15.恩寵騎士 —解く—
窓の外で、まだ雨が降っている。
弟とロクスリーは、向こうの倉庫で探し物をしながら遊んでいるようだった。楽しげな声が聞こえる。
弟はロクスリーに懐いているし、ロクスリーも彼を可愛がっているようだった。
(あの小柄。確かにアマツノから下賜されたものだった。しかも、恩寵騎士にしか許されない図柄)
私は、先ほど見たロクスリーの脇差に差してあった小柄を思い出していた。
普段は見えない角度だが、寝ぼけ気味のロクスリーが無造作に差していたせいで、それが見えていたのだ。
もちろん、私が弟に小柄をやったように、誰かに譲られた可能性は否定できない。
だが、恩寵騎士であることを示す意匠が目に見えるところに入っている持ち物を持てるのは、基本的に本人のみ。一種の身分証明になる一面もあるため、恩寵騎士以外が持つのは断じて許されない。
(とすれば、ロクスリー殿は恩寵騎士なのか? しかし)
いまやその数、三桁に及ぶとされた黒騎士の中でも、いわゆるところの恩寵を得られたのは、限られたものだけだ。途中で恩寵を剥奪されるものもおり、その数はせいぜい十数名。多く見積っても三十名もいまい。
ロクスリーが、今も現役であるのか、過去そうであったかのかは別としても、流石の私もそのメンバーについては、心当たりがあるはずだった。
恩寵の黒騎士だけが集められる会合もある。いくら私が他人に興味を強く持たなくても、全く知らないではいられない。
にもかかわらず、私にはロクスリーが恩寵騎士の中にいたという記憶がない。
***
「ヤミィが特別な恩寵を得たらしいぞ。あいつ、恩寵の文字を二個も賜ってるとか」
「へえ。さすがだなあ」
「一方、ヤミィと兄弟分のはずのサーキット・サーティーンは恩寵が与えられていないんだよな。あれって、なんでかしってるか?」
「さあなあ。なんらか、おぼえのめでたくないことでもしちまったんじゃないのかね?」
たまたま、そんな黒騎士たちの話題が、通りすがりの私の耳に入ったことがあった。
「いやぁ、そんなつもりなかったんだけどなあ」
人好きのするような無心で陽気な声が、割って入る。
「どうも私はヤミィのおまけらしいから、さほど期待されてないのだろうねえ」
黒騎士達がびくりとした。彼らの背後に黒髪の美青年がいつのまにか立っていた。
サーキット・サーティーン本人だ。
「あ、ああ、サーキット、いやこれは」
「そんな気にすることはないよ。だって、私が恩寵持ちじゃないのは事実だもの。彼等ほどの実力も信頼性もない」
慌てる彼らを前に、サーキットは幼さすら感じさせる無邪気さで、涼やかにいった。
「でもいいさ。恩寵騎士は、それはそれで気を遣うものだから。今の私は気楽で自由だよ」
その言葉や口調にはいっぺんの負け惜しみ感もなく、それが私にはとても違和感だった。
*
恩寵騎士というのは、創造主アマツノの覚えのめでたい強化兵士たちの総称である。
その中には黒騎士もいれば白騎士もいたが、とくに黒騎士にはある理由から、非常に重要な意味を持っていた。
白騎士も黒騎士も、強化兵士は左胸の上、鎖骨の下ほどに製造番号が振られている。
私の場合はTYBLE -DRAKE-BK-001というのがそれにあたる。
基本的には、その名前の先頭、イニシャルに……、私のように先頭に入らない場合、名のどこかに恩寵の文字、つまりアルファベットのYをいただくのだ。
私の場合、タイブルの名にあるYの文字が恩寵の文字だった。したがって、恩寵なしではTIBLEとなるところ、TYBLEと名乗れる。
たとえば、弟は
表記は小文字と大文字が入り混じり、強調されることもある。tYble、Yured、YammY、Yerickとこのように。ともあれ、その文字は身分を表す特殊なものだ。
そして胸に刻まれた製造番号についても、恩寵を与えられると特殊な意匠を加えたものが使われる。相手が恩寵騎士かどうかは、左胸の製造番号を見れば一目瞭然であり、これだけはどうにも誤魔化しや偽装が効かぬものだった。
黒騎士には、その外見や特性を模したレプリカ、複製も作られたが、それだけは受け継がれることはない。
そして、それは、黒騎士にとっては、ただ、刺青のようにきざまれているだけのものではないのだ。ただの勲章ではない。
多くの黒騎士にとって、恩寵を得られるということは、自らの潜在能力を十二分に発揮する許可を得たということであり、そのあるなしで戦闘能力に大きく差が出る。
我々は、力を制限されている。
アマツノ・マヒトたち、創造主たちは、我々のように、多少なり危険な人格を持つ強力な兵士を造るにあたり、叛乱対策はしっかり行った。
そのひとつが恩寵システムであり、絶対的な信頼を得た強化兵士に対し契約を結ぶことで、本来の力を発揮できるようにした。そうでないものは、本来の設定の八割出せれば合格点といったところ。そこまで力を制限させていたのだ。
創造主の恩寵とは、ただ単に主人の贔屓や出世、黒騎士間のプライドやマウントの問題だけではなく、純粋に戦闘力やコンディションに直結する。
恩寵の文字は、我々の封印を解く鍵でもあった。
それは創造主と直接契約を交わした証であり、彼の命令で限界まで力を振るうことができるものだった。
それゆえに、恩寵を得るのに皆必死であった。戦闘用の我々には、それは最大限の存在意義の肯定でもあり、本能的に求めるところのものだ。
恩寵の黒騎士は、
我々初期ロットの黒騎士をはじめ、当初に作られた黒騎士は、その製作経緯からその恩寵を与えられたものが多かった。
しかし、例外もある。
初期ロットの黒騎士のうち、何故かNo.004であるサーキットだけが、何かしらの理由から恩寵を与えられなかったらしい。その理由を私は知らない。
私がたまたま聞いた黒騎士たちの会話はそれに起因するし、サーキットの返答もそうだった。
ただ、心当たりはないでもない。
「ヤミィのおまけ」
というサーキットの返答は、全く根拠のない物でもなかった。
弟と私のナノマシンが同じ素材、確か『SOMA』と名のついたものを半分にわけて作られたのと同じように、ヤミィとサーキットの素材も同じではあった。
ただ、先に受肉したサーキットと違い、ヤミィは、サーキットに使われた素材を更に精製し、他のものを混ぜて加工したほとんど別のもの、つまり新素材が使われた。そのため、同じ素材を二つに分けて、アマツノがドクター・オオヤギの協力を得た上で造ったという我々のようには、単純に兄弟と言って良いものではなかった。
サーキットの位置付けはわからなかったが、腹心のマガミ・B・レイが外見モデルでありながら、彼は比較的冷遇されているようでもあった。サーキットとヤミィの制作は、計画段階からマガミが少なからず関わっていたはずなのに、である。
サーキットは、前述のようにそれき文句を言うことはなかったし、恩寵騎士としての戦力にはならなかった。我々が封印を解かれて戦闘する間も、彼だけはノーマルの状態で、時に苦戦を強いられていた。そういう意味では、サーキットは、ヤミィどころか我々より戦力は低かった。
ただ、我々が左遷されて、テーマパーク奈落に追いやられているあいだのこと。
いつしか、サーキットは恩寵を与えられたらしい。今では、
恩寵を与えられてからの彼は、確かに成績も良く、ヤミィと共にアマツノに仕えていたし、マガミにも可愛がられていたときいている。本来旧型となるはずの彼が、生まれ変わったかのように活躍したのは、彼が改造を受けてヤミィと同じく『
ただ、恩寵を得てからの彼は、黒騎士の間での地位もぐんとあがり、一目置かれていた。
そして、ヤミィが叛乱を起こした時、真っ先に同調のしたのも彼だった。
カリスマ性はあるが、口下手で無口なヤミィに代わり、他の黒騎士を煽動したのは彼だろうと私は考えている。
社交的で明るく、地位も信頼もある彼なら、きっと他の黒騎士たちの抱えていた心の闇の隙間にするりと入っていける。そうして、他のものたちを、容易にヤミィに同調させてしまったのではないか。あのマガミに似たたおやかさで、他のものを誘惑して説き伏せてしまったのでは。
この叛乱の黒幕は、あるいは彼なのではなかろうかと、私はどこかで疑っている。
ただ、そんな彼につけこまれる、黒騎士システムにも問題はあっただろう。
本来の力を封じるだけでなく、黒騎士同士の競争心を掻き立て争わせてしまった恩寵システム。そして、人工的に作られた存在である不安定な我々。
もとからその精神性に思わぬ脆弱さはあったはずだった。
ヤミィが目覚め、その欺瞞を破るために反旗を翻し、サーキットがそれをみなに説き解き、それによって他のものが同調し、結果、皆が狂気に飲まれたのならば。
それはどこかで仕方がない気がした。
その気持ちについては、私も理解できなくはなかったのだ。
私にも創造主達に対する疑問はあり、不満も不平もある。反発はないとは言わない。
ただ、私は彼らには同調はしないし、できない。
それは私がまだ恩寵の騎士であるゆえに。
それはきっと、弟も同じなのだと、私は思っている。
叛乱を起こした彼等は、もはや恩寵騎士ではなくなっている。
***
「おやおや、ネザアスは寝ちゃったなあ」
ロクスリーがタオルケットをかけてやっている。
んー、と弟が寝言をいいながら、タオルケットをかぶった。
簡易のベッドでは、弟と小鳥のスワロ・メイ、さらには先程まで一緒に遊んでいたらしい金魚のマルベリーまでが一緒に寝ているらしい。マルベリーは浮いたまま、ぼーっとしているだけだが、多分寝ているのだろう。
「あめふると、眠くなるの、早いな。あそびたいのにー」
弟がごにょごにょいいながら、小さな鏡や鳥籠などのおもちゃを手にして戻ってきたのは、ほんのすこし前のこと。倉庫で小鳥のスワロ・メイに使えそうなおもちゃを探してきたのだろう。
しかし、元から夜型の弟は、この天候がもろに影響しているのか眠そうで、ほどなく、簡易ベッドですやすや昼寝してしまったのだ。
「うちのマルベリーまで、つられて寝ちゃったなあ。いいね、お昼寝できるの」
ロクスリーは、そんな彼らを覗き込む。
「しかし、子供は寝ているときは天使だねえ。ネザアスは元々は悪魔みたいなヒトだけど、こうしてみると可愛いもんだなあ」
と訳知りふうなことをいいながら、ロクスリーは私のところに歩いてきた。
「キミはお昼寝しないの?」
「私は」
と、言いかけたところで、ロクスリーは椅子に座った。
「まあ、キミはお兄ちゃんだもんね。お昼寝って年頃でもないか。せっかくだし、珈琲でも飲むかい? インスタントしかないんだけど」
などという。インスタントなことを気にする黒騎士はあまりいないため、ロクスリーは珍しい。
手持ち無沙汰なので、勧められるまま席につくと、彼は私に珈琲を淹れてくれる。
外はまだ雨。ロクスリーは、自分が眠気が取れないらしい。黒騎士に珈琲いっぱい程度でどれほど影響があるかどうかは未知数だが、珈琲で眠気を覚まそうとしているらしかった。
「そうそう」
と、ロクスリーが思い出したように話しかけてきた。
「ゲートキーパーくんに聞いてみたんだ。リアルタイム情報は、手に入らないんだが、ベースツーかスリーなんかの基地に隊長の白騎士のツカハラ・アントニオが派遣されていたらしい」
「ツカハラ殿?」
「ツカハラサンは、確か黒騎士にも理解のある人だっただろうし、そう簡単に
「ああ、ツカハラ殿のことは知っている。古株の白騎士だ。彼は恩寵の白騎士だろう」
白騎士の恩寵騎士のことは、それほど詳しくないが、古参のものについては心当たりがある。ツカハラ・アントニオは、確かに今も現役の恩寵の白騎士だった。
「そう。確か、あのひと、アマツノくん達がたてたプロジェクトにのった元科学者でしょ。肉体派だから自分ごと、白騎士に改造しちゃったとかいう気合の入ったおじさん。でもそれだけに、理解はあるからね。ツカハラサン、やたら無愛想でコワモテなひとだけど、多分話聞いてくれると思うよ」
ロクスリーは、自分も珈琲を啜りつつ言った。
「折を見てベースツーくらいまで、足を向けてみるのも手じゃないかなと思うよ。急ぐ必要はないけれど、彼が派遣されているうちにね」
「私も、そう考えている」
「うん、それがいいよ」
ロクスリーは、静かに頷いた。
彼が黙ると、沈黙がゆっくりと空間を流れていく。
しかし、それは気まずくはない。
ロクスリーの持つ雰囲気のせいか、それは穏やかで心地よさすらあるのだ。あたたかい優しい時間が流れるだけ。
ただ、その中で私は。
(ロクスリー殿は、いったい誰なんだろう)
彼のことを、どこかで疑っている。それにもかかわらず、私は彼とこうして穏やかに対峙することが心地よく感じてもいる。
その中で私は迷っていた。
(私は、彼とどう対峙すべきなんだろう)
あたたかなコーヒーカップを手にして、私は窓の外を見る。雨が、まだ降っていた。
(ロクスリー殿は、いったい、サーキットとどんな関係があるのだ。そして、関係があったとしたら)
サーキット・サーティーンのことを、本当は私はよく知らない。
私にとって彼は、ヤミィ・トウェルフや他の黒騎士と同じ、”遠い弟“。しかし、まだヤミィとの方が関わりがあった。彼自体は陽気で口数が多かったはずなのに、どこか底知れず、理解もしていなかった。
私の次に受肉した古参の黒騎士でありながら、恩寵騎士ですらなかった彼。そうでありながら、負け惜しみの感情をカケラも見せずに言及していた彼。
関わりを持たないまま、いつの間にか、叛乱にて重要な地位につき、他の黒騎士達を巻き込んだ彼。
私に弟への嫉妬を指摘したマガミ・B・レイと同じ顔立ちと微笑みを持つ彼が、目の前の穏やかなロクスリーと重なる。
(もし、ロクスリー殿が敵なのだとしたら、私はなにをすればいいのだろう)
そんなことが頭をよぎる。
(しかし、私は)
弟が懐いているからではない。弟の見立てが、良い人物だからではない。
(私の評価として、私はロクスリーとは敵対したくない)
「ドレイク」
と、ロクスリーが、声をかけてきた。視線を向けると、彼は苦笑する。
「わたしにききたいことがあるんだろう? キミ。そういう顔をしている」
不意にロクスリーが、私を見透かしたように言った。どきりとしたのを、私は隠した。
「良いよ。キミは何をわたしに聞きたい? なんでもきいていいんだよ?」
ロクスリーの態度は、心憎いまでに余裕にみちている。
そういわれてなお、私は言葉を発するのを躊躇っていた。
子供の姿になってから、私はよく話すようにもなり、感情をいくらか露にするようになった。それでも、結局、私は自分の感情を表現するのが苦手だった。
そんな私に、ロクスリーは気遣うように尋ねてくる。
「キミは、弟くんとちがって、わたしのことを警戒しているだろうからね。別にそれは悪いことだと思わないよ。戦闘用黒騎士はそれぐらいでないとね」
と彼はつづけた。
「ネザアスがわたしを警戒しないのは、また少し別の理由からだからなあ。彼には、わたしを警戒しないだけの理由がある。でも、キミにはないからね」
私は躊躇いがちに口を開いた。
「ロクスリー殿が、恩寵騎士のみに許された下賜品を持っているのを見た」
「ああ、これのことか。よくみているな」
彼は小柄を撫でやる。誤魔化さないが、悪びれもしない。その偽りのない反応に、私は戸惑う。
「それは、貴方自身のものなのか?」
ロクスリーは返答しない。
「ロクスリー殿は、……何者なのだ?」
そうだなあ、とロクスリーはいっそイタズラめいた笑みをうかべ、少し挑発的に目を輝かせる。
「その返答をきいて、キミは、わたしが敵だと判断したら斬る?」
私は、それに即答しなかった。
「私は、できれば戦闘は回避したい。しかし、それができないのであれば、仕方がない」
「そう」
ロクスリーは、ふとため息をつく。
「キミは相変わらずまじめだね」
瞬く私を見遣って彼は笑い、珈琲を啜った。
「けれど、その姿になって、前より気軽におしゃべりするようになったんじゃない? それはその姿になって良かったことじゃないかな」
彼は親しみを込めていった。
「わたしだってこうして、キミとお話しできることが、楽しいと思っている」
私は、その返答で何が起こるのか、警戒を解かなかった。
ロクスリーは、しばらく雨を見ているかのようで、例の心地よい沈黙を保っていたが、ふと左手を持ち上げる。
どきりとしたその瞬間、しかし、彼は自分の着物のえりをぐいと下ろした。
そこには大きい装飾されたYの文字が刺青のように刻まれていた。製造番号まではわからなかったが、それははっきりと見えていた。
「キミの言うとおり、わたしは恩寵の黒騎士さ」
製造番号にかぶさるそれは、封印を解かれた恩寵の騎士である証だ。
「とはいえ、今のわたしはね、レプリカ以下の存在なのかもしれないけれど」
と、その時、皮肉っぽく笑ったロクスリーが、不意に眉根を寄せて、鋭く視線を窓の外に向けた。
しとしと降る雨の中だ。その雨に混ざるのは、私にもわかる黒い気配。
基地を統括するゲートキーパーが危険を知らせる。
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