9.少年休暇 —肯定—
***
「さすがだね、アマツノくん」
「アマツノくんのいうとおりだ」
「アマツノくんの考えに間違いなんてない」
「アマツノくんは、正しいよ。きみは本当に神様になれる器だからね」
「アマツノくんは、君の思う通りにすればいい」
アマツノを讃える声を、ぼんやり聞いていた。正直、私は心苦しい気持ちだった。
創造主アマツノ・マヒトは、かつては間違いも起こす、ちょっと不器用なところのある少年だった。
遺伝子操作によって生まれた彼は、先天的に調整された天才的な頭脳をもっていたが、最初から性格は超然としているわけでなかった。
ちょっと可愛らしいところもあった。
弟のネザアスに言わせると、「頭がちょっといいだけの、寂しがりやで鈍臭い餓鬼」であり、その評価は失礼ではあるが、言い得て妙である。
そのあたりは、弟のネザアスなどは庇護欲をそそるのか、何かとかまいにいっていた。可愛げがあるのは確かだろう。
当初、彼が兄貴肌の優しいドクター・オオヤギはともかく、高飛車で彼自身にも問題のありそうな、好き嫌いの激しいフカセ・タイゾウにも可愛がられていたのは、アマツノ本人に魅力があったからであろう。
そんな彼が変わっていったのには、大人になってゆく彼の成長の他にも、環境の変化など、さまざまな事情があったのだろう。しかし、結果的には、いつのまにか彼の周りは、彼を肯定する声だけが響くようになった。
それがアマツノを次第に狂わせていったのを、私は目の当たりにしていた。
そして、思い返せば、イエスマンしかいない環境で、いつも中心でアマツノをたてるのは、例の腹心のマガミ・B・レイであった。
「マガミさんもよくやるなあ」
と、遠巻きに彼らを見ていた時、背後からそんな声がきこえた。
「いやぁ、あんなに持ち上げてばっかり。逆にアマツノさんがかわいそうだよね」
と、振り返るとそこにいるのは、長い艶やかな黒髪をポニーテールにゆわえたたおやかな美青年である。
涼しげな顔立ちは、いっそあどけなく少年の気配すら残していた。揃えられた前髪が、切れ長の目の視線を強める。その瞳は青く、ウルトラマリンの青色を示す。
たおやかながら背はなかなか高く、堂々としていた。
それは、黒騎士、サーキット・サーティーンであった。我々初期ロットの黒騎士のNo.4だ。
サーキットは、比較的社交的な性格だ。
人と話すのは嫌いでないが口の悪いネザアスや、無口な私やヤミィとは、ずいぶん雰囲気が違う。事務方として生み出されたNo.5のエリックは別としても、誰にでも陽気に話しかけるようなところがあった。
それでも、私はあまり彼とは話す機会はなかったが、何かある時にこうして彼の方から話しかけてくることはままある。
「やあ、長兄。挨拶があとになったね。ご無沙汰」
サーキットは、なぜか言い回しや言葉にややキザなところがある。弟にも散々そう言われていたが、改めるつもりはないらしい。
「いやあ、マガミさんも、よくやるなあと思って見ていたんだ。あんなに白々しくYESばかりいえるものだねえ」
サーキットは声こそ柔らかいが、なかなか辛辣なことを言う。
「あれは厄介だなあ。アマツノさんは、本質はただの技術者だけど、マガミさんはそうじゃあないねえ。……なんだろう、彼、悪意があるんじゃないかな?」
「悪意?」
そう聞き返すと、サーキットはふふっと笑った。
「ドレイクにはどう見える?」
「私は」
マガミに言われた言葉を思い出す。
自分は弟に嫉妬している。そう指摘された時のことだ。
私にとって、マガミはあの時のことが気がかりな人物だった。しかし、特に付き合いが少なく、他の感想を持たない。
しかも、弟への嫉妬心をサーキットに告げるのは躊躇われた。
言い淀むと、サーキットは肩をすくめた。
「まあ、あんまり悪口ばっかりいっちゃだめだな。私の外見モデルはマガミさんだからねえ。ドレイクのフカセさんと同じで、何かいうと聞き咎められちゃいそうだ。フカセさんは、誰かが言うとすぐ聞き咎めてキレる。マガミさんはそんなに直接的じゃないな」
くわばらくわばら、と彼は笑う。
「まあ、長兄も気をつけたほうがいいよ」
じゃあね。サーキットはそういって手をゆるっと振ると、目の前から立ち去っていった。
サーキットは、その後、恩寵を得てサーキィ・サーティーンと名前を変えて、ヤミィ・トゥエルフと共に叛乱に加担するのだが、その頃の彼はなんとなく、つかみどころのない一面があった。
それにしても、マガミ。
今となっては、サーキットの言葉もわからぬでもない。
『君は、本当は、自由で明るく優秀な弟が目障りなのではないかな?』
あの時の、マガミ・B・レイの問いかけが、時折私の心にひっかかっていた。
あの言葉は、私を動揺させ、私の存在の根底をゆさぶらせる言葉だった。
私が、あの時アマツノに生殺与奪を握った弟をどうするつもりかと尋ねられて、守るのだと即答できなかったのは、そのせいだ。
しかし。
『僕には君の気持ちがよくわかる』
あの時マガミはそう言ったが。
この旅路を辿るうち、私は一つ疑問が湧いてきたのだった。
あの男、マガミは、何故「わかった」のだ?
何故私の気持ちがわかる?
彼こそ、誰かに嫉妬していたのではないのか。
私は近頃思うのだ。
神代、弟を殺してしまった兄を引き合いに、私に「どうするのか」と本当に聞きたかったのは、アマツノでなくマガミの方ではなかったのかと。
***
びしいっと、白刃が閃くと黒い泥が飛び散った。
「へへー、やったー!」
弟が泥の魚を仕留めている。
弱体化して子供の姿になったとはいえ、弟は機動力に優れた剣士だ。ややも好戦的なところはまだ残っており、正直私より釣りがうまい。
「おやおや、ネザアスはずいぶん釣りが上手くなったねえ」
ロクスリーがのんびりと彼を褒める。
「えへへ、釣りはたのしいな!」
「釣り」
そう、釣り。しかし、狩りのほうが高くはないか。
(うーむ、これは本当に釣り? だろうか)
ロクスリーは確かにエサをつけて釣り糸を垂れているが、普段私や弟がやるのは狩りに近い。
サプリメント様の例のエサを手に、目視で泥の獣を見つけたり、自分を囮にして襲ってきたところを返り討ちにしたりしている。
今日のようにロクスリーを真似て刀の先にエサをつけた糸を垂らすこともあるが、反応して飛び上がってきた泥の魚はそのままバサっと斬り捨てるわけで、釣りなのかどうか。
(つ、釣り? 釣りとはこういうものか?)
思わず釣りの定義を考えてしまうが、そんな私に「そんな些細なこと、気にするな」とばかり、空飛ぶ金魚のマルベリーが、のんびり優雅に目の前を横切る。
そんな彼女とロクスリーを見ていると、気にしている私の方が変な気がした。
今日はロクスリーとは漁場が被ったらしい。
当初から、我々とは向かう場所が被るだろうと言っていたが、いく先々でちらちら彼とは出会うのだった。
彼は敵ではないと言っていたが、確かに彼に怪しい言動はない。ただ、タイミングと存在が怪しいだけだ。それをどう解釈すべきか。
しかし、弟は、やたらとロクスリーに懐いている。
一度私は尋ねてみた。ロクスリーのことを知っているのかと。
ここに来るまでの弟の記憶には欠落があるため、どこまで参考になるかはわからないが、それでも、弟の警戒しない理由の理由づけにはなるだろうと思ったのだ。
「んー、おれ、しらない」
と弟の返答は、期待した情報を含まなかったが、
「でもねえ、あにさま。あのオッサン、いいひとだよ? わるいひとちがう」
「どうしてわかるのだ?」
「んっと、おれもうまくせつめいできないけど」
と前置きして、
「ロクスリー、他の黒騎士となんかちがうし、今まで嫌なことされなかったよ」
「それは私も思うが」
「あと、マルベリーのこと」
と、弟は肩の小鳥のスワロ・メイを撫でやりながら言った。
「マルベリー、すごく可愛がられてる。おれ、マルベリーの言葉わからないけど、マルベリー、ロクスリーのことすきなのわかる。あの子にすかれてるから、あのオッサン、そんなにわるくないとおもう」
弟としては、自分の直感に照らし合わせて、ロクスリーは安全だといいたいらしい。
ふうむ、と私は思ったものだ。
私はそこまでロクスリーを信用できていないのだけれど、それはさておき、弟はそれなりには人を見ている。
皮肉屋ではあり、粗野な一面も目立つ弟ではあったが、テーマパーク来場者の名付けをしていた彼は、相手をみて相手の本質を探る才能はある。少なからず、他人との付き合いの少ない私よりも、人を見る目はあるのだろう。
ともあれ、疑念こそ晴れないが、ロクスリーを疑っても仕様がないなと思っていた。
私は、ある程度彼を受け入れることにはしている。
「えへへ、魚からサプリメントとろう!」
切り捨てた泥の魚は、もはや原型を留めていないが、コアの付近は虹色の丸い塊になっている。それを水で洗いつつ中心にあるチップをひょいと取ってしまう。その丸いかたまりがサプリメントと同じ栄養素で、我々の必須栄養素であり、魚釣りの餌でもある。
泥の獣と呼ばれる怪物の一種である魚は、なんらかが汚泥の"悪意"に感染して怪物化したものだ。その『なんらか』が何であるかはその時々により、元がニンゲンや強化兵士だったりすることもある。もちろん、作り物の動植物のこともあり、その方が圧倒的に多いが、ともあれ、なんであるかわからないので、我々としてもチップはちょっと気持ち悪い。
泥の獣は取り込んだチップを核として栄養素を溜め込むらしく、その周りの部分に我々は用事がある。それは我々黒騎士に必要な栄養素であり、上層から支給されるサプリメントと同じ栄養分だった。
ということで、元がなにかわからないチップを捨てて、コアの栄養素だけを獲得するのだった。
「今日は入れ食いだねえ」
のんきにロクスリーが話す。
「ねえ、おれ、もっと向こうのほうみてきてもいい? 大物いそう!」
「ネザアス、危ないぞ」
目を離すと行ってしまいそうな弟に、私は焦るが、
「今日は周りに強い汚泥の気配もないから大丈夫だよ。まあでも、お兄ちゃんの心配もわかるなあ。レディ、ついていってあげて」
と、ロクスリーが金魚のマルベリーにつげると、マルベリーは尾鰭をゆらりとゆらせてふわふわと空中を泳いで弟のほうに行った。
「あんまり遠くにいっちゃだめだよ」
「はあーい。はは、れでぃ、行こう!」
マルベリーを連れ、肩に機械の文鳥のスワロをとまらせた弟が楽しげに笑っているので、私も仕方がないなあとため息をついた。
「ふふ、元気だねえ。君たちがなぜここに来たのか知らないけれど、楽しそうでなによりだよ。
と、ロクスリーはしみじみという。
「わたしなんぞは、長いバカンスを楽しんでいる気持ちだよ。せっかくだから、キミ達も仲良く楽しんでね」
「楽しむ、と言われても、しかし、我々はあまり立場がよくないから」
あんまり楽観的なロクスリーの言葉に、私は半ばあぜんとしつつ。
「黒騎士で叛乱していないのは、我々とエリックくらいなもの。姿の変わった我々を受け入れてくれるほど、
「監視?」
とロクスリーはにやりとした。
「ああ。アマツノくんに、何かろくでもないこと吹き込まれた?」
あんまりロクスリーが直接的にいうもので、私は驚いて彼を半ば睨んだ。彼は苦笑して、
「わたしも黒騎士のハシクレ。アマツノくんのことは知ってる。彼、ちょっとおかしくなってきてるでしょ」
私が頷くと、彼は、間延びしたこえでつづけた。
「でも、アマツノくんのことは、そんなに嫌いにはなれないんだよねえ。彼はただの技術者で、技術者として狂ったところが出てるだけ。でも悪意があんまりない。悪意がないのは厄介だけども、まだかわいらしい」
にやりとロクスリーは笑った。
「それよりも厄介なのは、マガミくんさあ。彼には明らかに悪意がある。昔からわたしは彼が苦手でねえ」
私は警戒心なく、彼らのことを明かすロクスリーに少しおどろいていた。後期に作成された黒騎士達にとって、彼らは本当に
もしかしたら、本当はこの男は誰かのアバターなのだろうか。そんなことが頭によぎるが。
「で、キミたち、彼らに何を観察されてるの? 戦闘データ?」
「アマツノは私が足手纏いの弟をどうするかみている」
と、私は思わず告げた。
「私が、その、劣等感からネザアスの資質に嫉妬していたのを、彼らは見抜いていた。それで、だから、私が弟をどうすることもできる状態を作り出しそして、私がどう行動するのか。それを、見られている」
「ああ、そういう。実験が好きだね、相変わらずだ。でも、ドレイク、キミは、弟が妬ましいからって手を離すつもりはないんだろう」
とロクスリーがあっさりと尋ねてくる。
「も、もちろんだ! ただ」
「後めたい?」
そう尋ねられて私は黙り込んだ。
少年の姿になって多少自分の気持ちを口にできるようにはなったが、それでもこれ以上表現するのは難しい。
「別にねえ、わたしはヤキモチぐらい焼いてもいいと思うんだけどねえ。かわいいもんじゃないか」
とロクスリーが顎髭を指で弄びつつ、キザに笑う。
「自分のやましい気持ちを肯定してあげるのも、悪いことじゃあない。ニンゲンってそういうもんらしいよ。キミは優秀だから、ニンゲンに近いのさ」
ロクスリーはにやりとした。
「やきもちはやいてるけど、弟のことだって大切。それでいいでしょう?」
「しかし」
「キミはマジメだねえ。そんな考えしてると、マガミくんにつけ込まれるよ」
ふふっと、ロクスリーは笑う。
「いいところは弟を見習ったほうがいいと思うよ。ネザアスもわたしも、もうちょっといい加減でねえ、だから釣りが楽しめる。キミ、ここにきたのは自分への罰かなんかだと思ってない?」
ロクスリーは前髪をかきわけつつ、にやりとした。
「キミたち子供がここにきたのは、ちょっとしたバカンスの機会。それは罰ではなくいままで頑張ってきたご褒美だ、と思うと、気持ち軽くならないかなあ?」
「ご、ご褒美?」
「夏休みみたいなもんでしょ」
ロクスリーの楽天的な考え方に、私は思わず呆然としてしまう。
と、弟のわあという声で私は慌てて顔を上げた。
向こうで水柱が立ち上る。大きな、なまずかあんこうのような形をした泥の獣が跳ね上がった。
「あにさま、大物かかった! 手伝って!」
「ネザアス!」
私が慌てて立ちあがろうとすると、ロクスリーはにこりとした。
「ほーら、大物がかかったよ。釣りは楽しいでしょ。キミも楽しんでおいで」
バカンスだよ。と、ロクスリーは、例のキザな笑みを浮かべていうのだった。
その言葉に気持ちが軽くなると同時に。
私はなぜかその顔が、あの時の黒騎士サーキット・サーティーンと似ている気がして気がかりだった。
老練なロクスリーと、少年のような彼とでは全く違う人物のはずなのに。
それにもかかわらず、ロクスリーへの警戒心が溶けていっていることを私は察知していた。
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