第29話 待合室
「あー、楽しかった」
人が少ない午前中に行ったからか、スライダーも存分に楽しめた僕たちは、昼過ぎにプールを後にした。
プールの程よい疲れと、冷えた体に当たる日差しが、なんともいえない気持ち良さだった。
「うん。学校以外のプールもいいよね。……昼はどうしようか?」
駅に向かって並んで歩きながら、空いたお腹をどうするか相談する。
「うーん。普段食べないものがいいなぁ……」
「たとえば?」
「あ、蕎麦とかどう? 家の近くじゃ、店がないし」
「蕎麦か……。確か商店街の端の方にあったような……」
呟きながら、携帯でさっと調べる。うん、前に一回行ったことがある店がある。
僕たちの住む県はご当地ラーメンではちょっと有名になったけど、蕎麦やうどん屋はあんまりなくて、限られた店だけしかない。
「あ、あったあった。それじゃ、そこにしようか」
「うん!」
僕は理沙の手を引いて、その店に向かった。
商店街に入り、目的の店が遠くに見えてきた。
「あそこだよ。結構美味しかったと思う」
「へー、楽しみ。……蕎麦なんて、カップ麺の蕎麦くらいしか食べないもん」
「むしろ理沙ってカップ麺食べるんだ?」
「結構食べるよー。1人のときとか、作るの面倒だから……」
なるほど。
彼女は両親が忙しくて、家に1人でいることが多いって言ってた。確かに自分だけのためにちゃんと料理を作るのは面倒だろうな。
「そうなんだ。……僕は夜食でたまに」
「夜食べると太るよ? ……あんまり太ったら、他人のフリするからねっ」
「う……。それは困る」
「あははー」
理沙は笑いながら、僕から手を離して少し先を行く。
そして、振り返って後ろ向きに歩きながら言った。
「冗談だよ。でも、そのうち私がちゃんと栄養管理してあげるから、心配しなくてもだいじょうぶ」
「それって――」
彼女の言った意図がすぐにはわからなくて、僕が聞き返そうとしたときだった。
キキキキキ――ッ!!
間近から聞こえた甲高い音が耳をつんざく。
「あぶな――」
視界に人影が入り、それが自転車のブレーキの音だということに気づくと同時に、僕は理沙に手を伸ばした。
ただ――その手は届かない。
僕の記憶に残っていたのは、鈍い音と、倒れた自転車。そして救急車のサイレン音だった。
◆◆◆
僕は病院の待合室で、1人俯いていた。
突然、商店街の脇道から飛び出してきた自転車とぶつかって、頭を打った彼女は意識がないまま病院に運ばれていた。
自転車に乗っていた男は携帯片手に前を良く見ていなかったみたいで、救急車が来るまで平謝りしていたけど、正直そんなことはどうでもよかった。
同乗した救急救命士の方が言うには、頭を打ってるからと、設備の整ったこの大学病院に搬送してくれた。
そして、検査をしてくれているのを、僕は待っていた。
彼女の持っていたメモから、病院の人が親に連絡を入れてくれているとは聞いていた。
自転車での事故でも、ときどきニュースで死亡事故が報じられていたり、障害が残ったりっていう話も聞くから、どうしても頭に最悪のことばかり思い浮かぶ。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
ものすごく長く感じたけど、時計を見ると病院に来てから2時間くらいしか経っていなかった。
「……ひろくん!」
俯いていた僕に、突然声がかけられた。
聞き慣れた彼女の声に、僕ははっとして顔を上げる。
「理沙……」
看護師のお姉さんに押された車椅子に座り、手を振る彼女の姿があった。
「ごめんね。ぼーっとしてて……」
申し訳なさそうに謝る理沙に、僕は首を振った。
「そんなことないって。僕がもっと周り見てたら……!」
「ううん、ひろくんのせいじゃないから。……検査してもらったけど、骨折とかそういうのはないみたい。でも、軽い脳震盪起こしてるから、何日か入院しないとだって」
はっきりと答える彼女の様子に、少しほっとする。
「うん。わかった。……入院の準備とか、なにか手伝えることある?」
「ありがとう。でも大丈夫。あとでお母さんが来てくれるから」
「よかった……」
両親ともに忙しいっていつも言ってるから、来てくれるってことに安堵した。
「本当にごめんね。一緒に帰れなくて……。また絶対遊びに行こうね」
「うん。約束するよ。早く退院できるといいね」
しっかりと彼女の手を握り、頷き合ってから、僕は病院を後にした。
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