第11話 名前

「……待ってたよ、岩永君」


 土曜日の朝、わくわくしながら森本さんの家に着くと、彼女がドアを開けて家に入れてくれた。

 彼女は先週と同じく、高い位置で髪を括っていた。

 学校で見るのと違う姿を見せてくれるのは素直に嬉しい。


「……うん、今日もよろしく」


 友達として来た先週と違って、今日は彼女と付き合っている状態で来ることになって、なぜか前より緊張してしまっている自分がいた。


「あ、あのね……。なんか急に恥ずかしくなってきちゃって」


 それは森本さんも同じようで、少しもじもじしている。こんな可愛い子が僕の彼女で本当にいいのかと心配になる。


「……それは僕も一緒だって。朝からドキドキしてたよ」

「あはは、私も」


 素直に打ち明けると、少し緊張が解けたのか、彼女が笑った。


「じゃ、まずは学生らしく、ちゃんと勉強しよっか」

「うん。……実は今週寝不足であまり授業聞けてなかったんだよね」

「なんで寝不足なの?」


 不思議そうに聞いてくる彼女に僕は打ち明ける。


「あ……いや、その……森本さんのことが……気になって」

「え……?」

 

 一瞬動きを止めた彼女が、戸惑いながら話す。


「……ごめんね。私のせいで……」

「そんなことないって。僕が勝手に……」


 僕の言葉が彼女を責めるように聞こえたなら、それは間違いだと思った。

 でも彼女はかぶりを振る。


「ううん、私にもっと勇気があったらよかっただけ。振られたらどうしようって、ずっと思っちゃって。……だから岩永君から言ってくれて、本当に嬉しかった。……あー、もう。はずかしすぎる」


 頬を染めて照れる彼女と話していると、とても勉強に手がつくとは思えなかった。

 中間テスト大丈夫だろうか?

 でも、今どっちが大事かと聞かれると、間違いなくテストなんかより彼女の方が大事だと答えると思う。


「僕だってすごく緊張したよ。告白するのなんか初めてだったから」

「そうなんだ。もっとモテると思ってたよ」

「どこ見たらそうなるのかわからないけど、残念ながら全然モテなかったよ」


 これまで生きてきて、女子にチヤホヤされたことなんてなかった。

 森本さんのいた隣の中学で噂になってたなんて、彼女から聞いて知ったくらいだ。


「岩永君、頭も良いしスポーツもできるし、そこそこ背も高いし。モテない訳ないと思うんだけど」

「そんなに言われると恥ずかしいんだけど……」


 やたら彼女が褒めてくるのがむず痒い。

 でも、どれも中途半端で飛び抜けたものは持っていなくて。

 中学の頃は、サッカー部やバスケ部の男子の方が圧倒的にモテていたと思う。


「あはは、たぶん岩永君の良さは、もっと大人になったらみんなわかると思うよ。……私が大人ってわけじゃないけど」


 少し緊張も解けたのか、彼女が笑う。


「……でね、こういうのは最初にお願いしたいなって思ってたことがあるんだけど」

「なに?」


 急に真面目な顔で彼女が話し始めた。


「あのね……。できたら名前で呼んでほしいなって。きっかけがないと、ずっと今まで通りな気がして」

「……そ、それは恥ずかしくない?」

「も、もちろん恥ずかしいに決まってるよ……」


 赤面して彼女が言う。

 恥ずかしいけれど、ずっと苗字で呼び合うのは嫌だという。


「……うん、わかった。理沙ちゃん、とかでいい?」

「うー、『理沙』が良い」


 呼び捨てとは……更にハードルが上げられてしまう。

 でもいずれ慣れるだろうと、観念する。


「じゃ、理沙」

「うん! 岩永君は弘だから、そのまま『弘』か『ひろくん』のどっちかかな? 好きな方でいいよ」


 僕の方は選択肢が与えてくれた。

 どちらも恥ずかしいのは変わらないけど、後者を選ぶことにした。


「えと……、それじゃ『ひろくん』でお願い」

「わかった。しばらくは呼び間違いするかもだけど、その時はごめんね」

「うん、気にしないから大丈夫」

「ありがとう、ひろくん」


 照れながらもわざわざ名前を呼んでくれるのが、初々しい。


「それじゃ、これからもよろしくね、理沙」

「うんっ!」


 それに応えて僕も彼女の名前を呼ぶと、笑顔で頷いた。

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