26.三人のカイン —すやすや—-1

『お師匠様が死んじゃう』

 マルベリーは、ネザアスの着物の袖の中でふるえていた。

『わたしのせいだ。死んじゃう』

 マルベリーは金魚の姿になってから、うまく前のことをおもいだせなくなっていた。ただおぼろげな感情と記憶が残っていた。

『わたしが無理をしてしんじゃったからだ。師匠があぶないことをしたの』

 マガミに報告をしているサーキットの体調が、徐々におかしくなっていったのをマルベリーは目の当たりにしていた。近ごろ調子が悪いのに無理をしている。普段から息を乱し、苦しげにしている彼だった。

 あのマガミとかいう怖いひとの前なのに。なにかあったらどうしよう。

 マルベリーはそう考えて、いてもたってもいられなくなって、助けを求めたくて、するりと部屋を抜け出したのだった。

『どうしよう。誰に助けてもらえば? せんせいはだめ。せんせいは、こわい。せんせいは師匠をどうかしようと思っている。カヨちゃんもだめ。きっとせんせいに言ってしまう。どうしよう。どうしよう』

 そう思って懐かしいサーキットの施設にたどり着いたところで、彼女は弟を見かけたらしかった。

『そうだ。ネザアスさんなら』

 そして、弟のことを思い出せた彼女は弟に助けを求めることにした。

『ネザアスさん、たすけて、師匠をたすけて』

  

「キミたちが魔女さんたちだね」

 初めて彼に出会った時。

 そういって出迎えてくれたキザな美青年に、かすかな違和感をマルベリーは感じていた。

 中性的で儚げ、いつか見た創造主の腹心だというマガミによく似た風貌をした彼だ。しかし、彼のほうがマガミよりも派手で、キザな上、ほんのりナルシストなところがあったせいか、ずいぶんと目立つ美青年ぶりに見えた。

 基本的に陽気で優しく、自分から誰にでも声をかけていくような彼だが、その美青年ぶりにはやや少女にはまぶしいし、本気かどうだかわからないナルシストな言動も、鬱陶しく思えた。

 一緒にいたカヨが、少し引いてしまうようなところがあるぐらい。マルベリーも最初は、彼にとっつきにくさを感じたほどだ。

 けれど、そんな外見のサーキット・サーティーンが、普段、肩の力の抜けた中年男性のような気配を漂わせていることに気づいたのは、マルベリーがここに来てからさほど経たないうちだった。

 意外と適当でだらしないところもあって、どこか中年男性どころか時々おじいちゃんのようなところすらある彼に、マルベリーはいつしか心を開くようになった。

 サーキットも、いざ毎日顔を合わせれば、美青年らしい思い上がった好色さもなく、まるで父親か祖父のような態度で、彼女を見守ってくれた。

 そして、同時期に適性訓練で出会ったヤミィ、あの野性的で孤独で謎めいていて、男性的な彼に、彼女はカヨとともに心惹かれていった。

 そんなマルベリーに、サーキットは、ヤミィとの恋路を邪魔するようなことを言った。

『彼だけはだめだ。不幸になるからやめなさい。カヨちゃんよりもキミは彼との相性が良くない。だからこそ余計に不幸になってしまう』

 黒騎士に恋愛感情はないと彼は言っていたけれど、なんだか彼がヤミィに嫉妬しているようにすら感じられて、反発してしまったのだ。サーキットは保護者のようなものだと思っていたのに、急に彼が男性にみえて何となく嫌な感じがしてしまった。

 カヨとの競争と、その反発からヤミィへの恋心は燃え上がり、最後だってサーキットの必死の説得を振り切って、マルベリーは出て行ってしまった。

 生前の彼女は、最期、それを後悔していたのかもしれない。

 金魚の姿で目が覚めて、しばらくはただぼんやりと彼に大切に愛されて楽しく過ごしてきたけれど。

 まるで娘を殺された父親のように報復に燃え上がり、かつてはしなかったような無茶を繰り返すサーキットを目の当たりにして、マルベリーにはぼんやりと過去の記憶が戻ってきていた。

『師匠がわたしのせいでしんじゃう。……そんなのいやだよ』

 ふるえながらマルベリーは、助けを呼んでいる。

『ネザアスさん、たすけて、師匠をたすけて』

 彼女が訴えかけている声が、きっと弟にも聞こえていた。


 *


 サーキットの暴露に、マガミ・B・レイは硬直していた。

 そして、それは扉の向こう側の二人にも衝撃的なことだった。

「マガミが?」

 ぽつんとつぶやいた弟はその意味を反芻して、眉根を寄せる。そして口をおさえて驚いているヤハタ・ビーティアを見やった。

「ヤハタの姐さん、もうアンタ、帰れ」

 いきなりそういわれて、ビーティアはきょとんとする。

「これ以上話きくと、マガミの下で働けねえぞ。帰んな」

 弟がそう告げた意味を、ビーティアが理解する前に静かにサーキットが口火を切った。

「キミ達の母親はとても罪深い女だった。一度は捨てたキミが成長し、その才能を開花させたとき、彼女は手のひらを返し、君を再度籍には入れた。しかし、彼女にはアマツノくんがすでにいたからね。キミは欲しい愛情が手に入らなかったんだろう。それなのに、何の因果か、キミはアマツノくんと同じプロフェッサーDの研究室に入って、同じチームに入ってしまった。アマツノくんは喜んだらしいよね。彼はキミが、自分と兄弟とは知らなかったが、自分の母親と同じ姓なのを知って、まるで兄弟ができたみたいだと」

 サーキットは嘲笑う。

「キミはその時、どんな感情をいだいてしまったんだろうな。その行き着く先が、弟をカミサマ同然に崇め奉って、自分を信頼させ、心を壊してしまおうとする憎悪だとは?」

「ッ、そ、それはっ、どこから!」

 マガミが、彼らしくもなく顔を青ざめさせた。

「ヤミィが教えてくれたよ。恩寵二つ分の権威とは恐るべきものだねえ。……ごほっ、げほっ……、極秘情報のセキュリティを解除して、古い古い戸籍情報や遺伝子改造の出生証明をみせてくれたよ。それと、アマツノくん達チームの日記もね。それで噂からの推測でなくて、キミが兄だと確信したよ」

 サーキットは、胸を押さえて大きく息をつく。

「まあ、ヤミィがわたしに見せてくれたのも、彼の真心からじゃあないだろうけど。あの男は策士だし、……彼にとってわたしは邪魔な存在。早めに消しておきたいんだろうさ。それに、マガミくん、キミもね。彼は、我々が共倒れになるか、どちらかを確実に消すために情報をあたえてきた。そんなことはわかってる。だが、わたしはキミに復讐したかった」

 はあはあ、とサーキットは荒い息をつく。

「この魔女計画が公になり、キミの名前が取りざたされるのと同時に、わたしはこのことを公表するつもりだった。そして、魔女計画の大義名分の裏にある、悲しいあの子たちの話と、キミのどす黒い感情を知らしめたかった。そうすれば、アマツノくんも正気にもどるだろうと。……ははっ、だが、どうも、わたしは根っから力押しなんで、ね、……緻密な作戦を、立てるのは、苦手……ッ」

 ごぼっ、とサーキットの口から真っ黒な液体が吐き出される。

 扉の外で彼らを見ていたヤハタ・ビーティアが、さっと顔を青ざめさせた。

「ネザアス、このままじゃあ、あの人死ぬわ。あれは、黒物質を劣化させて書き換えるものなの。黒物質よりも上位の黒騎士物質ブラック・ナイトには効き目が薄いと思っていたけれど、許容量を超えたせいか、一気に崩壊してきている」

 ビーティアは、弟に思わず頼み込んだ。

「なんとか、ならないの?」

 弟は歯噛みしつつつぶやいた。

「アンタ、マガミの手下なのにそんなこといっていいのかよ」

「そ、そうだけれど、ま、まさかこんなことになるなんて」

「……正面切ってはおれには無理だ。サーキットが何故反撃しないのか、わかんねえか? おれもアイツも黒騎士。意図的にリミッター外されねえ限り、一般人には手が出せない。おれ達はお前らにそう作られてるんだよ。本気で害意をもって攻撃しようとしたら、体が硬直しちまうし、停止命令かけられたら精神的に抵抗できなくなっちまうんだよ」

 弟は青ざめた顔ながら、冷静にそう告げた。

「特に上位幹部はそれだけの権限があるからな」

「どうしよう。私、まさか、彼を殺してしまおうとするなんて、思わなかったから」

 やや混乱気味のビーティアに、弟は目を向ける。

「ビーティア姐さんは、おれが巻き込んだとこもあるからな。とにかく帰れ。今の話だけでも、マガミに知れたらやべえし、これ以上いたらアンタ、アイツの下で働けなくなるぜ」

「で、でも……」

 マルベリーをちらりとみて、ビーティアはためらっていた。魔女計画の中心メンバーである彼女にはマルベリーに対して罪の意識があるらしい。弟はそんな彼女をみて、唸った。

「もしどうしても、っていうなら、……アンタが」

 弟がそう言いかけたとき、

「ッ、うるさいっ!」

 と声がして、ガタンと物音がした。 

「その推測通りだったとして、お前みたいな作り物に何がわかるんだ!」

 その声はマガミのものだったが、そんな風に声を荒げる彼などみるのは初めてだった。

「確かにあの女は最低だ! アマツノくんが飛び級で進学して自我を持ち始めて、反発して、自分の思い通りにならないとわかって、初めて僕に声をかけてきた。それでも、やはり彼女はアマツノくんをみていた。完璧じゃないのに彼女は彼をかわいがっていた。僕らには兄弟といえるほどの共通点もありはしない。あの女の遺伝子が少し入っていて、あの女が好きに作った子供だってことだけだ」

 それなのに、と彼は言った。

「何も知らないで甘えてくるような彼を僕は嫌だった。実際に才能豊かで皆に愛されていたことも。……それに、一番いやだったのは、お前らだよ!」

「ぐっ!」

 マガミは、息も絶え絶えなサーキットの頭を踏みつけ、憎悪に燃える目を彼に向けた。

「僕と同じ顔をしたお前をわざわざ”兄”として作って、一番上の”兄”のドレイクに僕の人格モデルを与えた。まだドレイクのことは許せるさ。外見は違うし、中身はわからない。きっと、僕と同じどろどろした情念を、彼も抱えているのだろうと思えば許せる。ただ、お前は、違うだろう!」

 激高したマガミがそう吐き捨てながら。サーキットをけり倒した。サーキットの額が切れ、赤黒い血が流れだす。

「熱血漢で善人な、ナカジマの人格モデルがあるお前は、きっといい兄貴なんだろうね。同じ顔をしているくせに。恩寵も一人だけ与えられない屈辱的な立場でいながら、いつも余裕ぶっていて、周りに優しい、聖人みたいなお前のこと、僕は正直嫌いだったんだよ!」

 マガミは笑った。

「だからお前には、醜く劣化して死んでほしかった。ちょうどよかった。お前のほうから仕掛けてきたんだから」

 マガミは嘲笑した。

「しかも、お前がまだ情があるっていう弟から餌を与えられてね。お前の推測通り、ヤミィはお前のために情報を与えたわけじゃあない。共倒れしてほしかっただけだろ。まあでも、今のアマツノくんにそんなことがバレたところで、彼は僕を遠ざけたりしないだろうけれど。……彼にはそんな雑音が届かないようにしてある。なんとでも説明できる」

「ッ、……そ、そうか」

 サーキットは、苦笑し口元をぬぐう。

「そ、それはちょうどよかった。わたしもお前のことは大嫌いだったよ。お前もわたしを嫌いならお互い様だな」

 ぐっとサーキットは身を起こす。

「……良かったな。そんな嫌いなわたしを壊せて」

 サーキット・サーティーンの髪の毛は、どんどん脱色されてほとんど金色になっていた。それは白髪のような色褪せた金の色だ。目元には皺があらわれ、急速に老化の影響を受けている。そんなサーキットの瞳は、それでも黒騎士特有のウルトラマリンブルーを維持している。それが怪しく輝いた。

「弟にハメられて醜く壊れて死んでいく、自分と同じ顔の男を、見られて良かったなあ!」

 サーキットは挑発するように叫んだ。

 その言葉がマガミをえぐったのか、彼が真っ青になるのが分かった。

 その瞬間、サーキットは胸を押さえた。ごぼっと口から黒い液体があふれ出し、床を汚して広がった。

 サーキットは支えを失って、その黒い血だまりに倒れこみ、動かなくなっていた。

 マガミはそんな彼を茫然と眺めていた。


 ややあって、ふと時間の止まったような室内に、声が響いた。

「マガミさん、入ってもいいですか」

 ノックの音。

 入出許可を求めるヤハタ・ビーティアの声が聞こえて、ようやくマガミは我に返っていた。

 目の前には血を吐いて倒れ伏しているサーキット・サーティーンの姿があったが、そのころにはマガミはもう冷静になっていた。

「ああ、ヤハタくん。いいよ」

「失礼します」

 と、冷静さを保ち、何食わぬ顔でヤハタ・ビーティアが入室する。

「少し困ったことになったんだ」

 とマガミは、驚いた様子のビーティアに臆することなく言った。

「これは?」

「サーキットはどうも実験の影響で弱っていてね。何かしらのトラブルがあったようなんだよ。多分、もう助からない」

 けれど、と彼は言った。

「愛されていなかったとしても、彼は古参の黒騎士なんだ。アマツノくんにバレると厄介だ。それで、始末をお願いしたい」

「どうするのですか?」

「バレる前に複製レプリカを作るよ。今まで通りの陽気でかわいい”弟”みたいな彼をね」

 一瞬ビーティアが恐怖に身をふるわせるが、それはマガミに気づかれなかった。

「……ヤハタくん、誰かに頼んで森に捨ててきてくれないかい。あそこに訓練用の泥の獣を飼っているだろう。多分、いい餌になるだろうから」

 その会話を壁に背を付けて、弟がきいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る