20.甘味の効能 —甘くない—
弟は甘い食べ物が好きだ。
ドーナツ、ケーキをはじめ、和菓子など。彼が数々の甘いものを手に入れて、子供に与ええ、自分もよく食べているのを見たことがある。
甘いものを食べることは、幸せな時間をつくることらしい。
子供がぐずったり、不安そうにしていたり、怒っていたりする時に、弟はお菓子をそっと買ってきては子供に与えてやる。そうすると、子供はとても機嫌がよくなり、素直ないい子になるのだ。
「甘い、って感じられる動物ってそんなに多くないんだぜ」
弟はよくそんなことをいっていた。
「ニンゲン以外は、甘みがあまりわからない。そう考えるとすごいよな。甘い、のは、神様からの贈り物だ」
私は、味覚が鈍かった。
そもそも、戦闘用の黒騎士は、味覚の鈍いものが多いとは聞いてはいる。戦闘用のカスタムをする上で、味覚は重要視されず、ほかの五感を優先されてつくられていることが多く、特に初期も初期のモデルの私は味覚があまり鋭敏ではない。
それでも、私は小麦でできた食べ物が好きだったが、多分、それは”甘い”ものと感じているからなのだろうと思う。
私に言わせればパンケーキなるものも、お好み焼きなるものも、大した違いを感じない。ただ、ふんわりとした触感も好きであったし、わずかな甘みらしきものも好ましいと思う。
まれに弟が私にもおすそ分けのようなものを、一方的に渡してくることがあった。
「餓鬼どものおやつが余ったから食え。勿体無いだろ」
弟の言葉は時折腹が立ったが、彼のもたらすパンケーキやクッキーなどは、なかなか好ましい食感であった。
弟が子供にそれをやるのも、もっともだと思い、納得したものだった。
そして、弟自身も甘いものが好きなのだと思った。
『甘味は
それをきくと、弟が創造主アマツノに愛されているのだな、と、私のどこかかがちりりと痛む。
それは、かつてマガミに指摘された通りの『嫉妬』に違いないのだろうけれども。
***
弟は困ったときに甘いものを持参する。子供の機嫌をとるために。
彼はマルベリーに対しても、そのように行動していたようだった。
また、私は弟の記憶を辿る。
弟は
弟が例のごとくサーキット・サーティンを訪れたのは、どうやら彼に呼ばれたからであったようだ。
「マルベリー、ごはんを食べないと体に毒だよ。部屋からでておいで」
サーキットはマルベリーの私室にそう声をかけているようだった。
見かけはたおやかで中性的な美青年。あどけなさを感じさせるような若々しい外見の彼であったが、しかし、そうして声をかけるサーキットは、どこか不自然におちついた保護者といった雰囲気で、子供を心配している親のようであった。彼女を心配している彼の声は、戦闘用の黒騎士としても珍しいほど柔らかい。
「マルベリー、せめてごはんだけは食べなさい」
どうやらマルベリーは、部屋にこもって出てこないらしかった。何が起こっているのか、私には詳細こそわからなかったが、なんとなくの検討はついた。
「ネザアス。忙しいところ来てもらって悪いね」
とサーキットは憔悴した様子で弟に言った。
「マルベリーはキミのことは好きだから、きっとキミになら会ってくれるんじゃないかと思って呼んだんだよ」
おそらくだが、サーキットには、カウンセリングのプログラムが初期人格設定の時点で仕組まれている。彼が子供を相手にする任務についているのは、それによってカウンセリング能力が高いからであり、実際に実績もあるからだった。
そんなサーキットが手を焼くのはなかなかの異常事態だ。埒があかないと思ったサーキットは、マルベリーと親しくなっていた弟を呼んだようだった。テーマパーク奈落で、子供を相手にしていた弟も、またカウンセリングのためのプログラムを仕込まれており、サーキットとは違うアプローチができる。
「マルベリー。入るぜ」
弟は事情をきいてマルベリーの部屋に入った。彼女は部屋に鍵をかけているわけではないようで、弟の入室を拒まなかった。
ベッドの上で泣きはらした目をしているマルベリーが、ちょっと顔を上げる。弟はにこりと微笑んだようだ。
「どうしたんだよ。せっかく来てやったのに。お前が元気ねえっていうから、様子見に来たぜ」
と彼は声をかけ、ケーキの箱をテーブルに置いた。
「お前、甘いものはキライか?
弟はうまい具合に話を進める。
「おれ、ケーキの良し悪しはわからねえが、ここのケーキな、すげえ可愛いんだ。娘っ子は、可愛いのが好きなんだろ?」
そう言って、弟はマルベリーに笑いかける。
「こっちにきて、ケーキ食いながら、おれと話をしようぜ」
その笑みと甘い香りににつられたのか、マルベリーはふらっと立ち上がり、弟の向かいに座った。
テーブルの上に、白くてふわふわの可愛らしいケーキが二つ置かれていた。そして紅茶。芳しい香りに、弟が微笑む。
「マルベリー、どうしたんだよ。サーキットが訓練から帰ってきてから、お前が部屋から出てこないって心配しててさ、おれに連絡をくれたんだ」
ふふ、と弟は苦笑する。
「サーキットは、あれで心配症のオヤジみたいなとこがあってさ。でも、アイツなりに気ィつかってるんだ。ただ、アイツ、見かけは若造のくせに中身がオッサンくさいんだよな。年頃のお前にはウゼエの、すげーわかるぜ」
弟はマルベリーをチラリとみる。
「なあ、マルベリー。何があったんだ?」
マルベリーは弟を見上げた。
その目は泣き腫らして赤い。
「無理にとは言わねえから、おれに話してみろよ」
「ネザアスさん、私」
「うん」
「私ね、先生に選ばれなかったんです」
弟はその返答を予測していたのか、ほんの少し目を細め、
「そうか」
「うん」
マルベリーは自嘲的に笑う。
「カヨちゃんに負けちゃったの。先生はね、本当は一人でも側にいるのは好まない。二人なら尚更。必要ないのなら、側にいてほしくない。明日から来なくて良いっていわれて、私だけ帰されてきたの」
「そうか」
弟は、平静を保つ。
「まったく、ヤミィのやつ、わかってねえな。アイツ、修行しすぎてちょっとイカレてんだ。無欲でクソ真面目なんだが、それだけに融通きかなくてな。あんなやつのいうこと、気にしなくて良いぜ。ったく、なんだ、あのクソバカ、おれが説教してきてやっても良いんだが」
とはきすてつつ、
「まあでも、お前、ヤミィに怒ってんじゃねえんだよな。おれは、娘っ子の気持ちはわかんねえけど、相手が友達でもなんでも、勝負に負けるのは辛いし悔しいし、思い通りにいかねえのはムカつくもんだよなってわかる」
と、弟はうなずく。
「その気持ちから立ち直るの、大変かもしれねえから、おれは安易に前向きになれとか言わねーけど。なあ、今日のところはケーキでも食べて、ほんの少しでも元気出してくれよ、な。甘いもん、食べると元気出るからさ」
「うん」
マルベリーは頷いて、フォークを取る。
「ありがとう、ネザアスさん。師匠にも心配かけちゃいました」
「いや、気にすんなよ。サーキットなんか、もっと心配かけていいぜ。余裕ぶちかましたキザ野郎が慌てふためくの見んのは、割とスカッとして面白い」
弟が悪態をつくのをきいて、マルベリーは初めて笑った。
「ネザアスさんは、ひどいことをいいますね」
マルベリーは言ってから、目を伏せたわ
「ネザアスさんに、先生より先に会ってたらもっと良かったのにな。そうしたら、きっと私はネザアスさんのこと」
ぽつんと彼女はつぶやいた。
「それなら、私……、そんな無理をしようなんて考えなくてもよかったのに」
「ん?」
意味が汲み取れなかったらしい弟は目を瞬かせて、ケーキを大きな口に入れたらしい。口に生クリームをつけながら、弟がきょとんとする。
「あははっ、ネザアスさん、ケーキはそんなに一口で食べちゃだめですよ」
「そうか?」
「せっかく、甘いものなんですから、味わって食べなきゃ」
「そうかなあ。いや、ずいぶん甘いから一気にと思ってさ。甘いのは幸せだから」
『甘くなんかねえよ!』
不意に弟の心の声が聞こえた。
『こんなもん、甘いわけねえだろ』
私がその意図を図りかねているうちに、弟はケーキをぺろりと食べてしまったようだった。そこには、味わっている気配も余韻もなく。
その日、彼女は立ち直ったように見えた。しかし、ほどなくして、マルベリーは失踪したのだ。
サーキットは、彼女が魔女計画の訓練施設に戻ったことを確認したようだが、以降、彼女と会えず、連絡も取れない。彼女が計画に従事したと言うことがわかるだけで、サーキットに情報は開示されなかった。
弟は、そのプロジェクトに、かのヤミィ・トウェルフが関与したのを確認していた。
サーキットからの照会を無視する彼に、任務で同行した弟が詰め寄ったのはそのようなことがあったからだった。
『お前、あの娘、マルベリーをどうしたんだ!』
ヤミィの唇が動くところで、目が覚めて、私が辿る弟の記憶は、そこで途切れた。
私は、まだその回答を得なかった。
***
「おっと、ここの廃墟は知らなかったなあ」
といったのは、ロクスリーだった。
この周辺を知り尽くしているようなロクスリーであるが、そんな彼でも知らない場所もある。なかなか
「なんていうか、パッケージを先に用意して作った入植地なんだよね。コンセプトが先にできていて、人は後から送り込んできているから、とりあえず建物だけぽんぽん軽々しく配置しちゃってる感じ」
とロクスリーはいう。
「場当たり的に建物だけ作っちゃっててさ、初心者がテキトーにプレイした、都市作成のシミュレーションゲームみたいな感じになっちゃったんだよね」
13号基地から外に出て、しばらくぶりに荒野を探索する私達だ。
今日見つけた廃墟は、どうやら子供のための施設として作られたらしい。
子供が喜びそうな、動物の絵が壁面いっぱいに描かれており、色使いもやわらかである。
しかし、外壁には老朽化の気配があった。どうも施設を作り、物資を送り込んだものの、実際には使われなかったらしい。
使われた形跡はないが、おもちゃや絵本、服などがあるため、ある意味今の私たちにはありがたい。
弟は絵本やおもちゃに夢中になっているようだが、私は衣類などが手に入るのもありがたかった。調整できる衣服であったが、今着ているものはやはりだぶついているし、道すがら拾ってきた子供用の服にしても、ぴったりとしたサイズや好みのデザインなど、かなり制限がある。
だれもみていないような荒野ではあるが、私も弟もパジャマやスウェットのようなもので、ここを旅するのは流石にどうかとおもっていた。
まして弟はちいさくなってもオシャレには気をつかう。
「わー、これ、かわいいなあ」
タンスを捜索していた弟は、なんらか耳のついたフードのあるパーカーを入手したようだ。他にも耳のついた帽子などもある。
こうみえて、弟は可愛いものが好きだ。
「あにさま、これ、かわいい! 持っていって良い?」
「うむ、構わないぞ。可愛らしいな。ネザアスは可愛い服がすきなようだな」
「うん。おれ、可愛いのすき。でも、前はあんまり着られなかったんだ。だって、おれ、かわいいの似合わないもん」
「はは、でも、今なら似合うのではないか?」
「そうだったら、うれしいけど」
そこにあった服をいくつかいただいていくことにして、私達は他に何か使えそうなものはないか探していた。
と、不意にカラフルな箱が目についた。
そっと取り出して開けてみると、なかには無数のお菓子の箱が入っている。保存用であったためか、賞味期限も長いためまだ切れていない。そっと手に取って、がさがさと振ってみる。これはクッキーのようだ。
私は、小麦粉でできた食べ物は基本的に好きだ。麺類などの食事の方が好ましいものの、ざくざくしたクッキーの食感も嫌いではないし、固形食料を食すよりも好きだ。
「チョコチップ……、これは甘いものなのだろうな」
ほかにも大きな丸いぐるぐる模様のあるキャンデーや、チョコレートの菓子などが入っていた。
「おやおや、大入を引き当ててるねえ」
とロクスリーがにやりとする。
「私はお酒なんかがある方がいいんだけど、ここじゃあ望めなさそうだな」
そんなことをいうと、浮かんでいた金魚のマルベリーがムッとしたようにロクスリーの袖を引っ張っていた。
私は手に入れた大量の菓子を手に、ひとまず弟のところに向かう。
「あにさま、何かあった?」
「うむ。菓子を見つけた」
「わあ、すごいな!」
弟が素直に喜ぶ。
「これ、甘いのだよな! あにさま、すごいね!」
「早速味見してみようか」
そう言ってクッキーの箱をあけてやると、弟と一つずつ食べてみる。
ざくっとした食感がなかなかよい。
「あにさま、これ、良いな! ざくざく!」
「うむ。たくさん食べてもよいぞ」
と私は言った。
「そういえば、この旅路では、お前に甘いものも食べさせてやらなかった。思い至らなくて悪かったな。お前は甘いもの、好きだろうに」
と私はいう。
「私が甘味に鈍いせいで、お前の嗜好に気づかず、申し訳ないことをしたものだ」
そういうと、弟は一瞬呆気に取られたあと、何故か気まずそうになる。
「おれ、その」
と、弟は言い淀む。
「なんだ?」
「あにさま、おれ、秘密にしてたけど、ほんとうはね、甘いの、わかんないの」
「えっ?」
意外な言葉に、私は驚く。
「おれね、あじ、ほとんどわかんない。あまいのもからいのも、ほとんど同じだから、何食べててもいっしょだよ」
あ、と、弟は言った。
「にがいのは、ちょっとわかる。他はあんまり」
「それは元からなのか?」
「うん。あまつの、言ってたよ。おれは、目がわるいから、他の感覚をつよくしたって。それで、余計、あじ、わかんないんだ」
私は、目を瞬かせた。
知らなかった。
それなら、もしや、私よりも味覚が鈍いくらいなのでは?
『甘味は
弟がそういうものだから、愛されているはずの弟は、きっと幸せな甘みも感じられていると思っていた。
「甘いのが好きなのではないのか?」
「んー、そんなに。でも、こども、甘いの大好きだろ。あまいの食べてると、みんな、にこにこする。おれ、それをみる方が好き」
弟は、ふと私を見た。
「あにさまは好きでしょ? パンケーキ食べると喜んでたから、たまにおれ、あにさまにあげるようにしてたんだよ」
「いや、私は」
私は小麦の食べ物が好きなだけだ。
あの一方的に弟から押し付けられたものは、彼なりの気遣いだったのか。
「私もあんまり、味覚はわからないのだ」
「えっ、あにさまもそうなの?」
「うむ。でも、このような菓子を食べるのは嫌いではないぞ。ざくざくした感じが好きだ」
そういうと、弟がにこりと微笑んだ。
「そっか。あにさまも同じなんだなあ」
その弟の笑みは、安心感も混ざっていた。
甘みを感じることができない弟は、自分が
私は、自分は何も知らなかったのだと反省する。何の根拠もなく、相手が自分より愛されているだろうと、妬ましく思ってしまった。
けれど、本当は、我々は等しく愛されていなかったということか。
ここにきてわかるのは、等しく愛されていたのでなく、等しく"愛されていなかった"。そんなことばかりがわかる。
そう、我々の現実は甘くない。
しかし、私はその愚かな思い込みが解けていくのを、少し心地よく感じている。
「あじ、わからないけど、あにさまと菓子食べるの楽しいな」
「うむ、そうだな」
甘くはないが、これは美味という感覚に近いのかもしれない。
そのひとときは、私にとても好ましい。
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