起こすと過剰に心配されてしまう恐れがあるし、変に騒ぎにされると確かに困る。


 いや、そもそも。

 早起きさえすれば隠すことは難しくない。


 だとすると、この行動の意図は別にあると考えるのは勘ぐりすぎだろうか。


 思考のトレジャーハンティングに出かけようとするも、ストーカー嬢のキレのいい声に制された。


「これであなたは私の言う事を聞くしかない。一生奴隷。返事は?」

「ちょっと待った。穴が多すぎるってその理屈は」

「欠点があった方が親しみやすい。穴の開いたチーズと一緒」


 この場合親しみが必要かどうかは考えるまでも無かった。


 それに言ってることがよく分からない。

 上手い事を言おうとして失敗した時のわたしと非常によく似ている。剣道でいうところの残心。堂々と構えていれば余程の知恵者以外は言及してこないだろう、という小賢しさも同じだった。


「私は穴の開いたチーズ嫌い。気持ち悪いから」

「わたしも実写は苦手だな」

「紹沼岬葉。あなたの髪、腐ったチーズの匂いがする」

「そんなわけないじゃん。なんかすごいシャンプー使ってるんだから」


 わたしの髪を嗅ぎながら悪質な冗談をほざくストーカー嬢。


 スキンシップなのかは分からないけどとにかく距離が近すぎるし、さっきからやけに饒舌で――と、ここで一つの仮説が導き出された。


 またの名を、思い上がり。わたしなんかが、思い上がる。


 恥を忍んで言葉にするけど、もしかしてストーカー嬢、楽しんでない?

 思いっきり浮かれてない?

 わたし懐かれてる?


 彼女は発した言葉が別の形で戻ってくる喜びを感じている節がある。昨日のわたしがしみじみと感じたものだ。


 であればであれば。


 わたしの立ち回り次第では、友情にはなれないけどそれに似た何かへ辿り着く関係が芽生えるなんてこともあるのかもしれない。


「まあ。私もバカじゃない。成績は常に――こほん」


 やっぱり浮かれているらしく放っておけばボロが出そうだ。

 鵜呑みにするわけにはいかないけど、恐らく成績は上位。


「この程度であなたが止まらないのは分かってる」

「それを踏まえた上で、あなたは何を望むの?」

「-1。煉冬様とのデートをセッティングしてもらう」

「やっぱりそういうのだよね。別にいいけど」

「マジで?」


 打って変わって俗っぽいリアクション。


 心苦しいけどマジではない。脅迫を手段に選べる危険人物と幼馴染を会わせるわけにはいかないのだ。

 現時点では。


「とりあえず……離してもらえないかな? 大事なことだし、面と向かって話そうよ」

「それは出来ない。顔が割れると暗殺される恐れがある」


 それに――と。


 抑揚強く放たれた三文字は、どう好意的に解釈しても不穏だった。


「あなたがその場凌ぎの口八丁を用いてない証拠は無い。その公約もどうせ破り捨てられる、と私は考えている。授業中の手遊び。ノートに書かれた怪文書。休み時間の瞑想。一日通して会話は無し。あ、昼休みに菓子パンと話しててドン引きした。ともかく、あなたは一人に慣れている。そして他人に慣れていない。そんな人間との約束は信用できない。さて、あなたはどうやって私の信頼を勝ち取る?」


 散々な言い草だ。私の生態が仔細まで把握されている。


 改めて行動を挙げられると寂しい人間だよ紹沼つぐぬま岬葉さきは……菓子パンと会話していた件について言い訳をさせてもらうと、味が変わった気がしてつい疑問を口にしただけである。


 それはいいとして。


 彼女が指摘した通り、確かにわたしを信用するのは難しい。感情的な面ではまず不可能だろう。だからまずはシンプルに分かりやすいメリットを提示する必要がある。


 浮ついてるから捲し立てれば言いくるめられると思ったけれど、なかなか用心深い性格をしているようだ。


 その場凌ぎの口八丁。

 仰る通り。


「とりあえずいまからこの場で聞こうか」

「えっ、ほんとに?」


 わたしからの提案に、可愛らしく弾んだ声を出すストーカー嬢。小声で「えーどうしよう急すぎて困る」とドギマギしている。


「電話をしたいのでスマホを取り出してもいいでしょうか」

「許可する。はやくはやく」


 凶器の柄と思われる部分でわたしの頬を突っついてくる。

 やめて。


 ポケットからスマホを取り出して、昨日入れたばかりのアプリを開き、レンちゃんに電話を掛ける。後ろが「すぴーかー! すぴーかー!」と盛り上がる中、心優しい幼馴染にはワンコールで繋がった。


「もしもしレンちゃん? いま大丈夫?」

「……………」

「もしもし? 岬葉お姉ちゃんだよー。おーい、もしもーし」


 調子づいて呼びかけるも返答はなく、そのまま電話は切れてしまった。

 わたしは一度スマホをポケットに戻して言う。


「電波が悪いみたい」

「虫の居所かも」

「洒落にならないからやめて」


 その言葉は嫌な部分に綺麗に刺さる。


 わたしはかぶりを振って、無理やりこの話題にピリオドを打った。


「紹介するにしてもさ、名前くらいは教えて貰わないと。レンちゃんも困るし」

「卑怯。煉冬様を盾にするなんて」

「なんとでも言ってくれていいよ。いまあなたの運命はわたしが握ってるの」


 さて、恩を売りつけた以上わたし達は対等どころかわたしが上のはずだ。


 阿るのはもう止めよう。


「気ばっかり大きくなって。胸も器も小さいくせに」


 うるさい。噛みついてやろうか。

 胸も、と先に言う辺りにこだわりが感じられて感じが悪い。


 ひと悶着も覚悟したが、彼女は小さな声で「リノ」と名乗った。わざと聞き取り辛く言ったであろう点は大目に見よう。


 これでようやく背後の人物やらストーカー嬢やら、名称不定の不便から解放される。


「可愛い名前だね、リノちゃん。ねえ、どうしてレンちゃんを好きになったの?」

「話すつもりはない。そもそも愛に理由は必要ない」

「必要だよ。どこかで間違えるかもしれないじゃん。もしかすると、最初から」

「愛は間違えない」


 と、彼女は言い切った。

 わたしの答えに被せたそれは、一切の淀みなく付け入る隙が無い。


 それはきっと彼女の信念だから、だから――わたしは何も言えなかった。


 他人の信念と向き合うには、深い傷を負う覚悟と、そして剥き出しの自分自身が必要になる。


 わたしが何か言えるはずがない。


「紹沼岬葉。いいから早く煉冬様に電話して」


 幸いにも話が続くことはなく。

 今度は人差し指でわたしの頬をぐりぐりしてくる。リノちゃんは深爪派のようだ。


 徐々に距離が詰まってきた気がして、わたしはさっきまでより気楽にスマホを取り出し電話を掛ける。


 我ながらひどい言い草だと思うけど、レンちゃんはとにかく暇人なのか、またしてもワンコールで繋がった。


「もしもし。どうしたんだよ急に」

「あ、レンちゃん? 何度もごめん。いきなりだけどさ、実はお願いがあるんだよね」

「本当にいきなりだよな。全然いいけど、なんだよ」


 まだ概要すら聞いていないのに肯ってくれて――少し心が痛くなる。


 レンちゃんはわたしを信用してくれている、のだろうか。

 反省したそばから身勝手を繰り返すわたしを。


 だとすれば、一体どこを?

 分かっている。それはきっと、少なくとも。


 昔のわたし。

 彼の知るわたしはワガママなんて言わなかったから――


「お前のワガママには慣れてるよ。好き勝手言ってくれ」

「…………さいですか。じゃあ遠慮しないけど、いや、ちょっと待って」


 わたしは一度通話口をスカートに押し付けて塞ぎ、リノちゃんに訊く。


「いつがいい?」

「今から」

「バカ。もう遅いし明日にしようよ。向こうも準備あるだろうし」

「私はバラの花が好き。あとバカはあなた」


 あくまで自分本位に受け取ったリノちゃんは置いておくとして。

 レンちゃんとの会話に戻る。


「ごめんごめん。でさ、明日の放課後暇?」

「暇だ」

「じゃあさ、ちょっとデートしてくれない?」

「デート!? そりゃもちろんいいけど……いや妙だな。お前がそんな言葉を知ってるはずがない」


 蹴散らしてやろうかと思ったけど見逃してあげよう。


「わたしよりデートに詳しい人はいない。ありがと、紹介したい人がいるの」

「紹介……? なんだ、そういうことかよ。まあいいけど」


 わたしは再度通話口をスカートに押し当て、会話をリノちゃんへ向ける。


「時間と場所、どうする?」

「17時。場所は煉冬様の家」


 いいわけあるかそんなの。

 頷きながらスマホを耳に当て、わたしは答えた。


「時間は17時。場所はまた連絡するね」

「おう、分かった。詳しい事情はあとで聞くよ」


 そう言ったきりレンちゃんが黙ったので、わたしから終話する。


 これで一旦リノちゃんは納得してくれるはずだ。あとはレンちゃんの協力を得て、かつ煉夏ちゃんには隠し通した上で、上手いこと有耶無耶にする方向へ持っていきたい。今時はビデオ通話なんかもポピュラーだし、上手いこと活用できるかもしれない。


 下手にレンちゃんを巻き込むと煉夏ちゃんの怒りを買うことは山火事を見るより明らかすぎるから、なるべく現実的な距離を開けたままでリノちゃんを満足させたいところだ。


 それに、確証はないが煉冬様相手には自分の素性を事細かに、聞いても無いのに語る気がするし、素性さえ判明すればこちらも対応しやすくなる。

 善後策とか。


 ポケットにスマホを戻して一息付くと、リノちゃんが言った。


「私そういう風に具体的な内容伏せて暇かどうか聞く人嫌い」

「うるさいなあ。これで少しは信用してくれるんじゃない?」

「ふん。幼馴染だからって楽してさ。これだから苦労知らずは」

「は? もしかしてそれわたしに言ってるの?」

「当たり前。ここには私達しかいない。え、ていうか聞き返されたことにびっくりした。普通分からない? 会話苦手?」


 会話苦手はどっちだ。


 慣れてきたから油断していたけど、突然喧嘩を吹っ掛けてくる辺りやはり尖った個性の持ち主だ。


「ひとまずこの場は信用する」

「助かるよ。でもさ、わたしはあなたを信用できないなぁ」


 依然拘束されたままで、けれどわたしは強気に主導権を握りにいく。


「あなたからの信用は必要ない」

「お互いに結ばれてはじめて信用と呼べるんだよ。人間関係苦手?」


 言われっぱなしは性に合わないため、わたしは挑発で返す。


 するとリノちゃんはわたしの肌に凶器の先端を食い込ませた。


「私は証拠を残さずあなたを葬ること出来る」

「やれるならやりなよ。わたしを利用する方がどう考えても利口だと思うけど」

「あなたの手を借りなくてもデートくらいできる」

「それが出来ないからつけまわしてたんでしょ。このチャンスを逃すようじゃたかが知れてるよ」


 攻めすぎたかと内心ドキドキしながら、わたしは泰然と振舞う、つまりは虚勢を張るのだった。


 痛いのはやめて。


「……私にそんな口を利いたのはあなたが初めて」


 彼女は高飛車なお嬢様じみたことを言って、


「話し相手がいないからだけど」


 と、自虐してみせた。


 なるほど。

 これは強敵かもしれない。感情をコントロールできるということは選択肢が多いということだ。


 怒りたくても怒らずに、怒りたくなくても怒れる。

 読み辛い。


「わたしじゃダメかな。話し相手」

「私にも選ぶ権利がある。友達になるなら王子様系の子が良い」

「わたしじゃ! ダメかな! 話し相手っ!」


 ここで食い下がると「わたしで我慢しろ」と言っているようなものだと気付いて少し落ち込んだ。


 だけど実際、性格がトリッキーである以上我儘を言うものではない。

 理想のための妥協は必要不可欠だ。


「自分が寂しいだけでしょ。誰でもいいくせに。私を見くびらないで」


 一段と不機嫌そうに、リノちゃんは言う。


 彼女は思っていた以上に言葉に感情が出る。


 わたしはきっと、リノちゃんに一歩踏み込んだのだろう。


 こういうのは、苦手なんだけど。


「そうだね。わたしが寂しいから話し相手になって欲しいの。誰でもいいわけじゃないよ。わたしは退屈が嫌い」

「…………」

「そこは妥協したくないかな」

「確かに私は他人を退屈させない面白い人間だけど」


 やけに自己評価が高いなこの子。すぐ調子に乗るあたりに既視感がある。


「リノちゃんとの沈黙はひりついていて楽しかった。会話がなくても気まずくない相手って、運命だと思わない?」

「確かに私はそういう所あるけど」


 いけそう。


「でしょ? わたし達仲良くできると思う。だから――」

「お断り」


 ダメだった。


 ほんと、一筋縄じゃいかないな。わたしの対人スキルが低いせいか。


 歩み寄ったわたしを事も無げに突っぱねたリノちゃんは、会話を仕切り直すように空咳をした。


「あなたにはやってもらうことがある」


 反論を許さないという意思が発音の力強さから伝わってくる。


 なんだろう、デートの場所を探してこいとかそういうのかな。


「私と煉冬様の逢瀬に邪魔者が割り込まないようにして」

「そうは言われても。レンちゃんってやたらモテるでしょ。わたし一人じゃ難しいって」

「有象無象は敵にならない。あなたが足止めするのは一人でいい。骸輪煉夏、あの小娘だけで」


 骸輪むくろわ煉夏れんか

 ここでもう一人の幼馴染が出てくるとは。


 一日でわたしの情報をある程度調べた以上、レンちゃんを語る上で避けて通れない煉夏ちゃんの名前を知っているのは当然と言えるのだけど、『あの小娘』という不穏当な呼称は他人以上を感じさせる。


「知り合いなの?」

「あの女さえいなければとっくに家に忍び込んでる」


 とんでもヤバいことを平然と言ってのけるある種の実直さに感心さえ覚えそうだ。


「私はラスボスになれる特殊能力を持ってる」

「特殊能力……?」

「だけど骸輪煉夏には通じない。忌々しい。だからあなたを利用する。紹沼岬葉」


 特殊能力、の部分をもっと掘り下げたいところだけど、彼女は説明するつもりがないようだった。


 一体どういう設定なのか。


 わたしは吸血鬼に恋した亡国の姫だという設定を持っていた。二年くらい前のことだ。


 あの頃のわたしはいまもどこかで元気にやっているのかな。

 二度と会いたくない。


 意識を引き戻して、煉夏ちゃんのことを思い起こす。


 無理だなあ。わたしが話しかけても嫌な顔をするか最悪の場合は無視される。舌打ちしてくれたら上々だ。


 変に食い下がればその時点である程度事情を察することのできる勘の良さもあるし、対面するのに最も向いていないのがわたしとさえいえる。


「煉夏ちゃんのことは、レンちゃんがなんとかすると思うよ」


 浮気慣れしてるみたいだし。

 むしろわたしが出張る方が話はややこしくなるだろう。


 仲の良い三人組だったのは遥か昔。


 今はもう、二人と一人ですらないんだから。


「それがなに? 私はあなたに命令してる。あなたがやれと、そう言ってる」


 リノちゃんは苛立ちのまま取り繕うこともせず吐き捨てた。


 見下しながら。

 つまらなそうに。

 わたしの気も知らないで。


「だからさぁ」

「何? 怒ってる? 私は言いたい事を言っただけ。あなたも言えば? 知ってほしいのなら、口にしないと伝わらない」


 当たり前のことを当たり前に言って、続ける。


「あの骸輪煉夏とかいう薄汚い女を煉冬様に近付けないで」


 ――はあ?

 煉夏ちゃんを、レンちゃんに、近付けるな?


 何を言ってるんだこいつ。


 あの二人は兄妹で、煉夏ちゃんにとって兄がどれだけ大切なのか、知りもしないで。


 それに。


「……薄汚い女? 煉夏ちゃんの悪口言われるの嫌いなんだけど」

「事実でしょ? 大切なのは兄じゃなくて――」

「うるさい。あなたには分からないよ。一方的に押し付けてるだけのあなたには」


 そう言った時だった。


 鈍い痛みが背中と後頭部這い回り、視界が真っ白くなる。


 背中に広がる固い感触で、自分が仰向けに倒れているのだと――最初からそうであったかのように大の字で天を仰いでいるのだと分かった。


 過程を丸ごと省略して。まるで落丁した本みたいだ。


 視界が元通りになると、そこには、わたしに馬乗りになるリノちゃんの姿があった。


 伸びた前髪が顔のほとんどを覆っていて、口元しか見えない。色素の薄い唇の間で白い歯が噛み合っている。


 彼女は言葉だけでなく、表情にも、感情が出るタイプのようだ。


「怒った?」

「あなたに私の何が分かるの」

「知らないよ何も。言ってくれなきゃ分からないんだから」


 リノちゃんは怒りを剥き出しに両手をわたしの顔の横に置き、そして顔を寄せてくる。


 垂れた前髪の先端がわたしの額に降りてくる。


 目が合う。氷柱のように鋭い目つき。


「骸輪煉夏がそんなに好き?」

「好きだよ。向こうはわたしのこと嫌ってるけど」


 自分で言うと心にくるけれど、事実だから仕方ない。


 そう。

 仕方ないことは、仕方がない。


「なのに避けるの? 意味が分からない。何かの言い訳に骸輪煉夏を使っているだけにしか思えない。私には」

「なにが言いたいの」

「不干渉の行く末はどこまでいっても無関係。私は、自己犠牲が嫌い。逃げ出したことを美化するのが大嫌い。どちらかしか助からない状況なら、私は一緒に死にたい」


 それはエゴだ。

 相手の意思を尊重しない、ただのエゴ。


「わたしが折れなかったとしても。相手が拒絶したらそれは終わりだよ」

「終わらない」


 リノちゃんは自分の信念を語った時と同じく、言い切った。


 歯切れよく。迷いなく。

 言い切った。


「関わり続ける限り終わらない。嫌われたのなら好かれればいいだけ。むしろ一度とことんまで嫌われてみればいい。終わらない。終わらせない。絶対に――絶対に」


 彼女の瞳に宿る決意の色はわたしに向けられているのか、それとも自分に向けられているのかは分からなかったけど、とても反論する気にはなれなかった。


 どこか泣きそうにも見えたから。


 自分勝手で不安定、いまにも崩れそうな夢物語。


 ハッピーエンドから逆算して組み上げたようなおとぎ話。


 空想、と言っていい。


 真に受けるのはバカバカしい――けれど。


「簡単に言ってくれるよね」

「簡単なことなんて無い」


 そしてリノちゃんは上体を戻し立ち上がる。


 冷静になったことで痛みを自覚したわたしは、上体だけ起こして身体をさする。


「私はあなたを利用する。あなたも私を利用すればいい」

「だから煉夏ちゃんを止めろって?」

「没交渉なんて反吐が出る。そんな見苦しい真似、二度としないで」


 わたしの為を思って言ったのかは分からない。

 誰かの為を思ったのかすら、分からない。


 けれどわたしは、言葉の背景を考えることをしないまま、単純に、頷いてみせた。


 肯定。


「ありがとうリノちゃん。そんな風に言われたの初めて」


 この時にはすっかり。


 自分の信念を頼りに前を向く彼女の在り方に、惹かれていたのかもしれない。


「話し相手がいなかったから、だけじゃないかもね」


 煉夏ちゃんに嫌われることになったとしても。

 無関係でいるのはやめようと思った。


 柄にもなく。

 わたしが、そう思った。


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