24.スキャンダル・プーリング —ビニールプール—


「意外だね」

 その声は、創造主アマツノの腹心であるマガミ・ビッツ・レイのものだった。

「君、こんなサンプルもとれる黒騎士だったんだねえ。魔女の助手のおかげか、すごく討伐成績もいいし」

「あははっ、少し本気を出したまでです」

 件のマガミのバーには、今日もサーキット・サーティーンの姿があった。

 その場でデータを確認して、マガミは驚いた様子だった。

「わたしを作ったのはマガミさんじゃないですか。いやだなあ。同じ顔をしているんだから、そのぐらいでないとふさわしくないでしょう」

 サーキットは苦笑しつつ、

「そろそろ、わたしにも恩寵を与えていただけるよう、アマツノさんに頼んでもらいたいものですね」

 冗談交じりにそういうサーキットは、はた目からは、権力者に媚びる小者に見えていたのかもしれない。

 マガミ・B・レイにすり寄る形で、サーキット・サーティーンは、調査を続けていた。

 彼にとってはこれは報復であり、今後の被害を止めるための手立ての一つであり、おそらく兄としてのケジメでもあったのだろう。

 そんな彼をほかの黒騎士や白騎士たちはあざ笑っていた。

『とうとう、サーキットもゴマをするようになったのか』

『仕方がない。初期制作の五人のなかで、恩寵をもらっていないのはあの人だけだから』

『兄弟分のヤミィ・トウェルフとの差を見てごらん。あっちは恩寵を二文字分もらっている寵愛ぶり。焦る気持ちもわかるよな』

 もちろん、サーキットは、そんな陰口を気にするような男ではなかった。

 愛想ばかりよい何も知らぬ美青年のような顔をして、その実、彼はとても老獪な男だ。

 そんな彼にとって、ほかの黒騎士たちの雑音など何の意味もなさない。むしろ、そういわせて自分がマガミに近づく理由をカモフラージュしている部分もあったのだった。

(サーキットがここまでやっていたなんて)

 と私は内心驚いていた。

 私にとって、サーキット・サーティーンは、サーキィを名乗る複製品レプリカがあらわれるまでは、肩の力の抜けた不思議な青年だった。決して無理はしないが、立ち回りは華麗であったし、的確であった。それでいて権力者にすり寄るような部分もなく、どこかあっけらかんとして自然体。

 彼の精神年齢が外見とは違うということを知っている今では、さほどそれは不思議なことでもないのだが、当時は彼のことをずいぶん不思議な青年だと思ったものだ。

 プライドが特別高いわけでもないが、決してこびへつらうことはしない。私の知っているサーキットはそういう男であったので、彼がここまで徹底的にマガミに媚びを売って近づいているのは予想外だった。

 しかし、私は知っている。その、黒騎士の中でもひときわ目立つ、澄んだウルトラマリンブルーの瞳の奥底で、彼の情念が燃え上がっていることを。

『なかなか尻尾を出さないな、この男』

 サーキットの記憶をたどっているせいか、彼の心の声が私の脳裏に流れ込む。

『いや、焦りは禁物だ。少しでも怪しまれれば、こちらが危険。どんなに時間がかかってもかまわない。わたしは、執念深いんだからな。じっくり探っていってやる』

 表面上、優男然として微笑むサーキットと彼の心中の差はとても激しい。

 相変わらず、サーキット・サーティーンは、データの謝礼として、マガミの作ったウィスキーをオン・ザ・ロックでたしなみ、一緒に連れている金魚のマルベリーが、不安そうにそっと寄り添うのを軽く撫でやるのだった。

 そんな彼らを、やはりヤハタ・ビーティアが、美しくいっそ冷たい面を、珍しく不安そうにひそめて見守っているのだった。


 *


 今のロクスリーが言う通り、彼は機械操作が得意ではなかった。しかし、得意ではないというのは、彼の素であるだけだ。

 我々には、ラーニングのシステムが備わっている。一時的に能力を手に入れる方法はあり、ゼラチン・チップという経口用のデータでインストールしてしまえば、それなりの情報処理能力は得られる。

 サーキットはそれを使い、ある程度の能力は備えた上で、研究所や管理局に入るようになっていた。

 サーキットの目的は、あくまでマガミについて調べることだが、表向きは彼に媚を売る為に情報を集めているように見せていた。

「なんとかアマツノさんの恩寵を得たくて、マガミさんに気に入られないとね。だから、あの人の情報を知りたいんだよ。協力してくれないかな」

 などと周囲にいうことで、ちまちまと情報を得ていたものの、有用な情報ななかなか集まらない。

「ま、そんな大切なの。見られるようなところに、あるわけないか」 

 管理局の職員に、ちょっとした付け届けをして入り込んだシステムの内部データを眺めながら、サーキットは机の上に足を伸ばした。

 金魚のマルベリーが、ふわっと浮かんで足をつつく。

「ん? なあに? お行儀悪いって?」

 ふふ、とサーキットは苦笑した。

「そうだよねえ、レディ・マルベリー。行儀悪いのはいけないな。反省するよ」

 ぼんやりと言いながら、サーキットは苦笑して、マルベリーを撫でた。

「レディって呼び方はね。キミが女の子の姿の時は、あんまりキザかなあって避けてたんだけど、今ならてらいもなく言えるかなって。実はネザアスに教えてもらったんだよね。彼、ハイカラさんだから、外国の言葉に詳しいから、ちょっとキザな言い回し、色々教えてもらってたんだ」

 金魚の形はしているが、本来は機械であるマルベリーは、本物の魚のように濡れてはいない。それを撫でやりながら、彼はため息をつく。

「表向き、灰色物質を内蔵したおもちゃの位置付けのキミだけど、ちゃんと戻ってはきてくれているんだね」

 まだマルベリーの感情表現は少ないが、サーキットはその金魚の中に彼女の魂が宿っているのを感じている。彼自身を構成する黒騎士物質ナノマシンで補強したマルベリーだ。そうすることで、灰色物質に残されたままになっていた少女の思念を安定させ、一部汚染されていた部分を再プログラムし、体を与えることには成功した。

「本当は人の姿で再生させてあげたいんだけれど、今のわたしにはこれが限界なんだよな」

 ふわふわ、とマルベリーが、サーキットに寄り添う。

「キミの泣き声を聞いてしまってね。あんなガラス容器に閉じ込められたままのキミがかわいそうで。こうして、わたしがキミを引き留めたことが、キミのためになっているといいんだが……」

 それに呼応するようにマルベリーは、サーキットの手をつつく。マルベリーは、無理はしないで、と言っているようだった。

「そう、ありがとうね」

 なんの情報も得られないまま、サーキットが管理局の情報端末ルームを出たとき、不意にマルベリーが強張る気配がした。

「レディ、どうした……?」

 どうしたの、言いかけて、今度はサーキット本人も、ハッと立ち止まっていた。

 大柄の人影が目の前に見えた。

「珍しい」

 と、相手の方から声をかけられた。

「これは兄御前あにごぜ。このようなところで会おうとは」

 流石のサーキット・サーティーンも、一瞬絶句した。

 そこにいるのは、ヤミィ・トウェルフだった。精悍な顔立ちに大柄な体。華やかな衣服のサーキットと比べ、地味で実用的な戦闘服を纏っているが、彼の場合は逆にそれが目立っている。

 同じ顔をしたナカジマ・ギンジも管理局には来るが、ナカジマと彼では纏う空気が全く違う。

 流石にサーキットの血の気が引き、様々な感情が湧き上がるが、さしもの彼はそれを一気に押さえつけて普段通りやわらかく微笑した。

「やあ、君か。久しぶりだね」

 愛想よく笑いつつ、

「君に兄なんて呼ばれると照れくさいな。こんな不出来な兄に、どういう風の吹き回しだい?」

「他人がどう言おうと、兄御あにごはおれの兄には違いないからな」

「へえ、嬉しいな、それは」

 サーキットは苦笑しつつ、

「管理局に足繁く通うようなわたしじゃないの、君は流石によくわかるね。いや、ちょっと、今忙しくしていてね。ここのデータも活用したいんだよ。ホラ、活躍する君に負けてはいられないからさ」

「兄御がマガミに接近しているのは聞いている」

「情報早いね。君にも取り巻きが多いからな」

 といっても、ヤミィはアマツノと違い、そんな取り巻きを内心虫ケラ以下にしか考えていないだろうが。

 ヤミィは全く表情を変えない。

「正直驚いた。兄御があんな男に媚を売ろうとは」

「四の五言ってられないんだ。プライドで飯は食えないでしょ。わたしもねえ、いい加減焦っているんだよ。一人だけ恩寵なしで、実力も出せない。こんな屈辱耐えきれないじゃあないか」

 サーキットは切々と訴える。

「いい加減、わたしも栄誉が欲しいんだ。兄なのに、弟の君に負けてばかりの人生は嫌なんだよ!」

「ふふっ」

 ヤミィは薄く笑う。

「流石に兄御前は嘘が上手いな。しかし、そんなことで自分を売るような男でないこと、おれは十分理解しているつもりだ」

 サーキットは笑みを引き攣らせる。

「へぇ、そうかな。じゃあ、弟くんはわたしが何故なりふり構わず行動していると思うの?」

「さて。兄御は世捨て人ながら、存外に情が深い。そんな兄御の姿を見て、おれは感銘を受けた」

 と、ヤミィは、選ばれたものの燃えるような赤い瞳を彼に向けた。

「兄御前は、マガミの出自についてのデータが欲しいのではないか?」

「何故そう思う?」

「それがあれば、あの男が何故アマツノ・マヒトに媚びてまで側近になっているかがわかる。そして、それを公表してしまえば、マガミの立場が危うくなる。兄御は、あの男を陥れたいのでは?」

「へえ」

 サーキットは頷いた。

「それじゃあ、わたしの考えている仮説は正しいのかな」

 サーキットは、声を低めた。

「隠しているが、マガミ・レイ自身も、デザイナーベビーだ。遺伝子操作により生まれた天才児アマツノ・マヒトと同じデザイナーベビー。だが、それだけじゃない。彼等二人は同じ女の依頼で作られている。つまり、同じ女の遺伝子をもつ血を分けたもの、彼の事実上の兄だということ。でも、彼等自身がそれを知っているかは謎だね」

 ヤミィが薄く微笑んだ。

「兄御はよく調べたものだ」

「わたしは噂を集めて推測しただけだよ。客観的証拠はない。君はその証拠を持っているの?」

「もちろん。……おれは最大の恩寵を持つ。その情報のアクセス権は幅広い。創造主ですら知らないことも知れる」

「君はわたしに何をさせようとしているんだい?」

「なにも」

 警戒を露わにしたサーキットに、ヤミィは答えた。

「おれの主君はアマツノ・マヒトのみ。内に害意のあるマガミはいつしか取り除かねばならぬ獅子身中の虫。兄御がマガミを陥れたいのだとしても、兄御の行動をを止める理由がない。それに」

 と、彼は続けた。その表情にはなんの感情も浮かんでおらず。

「どうやら、おれは兄御前の大切なものを壊したらしい。その埋め合わせに、と思ったのみ」

「ほほう」

 サーキットは、目を見開いてぎりっと奥歯を噛んだ。

「驚いた。君のような男にも、自分が何をしたかの自覚はあるんだね」

 さすがにサーキットは、右手で服の裾をぎりぎり握っていた。そうしないと刀に手をかけかねない。

 しかし、顔は涼しげなまま。

「それじゃあ、ヤミィ。君の知ることをわたしに教えてくれ。君の取引に乗ってやろう」

 ヤミィの唇が薄く持ち上がったのを、私は見た。彼の思惑などわかろうはずもないけれど、その微笑みは、ただ記憶を辿るだけの私ですら戦慄させるものだった。

 

 と、そのとき、聞き覚えのある声が聞こえてきていた。

『ああ、そうだ。そうなんだね』

 それはしばらく聞いていなかった声だ。

 その声はため息混じりに続けた。

『やっぱりそうなんだ。……そうだと思っていたんだ。だから、僕は君に聞きたかったんだよ』

 誰に話しかけているのか、割り込んできた声は、悲しげに続けた。

『あの人の心を受け継ぐ君が、僕の問いかけにどう返答するのか。僕は君に尋ねてみたかった』

 

***

 

 水飛沫が舞い散る。

「ざっぱああーん!」

 弟の楽しげな声とともに、ビニールプールの水が舞い踊った。

 その水滴の最中を、文鳥のスワロ・メイと金魚のマルベリーが行き交う。

「あははっ、たのしーなっ!」

 Tシャツに半ズボンの弟は、水がいっぱいにたまったビニールプールの中ではしゃいでいる。

「あにさまも、遊ぼう! プールたのしいぞ!」

「あ、ああ、少し待ってくれ」

 弟にそう声をかけられ、私は返答したものの、少し気後れしていた。

 実は寝不足なのだ。そんな寝不足の頭に、強い太陽も、無限の体力を持つ弟も、飛び交う水滴も全て眩しい。眩しすぎる。

「ビニールプール、あってよかったね。これさあ、うちのマルベリーに遊ばせるにはちょっと大きいんだよなあ」

 ビニールプールを準備したロクスリーは一仕事終えました、という顔をして、隣にリクライニングチェアを置いてパラソルを立て、ごろんと寝転がっている。

「いやあ、それにしてもこんなに暑くなるとは。まあいいか、バカンス感マシマシでたまにはいいよね」

 気分を出すためなのか、それとも彼の趣味なのか、アロハシャツにサングラス姿の彼をみると、私はなんとなく複雑な気持ちになるのだった。

(今朝の夢のせいで、私は寝不足のなのに)

 ロクスリーは、おそらくアルコールも混ぜているであろうカラフルなカクテルを、傾けながらのんびりしているのだ。雰囲気出しすぎではないか。

「うーん、こういうリゾート感大事だなあ。ここが13号基地じゃなくて、上層アストラルの避暑地ならもっといいんだけどー」

 いや、リラックスしすぎだろう。

 そんな言葉を飲み込んでいると、私の顔を見てロクスリーがひょいとサングラスをあげながら笑う。

「おやおや、ドレイクもバカンスごっこしないの?」

「いや、そういう気分ではなくて」

「キミは本当に真面目だなあ」

 とロクスリーは、くすくす笑う。

「それとも、何。そろそろ、わたしが解放した記憶で、なにかわかってきたのかな?」

「それは……そうだ。まだロクスリー殿が何故今の姿になったかはわからないが、ヤミィが」

 と言いかけて、私は思い出していた。

 サーキットとヤミィの会話だ。

 彼等の会話によれば、アマツノとマガミには、血の繋がりがある。遺伝子操作により作られた子供である彼等のそれは、間接的なものなのかもしれないが。

 しかし、マガミとアマツノのそうした関係が本当であるのなら、私があの時マガミに覚えた違和感がすんなりと理解できる気がする。もう少しそこに情報は欲しいが、謎が解けていく気がする。

「そう、そのへんなんだねえ。まあ、ゆっくり辿ってくれればいいよ」

 ロクスリーの気長な言葉を聞きながら、私はふとため息をついた。

「実は、ロクスリー殿、そのあとでもう一つ声が聞こえた気がした」

「声?」

「あの声は、アマツノ・マヒトのものだと思う。……ここにきた時から、我々は彼に監視されていた。しかし、最近、声が聞こえなくなっていて」

「んー、彼も忙しいし、飽き性だからねえ。ずっと見てるってわけでもないんでしょう」

「ああ。しかし、ロクスリー殿の記憶を辿っていたら、不意に彼の声がした。……少し寂しそうだったが」

「なるほど」

 とロクスリーは頷いた。

「まあ、アマツノくんの気持ちもわからんでもないからね。彼は知らないふりをしているけど、知らないわけでもないんだろう。……彼のキミへの質問は、もしかしたら、キミに彼が本当にききたかったことなのかもねえ」

 うむ、と私は頷いた。

「そうか、私の人格モデルが……」

 と、ぺん、とロクスリーの手が私の頭に置かれた。

「あー、だめだよ。ドレイク。まぁた難しいこと考えているね。まあ、わたしがあんな記憶を開示しておいてなんだってところもあるけど、今はそんなことどうでもいいじゃあないか。弟みたいに楽しく遊んできなさいな」

「しかし」

「あにさまー!」

 と言い淀んだところで、弟の声が聞こえた。

「わっ!」

 ばしゃっと水がかけられて、私は思わず声を上げた。

「な、なにをするのだ、ネザアス!」

「あははっ、あにさま、カウンター得意なのに、水かけられた時はカウンターできないんだなあ!」

 弟がイタズラっぽく笑っている。

「これならおれ、勝てそう!」

「むう、言ってくれるな」

 あははっと弟が笑う。

「わかった。お前がそう望むなら、受けて立つぞ」

「えへへ、あにさまと水かけ勝負だな!」

 弟に挑発されて、私は参戦することにした。

 強い太陽の下、水飛沫が飛び交うそこで、私と弟の笑い声が響く。

 ひととき、私はその不穏な記憶を忘れて楽しんだ。

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