第16話 オイルが切れたライターのような。
この際、正直に吐き出す―—―。
慶次に働いた自らの行いの全てをアイツ、涼介に見られたのは最大の誤算だった。
・・・そんなことを未だに考えている自分は、本当に救いようがない。自覚しているが、残念ながらこの状況をまともに直視できない自分がいる。
今は一刻も早く楽になりたい。
ただそれだけを求めている。
謝罪をしなければ。という気持ちとは逆行して、向き合うことを恐れ逃げるばかりの自分は、あの日から今日まで自らの記憶を都合良く塗替えることで精神的な安定を図ってきたと思う。
アイツと直接対峙した時もそうだった。他の奴らは見ていないと信じていた。そうあってくれと、ただの願望でしかないものを、皆見ていない、覚えていないと思い込むようにしていたんだ。もし咎められても、またいつも通りの日常に戻るのだと。
だけど、あの容赦なく追い詰めようとする涼介の表情を見れば、そんな甘々の思考ではどうしようもないと悟った。
昔から涼介のやつはこういったことを冗談にするようなタイプではなかった。普段は真面目とは程遠いキャラクターで、ふざけたりして皆を笑顔にさせるような陽気な性格だけど、人のことを嘲笑ったり、蔑んだり、暗い気持ちにさせるような話題は極端に嫌っていた。善と悪とをしかとわきまえる人物だったように思う。
そんな涼介が発した言葉だ、きっと裏も取れているのだろう。他のメンバーにも確認したり、伝えることができる状況。そんなことにすら俺は気が付いていなかった。
皆でTALKの連絡先を交換したこと、そして今もそのグループが存在していることは分かっていたのにな。
策士策に溺れるというのか、自分があの場で積極的に声を掛けグループを作成したことが仇になったようだ。距離を詰めるために提案したことが、今になってそれが自分の首を絞めることになっている事実に気が付き笑いそうになった。
既に諦めの境地に足を踏み入れている。考えれば考えるほど沼にはまったようで、抗う気力も持てずにズブズブと沈んでいく。
――—無論、自分が策士だと思えるほどに自惚れてはいない。策士というか、ただのタチが悪い詐欺師のようだと自覚はしているが。
もはや自分の味方なんて、どう考えても周囲に居ないだろう。
身から出た錆だと、受け入れるしかない。
アイツ、涼介が最後の辺りで放った言葉を思い返す―——
『もう俺は手段は選ばない』
『自分でしっかりと受け止められるよな?』
真剣な話をする時の涼介は、自らが放つ言葉に脅しやハッタリなどの色は付けないはず。彼の言動は脅かすだけのものではない。
・・・すなわち、俺の終末はすぐそこだと言うこと。
これほどのことをした俺に、一体どのような鉄槌を下すのか。
いっそアイツの言葉通りに大学を辞めるか?そうすればアイツらも俺を見ることはないし、俺の罪の意識がなくなってくれるかも知れない。
それじゃあ入学金の支払いや、授業料などの学費を援助してくれている両親にはなんて言おうか。
『親友の彼女に手を出した結果、学校には居られなくなった。だから学校を辞めたい。』きっと正直に話しても、俺の両親なら許してくれるかもしれないな。昔からあの人たちは俺に甘かったから。
許されたところで社会的な信頼など皆無だろうがな。
・・・もはやどう立ち回っても詰みのような状態で、正常な思考が働いているのかも判断が付かない。
事実、近頃の自分の感情はとても不安定で、様々な感情が巡っている。
事態が思い通りにならないことに対する憤り――
時が経てば許してくれるのではないかという楽観――
それでも考えれば考えるほど詰んでいる状況への悲観――
そして徐々に破滅へと向かっていること、特に涼介・慶次に対して抱く怯え――
こういった感情がグルグルとループしているのだ。
こんな状況にまで堕ちても、結局は自分の事ばかり考えている。俺の為に動いてくれた慶次の笑顔が頭に浮かぶことがなかったことに対し、自己嫌悪の感情が満ちていく。
こんなだから俺はいつまでも変わらないんだ―——
手をグーに固めて床を叩く。「ゴッ」という鈍い音とともに拳に鈍い痛みを感じて更に不快になった。
「・・・
俺のベッドを占領している女の子が目に入る。不用心にも寝転がりながら漫画を読み、顔だけこちらに向けて話し掛けてくるのは同じ大学の一つ後輩の
一人暮らしをしている俺の部屋に度々来るが、特に追い出す理由もないので好きなようにさせている。今はお互い恋人がいないから、お互いにとって隙間時間を埋める都合が良い関係というやつだ。それでも決して泊まったりしていく訳でもなくて、終電が近づくとスッと帰っていく。
一緒にテレビやドラマ・映画を見たり、2人でご飯を食べたりする。ただのカップルのようだが、互いに付き合う意思は持っていないのである。
あどけなさが少し残る容姿で、大人びた顔付きが好きな俺からすると好みのタイプじゃない。
だがその幼く見える容姿に反し、しっかりと自分を持っていて、話をすると同い年もしくは年上と話しているような感覚になる。まあ、俺の頭の中が幼いだけかも知れないけど。
俺に対して不用心で、男女の関係とかそう言った事を望むのかと思えば、そうじゃないらしい。誘えどはぐらかされて終わり。俺が言えることじゃないけど、よくわからん。学校でも俺によく付いて回ってくる。
「何?いちいちうっさいんだけど」
毎回思うが、今日は輪に掛けてうるさい。思わずストレートに言葉を放ってしまったが、いつものことだ。
「・・・先輩、何があったの?」
「別に何にも」
普段はお互いのことを詮索したりはしなかった。だけど、今回の俺の態度は異様に思ったのだろうか。寝転がりながら、こちらの表情を覗き込んできた。『何かあった』じゃなく『何があった』か。相変わらずの観察眼に恐れ慄くよ。
「・・・?なんか、
「はあ?そんなことないけど」
普段はこちらのプライベートな部分にそれほど関心など無いくせに、一体僕の何がわかるんだ?イラッとしながら答えた。
「先輩さあ・・・今すっごくブッサイクだよ?顔面。普段なら自信ありありの、爽やかな笑顔で人気あんのにさ。私の友達も、『紹介しろー!』って言ってきて大変だし」
「・・・本当にうるさい」
無神経にペラペラと回る口。減らず口なのは相変わらずだが、今日に限ってこいつの放つ言葉全てが癪に障る。
友達のものまね?なのか表情をコロコロと変えながら面白おかしく話そうとする姿でさえも今はただムカつくだけ。
年下を目の前に余裕が無い姿を見せるのも問題だが、この抑えきれない苛々はどうにも出来なかった。
「あ、もしかして先輩また何かやらかしたんでしょ?痴情のもつれ?ってやつで怖い人に脅されてるとか?」
ピンと人差し指を天を指すような仕草をしつつ、こちらに問いかけてくる。
「・・・」
「えっ。・・・あれ、もしかして図星だったの・・・?」
少しも悪びれた様子もないまま、先ほどから変わらない笑顔を浮かべてこちらを見つめてくる。
本当にムカつくが、確かにそうかと不覚にも言葉が出なかった。
「・・・さてね」
コイツのことは放っておいてもう一度煙草を吸おう。
そう思い残り少ない煙草を口に咥えるが、肝心のライターは、やはりカシャカシャと火花が散るだけで火は付かない。100円と少しの小銭を払って購入したライターは、ただそれだけの仕事ですらしてくれることはなかった。
ぼんやりと、無価値と成り果てたライターを眺める。
まるで自分のようだと、気が付いた瞬間に後悔が大波のごとく押し寄せてくる。今まで慶次や涼介と過ごしてきた楽しい思い出が一気に頭の中に浮び、ことごとく崩れていった。
もはや犬の糞ほど価値のない自分の居場所はあるのだろうか。
寄り添ってくれるのは目の前のコイツくらい。
前の彼女に別れを告げられた要因もすべて知っていて、『先輩って馬鹿だよね』なんて軽口を言いながらも俺に懐いてくれている目の前の茜に縋るように吐き出していく。舐め切った口調も今は怒らないでおこう。ただ味方であって欲しいと、自らの罪を告白していく。
「なあ、聞いてくれるか?実はさ・・・」
必死に必死に、この痛みを伝えようと言葉を紡いだんだ。
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