第17話 憧れの気持ち。
いつにも増して雄弁に語る先輩の表情は、パラノイア的で、何か悪いものでも取り憑いたのかと思うほどに狂気じみていた。
最近の誠一先輩は、どこかおかしい。
そう感じたのはついこの間からだった。
まずは先週の木曜日のこと。いつものように予定を聞いた時、二日酔いだと珍しく断ってきた。まあその事自体は別に珍しくはないんだけど。
私たちは彼氏彼女の関係でもないし、互いの予定があればそっちを優先する。奇妙な関係かもしれないけど、少なくとも私は2人で過ごす時間が好きだった。
話が逸れたね。
違和感を覚えたのは彼と学校で会った僅かな時間のことだ。人目を気にするような行動が強く目についた。それは特に大講義室や中庭にいる時において、酷く挙動不審となる彼に何事かと思っていたのだ。
そんな理由を、聞こうにもきっと私には話してくれないかもなーなんて考えつつ、声を掛けたら意外にもいつものように家に招いてくれた。
よく見ると目元にはクマがハッキリとできており、見るからに憔悴している。壊れたロボットのように繰り返し煙草を吹かす彼の行動。それはハッキリ言ってただ気持ちが悪かった。病的な彼の行動を見ているのは精神的に辛いものがあったけど、それでも話そうとしない彼を問い詰めるのも気が引けて、私は持て余していた。
状況が変わったのは急だった。煙草に火を付けるライターのオイルが完全に切れた時、遂に彼のイライラがピークに達し、拳を床に盛大に叩きつけたのだ。
同時に鈍い音が部屋に響く―――。
耐えきれなくなった私が話してみるように誘導すると、今度はまるで押し寄せる大波の如く話が止まらなくなった。
「・・・ってことになったんだよ。それで・・・」
初めは明確な怯えの表情を見せていたが、一体どこに消えたのか。それはそれは雄弁に、私の意見など無用だと思わせるほどに一方的に語っていく。まるで自らの情報・感情の整理の為に言葉を発しているのではないかと思わせる程に。
私の存在意義に疑問を感じ始めた瞬間、急激に目の前の先輩に対する興味が失せていくのを感じた。
この話は、『俺は悪くない』と言いたいだけなのか、何なのか?
怒涛の勢いで語る彼は、最終的に私に何を伝えたいのか?今のところ全然想像がつかないし、想像したくもない。
一方的に語る内容を聞いていくにつれて明かされる話は、私の想像していたそれを遥かに超えていた。やはりと言うか女性絡みの問題だけど、そもそもの土台が違っていた。
『痴情のもつれってやつで怖い人に脅されて―—』的な私の発言は、半分冗談でもう半分は本気で聞いたことだったけど・・・これは。
初めにその可能性を指摘した時の先輩の表情はというと、不貞腐れていて、自分の部屋だというのにも関わらず居心地が悪そうだった。
人妻に手を出した結果、弁護士から内容証明が届いて・・・的な話とも違う。いや、それはそれでかなり不味い話なのだが。
慶次先輩の彼女に手を出した―—―。
これで学校で人目を気にするような行動に合点がいった。
大学生である誠一先輩が引き起こした事実が意味するところ、すなわち先輩の大学生活が文字通り終わってしまったことと理解した。
私自身、多くの時間を誠一先輩と共にしていたことは、慶次先輩や涼介先輩の2人も把握している。学年こそ違うが同じ学部に所属していて、共通の講義があったりと話すことも度々あったのだ。
先輩方が男女問わず多くの人から慕われていることは私も知っていた。
ダウナー系というのか冷静沈着なタイプではあるが、根暗という訳ではない。面倒見が良く周囲への気配りがとても上手な
今私と向き合っている
ひとつ下の私たちの年代の女子にも3人は人気であったのだ。3人はゼミやサークルなどにも精力的で、女子だけではなく男子生徒からも慕われていた。
かくいう私もその1人で、カースト上位に属する3人に対して密かに憧れの心を抱いていた。
ちなみに特に慶次先輩と涼介先輩は、カーストなど全く気にしないタイプであったことは承知しているが。
・・・そんな多くの人気を集める慶次先輩の彼女に手を出したとなると、今後誠一先輩は学校にいる限り針の筵だろう。涼介先輩は仲間思いで曲がったことは大嫌いだしね。
「茜、聞いてる?」
「うん、聞いてるよー。それでそれで?」
おっとしまった。考え事に没頭し過ぎていたようだ。先輩は見かけの幼なげな容姿の割りに妙にプライドが高いところがある。気を付けなければ。
かれこれ先輩とは結構な時間を共有している。その整った容姿と人見知りをしないキャラクターで、私ともあっという間に仲良くなった。私はというと、幼い頃から人見知り気味だったので、少し強引なところが凄く格好良く思えたんだ。
この人の家に通う程に仲良くなったきっかけというと、同じ学部・同じサークルということで接点が多かったのもあって、多くのことを話す仲になったからかな。
丁度先輩とたくさんの話をするようになった私はその頃、アルバイト先の社員にしつこく言い寄られていた期間があった。それを相談している内に仲良くなったというありふれた話だ。
今、目の前で必死に弁明している姿を見ると少し哀れに思うのだけれど、その頃の先輩は男らしかったし、解決に向けてたくさんのアドバイスや協力を惜しまない彼の一連の行動に勇気づけてもらったし、すごく頼りになった。それは今でも私の大切な思い出だというのは変わらない。
簡単に言うと私、
だからというか、彼の女性関係のトラブルには大体目を瞑ってきた。もちろん彼が絶対的に悪い時には叱ったこともあるし、悪い癖が出ないように何度も説得してきたこともある。
―—―だけど、この状況は・・・
具体的にどのようにして慶次先輩の彼女を口説いていったのかはわからないが、過去のトラブルでおおよその予想はつく。
この間別れたという先輩の元カノとの時もそうだった。
簡単に言えば100%誠一先輩の有責である。彼女がいる身でありながら、他の女性に手を出してあっという間に振られてしまったそうな。
当時は誠一先輩の片想いの期間が長かったようで、その元カノに掛ける想いというのは相談をしていた私にも伝わっていて、一途な先輩を見守るのは少し複雑な気持ちはあれど、それでも純粋に応援していたと思う。
やっとの思いで先輩の恋が成就したことを聞いたときは素直に嬉しかったし、心から祝福の言葉を送ることができた。
だけど彼が『別れた』と言ってきたのはそれから割と直ぐの事だった。しょんぼりした表情で、『俺が悪かったんだ』とだけ告げてきただけ。
具体的な別れの要因は伏せられていた為、すぐにその全容を聞くことができなかったのだが、後日彼の口から告げられた内容に耳を疑うこととなった。
彼の浮気だ――。
好きだと思える人とやっとの思いで恋人になったにも関わらず、他の女性に手を出す彼の心理というのは理解ができない。『馬鹿だよね』なんて告げてみたものの、私には全く許容できるものではなかった。
一旦、この人の思考を理解するのは諦めた私は、少しの期間疎遠になったけど、それでもやはり憧れの感情を捨て切れない私は、どうか誠実な人であって欲しいと再び近づき、あれこれと口に出してきたけれど・・・
―――こんな先輩に憧れの感情を持ってきた私が馬鹿みたい。
今はそんな風に捉えている。
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