第13話 男ってやつは至極単純で。

月曜日の夕方、時計の針が午後5時を指す頃。僕は余裕を持って30分ほど早めに待ち合わせ場所に到着した。まだ他には誰も来ていないことに少し安堵し木陰のベンチへと座り込む。

奇妙なオブジェクトが並ぶ駅前のスペースは、同じように待ち合わせをしている人が散見されたが、運よく陰のあるベンチが一つ空いていた。

待つ間は特にやることが無い。来る途中にコンビニで購入した冷たいお茶を飲みつつ、何となくスマホを触って時間を潰す。


最近は段々と蝉の声も減り、今度は秋に見掛けるトンボの姿がちらほら。いよいよ秋の到来かな。夏特有の入道雲が見れなくなるのは少し寂しい気もするけど。


朝と夜間においては、少しばかり肌寒さを感じる日も出てきた。それでも日中であればうだるような暑さは依然変わらずといったところ。まあそんな訳で、夕方にも関わらず世間はまだまだ暑い。


ああ、約束事などの時間管理について、常に余裕を持って行動をする習慣がついたのは当時、桐生きりゅうめぐみと付き合っていた頃だ。


ギリギリに到着したり、遅れたりしたなんて日には一々言い争いになるのが火を見るよりも明らかで、単なる遊びの約束だとしても30分前には到着するようにしていた。・・・言い争いというか、一方的に僕が言われるだけだったけどね。


未だにこういった習慣を他者に対しても続けているのは、身体に染み付いてしまって当たり前と言ってしまえばそうなんだけど、この習慣による恩恵もまた大きかったのであった。悪天候や交通トラブルなどの不測の事態に慌てふためくことなく対処できた経験もあって、そういう意味では感謝の気持ちが出てくる。


さて、今一度今回の主催者である、橘美鈴たちばなみすずから日曜日に届いた連絡を確認する。


『慶次くんおつ!月曜日は17時30分に駅前で待ち合わせ!遅れないように!!!』


・・・何度見返してもメッセージの圧が凄いな。コイツの逆鱗に触れたくはない。感嘆符かんたんふがこの短いメッセージの中で合計5つも付いているから、遅れた日にはギャーギャー言われそうなものである。僕の中の面倒ごとに対する回避センサーがけたたましく音を鳴らしている。尤も、で反応しない仕様なのはご愛嬌だ。


それから、アルバイト先でマスターを務める篠崎しのざきヒカリさんも今日は一緒に遊ぶ約束だ。2人ともアルバイトを始めてから、飲みに行くのはこれが初めてだった。飲むとどんな感じになるのか?そんなことも考えてみるが、最近しでかした自分にはそんなことを気にする余裕がないことを思い出す。

・・・今日は控え目にしよう。何となく自分がどのお酒をどう飲んでやり過ごすかというシミュレーションを脳内で行いつつ、引き続き2人を待つ。


TALKのアプリを更に見ていく。真田涼介さなだりょうすけ筆頭に友人からの連絡が幾つか溜まっていた。学校で話せばいいどうでもいいような連絡もあり、僅かに口元が緩む。涼介からは『週末の約束はどこに行きたいか』など先の予定について計画を練っているところらしい。

最近はスケジュール管理も忙しくなった気がする。慌ただしい毎日は嫌いじゃないけどね。嬉しい悲鳴と言うやつなのか、多方面から声がかかるようになったような。これまでよりもずっとずっと明確な充実感に、まるで我が世の春と錯覚しそうなほどに。


―—―そんなこんなで、ようやく約束の時間に差し掛かるといった頃、遠くから美鈴が手を振りながらこちらに歩いてくるのが見えた。


ハニーベージュのシャツに下は白のスカート。透け感がありながら微かな光沢もある素材だ。普段、アルバイトの出勤時はラフな服装が多いため、着飾ったコイツの姿は新鮮だった。・・・ストレートな表現だけど、正直可愛い。些か不本意ではあるが認めよう。

今日は落ち着いた茶色に染め上げた艶やかな髪をストレートに下ろしているようだ。前髪も綺麗にセットされていて、普段との印象が大きく異なる。特徴的なクリっとした目には長い睫毛、細くスッキリと整えられた眉、頬には青みがかった淡いピンクのチークが塗られていて彼女に良く似合っている。

いつもの居酒屋での制服である黒シャツ姿に、髪を一つにまとめて横に流しているのも、あどけなさが僅かに残る彼女の容姿とのギャップがあっていいのだが、今日の彼女は別格だった。


「おー!慶次くん早いね!」

遠慮なく僕の隣の席に座る美鈴。そうだ、コイツはアルバイト中も無遠慮に距離が近い。もう慣れてしまって、いちいち注意するのも面倒なので放っているが、外出中でも近い距離を保つのはいかがなものか。・・・今、周りから舌打ちされたような気がする。僕の気のせいか?


「まあ。美鈴も時間内で偉いね。何というか、テンション高くね?」


ダメだ、素直にコイツの容姿を可愛いと認識してしまうと、不覚にも少し恥ずかしくなって、彼女の姿をまともに見れなくなる。目を合わせずにそう言った僕は無愛想に思われただろうか。女子に対する免疫が無くなったような感覚に陥り、まるで思春期真っ只中の中学時代に戻った気分になった。


「でしょー!私ね、今日のことめっちゃ楽しみにしてたんだー!そんな私よりも慶次くんが早く来てくれてて本当に良かったーと思って!」


「ほら、私ってば少し強引に誘ったから!」などと、彼女はそのクリっと大きな目を細め、嬉しそうに語る。合致してほんの僅かな時間ではあるのだが、彼女のそんな姿を見て、今日は来て良かったと思う僕は単純なのかもしれない・・・



さて、改めて時計を見るとちょうど時計が約束の17時30分になろうとしている。まだ時間内の範囲だったが、ヒカリさんが小走りでこちらにくるのを目に捉えた。


「2人とも待たせてごめんねー!準備に手間取っちゃって!」


無論こちらも尊いお姿だった。白色のシアーニットの上にジレを羽織り、“きれいめ”を軸に淡い色のデニムでカジュアルダウン。羽織るブラウンのジレが、全体のコーデを上手く調和しているように見える。

普段からメンズライクな服装を好むヒカリさん。僕よりも少しだけ背が低い、女性にしては高い上背なことで、やはりデニム姿がとても似合っていた。大人びた姿は燦燦さんさんと眩しく輝いているように見える。

その双眸そうぼうはやや釣り上がっていて、少し濃いめの眉と相まってクールな印象を抱かせる。スッと筋の通った形の良い鼻、ナチュラルなストレートボブがよく似合っている。


見ていてドキドキするような容姿を誇る2人の女性を近くにして、やや混乱していたのか、2人とも服装に秋の色を上手く取り入れているなーなんてどうでもいいことを考えてしまっていた。まだまだ暑い夏のような気候だけど、秋を一層感じますね、はい。

・・・またも近くから強めの舌打ちが聞こえたように思う。きっとギャンブルで負けたとか、ドタキャンにでも遭ったのだろう。チキンな僕はそう認識して、周囲と極力目が合わないように努める。


「いえ、時間ピッタリですよ」

「ヒカリさん、お待ちしてましたー!」


2人でヒカリさんに声を掛け、続けて僕は何気なしに購入していた小さいお茶のペットボトルをヒカリさんに差し出した。

「これ、良かったらどうぞ」

「えっ、いいの?まだ空けてないみたいだけど・・・」

遠慮がちに受け取るヒカリさんが僕を見る。


「はい、ちょっと多めに買ってしまったんで」

よく分からない理由を述べた。まるで照れ隠しのようになってしまった。これは僕の悪い癖だ。


「ありがとう、じゃあ遠慮なく貰うね。実は少し走ってきて喉が渇いてたの」


改めてよく見ると、汗がしっとりと浮いていた。プライベートなので少しばかり遅れたとしても僕らは全然気にしないんだけど、ヒカリさんはとても律儀だ。そもそも時間内に集合できているので、走らせてしまったことに少し申し訳ない気分になる。それでも、僕が差し出したお茶をごくごくと飲み始めたヒカリさんを見ていると、用意して良かったと嬉しくなった。


「・・・ねえねえ、私の分はー?」

「そう言ってくると思ったよ、はいどうぞ」

ジトッとした目で僕を見てくる美鈴。残念だが今日の僕に抜かりはなかった。更にもう1本をカバンから差し出す。僕には甘くて飲めないフルーツティー。美鈴がよくバイト終わりにコンビニで購入しているのを見かけていた。


「ほんとー?ありがとう!って私の好きなのじゃん!」


飛び跳ねる勢いで喜びを表現する美鈴を見て、ささやかなプレゼントを用意した自分を褒める。この2人には、僕の為に今日のイベントを開催してくれたことを感謝しているんだ。・・・ちょっと照れ臭くって、感謝の言葉を口に出すことが出来ない気がしたからこんな形でね。


「じゃあじゃあ、揃ったことだし行こうよ!」

少しばかり休憩を入れて、予約したというお店に3人で向かう。美鈴が先頭を切って歩いていく。


―—今日は僕がフリーになったお祝い。

そんなことを改めて思い出したからだろうか、圧し掛かる重荷が解き放たれたように、お店までの道のりは、それはそれは軽い足取りとなった。

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