第5話 憧れ

「岩永君、ちゃんと勉強したらできるじゃない」


 勉強の合間にお菓子をもってきてくれた森本さんが、僕に声をかけた。


「そうかな……。僕は森本さんみたいに頭良くないから」

「そんなことないと思うよ」


 僕の言ったことに、少し顔をしかめて彼女が答えた。

 もしかして、あまり言ってほしくないようなことだったのだろうかと思って、はっとした。


「あ、ごめんね。そういうつもりじゃなくて。岩永君って、普段そんなに勉強してないでしょ? そんな感じがしたから」

「うん……。家では宿題くらいしかしてないかな」

「それ羨ましいな。私、中学校の頃から毎日最低2時間くらいは勉強しててこれだもん」


 確かに僕は高校の成績は全体で真ん中くらいで、良くも悪くもない。

 彼女は上位10%には入っているだろうけど、それは毎日勉強しているからだ、と彼女は言いたいのだろう。


「家で勉強って手がつかなくて。……正直、どこの大学行くかとかも、全然考えてなくて」

「あ、でも私も大学は考えてないよ。やりたいことが良くわからなくて、ただ勉強だけしてる感じ。親はお父さんと同じ医者になって欲しいみたいだけど」


 彼女のお父さんは医者なのか。

 そう言ったことも全然知らなかった。


「お父さんがお医者さんってすごいね」

「すごいかもしれないけど、仕事ばっかりで家に全然いないから、あんまり実感ないの。休みの日も回診あるからって言って病院に行っちゃうし。私は休めないのは嫌だなーって」

「そうなんだ……」


 少し寂しそうに話す彼女は、自分より大人びて見えた。


「うん、それにお母さんは看護師で夜勤も多いから。家に私ひとりってのばっかりで。予定バラバラだから旅行にも行けないし」


 いつも森本さんが食事を作っているというのも、そういう家庭事情だからなのか。

 進路を考えてないって言っても、しっかり勉強も手伝いもしてる彼女は、全く何も考えてない自分とは大違いに思える。


「森本さんはすごいな。僕なんて手伝いもしてないし、帰ったら本を読むくらいだよ」

「それが普通だよね。でも部活とか入らなかったのは何か理由あるの?」


 不思議そうに彼女が聞いてくる。

 僕は中学校の時はもちろん部活に入っていて成績もまずまずだったのだが、部活の引退と共にきっぱりとやめて、高校では帰宅部だ。


「中学校の時は卓球してたけど、やめちゃったんだよね。理由ってほどでもないけど……上には上がいるって痛感して」


 その時のことを思い出しながら、彼女に話した。

 やめた理由を誰かに話すのはこれが初めてのことだ。


「そうなんだ。……実はね、私も中学のとき卓球部だったんだよね。だから、岩永君のことはその時から知ってたんだ。何度か練習試合とかでも見たことあったから」


 突然彼女が言ったことに僕は驚いたし、その頃のことを知られているのは気恥ずかしい。


「ええっ、それは……。ごめん、僕は全然森本さんのこと覚えてなくて」

「ううん、私補欠だったからそんなに試合に出られなかったし。後ろで見てただけ。……岩永君はエースだったよね。高校で見かけた時に驚いたよ」

「エースって言っても、県大会だとボロボロだったけどね。まぁそれがきっかけで卓球やめたんだけど」

「そうだったんだ。ちょっと残念。でも自分で決めたことなら仕方ないよね」


 少し寂しそうに彼女が話すのを聞いて、やめなきゃよかったかなと少し後悔した。

 そんな彼女の顔を見ていると、ふと中学校の頃のことが目に浮かんだ。


「あ……。その髪型で思い出した。森本さん、中学校の頃は眼鏡かけてなかったよね?」


 僕がそう言うと、彼女は小さく頷いて、そっと眼鏡を外した。

 やっぱり。

 郡大会の個人戦の決勝で、隣の中学にもかかわらず、僕が試合をしてるとき応援してくれてた女子達が何人かいたことを思い出した。その中のひとりが森本さんだったことに、今になって気付く。


「郡大会のとき応援してくれたの思い出した。……全然気づかなくてごめん」

「ううん、あの頃とは髪型も変えたし。今日髪括ってみたの、もしかしたら気づいてくれるかなって。だからちょっと嬉しい」


 彼女は眼鏡を掛け直しながら笑顔を見せてくれた。


「中学校の時は視力悪くなかったの?」

「うん、中3のときくらいに急に悪くなって」

「そうだったんだ……」

「だから岩永君がゲーセンで声かけてくれたとき、びっくりしたの。私は前から岩永君のこと知ってたし……その、ちょっとカッコいいなって思ってた……から」


 恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめて彼女が言う。

 僕はそれまで彼女のことを全く意識してなかったけれど、まさかそうだったとは思いもよらなかった。

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