第56話 金髪ギャルと夏期講習後のデート2~トチメンボー~
青が霞んで広がる空が窓を彩り店内は開放的に魅せられ、流る心地の良いバイオリンの音楽は少し自分を大人にさせてくれるような、絵画も清廉な白い壁で静かに休憩をする。そんな昼の机が前、和洋折衷も腹痛を起こすような、まさしく風人雷神の面持ちで茨田と妹が睨みあっていた。
「なにみてんの。クソガキ」
「言葉使いが汚いね。ババアの癖に」
「誰がババアだって。泣かせるぞ?」
茨田はそう言いながらさらに顔を怖がらせた。お冷も共鳴したのか、ふつふつと沸騰して水を零す。いや違う、水の量が増えている。つまり強化系か。負けじと妹もムニっとチワワみたいな丸い目で茨田を睨み、そのポニーテイルをブンブンと回し、頑張って威嚇している。お冷も可愛いと思ったのか、その色をオレンジジュース色に変えた。つまり放出系か――いや、違った。最初からオレンジジュースだったっけ。
「ビッチめ、むっころしてやる……」
「中坊が何言っても怖くねー。さっさと家帰ってママに鳴きついたほうがいいんじゃねぇの?」
ああ、せっかくの店のオシャレな雰囲気がこれでは台無しだと、チョビ髭のコックが柱に隠れてパチパチと目を張ってこっちを覗いている。その塩粒ほどの気迫に気付いて、茨田と妹はギョッとコックのほうを見た。するとコックは怖気ついたようで、まるでアメリカのコメディみたいにその白い帽子を宙に残す勢いで厨房へ戻っていった。
店に入って数十分。ずっと茨田と妹はこんな感じで喧嘩している。どうしてこうなったのか、殺伐とした空気に誘われ吹き出る汗を、おしぼりで拭きながら考えるもさっぱりわからない。あれ、なんかおしぼりが茶色い。イタリアンだとおしぼりは茶色いみたいだ。
そう顔を拭いて勉強している間も茨田と妹は争って、ついには印やら念やら領域展開やら変な立ちポーズをし出してこれはもう乱闘騒ぎかと、茨田を狙って記者が店の前に山のごとく並び出したとき、キューっと妹のお腹が小さく鳴った。妹の顔はパッと赤くなって、また自分の小さな手でそれを隠した。記者たちは本来の目的を忘れ、スクープだから仕方ないと、我が妹にパシャパシャ白い閃光を浴びせた。まったくけしからんと、俺は記者たちに言いがかりをつけ、その写真を合法的に取り上げた。
「べ、べつに! お腹空いただけだもん!」
「やっぱガキね」
茨田が勝ち誇って全開のドヤ顔で煽るが――もう一つ鳴ったのはそこそこ大きかった。茨田も恥ずかしがってすぐにその顔をメニュー表で隠した。なお、その瞬間は記者たちの写真には収められなかった。すでにどう書こうかと我が妹の記事について議論していたからだ。まだ隠し持っていたのかと、俺はさっさと没収した。
さて、何を食べようか。お腹が空いていたのは俺も同じ。メニュー表のイタリアンな難解カタカナをずらっと見て、頭を悩ましていると妹もやはり同じようすで、うーうー顔を渋くさせていた。
そう兄妹揃って意味不明な料理に悶絶していると、チリンチリンと鳴ったのが横を通って、と思ったら店員が机の前に来ていた。
「あれ、どうかした? なにその梅干しみたいな顔」
「いや、べつに?」
「そうそう、ねえお兄ちゃん」
「ああ、そうだぞ。我が妹」
茨田は「なんか変」と少し苦笑いをしつつ、店員には品のあるような余裕な顔をしてこう言った。
「アマトリチャーナをひとつ」
アマトリチャーナヲヒトツ? 俺と妹は互いに見合うとそのカタカナが言語であるかすらを問いあった。その真相解明に片付けをしていた記者に助けを求めるも、わかったのはアマトリチャーナが料理名ってだけだった。
「なるほどアマトリチャーナガリョウリメイという名前か」
「お兄ちゃん、アマトリチャーナって名前」
「あ、アマトリチャーナッテナマエとう名前か」
「ダメだこりゃ」
「えー……お二人は?」
店員はキョロキョロと俺と妹を見て問い掛けた。スフィンクスはイタリアにあったのか、答えられないと食い殺されるのではないかという恐怖に駆られ、俺はとっさに「人間」と答えたが、スフィンクス店員はより怖い顔になった。
「あー理はカルボナーラとかでいいでしょ。妹もそれでいいでしょ?」
「私はお前の妹じゃない」
「あーそうだったねぇ。お嬢さんもカルボナーラでいいよね?」
「いやだ」
「は?」
カルボナーラとはなんなのか。想い出の他に何が残るというのか。いや、カルボナーラは食べたことがあった。妹も知っているはずだ。なのにムスッと頑固になってイヤイヤと茨田にたてついているのは、まさしくたてつきたいからだ。毎日でも食べたいということは、毎日でも食べているというわけではないのと同じ理屈だろう。いや、妹の場合はふつうに茨田のいう通りにしたくないという、よく口喧嘩であるやつだ。
「じゃあなんにするの? ほらいってみたら」
「えっと……」
「もしかしてさ、さっきから何の料理なのかわかんないとかじゃないよね? カルボナーラってわかんなかった?」
茨田は勢いよく畳みかけていく。無知であるという事は、つまり無恥であるという事ではないようだ。妹も必死に何かを頼もうとするも、ごにょごにょと口を泳がして、躊躇っている。ミーハーなイタリア料理なんて言おうものなら、茨田のアマトリチャーナに負ける気がするのだろう。とはいえ我が妹にイタリアの知識はない。「やったー! 今日はカレーだ!」と無邪気にゲーム配信中の俺の部屋に入ってくるような妹だから、イタリアのオシャレは知らない。(偏見)
「ほら、早くしてよ。スフィンクスさんも困ってるでしょ」
「店員です」
「食べられちゃう前に決めないと」
「食べません」
「ぐぬぬ……」
我が妹、助けてと涙目で俺を見ても無駄だぞ。俺は首を振って敗北を認めろと送った。妹はさらに首を振ってイヤだと返す。そしたら俺は今度は上下に首を振った。妹はナニソレと真顔に涙目を浮かべた。と思ったらハッと何か思いついたような顔をして、元気よくポニーテイルをブンブンと回した。
「トチメンボーひとつください!!」
妹は大声で言った。トチメンボー。威勢も元気も良い純白な声を聞いて、外を飛んでいたセミもガタっとぶらついて、バイオリンの音楽も少し途切れここはイタリア料理店だよねと疑い、心地よくしていた絵画の中の人はその表情を変えて机のメニュー表をその中に描いた。あと帰りかけていた記者がまた集まって、妹のキラキラとした天真爛漫を収めた。俺はすぐに押収した。
「トチメンボーですか?」
「はい!!」
「メンチボーではないですか?」
「いいえ、トチメンボーです!!」
さて俺は妹のこの確固たる自信よりもメニュー表を確認した。やはり絵画の人のいう通り、そんな料理はないらしい。茨田もそれは知っているのだろう、そんな料理あるわけないじゃん、と馬鹿にするように妹を鼻で笑ってみせるが、その目の隅で机の下のスマホを覗いているのが、俺からだとはっきり見える。それで無いと確認が取れると茨田はハッキリと大きく鼻で笑った。
「そんな料理ないし。もしかしてメニュー表の文字も読めないの? 義務教育ちゃんと受けてる?」
「うっ……あ、あるもん! トチメンボー!」
「だから無いって言ってるじゃん。自分でもっかいメニューみてみたら?」
終ったようだ。さすがにこれは苦しい。どんな議論であっても未知のデータをあると嘘をつくのは、それがバレてしまえば敗北は確定だ。妹もさすがに逃れられない。この後、妹は茨田に色々煽られるのだろうが、ここまで息巻いてしまえばそれも自業自得。でも俺はお兄ちゃんだから妹の代わりに茨田に罵られると宣言して、ここは妹には敗北を認めてもらうことにしよう。
俺はとりあえず上を脱いで土下座の準備をしようとした。が、
「トチメンボーありますよ」
「えっ」
「ねぇ、コック。ありますよね」
「あああ、あるともぉ? ええ、ありますともぉ。うちは西洋料理店ですからのぉおおん」
トチメンボーがあると知って、俺はガッカリした。縮こまった気持ちで上を着なおした。ルンルン気分でチョビ髭コックはキッチンへ言って、それを応援する店員の声がこっちまで聞こえている。どうやらトチメンボーは大層な料理らしい。茨田はそれを知ってさらに変な汗を掻いて、スマホを調べなおすが、やはり無くて、ダラダラとメイクを崩していた。そして妹は――
「ほら、あったでしょ(類も見ない渾身のドヤ顔)」
茨田はイタリア料理をよく食べるのだろう。そもそも知識があったのに、その知識で妹を馬鹿にしたのに逆にその分が自分に降りかかってきた。余計に妹のドヤ顔が胸の奥と頭の血管に響いているのだろう。茨田は妹を見て爆発しそうな怒りをその表情に醸し出している。
それにしてもトチメンボーとは何なのか。さっぱりわからない。わからないのに妹は食べる気満々で茨田を煽っているが、ほんとに大丈夫なのか。そう心配しているとチョビ髭のコックは真剣な面持ちで、赤いパスタの皿を持ってきた。
「あれがトチメンボーか」
「美味しそう!」
「お待たせしました。アマトリチャーナです」
アマトリチャーナだった。なんて紛らわしいチョビ髭なんだ。茨田に「ぷぷっ」と笑われたじゃないか。とても心が躍ったけど。妹は適当な口笛と鼻歌で無かったことにした様子。いや、バレバレだろ。茨田もじーっと怪しい目つきで、その滑ってカスカスになっている口笛と物騒な歌詞を見透してるぞ。なんだよ「俺はロー――――にたてつく――――者だ」ってお兄ちゃんそんな教育した覚えないのだが、今の義務教育怖え。
現代社会について俺と記者と絵画の人で言い合っているとまたチョビ髭コックが来た。今度はキメ顔でそろりそろりと皿を運んできた。間違いない。あれがトチメンボーだ。
「茨田紗綾? アマトリチャーナ? 私が最高のイタリア料理教えてあげるよ」
「なんでラップ口調なの」
「お待たせしました。トチメンボーです」
コックは満を持してそれを俺たちに見せた。何とも形容しがたい、けれども美しくまた、独創的な見たこともなくこれからも見ることが無い、そんな見た目と香りだった。なんでも昔、調子の乗った男に騙されてから西洋の料理人たちがこぞって開発した究極の料理らしく、それが注文されると料理人のプライドが逃げるのを許さないとかなんとか、その信念というものがコックのやや尖ったチョビ髭に現れていた。
ゆえに美味しいはずだ。と妹の様子を見て見ると、なんとも言えない梅干しのような顔をしていた。そして一言。
「私の負けでいいです」
妹は真顔で言った。渾身の料理は妹のプライドを萎えさせるとともに料理人のそれもへし折った。茨田もここは馬鹿にはせず、むしろやや妹に同情したようだ。皿にアマトリチャーナを半分よそって妹に分けた。
俺はその場で泣き崩れ、やんわりとしたチョビ髭を記者と絵画の人とあと店員と一緒に励ました。
こうして忙しなかった一時は終え、ゆっくりと茨田と妹はアマトリチャーナを美味しそうに食べているわけだが。
「……あのチョビ髭、カルボナーラ忘れてんな」
頼んだカルボナーラ来ない。カルカルボラーラ。
俺はチョビ髭のカリスマの無さを妬みながら椅子に座って佇んだ。そのうち悠久の時が経って、バイオリンも俺のお腹の音をドラムと勘違いするまで俺は佇んだ。
――あとがき――
あと三話あるかも。ゲーセンとボーリングとカラオケ。
気付いたらもう十月だ。やべえ、夏終ってるじゃん。まいっか。
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