第2話


 私達の「葉子探し」はあまり芳しい成果を上げずにその日は終わった。

 砂浜を歩いて「もしかして」と思って、やっぱり違う。そういうのを繰り返していたら日が暮れていた。

 流石に夜の海が想像以上に危険だと言うのは私も理解してるから、次の休みにと約束して由加さんと解散した。

 今日からまた一週間学校がある。葉子が死んでも変わらずに、いや、一週間くらいは皆悲しんでいたけれど、それからは特に変わりなく続く日常。でもそんなもの、私にとっては道端の雑草なんかと同じくらいしか価値が無かった。

 結局皆、そんなものなのだ。悲しんでいるといっても、結局はそんなもの。葉子と深く接していたのは私くらいのものだったから、葉子の「お友達」はみんな少し悲しんで綺麗さっぱり忘れて、日常に溶けてしまった。

 もしかしたら、と思っていた。もしかしたら、葉子の友達だった彼女たちなら、協力してくれるかも知れない。もしかしたら、私のように恩返しをしたいと考えているかも知れない、と。それは間違いだった。

 もう誰も葉子の話なんてしなくなっていた。

 結局は表面だけの関係だったのだ。それに失望するのと同時に、期待してしまった自分にもっと深く失望した。

 

 私には葉子だけだった様に、葉子にも私だけだったのだ。分かっていたはずなのに。

 やっぱりこれは、私がやらないといけない。他の誰にも任せたくない。葉子は私が見つけるんだ。

 

 学校が終わって、周りが駄弁りながら家路についたり遊びに行ったりする中、私は一直線に海岸に向かった。

 昨日は見つからなかったけど、今日は居るかも知れない。もし砂浜に打ち上げられて干からびでもしていたら、きっと葉子は文句を言うから。

 

 約束したのだ。きっと見つけてみせるって。

 



*

 

 

 

 麻衣ちゃんの「葉子探し」は、本当に手当たり次第で、地道で、だからこそ麻衣ちゃんの真剣さをまざまざと見せつけられているようだった。いや、事実そうなのだ。麻衣ちゃんは何よりも真剣に、葉子を探している。それを分かっているから、私は何も言わずにそれを手伝うようになっていた。それに麻衣ちゃんの考えも理解出来てしまったから。

 

 「葉子探し」が始まってからもう一ヶ月が経とうとしていた。

 成果なんてものは全く無くて、傍から見れば私達は少し不気味に砂浜を散歩している様に見えることだろう。

 けれど私達は真剣だった。真剣になって葉子を探して、亡霊みたいに砂浜を俯いて歩いていた。

 私だって葉子がただ死んだだなんて思っていない。

 家族の私からしても、葉子は特別だった。何かどこかがズレていて、目の前にしているのに現実味が無いなんて事は数え切れないくらいにあった。死因だってまるで分かっていない。葉子は余りにも唐突に、何の前触れもなくこの世から去ったのだ。葉子の死体は、私にはセミの抜け殻のようにしか見えなかった。

 それに何より、葉子と過ごしたあの夜。あの時に起きた事が私には気がかりだった。

 

 

「陸地に居場所が無いように感じるの」

 深夜になって「海に行きたい」と言い出した葉子の要望に従って出したボートの上で、あの子はそう言って片手を海面に浸していた。

「居場所……」

「うん。もちろん姉さんやお母さんやお父さんの事は好きだし、麻衣も好きだけど、そうじゃないの」

 手首まで浸したその腕を、ゆらりと振るう。

 水面に映る満天の星の光が葉子の手に従って形を変えるのが綺麗だと思った。

「なんて言うのかな。私はこっちじゃないって、そう感じる」

 慈しむみたいに海面にゆらゆらと手を漂わせて、それとは正反対に絶望したように葉子は言った。

 私はそれに何も言えなかった。それは私自身が葉子に対して感じていたものと、ほとんど同じだったから。

──葉子はこちら側じゃない

 姉として、家族としてあまりに薄情だと思うけれど、私はどうしても葉子に対してそう感じてしまっていた。それを見透かされたみたいで、私は口を閉ざすしか出来なかった。

 そうしてただ葉子が手を遊ばせるのを眺めていると、ふと視界に光るものが映った。

 恒星の瞬きじゃない。もっと近い場所に流れる光。ひとつ流れたと思ったら、そのすぐ後にまたひとつが流れて来る。流星群だった。葉子はこれが見たかったのだろうか。

「綺麗」

 夜空に幾筋と落ちる流れ星を見上げていると、葉子はそう言って笑った。

 綺麗だ。本当にそう思う。けれど同時に、おかしいとも思った。

 いくら大きな流星群だったとしても、こんな風にいくつもいくつも、本当に雨みたいに落ちるはず無い。まるでテレビで見る早回しの流星群。いくら何でも異常だった。

「葉子」

 何となく焦燥に駆られて呼びかけても、返事が無い。

「葉子?」

 顔を下げて彼女の様子を覗うと、葉子は両手を海面に浸けて何かをじっと覗き込んでいた。

「帰ろう、様子」

 不安になって呼び掛けても、何にも返さないでじいっと海面を見つめていた。

 その様子に言い知れない恐怖を憶えて、やめさせたくてその手を取ろうとして、

「つかまえた」

 不意に発せられた葉子のその言葉と、水を叩くぱしゃんという音ににびくりとした。

 葉子は合わせた両手をそっと抜き取って、私に笑いかけてきた。

「ほら、つかまえた」

 その両手はなにかを閉じ込めているように膨らんでいて、指の隙間から光が漏れ出していた。

「……何?ホタルイカ?」

 私は努めて冷静に訊いて、違う、と思った。

 ホタルイカなんてここの海には居ない。

 ましてこんな風に光る生き物なんて、私は知らなかった。

 満天の星空の下で、葉子の合わせられた掌の間から漏れ出す光が周囲の海面を照らしていた。

「星」

「え?」

「星を捕まえたの」

 葉子はそう微笑む。

 葉子が何を言っているのか分からなかった。星は捕まえられるような物じゃない。流れ星のことを言っているのだとしても、隕石だって、直撃すれば屋根に穴が空いてしまうのだ。そんなもの、人間の手ではどうしようもない。はずだ。

 けれどそれは葉子が広げた掌の上で、どうしようもなく事実として存在していた。

 

 星としか、表現出来ない光。

 あまりにも眩くて、力強くて、なのに儚いその光。

 数瞬我を忘れて見つめてしまったその光を、葉子は掲げて、そして呑み込んだ。

 

 止められなかった。止める暇さえ無かった。

 満足そうな顔をして、そうして葉子は呟いたのだ。

 

「これで私もあちら側」

 

 

 葉子が唐突に死んだのは、きっと私のせいなのだ。いや、麻衣ちゃんの言葉を借りるなら、人間ではいられなくなったと言った方が正しいのかもしれない。

 とにかく、きっと私の責任だった。だからこれは、罪滅ぼしなのだ。独りで行ってしまったあの子が寂しくないように、せめて見つけてあげなくては。見つけてどうするかはまだあまり考えていない。麻衣ちゃんも似たようなものだろう。ただ私は、あの時に言えなかった言葉を直接伝えたいだけだった。みんなの中で、それでも孤独を抱えていたあの子に、言いたかった事を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海月の歌 ンガェヒゥ @ngawehyj

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ