第37話 天音の弁当
「お弁当食べよー」
快晴の空に女子の声が聞こえた。
さっきまで走り回られていた運動場は穏やかになって、適当にジャージや体操着が歩いている。
つまりは昼休みだ。
やっと辺りが落ち着いて、こっちも堂々とゆっくりできる時間になった。
「でもその前に昼飯だ。大野、食堂行くか」
「ん? むしゃむっしゃ……何言ってるんだい?」
大野はフランスパンを齧りながら、やや馬鹿にしたようにも見える丸い目を俺に向けた。
目潰しできるようなものは小石くらいしかなさそうだ。
「ごくり……今日は食堂、閉まってるよ。強制弁当の日だよ」
「そういえばそうだったか――――痛っ!」
程よく投げていた小石が大野の腹を弾んで俺の頭に刺さった。
その赤くなった視界は食堂を塞ぐカーテンのようにも思える。
食堂が使えないなら強制弁当か。とはいえ弁当なんて持っていないし、ちょっと高くなるが、コンビニに行くか。
俺はコンビニに行くと大野のフランスパンに小石を投げ、それをフランスパンで再び頭に直撃された後、コンビニへ足を動かそうとした。
「ふっふっふ、その必要はないですよ!」
元気な声が俺たちの背中を叩いて振り向くと、天音が自信満々にしていた。
「なんだよ、天音もコンビニ行くか?」
「違う、二人ともこれを見て!」
天音がキラキラとした目で見せつけてきたのは――――五段くらいある大きな弁当箱?のようだ。
「天音ちゃん、もしかしてそれは!」
「そう、作ってきたんだよ!」
「おー」
「さぁさぁ、二人ともこっちこっち!」
ぴょんぴょんと跳ねながら日陰へ向かう天音とフランスパンを一気に飲みこみ、ついて行く大野。
まさか天音が弁当を作ってきてくれるとは――――俺は驚きのあまり、足が止まっていた――――いや、違う。なんか嫌な予感がする。
「理君、早くしないと無くなっちゃうよー!」
「……行くか」
きっと気のせいだろう。
まったく無くなる気もしないけど、手を振る天音のほうへ走った。
「ど、どうしたの、これ?」
「……。」
茨田が若干引きつった顔をして倒れている俺と大野を見下ろし、天音に何があったかを聞くが、天音は青い顔して目を背けた。
なんか茨田の綺麗な顔がよく見える。吐き気もちょっと――――やっぱダメだ。
「え、これ弁当? 美味しそうなんだけど!」
「食べない方が……」
「変な臭いはしないし、腐ってないよね?」
「腐ってはないですけど……」
「だったらちょっとだけ味見、卵焼きもらうから――――パタリ」
あ、茨田も倒れた。
さっきまでの綺麗な顔が真っ白になってしまって、いやそれでもまだ――――やっぱダメだ。
「そ、そんなに不味い……?」
「不味い? いや、違う。これはいわば――――」
「味覚のパラドックスだよ」
改めて見るとただの弁当だ。
具材は鮭と梅干のお握り、たこさんウインナー、卵焼き、肉団子、オニオンリング、白身フライなどなど。
とても家庭的で美味しそうな弁当なんだ。でも――――、
「まだ、たこさんウインナーだったら――――」
「茨田、やめろ!」
「――――パタリ」
「遅かったみたいだね」
「ええ……」
不味い弁当はあるかもしれない。ただこれはその域を超えた何かだ。
天音には悪いが、この弁当は――――魔境だ。
あまりの魔境、その殺傷能力ゆえに生物兵器の疑いを持たれたのか、黒い服のデカい男が二人、校門からこちらを凝視している。
にしても、この弁当は説明できない。何かが味覚に作動するんだ。毒物ではない、劇薬でもない、不味いというものでもない何か。
「しかも具材全てが口に含んだ瞬間にぶっ倒れる。実証済みだ。だからやめておけ、茨田」
「……そこまでドMなの?」
別にそうじゃないのは、明らかに弁当を食べろと魅惑する茨田の視線にもギリギリ抗えている自分自身に感じた。
「ちゃんと味見したのに……なんで」
「味音痴だからじゃない?」
「えっ」
やや当りが強い茨田だ。茨田の鋭い言葉に天音は戸惑い、さらに暗い面持ちになった。
味音痴とまで言われれば天音が可哀そうだ。さすがの俺だって危険物扱いした、罪悪感がある。
「茨田、別に天音は味音痴じゃないはずだ。いつも美味しそうに晩飯食べてるし」
「そうだったんだ。ちょっと言い過ぎ……晩飯?――――」
「それにしてもこんな食べ物初めてだよ。なんで倒れるんだろうね――――パタリ」
勘のいい茨田の眼光がこちらに向いたが、たこ焼きを口に入れてぶっ倒れた大野に隠された。
てか大野、倒れてまで食べるのかよ。すごい食い意地だな。
「天音ちゃん、これ、どうやって作ったんだい?――――ボトリ」
「え、ええ?」
「ねぇ、この人はなんで楽しそうに食べてんの?」
「長らく一緒に過ごしてきたはずだけど、わからない」
大野は食い意地ではなく、探究心で食べているようだ。魔境を探検しているんだ。
なんでそこまでできると問えばきっと「そこに未知の料理があるからだ」と答えるのだろう。
大野のあまりの様子にサッカーゴールからこちらを覗いている黒服の二人も顔色を変えた。驚いている?のか。
「金ちゃん、無理して食べなくても――――」
「天音ちゃん、僕はただの食いしん坊じゃない。開拓者なんだよ」
キラッっとドヤ顔を見せた後、大野は思い切り倒れた。
化け物ばかりに囲まれているとは思っていたが、大野までとは。
開拓者か。さすが俺の親友だぜ。
命知らずな食いしん坊、それでこそ俺の相棒――――、
「開拓者???」
天音には男のロマンが理解できないらしい。
ただ俺はわかっているぞ、何度倒れてもなお探究に挑む、お前の雄姿を。
「やっぱもう無理……ぐふぅ」
「すっごい顔色悪いけど、この人大丈夫?」
「開拓者???」
なんだと。あの大野が、立ち上がれない。泡を吹いて天を仰いでいる。
茨田がその頬を叩いて気にするほど、大野は死にかけだった。
一方で天音はまだ開拓者の意味に捕らわれていた。今の大野に言うとなんか煽っているように聞こえるぞ。
「理、あとちょっとで解りそうだった。でもダメだったよ」
「大野、しっかりしろ!」
「理……あとは任せます」
「大野おおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「意味わかんね」
「開拓者??????」
大野。お前の意思、確かに継いだぜ。
あとなんかフランスパンの欠片渡されたけど、これはいらないから投げ捨てた。
「よし、今度は俺が開拓者だ。まずはどこから…………てか、何すればいいんだ。そもそも開拓者って――――開拓者???」
「理、あと二通り。梅のお握りとたこさんウインナー、あと卵焼きと素麺だよ」
「わかった。じゃあ梅とたこさんウインナーから行くか」
「普通に生きてんじゃん」
大野の言う通り俺は梅のお握りに手を付けようとした――――が、できない。指が触れた瞬間、反射的に引いてしまった。
身体が完全に拒絶している。というかあの味覚がフラッシュバックしてきて、吐き気が――――。
大野、お前はこれに打ち勝ったというのか。それも何回も。
これが開拓者ってことか。
「やめたほうがいいんじゃない? かなり具合が悪そうなんだけど」
「茨田、俺たちは解明しないといけない」
「……なんで?」
「そこに魔境があるからだ!」
「開拓者!!」
俺は激しく抵抗する身体を抑えつけ、気合で梅のお握りに触れた。そしてたこさんウインナーをそれに突き刺した。
「いただきまあああああああああああああああああああああああああす!」
その一瞬見えた。面影。
あれは確か、死んだお婆ちゃん?
「ねぇ、大丈夫! ねぇ!」
「理君!」
ダメだ。このグルグルした感じ。舌が干からびそうで、捻じれそうで、息が詰まるようで。
そのままの勢いでエイリアンになりそうな苦い感覚。
あと一つあるのに、ダメだ。立てない。大野、おれは負けたみた――――、
「あれ?」
「理、よくやったよ」
広がる花畑。白く眩しい空気。
にっこりと待っている大野。
「大野? これって?」
「僕たちは頑張った。冒険の果てにやったんだ」
「そうか……」
選択肢は残り二つだった。そして俺は一つ消した。
つまり残った一つがあの料理の秘密の正体。
「あとは次の開拓者に任せよう……」
「あの、起きてるよね?」
「あれ?」
おかしい。確かに俺は死んだはずじゃ。
あれ、大野も生きてる。
「こいつはさっきから生きてたじゃん」
「一体何が? もしかして茨田のキスで蘇っ――――」
「トドメさしたほうがよさそうね」
「……なんだったんだろ、あれ?」
ヘッドロック越しに、校門の外を不思議そうに見つめている天音が映る。そこには――――黒服?
「なんか謎のスーツの人たちが理に手をかざして、それで生き返ったんだよ」
「そうだったのか……」
「二人の雄姿は見させてもらったって去ってったんだけど、気持ち悪い感じだったわ」
網越しにこちらに手を振って黒い車に乗って去っていった黒服たち。アイツら――――なんか色紙抱きしめてたんだが。
「なんだい?」
「そのペン――――いや、別になんでもない。」
まさかそんなわけないよな。うん。
辺りが慌ただしくなってきた。もう昼休みは終わりのようだ。
「さてと、先にもどるわ。二人三脚忘れないでよ」
「忘れるわけないだろ。それが楽しみで頑張ったからな」
「うっわ、キモ~」
茨田はご褒美を吐きかけると、腹が立ったなら追いかけて来いよと言わんばかりに、意地悪に笑って去っていった。
「じゃあ僕も行くよ。小腹が空いたし」
「まだ食えるのか」
「食べてこそ体育大会だよ」
なるほどよくわからん。
「さて、俺たちもそろそろ……どうした?」
「いえ、別に……」
天音は俯いて畳んだ弁当箱を持っていた。こっちに顔を見せないように。
そういえば好き放題してしまった。
味はあれだったけど、頑張って弁当を作って来てくれたんだろう。
自信満々だったよな。
「天音……」
「なに?」
潤んだ目が俺を覗いた。どこか救いを求めるような。
俺は精一杯の気持ちを込め、落ち込んでいる天音を励まそうと口を開いた。
「また今度、大野の家で料理の練習しよう」
「…………嫌」
涙は止まった。哀しげでもなくなった。その代わり――――無表情。
なんか思ってたのと違う。なんで怒ってるんだ。
「天音、待てって」
「もういいです。理君は最低だってわかったから」
「え? いや最低なのは天音のりょ――――」
空中天下。
頬を膨らませ離れて行く天音。
俺の頬もある意味膨らんでいるが、そうじゃなくて、俺が本当に言いたいのは――――、
「天音!」
「……なんです?」
「コンビニ行こう」
「……え?」
「奢るから!」
天音の顔が固まった。
「不味い弁――――、まだ腹減ってるだろ? 奢るから一緒に行か、んか?」
「なんかちょっと引っかかるけど、もう昼休み終わるよ?」
「サボればいいだろ」
「やっぱり最低……」
「天音だって次の競技でないし、どうせバレないだろ」
「いや、別に」
半ば強引に天音の手を引っ張り、俺は走り出した。
奢ればどっか機嫌が良くなると思った。てか、そうしないと気持ち悪かった。
天音は半ば呆れた感じで俺に引っ張られてくれた。
というか気づいたのだろう、実は俺の腹が減っていただけだと。ちょっと一人で抜け出すのは心細いと。高校生だけどまだ心細いだけだ。
「そんなに手を震わせて、怖いの?」
「そ、そうだよ」
「大丈夫だよ。理君の腹の音でチャイム聞こえなかったからまだ昼休みだし」
「鳴ってないだろ」
なんだかんだ天音は笑っていた。
だから俺の手は余計に震えた。
なんかズルい気もするけど、天音がこうやって楽しそうにしているならいいか。
「……いっぱい食べてやる」
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