第46話 ホゲー!!!
「上松はどこにでもいる優しい青年だった! クソ!」
マウンドの獰猛な人間にどこにでもいた上松は葬られ、どこかわからぬところへ連れていかれてしまった。
上松は大丈夫なのか――――と、心配していた焦りも奴がこちらに向けた殺気で、自分への死の恐怖へ変わっていく。
「ツギハドイツダァ?」
「奴がこっちを見てます!」
「早くしないとこっちに玉が飛んでくるぞ!」
「――――ったく、どいつもこいつも何怖がってんだよ」
得意気な顔して立ったその男は、この時期に何故かうちへ転校してきたばかりの、芝原だった。すでにバットをぶら下げて、ベンチを出ていってしまった――――なんでそんな自信が。
俺たちに浴びされていた殺気を一人で被ってなお、芝原は怖気ずにバッターボックスへ入った。そしてすでに挑発的な笑みを浮かべていた。
その自信はなんなのか、天音は首を傾げて、芝原を睨む。
「ナンダオマエハァ?」
「今からホームランを打つ者だろ?」
「ソウカァ……」
タジタジタジ――――天音の身体に謎の熱が燻っている。芝原の言葉に苛立ったのか、次第に熱は火に変わり、握り潰されつつあるボールに炎を纏わせた。
一方で観衆と俺たちは天音のその異様な激情に凍てつくように身震いしていた。あっちのベンチでなんか野次を飛ばしている茨田はそうではないが。
「イキってんじゃねえ! 渡里さん、そいつボコボコにしちゃえー!」
静寂に響く、茨田の不快。それもわかる。
芝原は茨田にああ言われてもなお、カッコつけて笑ったまま。推しチームならそこは気持ち悪くニヤついたりして、茨田の有難い『うわ、キモ』を貰おうとするところだろ。なにやってんだ、恥を知れ恥を。
「アイツは推しチーム失格だな」
「そうかい? 僕はそう思わないけどなぁ」
「なんでだよ、てかそもそもなんで大野はアイツを選んだんだよ?」
大野はその身なりと信頼からチームメンバーの選定を任された。
だいたい一クラスくらい人数のある集められた茨田推しのオタク。その中から大野が、最もそれっぽくないであろう芝原を選んだのは、意外だった。
だが再びバニラクリームを髭にして凛々しく場を見る、大野の佇まい。何か理由があるようだ。
「彼はね、強豪野球部の出身なんだよ。だから強いよ」
「そうだったのか!」
「確か甲子園で優勝するレベルのとこだったっけ」
「そうか! あの自信はそこからか!」
「うん、何故かそこの親友を置いて弱小野球部のうちへ転校してきたけどね」
「そうか! 親友を置いて転校なんて切ないな」
「今、文芸部だし」
「そうか、今は文芸……は?」
「どうして苦笑いするんだい? 彼の性癖はギャルのオネショタだよ?」
天音はボールを握りしめ、その一球を放った。ボールは先程とは違い、後へ飛ばず、普通にストレートど真ん中でミッドへ突き刺さっ――――キャッチャーがブッ飛ばされて、壁に衝突。吐血してる。
一方で芝原は立ち尽くしていた。真っ白になって。
「前髪一緒なだけだろ」
「今の球速300kmだってさ。凄いね、天音ちゃん」
「芝原は?」
「今回もダメだったよ」
そよ風あたって芝原は倒れた。医療陣が走って、また担架へ。ちょっと聞こえた言葉は『風圧骨折』らしい。それほどの強風なのになぜ飛ばされなかったのか、これも天音の魔球なのか。
――――それからは悲惨だった。ゲーセン通いの今田は捻じれるボールに発狂して押さえられ、ヤンキーもどきの川西は意気込み過ぎて素振りしたバットで自身の頭を強打して気絶し、ギャルゲーの原、覗きの晴吉は現実逃避か茨田を口説きに行った後をボールで刺された。
次は英語部のブラウンだが――――
「アイアムアペン!」
天音への恐怖のあまり変なことを言いながらバッドをしゃぶっている。大丈夫か、ブラウン?
「ギャルハシュショクニハイリマスカー! ホゲー!」
本当に大丈夫なのか、ブラウン? それはギャルじゃなくてバットだぞ。バット丸々飲みこんでなんか意味わからないこと叫んでる。
「ブラウン、落ち着きなよ」
「キンチャン、ボクアメリカニカエリタイデース。ベツニホモデハアリマセンガ、オオタニト――――」
「ブラウン! 思い出しなよ、なぜ日本に来たのかを!」
「ワタシガニホンニキタリユウ……」
幼少からアメフトを頑張るブラウン、友達から漫画の存在を知るブラウン、ギャルゲーを知るブラウン、のめり込んで――――って、ブラウンの回想はいらないだろ。
「そうか。私はオタクに優しいギャルとイチャイチャしたかったのか」
悟りを開いた、のか? 片言から流暢になってる。顔つきがなんかサッパリしてる。どこかの文豪みたいな聡明さすら感じる、別人だ。
「よし、ならば私があの化け物を倒してやろう。お二人方、見ていください。私の散り行く様を」
「なんか文がおかしいぞ?」
回想の果てに真理へ辿りついたブラウンはバッドを人差し指一本の上に置いて、静かに速やかにバッターホールへ歩いて行った。
今までのオタクたち、欲望や恐怖混乱を露わにしてきたオタクたちとは違う佇まいに、天音は静かにじーっとブラウンを観察していた。
「天音さん、何を黙っているんですか」
天音はブラウンを無視してボールを握りしめる。ブラウンは合わせてバッドを立て、肩のあたりを触る。
「私は野球の経験はありません。しかしながらそれは些細なことです」
聞くつもりはない、天音は構え初めた。ブラウンもバットを構え、狙いを定める。
「でも一つだけ言わせてほしいのです」
天音はその言葉に構わず大きく振りかぶり、容赦なく仕留めにかかろうとしていた。ブラウンが何を言おうとどうでもいいのだと――――
「実は私、日本生まれのハーフです」
「!?」
衝撃の事実。さっきまで片言で回想でもアメリカっぽいところにいたはずなのに――――大野も、自分で言ってたはずなのに、驚きのあまり固まっている――――その一瞬の驚愕に天音の剛速球は――――――――大幅によろけ、速度を落とした。
肉体的に敵うはずのない敵を前にして、ブラウンはやはり賢かった。天音の精神へ揺さぶりをかけ、それを一気に崩したのだ。
「怪物、撃破せし!!」
天音の選んだ球はストレート、だだそれも逸れて速度はだいぶ落ちている。何故か進むたびに急減速して、もはや肉眼で捉えられる程度、いや、欠伸する余裕もあるくらい、いやいや、瞬きを十回くらいしてもまだ漂ってる――――おっそくないか?
“a few moments later…”
「まだ浮いてるね……」
「反重力ってあったんだな」
「キャッチャーの黒服さんもまじまじと球を見つめてる」
「ああ、なんか電話してるな」
“a few days later…”
「今日は何食べようか?」
「昨日はカレー、今日は揚げ物がいいな」
「じゃあチーズ揚げたやつにするよ」
「胃が持たれそうだ」
「これ動画にしてバズってる人多いよ」
「好きなのか?」
「まぁ、うん。お菓子程度に」
八十年後……
「そんでなぁ、あの時食ったアレが忘れられないんじゃよ」
「金さん、アレってなんのことじゃ?」
「アレと言えば、アレじゃよ。あれ? なんじゃったっけ?」
「それより年金はもう食べちゃったっけのう?」
「アイツら何やってんの?」
クリームを口につけて腰を曲げ、バットを杖代わりにして漫才している理らを見て、茨田は困惑していた。
ただふつうに十分くらい球が浮いていて茨田もムスッとしていた。我慢していたが、いよいよ天音に叫び飛ばした。
「天音! さっさとそのハーフ君、やっちゃいなよ!」
「ワガッダ!」
そう返事すると天音はほぼ止まっている球を見つめた。
ブルブルブルブル。球が何故か微妙に揺れ出し、それを確認して頷く天音。途端に一気にハッ! と目を見開くと、球は突然動き出し、目にも止まらぬ速さで、理らと同じく老人の真似をしていたブラウンの隣りを通り過ぎていった。
「ほえ? なんじゃ?」
「ハーフ君、あんたの負け。さっさと戻って!」
茨田に声をかけられ、遠耳を立てていたブラウンであったが、その言葉の意味を理解したのか、しだいに皴が無くなって、若返って――――
「ハーフ君? 君!?――――ホゲエ!!」
ぶっ倒れた。鼻血を出して。どうやら茨田に君付けされた嬉しさの余り、気絶してしまったようです。担架に運ばれ、また一人退場していきました――――アイツ、もうそれ勝ちじゃねえか。
「俺だって茨田に君付けとかされたことないのに、なんなんだあのブラウン、ギャルは外国人には優しいのか、いや、ブラウンハーフ君だけどさ!」
俺はバットをカジカジしながら、鼻血まみれの担架に憎悪を送る。なんかチクッとチクチクするわ。
「ああ、今日のバットは不味いな!」
「さっきから何やってるんだい? 次は君だよ」
「え?」
ギラリ。天音の赤く光る眼が俺を捉えている。なんか心なしかさっきに浴びたものよりも強い気がしなくもなくもある。グローブにボールをぶつけて、ぶつけて、ボールの残像しか残らないくらいのスピードでぶつけてる。
「お、俺は嫌だ! 死にたくない!」
「……理」
「嫌だ! あんなの、俺が何したってんだよ!」
「理、君はよくやったよ。でもね、行くしかないんだよ」
「嫌だ! 嫌だ!」
「逝くんだ! もぐもぐ!!」
フランスパン齧る大野、バットを齧る俺ぇ。
いや、大丈夫だ。落ち着け、よくよく考えればこれはラブコメ。主人公が死ぬわけがない。聞いたことあるか? 主人公がヒロインに殺されるラブコメ。そんなの――――あ、悲しみの向こう側が何か見えてきた。
「理、君ならどうにかしてくれる。僕はそう信じてるよ」
「お、大野?」
「行ってくるんだ」
さすが親友。コイツだけは俺のことを最後まで信じてくれている。その眼差しはヒロインの送る殺気とは比べ物にならないくらい優しい――――けれど、フランスパンで見えたり隠れたりするのなんか腹立つな。
「もういい、行ってくる。応援してくれよ」
「あ、理」
「なんだよ? 大丈夫だ、俺は死ぬタイプの主人公じゃない。病院送りにされたことはあるけどさ」
「いや、理」
「な、なんだよ? 最後くらい祝いの言葉を吐けってんだよ――――」
「そんな装備で大丈夫か?」
キリッとした目つきで俺に言ってきたオーノック。そっちじゃない、間違えた。
こんな時、なんて言えばいいんだっけ、調べたいけどここにはニコニコ動画は無い。しょうがない、俺は自分なりの言葉で返す。
「大丈夫だ、問題ない」
「あっ」
「え?」
そっちじゃない言葉を吐き捨てた、俺は。滞ることなく自ら主人公補正を脱ぎ捨てて、ベンチを出た。腰を丸くしてバットを担いで、眩しすぎる球場の照明と殺しにかかってる天音の赤い眼光を、固いはずのヘルメットで俯いて隠す。
「理君!」
天音? バッターボックスに辿り着き、いつもの可愛く綺麗な天音の声を聞いたような気がして、疑いつつも縋って天音の顔を覗く――――満面の笑み、可愛げある、純粋な少女の笑みだ。
そうだ、そうだろ、狂っても天音は清純な女子高校生。力はあれど、あくまでそんなのは幻想で、本当は誰よりも優しい子だって俺は知って――――
「今から容赦しないからね!」
「あっ」
決して笑顔では隠せない殺意。俺は微睡むことすら許されない、それを突きつけられ、どこにも逃げ場はもう、なかった。
そういえば俺って天音から君付けされてたわ。
怒り狂って殺されるのと、笑顔で殺されるの。両方ともその結末に覚悟はできないけれど、なんかあっちが怒ってるならこっちも元気に死ねる気がして、でも笑顔だとこっちは笑えないから――――天音の死の魔球が今、放たれようとしています。
―――あとがき―――
この回で野球編終わらせるはずが、終んなかった。
次回に終わらせよう。
セミも鳴いてきて夏休みも近いので、颯爽とここを切り抜け、早く夏休み編をやらねば。
ちなみに夏休み編のメインは霞京子で、あとちゃんとラブコメしたので、だいぶ違うでしょうか。
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