第9話 家庭教師プレイ
うちのクラスには幸運か誰かの策略のせいか、学校で一番の美人と二番の美女がいる。
霞京子と茨田紗綾。
清楚系とギャル。
繊細と男勝り。
この二人の美人、その仲は険悪。それもかなりのものだ。
そんな二人が隣の席になれば、どうなってしまうか。
―今日の休み時間。
「なにその態度? もう少し笑いながら挨拶できないの?」
萌え袖に頬を置き、鎖骨よりも長いサラサラの茶髪から鋭い視線を飛ばすスレンダーな女、茨田紗綾。その視線の先、短い黒髪から出た耳があった。
本を閉じ、涼しい顔で自然と茨田のほうを向いた女、霞京子。
「ごめんなさい」
微笑みかけ、手をゆっくり差し出す霞。
それの手に歯を噛みしめる茨田。明らかに不機嫌になっているのに、変わらず微笑む霞の顔に、茨田は唇を噛んだ。
「そう。やっぱりあんたは大嫌い!」
「?」
茨田の怒りの圧が後ろの席まで伝わってきてるのに、霞は何ともない様子で、また本を読み始めた。
これはヤバいことになった。
それから放課後まで二人は一切口を利くことはなく、喧嘩に発展することはなかったのだが、ずっと茨田の鋭い威圧が教室中を包んでいた。
そのせいもあって俺はあんまり寝れなかった。
夕焼けはいつ見ても悲しくなる。
特に火曜日と木曜日に自室の窓に映るものは。
天音がカーテンを一気に閉めた。
「集中してください」
いつものように不機嫌な渡里天音。
俺は机に広がった教科書とノートに唾を吐きたい気分だ。
「なんで勉強なんてしなきゃいけないんだ」
「いいから次はこの問題。ウルトラマンが破壊したビルの高さをsin、cosで求めるの。角度は大体、スペシウム光線のときの肘の角度だって」
「ちょっと何言ってるよくわかんない」
世代って怖い。
そしてこんな問題を突発的に作る誰かも。
「スペシウム光線、こんな感じだよ」
たぶんだいたい90度。
だからなんだってんだよ。
「はぁ……」
天音が手首を回し、ボギボギと鳴らしながら微笑んでくる。
もうやってられないな。
「あーあ、霞京子が教えてくれるなら、やる気出るのにー」
「…………。」
頭に血管が出るほど憤怒する天音。
だがこれは正論だ。
「顔もスタイルもいい、性格も清らか。そんな人が教えてくれるなら頑張れるなー」
「……全国模試一位ですもんね」
そうだったのか。
ちょっと引くな、それは。
でもそこじゃない。
「頭の良さなんて問題ではない。茨田でも俺は勉強が捗るだろう。あのセクシーな感じとか、罵ってくるところとか」
「うわ……キモっ」
体を縮めて後ずさりした天音。
お前にキモイと言われても嬉しくとも何ともない。むしろ萎える。
「なんで残念そうに」
「いや、別に」
やっぱりギャルだからなんだよな。
そういうのほしいよな。
「あー」
「わかりました。私がもう少し綺麗なら、やる気が出るんですね?」
そう言い放ち、天音は部屋を飛び出していった。
廊下を走っている音が聞こえる。
「なにしてんだか」
最初に言っておく。
俺は渡里天音のことをまったく好きではない。女と見ていない。
それは天音が可愛くないからではなく、霞や茨田レベルの美女じゃないと興奮しないからである。
このことをわかっていたら、俺を魅了しようなどとは普通の女は思うまい。あの二人レベルなんてどうにもなんないからな。
「はっはっは!」
あまりにも浅ましい天音の行動を笑い飛ばさずしてどうする。
腹がよじれそうだ。
この笑い声を掻き消すように廊下からこっちに走ってくる乱暴な音が響いた。
「ん?」
扉から頬を赤らめている天音が、黙ったままこちらを見ている。
俺がそれに気づいて見つめると、天音は目を逸らし、瞬きをたくさんしている。
「……入るよ」
小さな声でそう言うと、俯いて部屋の中へゆっくり歩いてきた。
いつもとまったく違う。なんなんだこの天音は。
困惑よりも混乱に近い。恥じている天音の顔ばかり注意深く見ていた。
「ちょっと、身体のほう見てよ」
「あ、うん?」
視線を下げる。
すらりとした首、銀色のネックレス、谷間。
「―谷間?」
胸元がV字になっている薄い服、そこに胸の谷間がある。
しかも天音ってこんなに胸が大きかったのか。
「…………ソ、ソンナニミナイデ」
「ん?」
「ハズカシイカラ」
それっぽいセリフだが、圧倒的に棒読み。
いやそれよりも、表情に嫌悪感がはっきりと表れてるぞ。
「ほら、もっと恥ずかしく言うのよ」
「……そ、そんなとこ、みないで」
「理のエッチって言っ―」
「おい」
俺は立ち上がり、天音の後ろにしゃがんで隠れている母を見つけた。
なんかおかしいと思ったら、母の仕業か。
天音にこんなセクシーな服を着せて、なんのつもりだ。
「そんな怖い顔しないで。ねぇ、天音ちゃんどうだった?」
「……」
もじもじしている天音。相当、無理をしたんだろう。
頼る相手を間違えたな。
「ねぇねぇ、可愛いでしょ?」
「攻めすぎだろ」
「いいじゃない、こういうのが好きなんでしょう?」
どこか心に突っかかっていたものがある。
母の微笑みが、直視したくない現実を予感させてくる。
「あら、見間違いだったのかしら。たしか理のベットの下に家庭教師の薄いほ―」
「やっぱり勝手に部屋、掃除したのかよ! 出てけよ!」
「掃除してたんじゃなくて、漁ってたのよ?」
「どっちでもいいわ! いや、よくねえよ! 出てけよ!」
無理やり母を部屋の外へ押し込む。
これ以上、変な真似を刺せるわけにはいかない。
「まったくもう、天音ちゃん~困ったら、ベッドの下よ~!」
「いらんこと言うな!」
母を外へ放って扉を閉じ、鍵を閉めた。
まったく、信じられない母だ。
深呼吸して、顔を見上げた。
「っ!?」
「ど、どうか……した?」
俺の椅子の隣の席に座っている天音。その頬はまだ赤い。
まずい、やられた。
鍵を閉め、密室にセクシーな服着た家庭教師はまずい。非常にまずい。
ここまで母は計算していたのか。
「ほ、ほら……早く勉強……しよ?」
「くそ!」
なんか口調までそれっぽくなってやがる。
もしかしてそこまで仕込んだのか。あの短時間で。
「ど、どうする……」
荒げる気持ちに相反する理性という名のプライドが、まだ幼くも妖艶な天音の隣へ行くことを拒んでいる。
だが正直、これは、もう。
そんなことをしたらもう、渡里天音が魅力的だと認めてしまうような気がする。
ダメだ、正常に判断できない。思考できなくなってきた。
「……ねぇ、時間無くなっちゃうよ?」
素直な気持ちを述べよう。
俺は家庭教師ものが好きだ。天音が好きなわけじゃないし、興奮しているわけじゃない。
だからここで机に向かうのは、天音が魅力的だからじゃない。そうだ。
家庭教師が好きなだけなんだ。断じて天音が好きなわけじゃない。
純粋な欲望のままに椅子に座った。
「じゃあ勉強……再開しようね?」
「ハイ。」
俺はがっつり、その胸の谷間を見つめながら返事した。
そしてもうわかった。
別に天音が魅力的だという勘違いをされても構わないと。
「ふぅ……」
硬い鉛筆を握りしめ、谷間をチラチラ見ながら計算する。
天音が始めた物語なので、これは訴えられない。
そうだ、俺は間違ってなんかない。
「あ、そこ、間違ってるよ」
そんなわけがない。
俺は純粋に家庭教師プレイを楽しんでいるだけだ。
そう、家庭教師の恰好をした女の子と……家庭教師の恰好?
俺は筆を置いた。
「どうしたの?」
揺れる谷間。そんなもので興奮できるわけが無くなった。
非情な現実が頭に過ったからだ。
決して確かめたくない事実。
俺はそれが本当なのかを知らなければならないと思い、重い口を開けた。
「なぁ、その服って……母のだよな?」
「そうだよ?」
風船が萎むように、高まった気持ちは無くなった。
ああ、最悪だ。親子って。
あまりにも嫌悪する気持ちをどうにかしようと、勉強に集中した。
その間天音が嬉しそうだったが、その笑みが見えるたびに悲惨な事実がまた過る。
「父の性癖、家庭教師プレイだったのかよ……」
知りたくもないことも、知らないほうがいいこともこの世にはある。
それが胸元を自信満々に見せつける天音との勉強で学んだことだった。
「ふんふんー♪」
真実は最低だから、天音には言わないよ。
お前が魅力的だから勉強できてるわけじゃないと。
それもまた、知らないほうがいいことだろう。
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