I/NOIDO ‐アイノイド-

やたろー

プロローグ 人の間に生ける者、人の形で生きる者

 鉄橋から河原に伸びるみち

 コツン、と。

 赤錆で彩られた階段を、革靴の底で叩く音が下りてくる。


「世界を裏切った気分はどうだい?」


 人間にして出来過ぎた声音は研ぎ澄まされており、背筋に冷ややかな感触を覚えさせるほどの美しさを備えていた。

 まるで極限まで調律された思考を介したように、雑念が損なわれている。


 吐き気がする、と内心で行き場のない感情を転がして。

 河原に立つ少年は見上げて舌打ちをした。

 同時に、嫌悪感と拒絶の意を込めて、牙を剥き出しにした獣のように双眸を細める。


「不気味の谷を這い上がれない寄生命体に、人間の気分が理解できるものか」


 少年は鏡が嫌いだった。

 他者の温もりを知らないエゴイストにとって、鏡は凶器でしかない。

 醜悪な自己を精巧に映すだけに飽き足らず、容赦なく反射してくる。

 本物に近づこうとして、けれどどこまでも偽物止まりの投影世界。

 そういう意味で見上げるのならば、問いを投げ落とす青年はまさしく鏡だった。


 少年の鏡。

 人間の、鏡。


 人間という生き物を模倣しようと試行錯誤した結果。

 完璧な擬態を追求するがゆえに、人の持つ不完全さを極限まで削ぎ落してしまった鏡の世界の生命。

 自然そのものではなく、まるで、自然に溶け込むために迷彩服を着た一流のスナイパー。


 こうして二度目の邂逅を果たした今でも、人に向けるべき情は生まれない。

 世界を裏切った、と宣告された少年にだって人殺しへの抵抗はある。

 けれど目の前の青年が相手となれば話は変わるものだ。


 そこに「殺意」は芽生えない。

 代わりに湧き上がる「破壊衝動」を抑えこもうと必死になる。

 形容しがたい異物が人間社会に紛れ込もうとしている事実を容認できるほど、少年には人間としての余裕がない。


「貴様は人間の面を被った《デスヴァレー》だ」

「君は人類史の調和を破壊する『人間エゴ』だ」


 きっとこの闘いは、彼らが生まれ変わった時から宿命づけられたものだったのだろう。

 同じ言葉を介し、同じ社会を見て、同じ人間という地位に生まれ落ちてなお、理解し合えない存在なのだと。


 確かめよう。

 この手が相手の命を貫いた時、答えは得られる。

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