箱庭未来紀行

30.未来の調べ—廃墟街の悪魔 —握手—

★★★


 きらきら。

 私の目の前を飛ぶ蝶の音に導かれ、私は複雑な路地裏を歩く。

 きらきら。

 ネオンに彩られた毒々しい街も、私の目にはうまく映らないでいる。


 *


 あれからずいぶん時が流れた。


 ヤミィ・トウェルフたちの黒騎士の叛乱を魔女システムを使った我々の戦力により鎮圧できたのもつかの間、狂って壊れている創造主アマツノやマガミたちの権力闘争のさなか、私と弟は崩れ行くテーマパークで過ごした。

 しかし、最後の砦ともいえる、そんなかすかな平穏すら破られて、この世界は再び大きく変化した。私もほとんど視力を失い、日によっては全く見えないこともある。その時に恩寵は剥奪され、私も弟も生死不明となり、お互いの消息も知れない日々が続いた。


 そうした、その後の目まぐるしい変化や、我々の身上の変化を説明するには、私の言葉では足りない。

 ただ、一つ言えるのは、今の私は、新しく、かの黒騎士エリック・オーヴァヒルを中心とした新しい権力機構に非公式に召し抱えられる身分となっていた。

 かつての下層ゲヘナも整備され、たくさんの人が入植した。

 いびつな部分を残したままの街は、危険を保ったまま都市として発展していった。

 汚泥汚染は残され、かつての泥の獣は今や『囚人プリズナー』と名をつけられ、いまだに脅威として残っていた。中央局はそんな彼らに対応するために、劣化版の黒騎士である『獄卒』と呼ばれる不死身の使い捨て兵士を作り出しているという。使い捨てゆえに重犯罪者がほとんどであるが、そんな付け焼刃のようなことをしてまで保たれているこの世界は、ヤミィ・トウェルフの言うように、いまだに延命されているだけの、終わりが確定した『黄昏の帝国』のようであった。

 それでも、私は、その黄昏の箱庭で、それなりに満足には過ごしている。



「ああ、T-DRAKEティー・ドレイクか。早い帰りだな」

 と中央局の調査員エージェント専用の休憩所であるカフェとバーの併設されたそこには、かつての白騎士の部隊の隊長であるツカハラ・アントニオが来ていた。

 白いひげを蓄えたがっしりした初老の男の姿をしているツカハラは、今でも軍人然とした雰囲気がそこはかとなく残っている。私の悪い目でも、何となく彼ががっしりした男だとわかることがあるのだから、目が見えるものにはさぞかし威圧感があるだろう。

 かつての白騎士の部隊は解体されて別の組織になっていた。古株の彼はそれを機に引退し、今では中央局で諜報活動も行うエリック直属の調査員エージェントとしての余生を過ごしているという。

 彼はヴァイオリニストの顔もあるので、それを利用して活動しているらしいが、雰囲気や言動、見てくれがこうであるのもあり、私は彼が身分を隠せているのか、実は心配していた。

「依頼された囚人については排除した」

 私がそう報告して席につく。

「データについては、妻のビーティーから取得してほしい」

「ああ、ありがとう」

 ツカハラは、無骨に返事をする。

 そんなツカハラの下に、私のアシスタントを務める魔女、ビーティーこと、蝶の姿をしたビーティアがひらひらと音を立てて飛んでいく。ツカハラはその機械仕掛けの蝶を捕まえて、データをスキャンすると再び放した。

 蝶のビーティーは、かつての魔女ミナヅキ・ビーティア。その前はヤハタ・ビーティアを名乗っていた研究者の女だった。

 業の深い生き方をしていた彼女は、自らの業を引き受けるようにして、今の姿になった。そして、紆余曲折を経て、私の助手アシスタントとして、今は機械仕掛けの蝶として存在している。

 今の彼女は、私の妻だ。

 目の悪い私は、ビーティーの立てるキラキラとした羽音によって場所を把握して、安全に移動することができる。それは戦いにおいてもだ。気配を読むことや、殺気を感じることには慣れているし、私の攻撃は反撃が主であるので、視力に頼らなくても戦うことはできた。が、サポートはあるにこしたことはない。

 ビーティーの好きな花が机の上に活けてあるらしいのを、私は香りとぼんやりとした視界で知って、そっと手元にひくと彼女はキラキラ羽音を立てながらそこにとまった。

『あら、綺麗ね。ドレイク、私の好きなものをよくわかってくれているのね』

 どうやら、機嫌が良いようだ。

 ビーティーは、ほかのものと話ができない。しかし、私とはある程度の意志の疎通もはかれていた。

 魔女計画の行き着く先は、結局、ロクスリーとマルベリーが築き上げたあの関係に収束した。

 魔女の体の灰色物質アッシュ・マテリアルを使った武器を持ち、魔女を助手とし、戦闘を有利に進める。この方法で、我々はヤミィ達の黒騎士叛乱を鎮圧できていた。

 そして、おそらく、あの時、ロクスリーとマルベリーが話していたのと同じように、私と妻も通じ合うことができる。

 こうして、彼女の肉体が失われたいまでも。それは、切なくも、幸せなことではないか。

「しかし、さすがにアンタは仕事が速いな。伝説の獄卒といわれるだけはある」

「そうでもない」

「意味不明な都市伝説は、ちょっとやりすぎではあるが、誤解されやすい理由は強さゆえだろう」

 ツカハラに言われた通り、私には妙な噂が立てられていた。

 『T-ドレイクは狂った獄卒であり、出会ったものは殺される』

 私が狂っているか狂っていないかの是非はおいておいても、後半については様々な誤解が混ざっていると思う。私は今や身分上は『獄卒』であるが、実際は恩寵の黒騎士であった。今は恩寵ははく奪されてしまったが、それでも黒騎士としての制限は生きているため、一般人には手を出せない。

 ただ、私はツカハラのようなエリック直属の調査員エージェントからの命令で、一般市民に擬態した汚泥に感染したものを斬ったことがあり、おそらくそれが目撃されてこのような話になったのだろう。

 そのような物騒な話は、いささか迷惑ではあったが、それ以外はとくに不満もない生活だった。

 ツカハラ達調査員により、私の住居は確保されている。ビーティーを養い、メンテナンスするだけの収入もある。刺激が欲しければ、囚人プリズナーを相手として戦闘機会もある。

 ただ、かつては誇りある黒騎士であった我々が、犯罪者と同じ獄卒に身分を貶められて、その持っていた矜持プライドも忠誠心もすべて踏みにじられた過去の傷は、澱のように心の底には溜まっていた。

 それを見ないふりをすれば。

「そうだ。ドレイク。笛を吹いてくれないか?」

 不意にツカハラが私に依頼した。

「笛? ツカハラ殿もヴァイオリンを弾かれるのか?」

「いや、おれは今日は弾かないが」

 とツカハラ・アントニオは言った。

「ここは獄卒街の廃墟にも近い。前にアンタが笛を吹いたとき、あの廃墟街でヴァイオリンの音がしたことがあった。……最近、獄卒どもがうわさしている、『廃墟街の悪魔』ってやつだ。夜中にヴァイオリンを悪魔みたいに一心不乱に奏でている傍迷惑な獄卒がいるという噂。しかしな、どうも、そいつ、なかなか上手いらしい。それとな」

 と彼は目を伏せた。

「おれは昔下層ゲヘナの戦場で、自分が使っていたヴァイオリンを置いてきたことがあってな。どうしようもなく、地下室シェルターに隠してきたが、当然回収できなかった。下層ゲヘナの再編とともに壊されちまったんだろうなと思っていたが、その廃墟街の悪魔の弾いているのが、おれの持っていたデル・ジェスそっくりの音なんだ」

 と彼は言った。

「アンタが笛を吹いたらきっとアイツは返してくる。もう一度聞いてみて、あれがおれの持っていたデル・ジェスかどうか確かめたい。取り返そうと思っているわけではないが、死んだとおもったおれのアイツが、どこかの誰かに大切にされているなら、それは幸せなことだからな」

「わかった」

 私はうなずいた。

 きらきら、とビーティアが音を立てて私の襟にとまる。

「妻も折よく私の笛の音が聞きたいと言っている。近所迷惑になるといけないが、少しなら良いだろう」

 私がそう答えると、ツカハラ・アントニオは屋上のカギを貸してくれた。

 ビーティーに案内されて屋上に上る。

「今日は何の曲がよかろうか。……ビーティーは何の曲が良い?」

 キラキラキラ、そう音を立てる羽音に、かすかに私は彼女の声を聴く。

「わかった。そうだな、そうしよう」

 屋上に出る。

 夜の冷たい空気と風が一斉に私を包む。

 もはや、満天の星は私の目には見えない。いや、この都会の街中では、私の目が悪くなっていなくても、きっと見えなかっただろう。下層ゲヘナの夜空は、投影にすぎないのだとわかっていても、あの時、皆で浜辺で見たときのような空はもう二度とみられないのだろう。

 私は持参していたケースから、フルートを取り出した。

 その冷たい感触に指を這わせて、そっと目を閉じて笛を吹く。

 私が吹くのは、いつぞやのカルメン。笛の音は、都会の夜の喧騒に飲まれて消えていきそうなほど細かった。

 が、ふと、どこからかヴァイオリンの音が聞こえてきた。

 ふと、私は満足に見えない目を見開いた。

 私に合わせるように、また挑発するように。その音は風にのって私に届く。

 そのヴァイオリンの音色は、楽器もよいものであるのであろう、哀調を帯びたなまめかしさを感じるものだが、同時に攻撃的でもある。

 歌うように、しかし、切り裂くように、その音色は都会の中で私の笛に同調してどこからともなく響いてきた。

 まるでかかり稽古でもしているような、しかし、一緒に話をしているような。そんな不思議な感覚を覚える。

 その感覚に、私は覚えがあったのだ。

(そうか)

 私は得心した。

(お前に合ったものがみつかったのだな)

 近況を問うように笛を吹くと、相手から返答のようなやや攻撃的な音が返ってくる。

 しかし、その音を聞いて。

 私は、内心安堵していた。



「よかった」

 演奏を終えて、私は、都会のネオンに照らされているであろう屋上で、夜風の中、ぽつりとつぶやいた。

「お前も、この街で幸せに暮らせているのだな」

 もう二度とお前とは握手はしない。

 彼はそう言っていたけれど、音楽を通じて、私と彼は再び握手をしたような気がする。 


 もうあきれるほど長い月日が経った後。

 けれど、今でも私と彼は、多分兄弟のままでいられている。

 それは、幸福なことだ、と私は思うのだ。

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