8.真昼の誘惑 —こもれび—

 ふわあ、とネザアスが大あくびをした。

 森を歩いているときだ。

 こもれびがちらちらと我々の頭上に降り注ぐ。良い陽気の昼下がりだった。

 緑地を歩くのは、なかなか心地よい。

 ここにもところどころ、緑地帯が存在する。

 黒騎士の叛乱における下層ゲヘナの戦場は、基本的に入植地だった。厳密にいえば『今から開拓される場所』であった。黒騎士の叛乱は、当初はテーマパークとして利用するしかなかった下層ゲヘナの土地利用が進み、入植者がようやく落ち着いた生活を始めたころになって起こったものだった。 

 そこは平らな土地が多く、荒野が広がっていたが、意図的に緑地は作られた。

 一度、黒騎士サーキット・サーティーンの襲撃を受けて以後は、目立った彼らからの襲撃は受けていないものの、どうせなら身を隠せる場所を選んで進んだ方がよいと思っていた。

 叛乱した黒騎士が今も我々の敵であるのは、明白になったのだ。

 もちろん、泥の獣は森の中にも存在するが、我々も気配はある程度読めるし、地形を利用できる。それに何より、泥の獣より、黒騎士の方が厄介なのだ。

 いま、私たちは、協力的な白騎士が派遣されていそうな、より内地側の基地を目指して進んでいた。

 緑地地帯には水辺もあることがあり、汚泥化した小魚がいることもあった。

 泥の獣。つまり、悪意に染まった凶暴な敵の一種である魚ではあるが、その程度であれば我々の敵ではないので、しとめればコアから、サプリメントと同じ栄養素の入ったものが得られた。

 今日は朝にちょうど良いサイズの魚がとれて、私とネザアスはそれを補給していたのだ。他にレトルト食料も廃墟で入手しており、空腹であることもない。

 エネルギーは十分得られていた。

 それなのに、やたらと眠そうにしている弟が気がかりだった。

「ネザアス、眠たいのか」

「えっ、う、ううん、おれ、ねむくない」

 尋ねてみると、弟は首を振る。しかし、目がとろんとしていた。弟の肩にいる機械仕掛けの小鳥のおもちゃがぴぴっと鳴いている。それを弟は左手で撫でやる。

「おれ、ねむくないよぉ」

 そういいながら、もう一度あくび。

 どう考えても強がりだ。

「無理はせずとも良い。眠たいのだろう? 栄養素はたりているはずだが」

 弟は、負傷したのが原因で少年の姿になっているのだ。私が心配になると、弟は言った。

「あのね、あにさま。おれ、きょうは単にねむいだけなの」

「単に?」

「うん、サプリメント関係なくて、あのね、今日眠いのは……」

「ん?」

 弟が言い淀む。

「その、あのねえ」

 弟が恥ずかしそうに言った。

「あにさまに、言うの、はずかしけど。あにさま、笑わないでね」

「笑わないぞ」

 そういうと、弟は改めて言った。

「あのな、あにさま。おれ、やこーせーなの。『やこうせいどうぶつ』なんだ」

「えっ」

 私はきょとんとした。

 やこうせい。夜行性。夜行性動物ということか?

「うん。おれ、夜型なんだ。だから、本当は、昼はずっとねむいんだよ」

 弟の思わぬ告白に、私は思わず吹き出した。

「あにさま?」

 弟がむっとほおを膨らませて、真っ赤になった。

「ひどい! 笑わないって言ったのに!」

「ああ、すまない。すまなかった。お前を馬鹿にしたわけではない。心配しなくてよい」

 弟が不安げに私を見上げる。

「隠していたが、私も相当な夜型なんだ」

「あにさまも?」

「うむ。どうしても、昼の明るいのにはなれなくてな」

 私は苦笑した。

「お前にバレると怒られると思って、隠していたのだ」


 ***


 私は陽の当たるところがあまり得意でない。もともと、設定のせいで目が良くないのだ。それは、私の元にされていた人物が目を負傷したせいであるらしい。

 受肉してからは、特に戦闘要員として求められていたために、私の視力もいくらか改善されたのだが、それでも陽光はさほど得意ではなかった。

 上層アストラルの太陽と違い、下層ゲヘナのそれは作り物だが、かなり自然な形で強い太陽の光を再現している。

 なので、真昼のテーマパーク奈落での作業は、正直をいうとあまり好きではないのだった。

 特に夏の季節を模したエリアは、きつい。

 そういう時は、大体、宵のあたりから作業をいて、それはそれで周りからは不気味がられてしまうことがあって困った。

 幽霊と間違えるから、というのだ。

 私はより人目に触れないようにして、夜間作業をするようになった。

 それは、弟にこの件を知られたくなかったこともある。

 私も弟も、夜の方が似合うような設定の元つくられたのだけれど、昼、案内人として子供を案内したり、ショーをしたりと忙しく仕事をしている弟である。

 そんな弟が、私が光が苦手だ、昼が苦手だ、なんぞと仕事を夜にまわしているのを知られたら、嫌味の一つではすまないだろう、とおもった。

『楽な仕事ばかりでいいな、アンタは』

 そんなふうに言われるのは、事実そうであろうと心外なものだ。弟にはわからないように、私なりに気を遣っていた。

 それが功を奏したのか、弟からその件で嫌味をいわれることは、ついぞなかったのだが。

 そうして気をつけていたある日。

 その日は涼やかな気候の気持ちの良い昼下がりだった。

 私もその日は、日中の外の仕事がさほど苦痛ではなかった。柔らかな陽光は、私でも多少心地よいと感じられた。私はパーク内の保守点検をしながら、ゆるりと一周していた。と、その時、不意に弟の姿を見た。

 案内人の仕事は休みなのか、空き時間なのかはしらないが、ベンチに座って休んでいるようだ。彼の頭上には大きな木があり、ちらちら顔に木漏れ日が降り注いでいる。

 弟は、そこで昼寝をしているようだった。

 ずいぶん気持ちよさそうに寝るものだ、と私は思ったものだ。

 私は彼のように外で木漏れ日の下、眠ったことがなかったように思う。そんなに心地よく眠れるものなのだろうか。

 そんなふうに遠くから観察していると、子供が一人近づいてきた。宿泊できている子供だろう。

「ネザアスさん、なに寝てんの?」

「んあ?」

 弟は寝ぼけ眼をこすりつつ、子供を見た。

「なんだよー、気持ちよく寝てたのによ」

「仕事中でしょ。ねてたらダメじゃん」

 子供に正論を吐かれても、弟は平気そうだ。

「しょうがねえだろ。昼下がりの木陰は眠気を誘うんだ。たまにはいいじゃねえか。休憩時間なんだよ」

「"たま"に? なのかなあ。おれがここに来るとき、いつもネザアスさん、そこで寝てるよね」

「ちぇっ、生意気いいやがるなあ」

 弟は苦笑してあくびをしつつ、起き上がっていた。

「仕方ないだろ。本当は、おれ、夜の生き物なんだよ。日が沈んでからのが調子いいんだ」

 弟は目をこする。

「だから、仮眠しねえと眠くてたまらねえの。これは必要な事なんだぞ。パフォーマンスが下がっちまう」

「うそだあ、サボりでしょ」

「ちげえよ。しかも、この、ベンチがちょうど良い感じに眠くなるんだよ。こもれびが気持ちいいからよ」

 弟はやや言い訳をしつつ言った。

「ちょうど影が移動するまでの間、ちらちら柔らかい光を浴びつつ、外で寝るのもなかなか気持ち良いもんだぜ。わかんねえかなあ?」

 弟はそんなことを言って、またあくびをしていた。

「おれがいうのもなんだが、ちょっとした至福だぜ?」

 そんなにも?

 と思ったが、私は彼に見つけられそうになって、慌てて身を隠した。

 弟が夜型らしい、ということは、そこで知ったものの、私はその後も弟に夜の作業を隠すようにしていた。


***


「変な意地をはらずともよかったのだな」

 と、私はしみじみしていた。

 今思えば、弟は私の下手な工作など気づいていたのだろう。幽霊騒ぎが起こったあたりですでに。

 それでも、私が夜活動することに大して何も言わなかったのは、彼にもそれなりの理解があったからかもしれない。

「うーん、あにさまに本当のこといったら、ますますねむくなってきた」

 弟が目をこすりつつ、なんとか目を開こうと頑張る。

「少し休んでいこうか」

「えっ、寝てしまっても大丈夫かな」

「危険が迫れば、流石に目を覚ます。私もお前もそういうのには過敏だ。まだ日が高い。一時間程度昼寝する分には、森を抜けるまでに日が暮れることもないだろう」

 それに、と私はそっと言った。

「実はな、ネザアス。私も一度このようなこもれびの下で昼寝をしてみたかったのだ」

「えっ、そうなんだあ。それじゃ、スワロに目覚まししてもらうね」

 弟はうれしそうになる。

「うむ。それが良いな」

 私と弟は、少し森のひらけた場所の、大きな木の下に座り込んだ。幹に背を当てて休むと、薄緑の光が上から柔らかく降り注ぐ。

(こもれび、か)

 気候も良いのだろう。清涼な空気が頬を撫でる。本当は夜型の私も、弟のことがいえない程度に眠気を催した。

「あにさま」

 と弟は眠そうに言った。

「こもれびの下はとってもねむいねえ」

「そうだな。私は初めて知ったが」

 心地よい眠気がゆるやかにのしかかる。

「まこと、あらがえないものだなあ」

 そんな感想を述べる私に、弟が言った。

「しかたないよ。これ、『しふく』、なんだからねえ」

「そうだな、至福だな」

 こんなことなら、早く夜型なのを認めて、弟にもっと早くこもれびの下の仮眠の心地よさを聞いておけばよかったな、と私は思った。

 いつのまにか、隣から寝息が聞こえている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る