26.三人のカイン —すやすや—-2
――さむいな。
じっとりとした冷たい雨が、彼の上から降り注ぐ。低下するだけの体温に、重たい雨は悪意のようにのしかかってしみこんでいく。
訓練戦闘用フィールドの”森”は、ひそやかにマガミ達が泥の獣を飼いならしている場所だ。自分も近ごろ、さんざんデータ取得のための実戦をここでさせられていたので、よくわかる。
そんな危険な場所なのに、もはや体が動かない。かろうじて呼吸をしているだけで、時折、口から、ほとんど融けてしまって赤い色を保てなくなった
マガミがヤハタ・ビーティアに言いつけて、彼をここに投棄してからどのくらいの時間が経っただろう。もう時間の感覚もない。
ああ、とサーキットは嘆息した。
(マガミをハメるどころではないな。わたしはヤミィの思惑通りに動かされていた。わたしが消えてマガミの作るサーキットの複製品は、きっと彼の意のままに動く都合のいい弟分になる)
ちりりとサーキットの左胸が痛む。かつてアマツノからひっそりともらった恩寵と、その時にもらったロクスリーという名前を、彼は弟にすら明らかにしていなかった。
それは、アマツノがマガミの思惑に沿って作られたヤミィ・トウェルフに危機感を抱いていたからでもあったが、その伏せられた恩寵こそ、アマツノが彼を兄として作った証であった。
しかし、それはヤミィに見抜かれていたのかもしれない。
いざというときに、彼を止められるようにと、創造主アマツノ・マヒトが与えた恩寵。ヤミィにはいつしかお目付け役の兄は脅威になる。
ヤミィ・トウェルフは、彼を早く抹殺しておきたかったのだ。
(わたしも、甘いな)
泥の獣の黒い悪意が近くにいるのを感じたが、サーキットにはもはやどうしようもない。
時折幻覚のように夢が挟まり、紅い着物ドレスのスカートをひるがえして、少女のマルベリーが泣いている姿が、暗い森の雨の間に浮かび上がる。
(……マルベリー。わたしは結局、キミの仇も討てずに)
どうかもう泣かないで、そういってあげようとしたのに。もはや手を伸ばすこともできない。
複数の獣の気配がした。
(馬鹿だな。……わたしなんか食べたら、キミたちもわたしみたいになるだろうに)
サーキットはどこか他人事のように感じ、彼らがとびかかってくるのを半ば待っていた。
と、不意に赤い光が森の中にぼんやりと浮かび上がった気がした。
近づいてきていた泥の獣がはじけ飛び、そのカケラの合間を縫うように、紅いものがサーキットの目の前に飛び込んでくる。それは赤いスカートのリボンのようにゆらめく金魚だった。
「マ、マル、ベリー?」
『師匠。しなないで、しなないで』
かすれた声で呼びかけると、声が聞こえたような気がした。
「サーキット!」
続いて近くにいた泥の獣が真っ二つに斬れて飛んだ。白刃の光が暗い森の中にギラリと輝き、雨の中を男が走ってくる。
「待たせたな。まだくたばってないか?」
そのハスキーな声に聞き覚えがある。近づいてきたのが奈落のネザアスだということを、サーキットは認識したようだった。
弟は刀を口にくわえると、サーキットを肩にかけて抱え、左手に刀を持ち替えた。
「今すぐオオヤギのとこに連れてってやるからな! 死ぬなよ!」
弟はそう言い置くと、襲い掛かってくる泥の獣をかわしながら、マルベリーに先導されて暗い雨の森を駆け抜けていた。
*
「確かに。黒物質を劣化させて書き換えてしまうナノマシンの影響を受けているね」
夜半、突然飛び込んできた弟にたたき起こされたらしいドクター・オオヤギは、寝ぐせのついた頭をぐしゃぐしゃとしながらも、瀕死のサーキット・サーティーンに的確な処置をした。
黒騎士の治療はオオヤギには手慣れたものだ。点滴で回復促進剤を入れながら、劣化の対策をしているようだ。その手並みは、流石の弟も感心しているようだった。
「テキトーだし、おっちょこちょいだけど、なんだかんだで、オオヤギは手際はいいもんな。そこだけは褒められるぜ」
「それはありがとうねえ、ネザアス」
「寝ぐせも手際よくなおせればいいのになあ」
「悪いけれど、寝ぐせ直すのは苦手なんだよ。自分が黒騎士の万年さらっさらヘアだと思って」
隣室で回復用サプリメントをふかしながら、治療をのぞいていた弟がそんなことを言うのに、ドクター・オオヤギは苦笑する。
サーキットは、オオヤギのいる黒騎士研究所に運び込まれたときには、すでに意識を失っていたが、彼の処置で、かろうじて命を取り留めていた。
「普通はそんなに黒騎士には効かないんだけれど、少量ずつ継続的に投与されたのがいけなかったのか。影響が大きすぎる」
「もとには、戻らないんですか?」
悄然と尋ねたのは、一緒に同行したヤハタ・ビーティアだった。罪の意識もあってか、ビーティアは結局オオヤギの下までついてきていた。
「わからないよ。ただ、一部不可逆なところはある。普通、黒騎士は、ダメージを負っても元の設定までは戻るんだけれど、そこを劣化後に変更されちゃっている。外見や戦闘能力なんかに影響は出るとは思うよ」
「それは……」
落ち込むビーティアに、オオヤギはそっと肩に手を置いた。
「ビーティアくん、君の気持ちもわかるけれど、すぐに処置できたのも一緒に来てくれた君のおかげだ。君がいなければ、何を使われているのかわからなかったんだからね。そう落ち込まないで」
オオヤギは優しくそういって、ビーティアを座らせる。
「いえ、彼にそれが使われているのを、私は予測していながら、止めることができませんでしたから」
「そうか。でも、……仕方がないよ。相手はマガミくんだしね」
そういってオオヤギは、ビーティアにあたたかな珈琲を差し出していた。
そんな彼女の視線の先では、金魚の姿のマルベリーがじっと意識を失っているサーキットに寄り添っていた。
結局、サーキットは一命を取り留め、ほどなく意識も取り戻した。ただ、自由に身動きすることができず、回復するまで、しばらく秘密裏に療養することになった。
しかし、かつての豊かな深い色の黒髪は劣化した色褪せた金髪に変わり、みずみずしいたおやかな美青年風の外見も皺が増えて中年のような年頃のものになってしまった。それよりもなによりも、彼は戦闘能力に影響を受けていた。
「劣化といっていたけれど、ニンゲンでいうところの老化に近しい感じなんだ。僕の処置で何とか途中で止められることはできたけど、前も言った通り多少不可逆でね」
オオヤギは目を伏せる。
「身体能力の低下だけは止められない。特に君の場合は、足腰の筋力やスピードに大きく影響が出ると思う」
「それは、前と同じ戦闘方法ができないということですか?」
サーキットの質問に、オオヤギはうなずいた。
「足で稼ぐような戦い方をするとスタミナが持たなくなると思う」
「そう、ですか」
サーキットは、苦笑した。
「まあ、仕方がありませんね。……体がもっただけでも、儲けものでしょうから」
「僕が、もっとうまく治してあげられればよかったんだけれど」
「ドクター・オオヤギが気に病むことはありませんよ。あなたとネザアスに助けていただけなければ、多分この場にいることもなかったでしょうからね。本当に感謝しています」
サーキットはマルベリーをあやしながらそう返答はしていたが、戦闘用の黒騎士にとって戦闘は存在意義、アイデンティティのすべてだ。以前のようには満足に戦えない、そう宣告されたことは、サーキットにとって事実上の戦力外通告だった。
私は、サーキットが内心どんな気持ちだったか、考えると少し胸が痛む気がした。
ほどなく、新しいサーキット・サーティーンが仕事に復帰した。が、前のように白騎士候補の少年たちを監督するような任務ではなく、ヤミィ・トウェルフの副官のような立場の任務が増えたと聞いた。それはヤミィからの要請であったともされる。
回復した
そんな彼にドクター・オオヤギは、自分のツテで身を隠す為の身分証や職場を用意した。それさえあれば、マガミに生存を知られずに生活ができる。
「ドクター・オオヤギ。お世話になりました」
「うん、元気でね」
彼が任地に出発するため、挨拶をしたころには、サーキットはもはや今のロクスリーそのものな姿になっていた。
色褪せた金髪を結い上げて、髭を蓄えたサーキットは、すでにどこか世捨て人然とした様子になっていた。
「けれど、
「いえ、いいんですよ。あまり人の多いところは好きじゃありませんし、刺激のなさすぎるのも退屈です。この子とのんびり過ごせればそれで」
サーキットは、そう言って右手に金魚のマルベリーをまとわりつかせる。
「ネザアスにも随分世話になったねえ。今度遊びにおいでよ。
「いとも簡単にいうけど、お前の任地、すげー奥地なんだぜ。そんなめんどいとこ行くわけねえ」
差し向けられた弟が、肩をすくめるのをサーキットは楽しげに笑う。
「いいじゃないか。おいでよ。ちょっと遠いけど、バカンスに丁度いいところだよ、きっと」
***
「むにゃあー」
はっと目を覚ますと隣の寝台で、弟が寝言を言いながら寝返りを打っているところだった。
近頃、かわいいパーカーに凝っている弟は、うさぎの耳が生えたフードのあるパーカーを着てすやすや寝ていた。
「えへー、みんな、かわいいー」
その隣におもちゃの文鳥のスワロ・メイと、金魚のマルベリーが寄り添っている。
「あ、そうか。昼寝、していたんだったな?」
今朝朝方まで魚釣りをしていたので、帰ってから休んでいたのだ。
そして、また自分は弟やロクスリーの記憶を辿っていたのだろう。
(マガミが、アマツノの兄?)
まさか、と思いながらも、どこかしら二人には似通ったところがあったのも記憶していた。マガミも遺伝子操作されて生まれた子供とは聞いていたから、似ているのはそのせいかと思っていたが。
重たい夢を見たせいか、なんだか喉の調子が良くない。
(喉がカラカラだ)
喉が渇いているのに気づいて、13号基地のキッチンのあるリビングに向かう。
そこでは、サーキット・サーティーンであったロクスリーが、昼寝から覚めたのか、悠々とソファでくつろいでいる。
「あれ? 目が覚めたのかい? おはよう」
「ああ」
昼寝におはようも変だろう、と考えていると、ロクスリーが珈琲を勧めてくる。
「寝覚めの珈琲はどうだい?」
「ああ、いただこう」
そう答えて椅子に座る。ロクスリーは、インスタントコーヒーではなく、粉ミルクから作ったホットミルクを差し出してくれた。
「これは?」
「キミ、寝足りないみたいだからさ。珈琲だと寝られなくなるから」
「いや、黒騎士の私にはそこまでカフェインの効果はないが?」
きょとんとすると、彼はいう。
「はは、キミね、つくづく寝覚めって顔じゃないな、ドレイク」
ロクスリーは苦笑した。
「その顔、わたしの記憶、全部たどれたのかい?」
そう尋ねられて、私は一拍おいて頷いた。
「うむ」
「そう」
ロクスリーは、ソファに戻ってごろっとくつろぐ。
しばらく沈黙が続いた。
「ふふっ、そんな顔することないよ」
その気まずい沈黙を最も簡単に破るのは、やはりロクスリーだ。
「別にね、わたしに同情する必要はないよ。マルベリーのことはかわいそうだけれど、ヤミィのことは、最初からわかっていたことだ。キミ達兄弟とは、感覚が違ってね、彼とは昔から化かし合いだ。そのほかはわたしがヘマしただけだからさ。ははっ、どうも脳筋のわたしが策略なんて立てるものじゃないねえ」
「しかし」
と私は言った。
「元のように戦えない、そんなふうに言われるのは、黒騎士としては傷つくことだ。ロクスリー殿は……」
「うん、まあ、それはそうだなあ」
ロクスリーは、湯気の立ち上るコーヒーの入ったマグカップを持ちながら言った。
「流石のわたしも、それにはそこそこ堪えたけれど、……でもね、失って初めてわかるものもある。幸い、私の場合、上半身の筋肉はあんまり劣化しなくてね、戦闘方法を変えたんだ」
「ああ、それで、あまり走らないように」
「そう、糸を使うことで動作を減らしてるんだ。それに、マルベリーだって協力してくれるから、以前よりもしかしたら強くなっているかもね」
ロクスリーは、マグカップをローテーブルにおいて手を組んで私を見た。
「ドレイク、ヤハタ女史が言ってたろう。魔女計画は黒騎士の戦闘スタイルを変えて、楽にするかもしれない、って。魔女計画自体は悪だと思っているが、あれ自体は本当だよ。彼女達の力を借りることで、わたし達は強くなれる。ただ、相性の問題とか色々あるけどね。……黒騎士だって一人じゃ生きられないんだ」
私が黙っていると、彼は言った。
「ヤミィみたいな男にはわからないだろうな。彼はわたしみたいに、彼女達の力を借りるのは嫌がるだろう。でも、いずれ、彼はそこが弱点になると思う」
そんなことを言った後、ロクスリーは目を細めた。
「昼間から、見苦しくて重たいものを見せてしまって悪かったね、ドレイク。もう悪い夢は見ないと思うよ。寝床に帰ってもう一度おやすみ」
彼は優しくそう言った。
「弟みたいにすやすや寝られるよ。今度は束の間、いい夢が見られるといいね」
彼の言葉は、何故かわたしの心を穏やかにさせる。
私は頷いて、入れてもらったホットミルクを一口飲んだ。
確かに、彼の言葉を聞いたことで、今度はいい夢が見られそうな気がする。
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