30.和解と理解 —握手—-2


「てめぇッ、コアを割られてるのに何故」

 弟が叫ぶが、ヤミィは黒い液体を体から流しながらも静かに赤い瞳で我々をねめつけていた。

「おれは、お前たちとは違う。いったはずだ、新しい黒騎士、ここの新たな住人となる得る存在であると」

 それは、と彼が初めて悦楽の笑みを浮かべる。

「それは決して滅びはしないということだ」

「ッ!」

 私は思わず悪寒を感じる。

 その瞬間、ヤミィの足元の汚泥が黒く浜辺を覆いつくしていく。沸き立つようにしながら、広がるそれから私は逃れようとした。

「逃さぬ。同胞はらからのお前たちの黒騎士物質ブラック・ナイトはすべておれの糧になる」

 渦巻くような汚泥。私はネザアスを肩にかかえたまま、脱出口を確認していた。

 エリックは、島の奥にいると弟は言っていた。おそらく、だとすればこの浜辺より北のほうになるだろう。島は見通しはきくが、砂丘となっている部分がある。エリックが輸送用のユニットを送り込んできたのだとしたら、そこに隠れるようにしているはずだ。

 しかし。

「逃さぬ!」

 ヤミィの執念のこもった声が、駆け出した私とネザアスを追いかけてくる。

「ドレイク、……おれを置いていけ! 追いつかれる!」

「何を言う! そんなことはできない!」

「おいていかねえと、おれがキット使った意味が……」

 ネザアスの足がもつれかけている。

「ネザアス、殺す!」

 もはや直接的にそう叫び、ヤミィが剣を手に我々に迫ろうとしていた。

 と、その時。ヤミィが野太い悲鳴を上げていた。

 彼の首に青い糸がかかっている。

「忘れてもらっちゃ困るな」

 といったのはロクスリーだった。ロクスリーは青い糸の束をぐっと握っている。その反対側では捨てられた鞘が引き起こされて、浜辺に刺さっていた。

「最後に罠にもう一度かかってくれて、うれしいよ。これでお前を愚弟って罵っても許される!」

 ロクスリーはニヤリとする。

「あ、兄御前、貴様、あの鞘をわざと」

「昨夜、一晩かけて巻いてやったんだよ、お前のためにな! 最後の最後まで使ってやらないともったいないからな!」

「ぐうっ!」

 ヤミィは青い糸に手をかけた。

「こんなもの、効くと思ってか! すぐに引きちぎって!」

「今のお前には無理だよ、ヤミィ」

 ロクスリーは、すでに汚泥でくるぶしまで埋まった浜辺をどぶどぶと歩いてくる。

「お前、わたしの返り血を浴びて、しかもわたしの黒騎士物質ブラック・ナイトをしみこませた糸で首を傷つけられただろう。少しでも血を浴びてくれたからこそ、今頃効果がでているんだ」

「なんだと!?」

「血のつながりは水より濃いというけれどな、ヤミィ。わたしとお前も相当の腐れ縁だから」

 ロクスリーの糸が一層青く輝く。

「わたしとお前は同じ素材で作られた。お前はわたしの素材の半分を改良した新素材だった。基本的にお前の素材は別物といってよいほど。わたしの上位互換という表現すらおこがましいほどのものだ」

 しかし、とロクスリーは言った。

「ひとつだけ、わたしの側だけが優越する要素があってな。わたしにだけ、お前に緊急停止を命じられる機能が備わっている。それでわたしはお前の再生阻害を行えるんだ」

「ッ!」

 ヤミィの力がやや弱まっているようで、糸を切ることができないでいるらしい。

「お前も予測はしていたんだろう? 兄として、お前を止めるために、先に作られた私の体質に、お前を止めるための仕掛けがなされているということを」

 ぐっとヤミィが詰まる。

「マガミをたきつけてまで、わたしを陥れた理由もそれだったはずだ。だから、わたしは今のお前を見て後悔している。もっとはやく、わたしがこうしていれば、被害はもっと少なかった。わたしが、逡巡せずに弟殺しをしていれば!」

 ロクスリーは、苦しげに言った。

 そんな彼の懐で金魚の姿に戻ったマルベリーがぱたぱたと動いている。

「マルベリーも、わたしと一緒にいってくれるという。この子だけは助けたかったが、もう、わたしから離れては生きられないからね」

「貴様、何を」

 ロクスリーは、はっきりと言った。

「何を? ヤミィ、お前はここでわたしと死ぬんだ! お前の為に三途の川の渡し守くらいはしてやるよ」

「貴様ァア!」

 ヤミィの体が汚泥の暴走で黒く変色して膨らむが、近づいていたロクスリーは彼の頭をつかんで浜辺に押し付ける。

「往生際が悪いな! 沈め、ヤミィ!」

 そして、ロクスリーは私と弟のほうを見た。

「さあ! 二人とも、わたしが抑えつけている間に行くんだ!」

「そんな、ロクスリー殿も一緒に!」

「わたしじゃなきゃ、コイツは止められないんだ!」

 ロクスリーは言った。そして、少し苦くほほ笑む。

「約束をやぶってごめんね。でも、やはり、これしかない」

「サーキット!」

 私は彼の昔の名前を呼ぶ。

「サーキット、ダメだ! 私は、長兄として」

「キミのそういう気持ち、うれしかったよ。ネザアスとはよく話していたけれど、キミとはほとんど話したことがなかった。好かれてないのかな、って思ってたぐらい。でも、違うんだね。キミはしゃべらないだけで、ちゃんと悩んだり、悲しんだりもできる。ヤミィとは違う」

 ロクスリーは顔を上げる。

「本音のとこではね、キミみたいなお兄さんがいて、わたしは嬉しかった。ありがとう長兄殿。ネザアス! あとはお願い!」

「おう!」

 と私の肩につかまっていた弟が、急に私を抱えた。そして、最後の力を振り絞るように走り出す。

「あっ! ネザアス! 待ってくれ!」

「ダメだ! てめえが死んだら、アイツやおれが無理した理由がわかんなくなるだろ! いいんだよ! おれたちはもう棺桶に足突っ込んでた! 一番助かりそうなてめえが助かれ!」

「そんな!」

 私は抵抗しようとしたが、彼の力が強かった。

 向こうでロクスリーが、ヤミィを抑えつけていた。

「見かけの筋肉量はお前のほうが多いけれど、腕力はわたしのほうが強いんだよ!」

 ロクスリーはヤミィの頭を抑えつけて泥の中に沈める。

「言ってるだろう。わたしは腹黒いけど、本性は絶対的にパワー崇拝派なんだ! 最後の最後で力ずくでは負けることはない! 腕の力だけは劣化しなかったからな!」

 ロクスリーは笑った。

「お前の狂気はわたしが終わらせる!」

「サアアアキットオオオオオオ!」

 ヤミィの叫び声は、何かが混ざっているのか多重に響く。そんな彼の叫びとともに、汚泥が暴走して膨れ上がる。

「地獄で待っているぞ、ヤミィ!」

 二人の姿が見えなくなり、汚泥が爆発するように広がる。

「ッ!」

 私は目を閉じた。

 ロクスリーの生存は、もう絶望的だ。私は覚悟する。

「くそっ、体がもたなくなってきやがった」

 弟が足をもつれさせる。私は足を地面につけ、外れた彼の手をつかんだ。

「行くぞ、ネザアス!」

「ッ、おい!」

 彼の手をつかみ、半ば肩を貸すようにして走り出す。

「おい、ドレイク! 自分で走れるなら、一人で走っていけ! 手エ放せ!」

「それはできない! せめてお前と基地に戻る! 先ほどもお前がそう言った!」

「あれは言葉のあやだろ、ッ! やめろ! おれを連れていたら間に合わねえ! 放せ!」

 私はその言葉を無視した。

 後ろでネザアスが舌打ちする。

「この、ッ、優しくしてりゃつけあがりやがって、このクソ餓鬼があッ! 置いてけっていってんだよ! 放せ!」

「嫌だ!」

「強情っ張りが! はなせ! 二人じゃ逃げきれねえから言ってんだぞ! 兄貴、放せはなせえっ!」

「絶対にはなさない!」

 私は振り返って彼を見た。

「私はアマツノにも答えた。マガミにも、そう答えてやる。私は、お前を見捨てない! 弟のお前を見捨てたりはしない!」

 弟があっけにとられたように私を見た後、ふっと笑った。

「ははっ」

 弟が嘲笑う。

「本当に馬鹿だな、アンタ。馬鹿すぎて言葉も出ねえよ……」

「馬鹿でも良い! 馬鹿で良い!」

 私は多分泣いていた。そんな私を見て、弟は苦笑した。

「ふふふ、……餓鬼の姿だと、本音が出るって? アンタ、そんな熱血漢だったんだな。ははっ、似合わねえー」

 弟があきらめたように笑う。足元まですでに汚泥が迫ってきていた。

「本当に、……馬鹿だな。でも」

 弟の右半身がどろりと崩壊する。

「中身、熱血漢のアンタも、わ、悪くねえぜ。あに、さま……」

 弟の手の力が抜けていく。汚泥に沈みかける彼を抱える私の目に、ようやく輸送用のユニットが見えていた。


 *


 私はほとんど汚泥に飲まれそうになったまま、そこまで気絶した弟を抱えて到着した。

 そして、どうもそのまま意識を失ったらしい。私と弟はそのままエリックの意向を受けた、ツカハラ・アントニオの部隊に救助された。

 後から聞いた話では、私はその時、すでに子供の姿ではなく元の姿になっていたという。

 私と、半身が崩壊している弟は、すぐさま、エリックのはからいで黒騎士研究所に派遣されていたドクター・オオヤギの下に送られた。

 その後のことは、ドクター・オオヤギの知ることだ。

 ここで、私の長い話は終わる。


 *


 ドクター・オオヤギを前に、私は一度口を閉じた。

 私にしてはずいぶん長い話をしたものだ。普段はここまで話すこともない。そのせいか、少し疲れを感じていた。


 その後。

 彼らに回収され、黒騎士研究所の療養施設におくられたあと、私はほどなく回復したが、重傷を負った弟はひと月近くの集中治療を受けている。

 ヤミィ・トウェルフ達の叛乱はまだ収まっておらず、あの時、トドメをさしたと思われたヤミィ本体も以前ほどではないにしろ、活動している形跡があった。

 そして、ヤミィと一緒に姿を消したはずの、ロクスリーことサーキット・サーティーンの行方は杳として知れない。

 汚泥に飲まれて感染したのでもなさそうで敵として目撃されることもなく、味方に回収されてもいない。ただ、忽然として姿を消してしまった。

 13号基地だけは、相変わらずゲートキーパーが保持をしているときいたけれど、彼にまつわる資料は、私が回復してから調べてもよくわからなかった。

 まるで元からいなかったかのように、金魚を連れた世捨て人の男はいなくなってしまった。

「私は、……だからこのことをもしかしたら夢か幻覚なのかと、思わなくもなかった」

 私は熱心に話を聞いてくれたドクター・オオヤギにそう告げた。

「しかし、それにしては、心に何かがひっかかる」

「そうか」

 とドクター・オオヤギは、私の長い話を聞いて顔をあげて優しく微笑したものだった。

「君とネザアス、そして、ロクスリーは本当の兄弟になれたんだね」

 そう言われて私は目を見開いた。

「すれ違ったままいるのは悲しいことだよ。悲しい話の末路だったとしても、せめて、君たちがわかりあえたのは、良かった」

 そういうオオヤギのあたたかさが、私にはありがたかった。

「やあ、もうこんな時間か。……ドレイク、明日は君は休みの日だったね。ゆっくりおやすみ」

 そういうオオヤギの言葉の向こうで、水槽の中で眠っている弟のほうでこぽりと泡の音がする。

 それがまるで幼い彼が挨拶をしているように聞こえて、私は思わず耳を澄ます。


『あにさま、おやすみなさい』

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