13.兄の秘匿事項 —流しそうめん—
黒騎士には、食糧はさほど必要がない。補給のためのシステムが最適化されており、ごく少量の食事でも生き延びられる。
その為に少食の者も少なくない。
例えば、弟がそうだった。
「そんなに飯食えねえよ」
弟はそういうのが口癖だ。
痩せ型の多い黒騎士の中でも、弟は相当痩せている。背が高い分より痩せて見える。
私や弟が痩せ型なのは、デザイン上のコンセプトなのだが、一方で弟は本当に少食だった。
稀に任務で同行した際に、ちょっと大きめの弁当でも出ると、あからさまに嫌そうな顔をするし、誰かにほとんど分け与えてしまうことも多い。
普段は我々は固形食糧の一つでもかじっていれば済むわけだし、我々には食に対する意識が薄いから、余計なのかもしれない。
私にしても味覚が希薄だ。弟たちがどうかは知らないが、ほとんど味の違いがわからない。
繰り返すが、黒騎士は少量の食事でも十分に活動できる。だが、必ずしも少食である、というわけではない。必要はないが、食べられるものもいるのだ。
そして、当時、誰にも明かさなかったが、私は、実は後者なのである。
*
私達は、しばらく13号基地で休んでいくことにした。
ゲートキーパーに守られたここは、ロクスリーの言う通り堅牢ではある。
「通信が回復したら、どこの基地にどの白騎士が派遣されているかわかると思うよ。闇雲に歩き回るより、一度調べていくのもよいかもね」
ロクスリーにそういわれて、それももっともだと思った。
たしかに手当たり次第、基地を訪ねて行ったところで、われわれをうけいれてくれる相手は少なく、逆に危険を冒すことにもなる。
提案を受け入れることにしたところで、基地内にある物質をわけてくれることになり、倉庫にやってきたのだった。
そこには、いろんな備蓄があるらしく、我々に必要なサプリメントもいくつかある。
もちろん、普通のニンゲン用の食料もだ。
「この辺、色々あるんだけどなあ。ありすぎて、整理してないんだよね。これを機会に整理するよう、キーパーくんに頼もうかな。あれ、このへん、いいものがあったんだけどなあ」
基地の管理人でもあるロクスリーは、ごそごそと倉庫をあさっている。彼の手元を照らすのは、例によって空飛ぶ金魚のマルベリーだ。彼女はいつも紅くぼんやり光っていた。
マルベリーは、整理が苦手そうなロクスリーに対して、なんとなく呆れているような気配だ。ふよふよ浮かぶだけで、感情などわからぬ魚の瞳ではあるのだが、最近よく見るとそういった様子がわかる。
マルベリーはやはり普通のおもちゃではないのだろう。
「お、良いものを見つけたよ! キミ達に良いものあげよう」
とロクスリーが出してきたのは、保存箱に入った乾麺らしきものだった。
白くて細い糸のような麺が、一束一束に紙で結ばれている。
その白い色や細さは、なかなか繊細で綺麗だった。
「そうめんだー!」
私がそれがなんなのか思い出そうとしているうちに、弟が目を輝かせて言った。
「素麺?」
そういわれて、私はようやくぴんときた。そうだ。このようなところで見かけると思わなかったが、これは素麺とよばれる麺の一種だった。
「そうだよ。そうめん!」
「
ロクスリーがにんまりする。
「確かに。軍事基地では、こういうのはないのかと思っていたが」
糧食の保管はあるが、こんなものまで備蓄しているとは、と驚いている。
「ここは、避難小屋だからねえ。一般人向けに色々置いてたんだよ。あと、わたしが適当に頼んだものもある」
「そうめんだぞ、スワロ! はじめてみるか?」
楽しげに弟が素麺を左手に持ち掲げた。小鳥のスワロ・メイが頭からそれを覗き込む。機械仕掛けでなく本当の小鳥なら、ついばみそうだった。
「ああ、そうだ。流しそうめん器もあるんだよねえ」
ロクスリーが箱に入ったおもちゃのようなものを出してきた。弟が目をキラキラさせる。
「あにさま、流しそうめんしよう!」
弟がそう言った。
「おれ、流しそうめんしたいー!」
「あ、ああ構わないが」
と、やや気圧されながら答えた時、不意に弟が意外なことを言う。
「あにさま、そうめん好きでしょ! おれ、準備してあげる!」
「えっ?」
と思わず私はどきりとして赤面した。
「わ、私が素麺を」
「好きだよね。おれ、しってるぞ!」
えへんと得意がる彼に、私は動揺した。
なぜ、そのことを知っている?
私が小麦の食べ物が好きなのは、隠し通していたはずなのに。
***
「じゃあ、流すからな!」
テーマパーク奈落で行われた流しそうめん大会は、そもそも、来場した子供のために弟が起案したらしい。
まだその頃は、弟が竹を採取する薮があったらしく、彼は切った竹で器用に流しそうめんのギミックを作り上げていた。
弟は意外と小器用なところがあって、工作が得意なところがある。
「夏の奈落は暑いからな」
と、弟は言ったものだ。
「おれは素麺みてえなの、たくさん食べられねえけど、餓鬼どもはこういうの好きだもんな。盛り上がるだろうし、経費もそんなにはかからねえし、いいんじゃねえかな」
綺麗な水と細い素麺を入手してきた弟は、なんだか楽しそうだった。
当日は、私も手伝いには行っていた。
当時は他にもスタッフはいたし、調理関係は弟がやらずとも他のものがやってくれていたが、後片付けなど、私が役立つこともあろう。私は裏の方でひっそりと手伝いをしていた。
弟は自分はほとんど食べていなかったが、流れる素麺に夢中な子供達を構いながら楽しそうだった。
思えば、弟は、人が何か食べているのを観察するのが好きなのかもしれない。
「ネザアスさん、もっと流してよ」
「いいぜ。たくさん茹でてあるからさ」
そう言いながら子供達が、流れる素麺を箸で掬い上げて、楽しみ、食べていくのを目を細めて見ていた。それはまるで眩しいものを見るかのようで、彼にしてもあまり見かけない表情だったので印象深かった。
それはイベントの終わり頃だったろうか。
空になった器などの後片付けをしていた私の元に、弟がふらっとやってきた。
なんだ、と思って顔を上げると、弟は左手に麺の入った椀と箸を持っていた。
「アンタ、これくらいなら食えるだろ」
と不躾にいわれて、内心ムッとしていると弟は続けた。
「おれは少食なんだ。餓鬼どもが食えって押し付けてくるし、とりあえず確保したけどさ。おれはこんなに食えねえんだよ」
と薬味とめんつゆをテーブルに置きつつ、
「勿体ねえから、アンタが食えば」
とずいと麺の入った椀を渡してくる。
「私に?」
「流しそうめん、参加してないんだろ。それくらい食えるじゃねえか。味、わかんねーだろーけど、つゆと薬味も置いてくから」
もったいねえだろ、残ったら。
弟は念押しするように言った。
そこまで悪意はあるまいが、残飯処理みたいな言い方なので、ほんの少し腹立たしくはあった。そんなに言うなら、無理にでも自分が食べればよいではないか。
じっと睨むように弟を見たが、その時は何故か弟が引かない。黙って私にそれを差し出しているので、半ば根負けし、私は素直に受けることにした。
確かに朝から特に補給もしていなかったので、空腹ではあった。私は少し空腹には鈍いので、つい経口の補給を忘れがちだ。
「ではいただく」
「ああ」
と、受け取るが、あくまで弟はそっけなく、しかし、いつものようにすぐには立ち去らずにちょっと私の様子を見ていた。
私は味覚が鈍い。しかし、繊細で細い麺の感触は、暑い気候の中でも喉越しも良い。そもそも、隠していたが、私は小麦粉でできた麺という食材自体が好きなのだ。
無言で食していると、弟がじっとこちらを見ていた。ほんのりにやついている気がして、ちらりと視線を向ける。
「なんだ?」
「いや、別に」
弟はそう言って、また例の素っ気ない態度に戻る。
「思ったよりうまそうに食うんだなーと思っただけ」
弟はそう言い置くと、今度こそ立ち去った。
私はその時、彼の意図がまるでわからず、素麺を食しながら疑問に思ったものだった。
***
「素麺はさっくり茹でられていいねえ。レディ、器を出して」
ロクスリーの手によって、素麺が茹でられる。マルベリーは小さな口に器をくわえて、机の上に並べていった。
すでにくるくると水流が回り始めている流しそうめん器は、あの時、弟の作った風流なそれとは違い、本当に子供のおもちゃのようなものだが、それでも弟は随分楽しそうだ。
「おれ、あんまりたくさん食べるの苦手だけど、流しそうめん、すき」
「そうなのか」
ということは、あの時、弟が企画したのは、単に自分の趣味だったのか。
「あにさま、前、そうめん、すごく美味しそうに食べてた。そうめん、好きなんだよなっ!」
そう言われて私はまた赤面してしまう。
「いっ、いや、その」
「隠すことないよぉ」
と言ったのは、なんとなくこの状況を面白がっていそうなロクスリーだった。
「黒騎士にも食べ物飲み物の好みはあるし、個体差あるからねえ」
「まあ、そうなのだが」
私の場合。
弟と違って、本当は別に少食でもなんでもないのも恥ずかしい。
食べなければそれで済み、空腹でも夜まで気づかないこともあるのだが、好みの食べ物なら普通にたくさん食べられる。それはそれで、黒騎士のくせに燃費が悪いような気がして恥ずかしいのだ。
「あにさま、そうめん流すねー!」
いざ、麺が水流に流される。細い麺が水を泳ぐようで、これはこれでなんとなく気持ちがあがる。
「で、では、いただく」
と、私は素麺を箸で掬うようにして、つゆにつけて口にしてみる。
戦場に来てからは、このような調理されたようなものはほとんどとらないため、懐かしい気がした。繊細な麺の感触も心地よい。
するっと食べてしまうと、じーっと、半分麺を口に入れたまま弟が私を見ていた。
「ネ、ネザアス、ど、どうした?」
ちょっと恥ずかしくなって尋ねると、弟は自分の麺をすすり。
「あにさま、おいしそうにたべるよな。そうめん、やっぱり好きなんだなー」
「あ、ああ。ま、まあ、そうかもしれない」
「おれは、あんまりたくさん食べないから、ひとが食べてるのみるの好きなんだぁ」
弟がそう言ってにっと笑う。
「だから、あにさまはたくさんそうめん食べていいよ! おれがたくさん流してあげる!」
弟がそうめんを水流にくべながら、にこりとした。
「えっ、あ、ああ」
そういえば。
と、私は思い出していた。
あの流しそうめんの日。弟がなぜ私をじっと見ていたのか、あの時は謎だった。あれもまさか、そういう理由だったのだろうか。
それはそれで、なんだか恥ずかしい。
表情に出していないつもりだったが、弟に見抜かれていたのだろうか。
「いいねえ。たくさんあるから、どんどん食べてね」
ロクスリーがそんな私たちをみながら、少し面白がっているようで、私はうつむきつつ。
「あにさま、ながすねえ!」
しかし、久しぶりの素麺の魅力は耐え難く、結局、二人に観察される最中、また箸をつけるのだった。
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