29.ヤミィ・トウェルフ —名残—-2
確信を持ったかのようなヤミィの言葉。
サーキィと黒騎士達は、ヤミィに何かあった時の援護を考えたのか、私達への攻撃を緩めていた。
結果的に、注目は二人に向く。
「さて、勝負はやってみなければわからないからな」
とロクスリーは笑ったが、その表情は張り詰めている。
私はその理由を察していた。
(ヤミィの回復力が増している?)
先ほど与えた傷が、もう回復している。ヤミィは、血、といっても黒い液体を流していたはずだが、それがもう見当たらない。傷跡も治り始めている。
その左胸には二つある恩寵の文字が輝きを増しているが、それはかつて我々がアマツノの祝福を得た時と違う、禍々しい輝きを得ていた。
「あにさまっ」
弟がぼそりと囁いてきた。
「アレ、恩寵のとちがう。アイツら、きっと、システムをどうにかして、あまつのと違うのに同じようなの作って。ヤミィ、傷治るのはやすぎるよ!」
「ああ」
それは、我々の相手をしているサーキィや他の黒騎士にも言えることだった。
(アマツノの恩寵は、すでに彼らから剥奪されているはず。それなのに、以前と同じかそれ以上のパフォーマンスで動けるのはおかしいとは思っていた。……ヤミィは重複した恩寵を持っていたが、それで何かしら自分に有利になるような細工をしたのか?)
と、その時、不意にロクスリーが動いた。
「行くぞ!」
流水のように滑らかに踏み込む彼の刃に細い青い糸がついていく。ヤミィは初撃を難なく外し、それからざあっと振りかぶる。流石にロクスリーもそれを外す。マルベリーが周囲を旋回しているのは、何かを仕掛けているのか。
「こざかしい!」
ヤミィのその言葉が気合いの声の代わり。ヤミィはロクスリーの眉間目掛けて打ち込んだ。瞬間、ロクスリーの糸が別の動きをする。ヤミィにまとわりつくそれが、彼の着物を袖ごと切り裂き、体に傷をつけていく。
それがヤミィの右腕にも絡み、
しかし。
「あぶない!」
弟が違和感を見抜いて叫んだ。
おそらくヤミィは痛覚を遮断している。いや、もうあの姿になった彼には痛覚などないのかもしれない。動きが思ったほど鈍くならない。
それどころか、或いは、より素早く。
はっとロクスリーが目を開く。
ヤミィの一撃を、彼は避けようとしたが、砂地の汚泥に取られていた。
ガッと鈍い音がした。かすった際にロクスリーの結い上げていた髪のひもがきれたのか、バラっと金髪が乱れる。そのままヤミィはロクスリーの額から打ちこむようにした。
赤い血が額から飛んだ。
「サーキット!」
私が叫んだのを認識できたかどうか。
「ぐっ……」
割られたロクスリーの額から、見る間にぼたぼた血が流れて、砂に吸われていく。
「マ、マルベリー、あ、あとは……」
ロクスリーの視点が定まらなくなり、ぐらりと体が揺らいだ。
どしゃっと音を立ててロクスリーが倒れる。じわじわと砂に血が吸われて浜辺が黒くなっていく。
「サーキット!」
叫ぶ私を尻目に、ヤミィは仁王立ちしていた。
「最後のは、避けられぬ前提で攻撃を仕掛けてきたな。未熟者でもなし、何ゆえ」
と、そんな彼の首に青い糸がかかった。ロクスリーが倒れる瞬間、ヤミィの背後にマルベリーが飛び込んでいたのだ。そのマルベリーが最後の仕上げをしていた。
「なるほど」
その青い糸が自分の首に食い込むのを、ヤミィは理解していたようだ。
「兄御前、捨て身の攻撃はこれが狙いか」
ビシッと音が経ち、もはや赤い血も流れていないのだろう、ヤミィの首から黒い墨汁のような液体が飛ぶ。
「小賢しいぞ!」
が、ヤミィはマルベリーを目で追うと、静かにそれを叩き落した。バキと音が立ち、マルベリーは破壊されてロクスリーのそばに落下する。
「ふ、その様子では、おれよりも兄御が大切になったか、マルベリー」
勢いよく噴き出す黒い液体。しかし、ヤミィは少しふらついただけであった。
「よかったな。兄御前はやさしい。地獄でも、お前といっしょにいてくれる」
平然と言い置くヤミィは、もはや凶悪な化け物そのものだった。
(まさか、頸動脈に相当する場所を切られても平気なのか?)
黒騎士は不死身の体を持つといわれ、その再生能力は普通の強化兵士とは違う。しかし、大量出血により体の
それなのに、今のヤミィは。
と、私の目の端を素早く動くものがあった。
弟だ!
いつも私の目を盗んで走ってしまうときのように、彼はだだっと走っていく。その手には刀が握られていた。
「よくもロクスリーを!」
「ネザアス!」
「えい!」
弟は、素早くヤミィに近づき、飛び上がって腕に傷をつけた。首を押さえていたヤミィの腕が切り裂かれるが、ヤミィは切り裂かれた腕の傷を眺めただけだ。冷徹に弟に目を向けた。
やはり、ダメージが通っていない。
「ネザアス」
ヤミィが静かに弟の名を呼ぶ。それはどこか怒りが含まれていた。
「だまれ、ヤミィ! ロクスリもマルベリーも! 許さないからな!」
弟はその視線を臆することなく受け止めて睨み返す。
「やっぱり、お前、許さない! おれが、やっつけ……」
と弟が言い終わらないうちにヤミィは汚泥の剣を大振りにふるった。
「あっ!」
弟はそれを受け止めようとしたが、軽い体では難しく、そのまま砂浜にたたきつけられる。
「ネザアス!」
たたきつけられた弟は、気絶しているのか動かなくなっていた。
「ネザアス!」
それをサーキィをはじめとした黒騎士たちが取り囲む。
ヤミィは、まだ血を流していた首の傷に手のひらをあて、そのままぎゅっと力を込める。すると、すぐに噴き出す血が止まる。腕の傷も見る見るうちに再生していく。
「ヤミィ! 弟に手を出すな!」
だまって弟に殺意を向ける彼に、私は声をかけた。
「やめろ! 私が相手になる!」
ちらりと彼は私を見た。やはりだ。もう首の傷が治りかけている。
サーキット、あのロクスリーが命懸けで与えた傷ですら、そうなのだ。弟の一撃によるものは、もはや傷跡すらない。
この回復の速度は異常だ。
「長兄」
と、ヤミィは私を見た。
「おれの回復の速さに驚いているのか?」
私は答えない。
「これは、我らが新たな黒騎士になったからだ。いや、この滅びかけの黄昏の帝国を統べるにふさわしい存在に」
口調は静かながらヤミィの声は重い。
「偽の神創造主の支配を逃れ、この黄昏の帝国を生き延びるにふさわしい存在。それが新しい我々。誰にも支配されず、汚染を恐れることもなく、好きなように生きていける。そうすることの何が悪い?」
いつの間にか、ヤミィのそばにサーキィが来ていた。
「そうだ。長兄。ヤミィ兄上の言う通り。……ニンゲンなんてもう滅んで当然だ。延命のために作られたこの世界も、こんなに汚れている。もはやあいつらは単独では住めない。対応できないからってわたしたちを使っていた。あいつらは悪魔に等しい」
(聞くな!)
私は自分に言い聞かせた。
(これはやつらの上等手段だ! 今までの黒騎士たちはみなこうして誘惑され、転向させられて)
「我々こそが新しい世界の住人なんだよ。兄弟で争うのは無意味だ。さあ、戦うのはやめよう」
サーキィがロクスリーを思わせる優しい言い方になる。
「長兄であれば、今からでも喜んで迎え入れよう」
ヤミィは言った。
「常に暗中を彷徨うがごとき、長兄。その出口のない苦しみに終止符を打ちたいのなら、我々とともに来るのだ」
昔の私ならこの言葉に、乗ってしまったかもしれない。
けれど、私は弟やロクスリーと旅をした。今の私には、何が間違っているかわかる。
「断る!」
私ははっきりと答えた。
「私はお前と同じではない! ロクスリーのいうことが正しい! 我々は満足に一人で生きられないのに、黄昏の世界を支配しようなどとおこがましいにほどがある!」
私は言った。
「お前たちの言うことは確かに正論だ。……しかし、お前は私だけを誘っている。ネザアスやロクスリーを排除したうえで、……ともすればいうことを聞きそうな私だけを誘って……。そんなお前が信用できるはずもないだろう!」
私が拒否すると、ヤミィは目を細めた。笑っている。
「それは残念。長兄ならば理解してもらえると思ったが。まあよい。長兄と刀を合わせるのは、おれとしても楽しいからな」
と、彼は瞳孔が開いたような冷たい目で私を見る。
「名残は尽きぬが、消えてもらう」
私は、彼らの襲撃の気配を感じて、刀を構えた。
と、その時。
ふと周囲の空気が変わった。日光ではない。色のついたような光が降り注ぎ、泥の獣が苦手とする清浄な空気の気配がした。
「やあやあ、相変わらずだな」
と、私とヤミィの間、ちょうど中心に砂の上に浮かび上がるように半透明の人影が浮かんでいく。
「その魅力的なカリスマは、別の方に違うべきだよ、ヤミィ」
その声には聞き覚えがある。それは、我々初期ロットの黒騎士五人のうち一人の声だ。忘れるはずもない。
「エリック」
呼びかけるころには、その透けた体はかなり見えるようになっており、容貌の見分けがついた。その男がにこりと笑った。
「やあ、ご無沙汰しているね、長兄ドレイク」
と挨拶したのは、ジャケットスーツを着た紳士然とした男だった。
弟に似た容貌だが、上品な男前であり、弟の外見モデルのドクター・オオヤギと比べても彼のほうが年長者のような印象がある。
そんなロマンスグレーの髪をした、ウルトラマリンの瞳の彼が、私に優しく微笑みかける。
「お待たせてしまったね。私の管理者の力を使っても、簡単にヤミィの妨害を破ることができなかったのさ。遅くなって申し訳なかった」
それは五番目の黒騎士、エリック・オーヴァヒル。恩寵を持ちながら戦闘用ではなく、アマツノの秘書官として使える男だった。
それに気づいたのはヤミィもだった。
「エリック」
「やあ、ヤミィ。ずいぶんと好き勝手を」
と言いながら、エリックは薄ら笑いを浮かべている。
「君にもたくさん話したいことはあるのだが」
「問答無用!」
とヤミィが唐突に彼に襲い掛かる、が、刃はその体をすり抜ける。
「ホログラム映像か? 貴様、どこかに通信用の機械を飛ばしているな」
「ご明察だね。だが、君に教えるはずもない。壊されちゃ困るからな!」
とエリックは、厳しい顔になる。
「君とは話したいこともあるのだが、どうも君の側が話をきくつもりもなかろうね。会話が成り立たないのは、心底残念だ」
私はエリックに駆け寄った。
「エリック、何故ここに?」
と尋ねると、彼は言う。
「ドレイク、君とあの方が約束をしていたはずだ。必ず助けをよこすと。あの方と君との渡し守を務めたのがこのエリックだよ」
エリックは目を伏せた。
「それにしても、すまない。君たちやサーキットが危険なのをどこかで感づいていながら、何もできなかった」
「いや」
私は首を振った。
「私も同じだ。弟やサーキットに何もできなかった」
事務方の秘書官として寵愛され、アマツノから信頼されているエリックではあったが、彼はその分、政敵が多かった。マガミとも対立しているであろうし、彼は彼なりに苦労しているのだろう。
そんな多忙な彼がここにきてくれただけでも、アマツノの気持ちも、彼の気持ちもわかる。
「助けにきてくれてありがたい」
「気にしないで。……まだサーキットもネザアスも、重大な損傷はなさそうだね。よかった」
「しかし、贈り物とは?」
「君たちに渡すあの方からの贈り物は、わかりやすいものさ。彼の勅命により、恩寵の黒騎士の力を引き出す『言葉と命令』だ」
そういうと、エリックはそっと自分の左胸に手を当てる。シャツの下で青く輝くそこをおさえるようにして、彼は告げた。
「この黒騎士エリック・オーヴァヒル、YERICK-OVERHILL-BK-005は、創造主の代務として恩寵を開放する。
彼は儀礼的な呪文のようなことを告げた。その途端、私の中に命令が入ってくるのが感じられた。耳から感じるそれは、音楽のようであり、雑音のようである。
きぃん、と耳の奥に響いてくる。
私ははっとして左胸を押さえた。製造番号と恩寵の証があるそこが、とても熱くなり鼓動が速くなっている。
「これは?」
かつて。これと同じものを味わったことがある。
それは創造主アマツノに直々に『召喚』された時だ。彼に呼ばれるまま、彼の命令を受け入れ、封印を解かれるあの感覚。
召喚されると、彼の為に百二十の力で戦うことが許される。アレも同じだ。
それは私以外の二人にも伝わっていた。
「あ、あれっ、あまつの??」
ばっと気絶した弟が起き上がって、周りを見回す。その弟の左目が青く輝いている。
彼の目は彼が気にするほど、赤褐色だったのに、その時ばかりはウルトラマリンの青い色。これは創造主からの命令を受けた証拠だった。
「う……、あ、あ」
倒れていたロクスリーも、身を起こして額を押さえる。
気が付いたのか、そばのマルベリーを拾い上げ、彼はエリックを見上げた。
「エリック? まさか」
彼の手の中で、マルベリーはぱたぱたと羽を動かしていた。
「これで君たちはもっと楽に戦える」
エリックがうなずくと、ホログラムの色彩が薄くなった。
「けれど、もう一つだけ、手助けできるよ。これは君たちが危ないときに何もできなかった私の君たちへの償いだ。受け取ってくれ」
エリックは私に言った。
「これは、彼の方に与えておくね。彼の同意は必要だけれど、……彼はきっとそれに同意するだろうから、これは彼のほうに……」
「なに?」
エリックの言葉の意味がわからなくてきょとんとしていると、不意に弟の足元に漆黒の何かが渦を巻きはじめていた。
そのまま、渦は弟を飲み込んでしまう。
「ネザアス!」
と立ち上がりかけたとき、雄たけびが聞こえた。ヤミィが私のスキを見出して襲い掛かってきたのだ。がっ、と刀を受ける。恩寵の開放により強化されてどうにか受け切れたが、さすがのヤミィは一撃が重すぎる。
「くうっ!」
ぎりっと刃が鳴った。
「長兄、今、死すべし」
と押し切ろうとしたヤミィが、唐突にばっと目を見開いた。
隣から横入りするように、何者かの白刃が飛んでくる。それを避けるようにして、ヤミィが後退した。
「ったく、好き勝手やりやがって!」
と、ハスキーな声が聞こえた。
「ふん、こっちが食らった以上に、左半身吹っ飛ばしたつもりがよ! てめえ、本当に丈夫だな!」
憎まれ口をたたいた男を、ヤミィがギラっと睨んだ。
「十分礼はしてやるからな!」
私と彼の間に入ってきたのは背の高い痩せた男だ。赤っぽい髪の毛をまとめており、右の袖がぶらっとしている。
「あっ!」
先ほど、弟がいたところには何もいない。そして、私の目の前に立っているのは、本来の弟、奈落のネザアスそのものだった。
「ネザアス!」
驚いて私が声を上げると、弟、いや、そこにいるのは大人の姿の弟だった。彼は苦笑した。
彼が私を見下ろしている。大人の姿に戻ったのは、彼だけだったようだ。
「なんだよ、アンタ。そんなにちっちゃくかわいくなっちまって。なんだ、結構正統派美少年って感じなんだなあ」
弟は苦笑する。
「チッ、嫌味言ってやろうと思ったのに。小僧に、そんな目ェされるとどうも言いづらいな」
などと戯言をいいながら、彼は言った。
「ま、遊んでる時間はねえか。一回で聞けよ、"あにさま"」
弟は左目をすがめた。
「おれはエリックの緊急修復キットを受け入れた。これでアイツと戦える。だが、制限時間は十五分。ロスタイム含めてせいぜい二十分だ。それ以上はおれがもたねえ。かったりぃから、とっととヤミィ沈めて、アンタとロクスリーのおっさんと基地帰って昼寝するぜ。いいな!」
と、尋ねられても、私が茫然としているのを見たのか、彼は苦笑した。
「なんて顔してんだ、兄貴。あんなクズぶっ倒すのに迷う必要なにもねえぞ。感傷振り切って、がっつり決めてやろうぜ!」
そんな彼の乱暴な笑みに。
「アンタ、おれのあにさまなんだから、まだまだ戦えるだろ!」
私は、思わず安心する。
「わかった」
「ははっ、餓鬼のアンタは素直なんだな!」
そんな弟が楽しげに笑う。
「よし、行くぜ!」
粗暴な彼の微笑みの、けれど、どこかが少年の彼の名残をとどめていた。
彼は、姿が変わろうとやはり私の弟だ。
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