30.和解と理解 —握手—-3
*
ドクター・オオヤギに話をした日の夜。
私は多分疲れてはいたのだろう。その日は眠りが深く、次の日の昼ほどまで眠ってしまっていた。
そして、私は夢を見た。
あれはどこであろうか。ぼんやりとした空間の中に、いつの間にか私は立っていた。
そして、そこに小さな少年の姿の弟が、あくびをしながらやってきたのだ。
「あ。あにさま、おはよう!」
ああ、おはよう、と答えようとして、私は自分が大人の姿になっていることに気づいた。
そう気づいたとたんにうまく返答ができなくて、口ごもっている間に、ててて、と弟は私のそばまでやってきた。
少年の姿の弟は、相変わらず、愛想よく私に話しかけてくる。
「あにさま、無事戻れたんだなあ」
「ネザアス」
私はそう名前を呼ぶだけで精いっぱいだった。
あの旅路を踏まえて考えると、私と弟は精神的につながりやすい。使われる信号が似ているために、使われた同じ
しかし、あれ以降、私が弟と夢で出会うことはなかった。
「あにさま、やっぱりだなあ。おれを置いていかなかったよな。手をはなせっていったのにな」
弟はそういって私をまじまじ見つめる。
「あにさまの、そういうところ、見かけによらずえらいけど、だめだぞ」
弟は説教するように言った。
「あにさまは、そういう強情なのだめ。せっかく、おれもロクスリのおっさんもあにさまを助けようとしてたのに。逃げられたから良かったけど、今度はだめだからな。そういうの!」
私が彼を黙ってみていると、弟はにこりとした。
「あにさま、大人になっちゃうとしゃべらなくなるんだな」
「……すまない。私は、どうも、うまく……」
私は言った。
「うまく、話せなくなってしまう。頭の中では、もっといろいろなことを言わなければと思っているが、口に出せない」
「そっか。はは、でも、気にすることない。おれもね」
と弟はにこりとした。
「おれも、あにさまに、ひどいこといっちゃう。おれ、口、すごくわるいの。それに、本当のこと、いうの恥ずかしいから、いえなくなっちゃう」
「うむ」
「だから、あにさまのこと、嫌いでいってるんじゃないの。わかってて」
「わかっている」
そう答えると弟はにっこりとした。
「えへへ。じゃあ、おれたちお互い様だね」
「そうだな」
と、弟が目をしばたかせた。
「あ、時間だ。行かなきゃ」
「時間? どこにいくのだ?」
弟はそれに答えずに私に背を向ける。
「あにさま、ばいばい」
「待て!」
まるで、何か楽しいものを見つけたときのように、わたしが止める間もなく弟はいってしまう。
「行くな!」
それが、まるで弟が知らない場所にいってしまうように思えて、私は言いようもなく不安になった。
ばっと起き上がり、目覚めたときは、すでに日がずいぶん上った時刻だった。
起き抜けの動悸に、私は柄にもなく不安になった。そのまま、私は走って弟の見舞いに出かけた。いつもの通り、弟の集中治療用の療養室に向かう。
急いで室内に入ると、妙に部屋の中ががらんとしていた。モノが片付けられているようで、部屋も暗い。昨日まで聞こえていた泡の音も聞こえなくなっている。
弟はそこにはいなかった。
最悪の事態を想像してしまい、私がそこに立ち尽くしていると、
「あら? ドレイクさん? また弟さんのお見舞い?」
不意に我々の治療に携わっている看護師の女性が声をかけてきた。私はこの風貌なので、あまり声を気安くかけられることはないのだが、その看護師はベテランの中年の女性であることもあってか、親身に話しかけてくれる。我々の間ではマダムと呼ばれていた。
そして、彼女はオオヤギよりも先に、私が毎日弟の見舞いに来ることを知っており、私も、少しは心を開いていた。
彼女になら質問できる。
「ネザアスは?」
「ああ、弟さんなら」
と彼女はふうとため息をついた。
「本当に、あの子、あなたの弟さんなのかしらねえ。まったく、お兄さんとは似ていないんだから」
マダムはそういって苦笑していた。
*
「はははっ!」
黒騎士研究所は最上階のデイルーム。
ここの太陽は人工的な太陽であるが、日があたるそこはぽかぽかとしていて、あまり私には縁のないほのぼのとした空気に満ちていた。半分サンルームも兼ねているのか、ガラス張りであり、開放的な雰囲気である。
たまたまその時は、ほかに休んでいるものはおらず、一人の男の笑い声だけが響いていた。
「あははっ、お前、本当に可愛いなっ! うりうり、あー、マジで、かわいい!」
その男は私の接近に気づかず、デイルームのソファを無遠慮に陣取り、別のソファに行儀悪く足をあげていた。まだ顔や体に包帯が巻かれているし、点滴もされているらしく、その点滴棒に寄りかかって歩いているのだろう、が、やたらと元気だ。
療養棟専用の療養着の上に、ド派手な花柄のジャンパーを肩からかけている。どう考えても悪目立ちしている。
そんな男が構っているのは、機械仕掛けの文鳥型の小鳥のおもちゃだった。
そのおもちゃは弟の懐に入っており、幸い故障もなかったところを回収されていたあの文鳥だ。戦闘前に電源を切っていたはずで、弟の私物ということで、今まで無事、保存されていた。
「本物の鳥は、おれの身分じゃもう飼えないなって思ってたけど、こういう選択肢があったか。あああ、お前、どこの子だったんだろうなあ。マジ、連れ帰って来られてよかったぜ。スワロ、本当にかわいいな、お前。おれのスワロは本当にかわいい」
でれでれと愛をささやいている男は、私の接近に気づいていないようだ。
「安心しろよ。こっちでも、お前はうちの子だからなあ。捨てたりしねえから」
私がしばしぼんやりと彼を観察していると、ふと、彼がこちらをぎょっとしてみた。
「おおあっ! ななな、なんだ、っ、てめえ!」
彼、弟である奈落のネザアスは振り返って私を認識すると、とたんに真っ赤になった。
「いいいい、いるんならいるっていえよ! な、なんで無言でぼんやりしてんだ、この唐変木!」
第一声はそれなのか、と思いはしたが、私は以前のように腹が立つようなこともなく、思わず笑いそうになるのを抑えていた。
「目が覚めていたのか」
「あ? 今日の早朝にな。意識さえ戻れば、あんな水槽の中、タルくて浸かってられねから早めに出してもらったんだよ」
「起きていて良いのか?」
回復力の早い黒騎士とはいえ、あのような重傷。しかも、ひと月寝たきりで治療液に使っていたというのに、いきなりこんなに動けるものなのか? という私の視線を感じたのか、彼は肩をすくめた。
まだ顔や体の包帯は痛々しいものの、弟の表情は私の知る彼の不敵なものである。
「だってずっと強制的に寝てたところもあるからよ。黒騎士は現状維持ができるから、ひと月ぐらいなら、寝てたところで筋力そんなに落ちてねえしー、散歩ぐらい平気だろ」
と彼は答え、
「あんなとこ閉じ込められてるのはごめんだぜ。煙草の一本どころか、珈琲一杯飲ませてくれねえじゃねえか」
「珈琲は飲んでもよいのか?」
「さあ? でも、なんでも気持ち悪いとかなかったし、多分イケるんだろ。飲もうとしたら、いつものマダムに怒られたからここに逃げてきてるんだよ。スワロとも遊びたかったし」
というのを見ると、すでに弟はどこかの自販機で手に入れたらしい珈琲を飲み干していた。マダムというのは、先ほどの看護師のことだ。この感じだと相当厄介をかけているようだ。
「あのマダム、おれにちょっと厳しいんだよなあ。黒騎士なんだから、目エさましゃあ、もう全回復みたいなもんだって。オオヤギはその辺テキトーで話わかるんだけど、あのマダム、過保護なんだよー」
(もっと厳しくされれば良いのに)
と私は思わず心の中で突っ込んでしまう。
そして、その手の小鳥を見やった。
それは、例の小鳥のスワロ・メイだ。少年の弟が廃墟で拾って、大事にしていた機械仕掛けのおもちゃのペットロボットである。
「その小鳥は?」
「ああ、こいつか。あんま覚えていないけど、前線で拾ったもんらしいよな。アンタがこれ、おれのもんだって言ってくれたんだろう」
「ああ」
弟があの旅路のことを覚えている可能性は非常に低いと思っていた。しかし、あんなに彼が愛していたものなのだから、せめて一緒に、と思って私は弟の懐に入っていた小鳥を彼の私物であると証言して、取り置いてもらったのだ。
「かわいいよなあ。こいつ、スワロ・メイって名前を付けてんだ。しばらくどうせ暇だから、こいつに遊んでもらおうと思ってる」
弟は無邪気にそう言って笑う。
「そうか」
私は小鳥を彼の手に残してよかった、と内心考えていた。一方で、その言いざまから、彼はやはり子供の姿で旅をしたことをわすれているのだと理解した。
それについて、詳しく追及することはするまいと思う。
「それにしても、なんか浮かねえ顔してんな。相変わらず辛気臭いな」
と弟は私の気も知らず、例よって毒舌を吐くが、私から返事がないのをみてか、彼は少し沈黙した後、口を開いた。
「あのな、……その、……前線でヤミィに右側吹っ飛ばされたあたりから、記憶消えてて、そのな、おれが、覚えてるわけじゃあねえんだが」
と変な前置きをして、
「あのな、サーキット……、ロクスリーのおっさんのことなんだがな」
と彼がその名前を口にしたので、私が思わず反応すると彼はちょっと目をそらしつつ。
「あのオッサン、多分生きてると思うぞ」
「生きている?」
私が尋ねると、彼はうなずいた。
彼は、スワロ・メイを手のひらにのせてその体に巻き付いた、青く発光する糸を指さした。
「この糸、わかるか? これは、アイツの生体エネルギーつきの
と彼はそれをほどき、スワロ・メイのボディの隙間に差し込まれた小さな紙片を抜きとった。それは、あのマルベリーの改造データを示したものだ。紙片は青い糸でぐるぐるにまいてある。
弟はそれを手のひらの上でくるくると丁寧に外して、糸を指でつまむと軽く振った。ビシッと青い糸が棒状に伸び、真っ青にそれが発光した。
「本体が死んでも関係なく残るもんだけど、離れてても本体が生きてるほうが強い力を保持し続けるって、いう噂なんだよな。これは噂レベルの話だが、アイツの場合、マルベリーの灰色物質とも関係があって、……それを考えるとこれぐらい強い力を保持してるってことは、アイツとマルベリーが無事である可能性が高い」
と、弟は言って苦笑した。
「聞いたとこによると、弱体化したけどヤミィもまだ生きてるんだろ」
「ああ。我々は前線を外れたが、まだ黒騎士の叛乱自体は終わっていない」
「ヤミィの馬鹿が丈夫なのは面倒だが、それと同じぐらいあのオッサンも丈夫なんだよ。涼やかな男前に見せておいて、本性ナルシストゴリラだからさあ」
と弟は言った。
「だから、あんま、気に病まなくていいぜ。そのうち、ふらっと姿見せるだろ。13号基地だって無事らしいし、……な」
弟はどうやら私を励まそうとしているようだった。
私はそれに気づいて、苦笑しそうになる。弟も随分不器用だ。
「そうだな。また、会えるとよい」
私はうなずいた。
「それでは……、おれはこれで」
弟の無事も確認したことだ。そのまま帰ろうとしたところで、ふと弟が立ち上がった。
「あ、待て」
きょとんとしていると、弟が、戸惑いながらそっと左手を出してきた。
「その、な、……お、覚えてるわけじゃあねえんだが、その、アンタにはずいぶん迷惑かけたらしいから」
私は瞬きする。弟は気まずそうに続けた。
「その、おれも、前線ではずいぶん気ィ立ってたし、さ、さすがに言い過ぎた面もあるかな、って、おもって……、ああ、その、な」
弟は目を伏せて視線をさまよわせる。
「わ、悪かった」
「いや」
私は首を振り、弟に近づいた。
「私も気遣いがなかった。すまなかった」
右手では握手できない弟に合わせて、左手を差し出す。弟がちょっとだけ安堵した気配があって、我々はそのまま握手した。
かたい握手を一度だけした後で、弟が我に返ったように慌てて手を放す。
「こ、これは、っ、おれの気持ちでな。でも、こんなのおれは二度とやらねえからな」
「わかっている」
「アンタとなれ合うのもここまでだからな」
「ああ」
私には伝えられるだけの言葉が足りない。
弟は素直に自分の気持ちが口に出せない。
多分、我々は似た者同士なのだ。
それがわかっただけで、私と弟は幸福だったと思う。
今、かつてと同じようにマガミ・B・レイに尋ねられたとして、私はどう答えるだろう。
君は弟に嫉妬しているんだね。
そう尋ねられた時、私は素直に認められると思う。
私がうまくこたえられるかどうかは別として。
「私の弟は、嫉妬するほどに優秀なので」
そう答えてやればよかったと、今では思っている。
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