第29話 相合傘と水溜まり

傘を指で回しながら階段を下りていく。

少し肌寒く、それでいて透き通ったような空気と滑りやすい床。雨の音が静かに響いて一人を知らせてくる。

授業も掃除も終わって、そのあとなんやかんやしてたら、帰宅部の姿は俺だけになってしまっていた。

「まぁごたつかなくていいけど」

昇降口の床に靴を投げつけ、片方の靴をジャンプして履いて、もう片方は届かないから片足ケンケンで取りに行く。

「ってひっくり返ってるし」

傘でつついて雨に味方している靴野郎を元に戻し――――なかなか戻せない。

「おら! おら!」

「……」

「ん?」

「……なにしてるの?」

呆れた顔で俺を見ていたのは、髪が長く肌の白い女だった。

お、お化けだ! に、逃げないと食べられる!

「食べないし、お化けじゃないし」

天音はほとんどお化けみたいなものな気がするけど。

珍しく鞄を両手で持っている。可愛い系女子みたいに。

「てか、天音こそなにしてるんだ? もう放課後になってから割と時間経ってるけど」

「そ、それは……」

天音は顔を赤らめ、鞄を揺らしている。俺は別に変なこと言っていないのに。

なんか様子が変だな。唇を丸めてチラチラと俺を見て――――まさかこれは俺を待っていたのか!?

「いやなんでだよ。そんなわけないだろ」

「え? ちょっと!」

ああ、雨結構強いな。後ろでなんかぼそぼそ言ってる天音の声が聞こえないくらい。

俺は傘を差し、そのまま自宅へ歩きはじ――――あれ? 一歩目がつかない。

「困ってる女の子を前にして普通帰らないよね?」

「そ、そうだな。ところで自分よりも重いはずの男子を片手で持ち上げる生物は女子と言えるのか?」

足がつかないと思ったら、天音が俺の首根っこを掴んでた。

って俺はネコか?

「なんだよ。今日は早めに配信したいから、すぐに帰りたいんだが」

「……カサイレテ」

「え?」

スキャットマンよりも速く、Siriよりも片言で、アメーバくらいの小声に俺は耳を疑った。

天音は赤面してこちらをまたチラチラ見上げている。

「ごめん、聞こえなかった」

「え……だから……カサイレテ」

「なんて? カサゴ?」

「……カサイレテ」

「カス野郎?」

「……!!」

「え、ちょっ!」

どうしてか天音は頬を膨らませ、首根っこ掴んだまま俺をぶん回した。

眼が回る! すごく酔う! 身体が遠心力で引きちぎれそう!

「……だから傘入れてって言ってるの!」

「おい、待!?」

勢いそのまま俺はぶん投げられ、教頭の軽自動車にぶつかった。

窓を割ってシートのクッションに顔をうずめた。なんか臭い。

「あ」

「天音……」

「……ごめん」

まったく。最近は暴力沙汰ばかりで身体がもたない。

これじゃいくつ命があったって足りないな。

「ん? 邪魔だな――!」

「ナチュラルに窓ガラスもう一枚割ってる……」

「どうせ教頭の車だし」

「それもそうだね?」


――そんなこんなのことがあり、俺は天音を傘に入れて帰ることになった。


俺と天音の付き合いはそこそこだ。とはいえ一緒にいる時間は多い。そのはずなんだけど、何だこの沈黙は。

「……」

傘にぶつかる粒々の振動が右手からよく伝わってくる。

俺は左側、天音は右側。そこまで大きい傘じゃないから狭い。

二つの足音、ほんのりとある香りと熱。沈黙のせいでそればかり目立つ。

「……」

あ、今度は北高の女子二人がこっち見てニヤニヤしている。

これで何度目か。

そのたびに天音に視線で違うよなと送るけど、さっきから下向いてばかり。

これは――――――――気まずい。気まずい。

「……」

まだ自宅まで距離がある。

この気まずさのままじゃ、キツイ。とても持たない。

とにかくこの沈黙を破ろう。

「……あ、天音? 晩飯はなんだろうな?」

「えっ、今日は行かないけど」

「あ」

「ヒューヒュー!」

「熱いねー!」

カッパ着た野郎らが奇声を放ちながら通り過ぎていった。

あの感じ、東高だな。

「……」

まずい。また沈黙に。

話題話題、話題ないか?――――あ、そうだ!

「……起こすときもっと優しく叩けよな」

「それは狙ってるでしょ!」

「……あ、あ、えっと」

隣を知らない女子高校生が通っていった。

あの感じ、うちの高校だな。

こっち見て恥ずかしそうにしてたけど、あれ?

「誤解された?」

「勘違いされやすいことばっか……休日だけでしょ!」

「そこかよ!」

「あらあら、ウフフ」

隣を知らない女子高校生が通っていった。

あの感じ、どこの高校だ?

てかなんか背中丸いし、白髪ばっかだな。あれ?

「なんでこんなことになっちゃったんだろ……」

「いや、天音が傘忘れたからだろ」

「そうだけど……こんな見られるなんて」

確かによく歩いている人に見られている気がする。

「そこまでカップルが珍しいのか」

「カップルじゃないよ!」

あ、また見られた。

「そんな大声出さなくていいだろ、俺と天音が付き合ってるわけないし」

「……そうだね」

天音はまた俯いた。でもさっきみたいにモジモジせず、冷めたような感じだ。

気付けば肌寒くなっていた。

「……」

道路の水溜りに落ちた雨粒が波を奏でている。

その一粒一粒はどこに落ちるかわからない。なのにどこか同じような場所ばかり落ちているような。

「……」

あそこに傘を差せば、水溜まりはこれ以上大きくならないのだろう。でもその隣にも水溜まりはあって、溢れた水がまた水溜まりを埋めるのかな。

「……」

沈黙のあまり、黄昏てしまった。

馬鹿馬鹿しい。文字数なんて気にしてないんだけどね。

「…………私と付き合うの嫌?」

「へ?」

それってどういう意味? もしかして天音は俺のことが――――そんなわけないな、ふざけてるんだろ。

天音は一度俺の目を見た後、すぐにまた俯いた。

「な、なんかロック増えたよな」

「え?」

「あまねの枠。きっとリスナーびっくりしてるぞ。たまにかなり激しいのあったし」

最近茨田に誑かされている俺だが、さすがに天音にやられるのは不本意だ。

だから話題を変えて颯爽と躱してなかったことにした。

というかまったく効果なんかなかったし、もはや少し悲しくなった。

「あ、そうだね。だって盛り上がるし、気分が乗るし……びっくりした?」

「さすがにメタルはな」

「めたる?」

「あれだけ歌ってたのに知らなかったのか?」

「ロックってああいうのじゃ……理君っぽいし」

「そんなことないだろ」

雨が落ち着いてきたころ、俺はいつものように天音と話そうとしていた。

どこか引っかかる違和感を置いたまま。

ただ俺はそれ以上を望んでいない。そのはずなのに天音の少し悲しい顔が見えるたびに、息苦しくて仕方なかった。

天音でも風邪は引くのだろうか?


――その後、雨は止み、理と別れ、いつものように天音は帰っていた。

雨が止んだとはいえ空は曇ったまま、しかし天気に関係なくコンクリートに目が落ちてしまう天音だった。

「……なんでなんだろう――――!?」

何かを察知したのか、天音は顔を上げた。

そこには道の真ん中で仁王立ちして天音のほうを睨む茨田の姿があった。

「あれ、奇遇じゃない?」

また雨が降り出した。

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