6.釣り人ロクスリー —アバター—
「おや、どこから来たんだい? キミたち」
その男を見かけたのは、霧の深い湖の近くだった。
どこか俗世離れした感じに、私は『世捨て人』という言葉を思い出す。
「そんなに息せき切らしちゃだめだよ。お魚が逃げてしまう」
男は風流な柄物の着物をゆらめかせつつ、微笑んだ。それは隠者然とした彼には似つかわしくないが、その男によく似合っていた。
*
「あにさま、どこいくの?」
弟の左手をひいて、私は走っていた。
私たちの後ろから、黒い汚泥がわらわらと迫る。
「どろどろの、弱いよ。お れでも勝てる。あにさま、戦わないの?」
汚泥と呼ばれる汚染された黒物質の塊は、われわれを攻撃するような単純な悪意に染まっていたが、それだけで、さほどは強くない。我々黒騎士のプロテクトを破れるほど、感染力も高くない。
だから、今の私や弟でも、十分に制圧できるのは確かだ。
弟は元々好戦的な性格だった。
子供の姿になってからは、それは多少は弱まっているが、それでも敵に対しての反応は私よりも鋭く、私が止めなければ先に攻撃していたはずだ。
が。
「ネザアス、だめだ。他にもいる」
(サーキットめ!)
あの怪物達の後ろに、あの男がいる。ネザアスは気づいていないようだが、私はすでに気づいていた。
(ネザアスが反応するのがわかっていて、身を潜めている。こいつらは囮だ。攻撃すれば、サーキットからの反撃がくる)
サーキット。
黒髪の美しい青年の姿をした黒騎士、サーキット・サーティーンは、No.004の黒騎士だ。
製造番号は受肉した順番と違うが、私がNo.001、ネザアスがNo.002、ヤミィがNo.003、そしてサーキットがNo.004。これに、非戦闘要員であるNo.005のエリックを加えた五人が、初期ロットの黒騎士だ。
今は恩寵を与えられ、恩寵の文字Yを含めた名前で、サーキィと名乗っているらしいが、そんな彼もヤミィと同調して叛乱を起こしているはずだった。
カリスマ性はあるが、無口で何を考えているかわからないヤミィ・トウェルフと対照的に、彼は明るく社交的なだけにタチが悪い。
むしろ、ヤミィよりも、彼の方がほかの黒騎士たちへの煽動にかかわった可能性すらある。
「ドレイク。流石だね。私の存在に気がついたのかい?」
サーキットの声が聞こえた。
「楽天家の弟とは一味違うんだな。ふふふっ、けれど、勝負してしまった方が、早いかもしれない。どのみち逃げられるものでもなかろうに」
サーキットは、嘲っていた。
「補給が足りていないのは知っている。君達といえど、十分に戦える余裕はないだろう? いつまで逃げ切れるのかな?」
(あの小僧が!)
私はぐっと歯噛みした。
「あにさま!」
ネザアスにも声は聞こえただろう。私はそっとネザアスに視線をやる。
「挑発に乗ってはいけないよ、ネザアス。行こう」
「う、うん」
私の表情で察したものか、弟は素直に従った。
*
そうしてたどり着いたのが、この湖畔だった。
霧に紛れて、サーキットたちをまいた我々の進む先に彼がいた。追われて逃げてきた私たちを見ても、彼は驚いた風もなかった。
「おやおや、そんなに慌てていると、魚が逃げてしまうよ。大丈夫、静かにしていれば魚たちはキミたちを見つけられないからね」
色褪せた金色の髪、それを結い上げて束ねた男はなかなかの美男子だが、それなりの年配に見える。いや、鼻の下と顎におしゃれに手入れされた短い髭を蓄えてはいるけれど、何も考えなければ、彼は若く見えるはずなのだ。
それなりに、雰囲気を合わせると、中年、いや、もっと年上にも見えるのが不思議だ。
何にしろ、彼は外見よりずいぶん落ち着いていた。
「あの、我々は追われていて」
ああ、と彼は言った。
「そのようだねえ。まあ大丈夫。まずは落ち着きなさい。深呼吸しよう。ゆっくり息をついて」
男は全く焦った気配がない。
私は少し面食らった。
そんな男のそばに、火の玉みたいにふわふわと赤い金魚みたいなものが浮かんでいるのが見えた。
いや、それは実際に金魚なのだ。赤い手のひら大の金魚で、空中をふよふよ泳いでいる。
弟の連れている文鳥のおもちゃのスワロ・メイのようなものかもしれない。
それにすかさず、かわいいものに目がない弟が反応した。
「わー! かわいい! きれい!」
弟が声を上げる。
「すごいなー! 本当にかわいい!」
「おや、それは嬉しいね。わたしのレディも喜んでいるよ」
すいすいと空中を泳ぐ金魚に、弟は目を奪われている。金魚が動くたびに、ちらちら左目が動く。こういうところは猫みたいだな、と思った。
そんな弟に妬けているのかどうか。機械の文鳥のスワロ・メイが弟のほおをつつく。
「あ。スワロもかわいいぞ」
弟が慌てて機嫌を取るように苦笑した。
「おやおや、キミのレディもかわいいね」
「うん。かわいいから拾ったんだ。こんなとこ、一人でいるのかわいそうだもん」
弟は目をしばたかせ、男をみあげた。
「でもそんな可愛い金魚を連れてるオッサンは、ここで何してるんだ? こんなところで、人がいるの変だ」
「ネ、ネザアス」
物怖じしない弟を叱る。
大人の姿の頃ほどではないけれど、子供の彼も結構はっきりと物事をいうのだ。
ところが、構わないよとばかり男は首を振ると、にこりとした。
「何ってボウヤ、こんなところで釣竿をもってやることは一つだよ。魚釣りさ」
「えー、金魚つれてるのに?」
「そうだよー。わたしには食い扶持が必要だ。魚はいい食料なんだからね。この子はわたしの魚釣りを手伝ってくれているんだ」
(食料?)
こんな汚染されつつある大地にまともな魚がいるはずもないのに?
私は警戒した。
一般人はここにはこられない。白騎士にしては、行動が変だ。だとしたら、もしかしたら、ナノマシンを使った“アバター”を遠隔操作している? それなら、
しかし、私は、彼が私に視線を向けた時、はっきりとわかった。
「わたしはここで、釣りをしているんだよ」
私はその時に気づいた。男は青い瞳をしている。。
あの、ウルトラマリンの青い瞳。
あんな澄み切った青い瞳、普通の人間の目の色じゃない。
この男、黒騎士だ。
***
「ここから先は、汚染がひどいからアバターつかうんだぜ」
テーマパーク奈落は、
また派遣されてくる来場者が、強化兵士見習いとなってからは、遊びを模した訓練であることもあった。
その中には擬似的な戦闘訓練もある。
アバターと弟がいうのは、ダンボールにはいった白い粘土か小麦粉を練った生地の塊のようなものだ。
本来、上層の幹部がここで遊ぶとき使われていたナノマシンの塊だった。それに情報を入れたチップを入れると、人型になる。あちら側が接続すれば、遠隔操作で感覚すらある臨場感のある体験ができるので、当初はヴァーチャルリアリティよりも人気があったものだ。
しかし、今はそんな客も稀で、危険地域の遠足のためにダイブした子供たちの器として使われる。
一人の子供がチップを入れると、ばふんと煙が立ち上り、白い生地がたちまちその子供の姿になった。
「わあ、気持ち悪ー」
「まあ、それは同感だがな。しかし、コイツを使ったほうが効率がいいんだよ。ほら、次の手順で、こいつの操作をするんだぜ」
「はあーい」
白騎士の少年は私が控えていたベッドに寝転ぶと、専用のゴーグルをつけて寝転んだ。そうやって操作するのだ。
「アバターか。まあ、便利なもんだけどな」
と弟、奈落のネザアスは、ぽつりと言った。
「まあ、おれたちも言ってみればアバターみたいなもんだからなあ。なんか、このパン生地人間見るといつも不安になるんだよなあ」
弟のいうのももっともだと私は思った。
我々、黒騎士、特に初期ロットのものは、開発メンバーの外見モデルを使って作られている。もし、そのまま彼らが我々の体を使っていたとしたら、と考えることがあった。
***
黒騎士はアバターたりえる。
私は、その男を見てそんなことを思い出した。
もし、黒騎士をアバターとして利用しているなら、相手は
私はさきごろのことを思い出していたのだ。
あれから、創造主アマツノ・マヒトの声をきいてはいないが、確実に我々は監視されている。そんな我々にちょっかいをかけてくる何者かもいないとは限らないのだ。
緊張する私と裏腹に、男は落ち着いた様子で釣り糸を垂れたままだった。
「金魚いるのに、魚釣ってるのか? この子も釣ったの?」
「それは違うよ。でも、まぁ、釣り上げたのかと言われれば、ある意味そういうことになるかもねえ」
「へー、そうかぁ」
弟はあまり警戒した様子もなく、金魚と遊びながら男と話をしていた。
男は、ふと私の方を見て笑った。
「キミもそう緊張しなくて良いよ。わたしは、キミ達に危害加えるつもりはないし、それにそう殺気立っていると、雑魚に見つかってしまう」
男の言い様は少しキザであったが、腹のたつようなものでもない。
「もっとも、そんなこと、わたしに言われなくても、優秀な戦士のキミならわかるだろうがね」
そう言われて、私は肩の力を抜いた。言われるのももっともだ。
私の警戒が解けたのをみて、彼は微笑んだ。
「疲れただろう。キミもそこで休んだらどうかな? あいつらが全て行ってしまうまで、ここで休んでいきなさい。静かにしていれば、ここの霧がキミ達を守ってくれる」
しばらく言われるままにしていると、霧深い湖の湖畔を黒い影が移動していくのが見えていた。サーキットの気配も、同時に遠ざかっていくようだ。
サーキットの放つ殺気が、霧の中に溶けていく。弟にもそれはわかったようだった。
「あいつら、いっちゃった?」
金魚を撫でていた弟が、男に尋ねた。
「うん。彼らは修行が足りないからねえ。息を止めて殺気を消して潜んでいると、知覚できないんだ」
男はのんびりという。
私はようやく安心して、ため息をついた。
「助けてくれてすまなかった。礼を言う」
「いいよ、わたしはここでのんびりしてただけ。なにもしていないさ。そんなことより、ボウヤたち、子供だけでこんなところ、危ないよ」
「危なくない。あにさまもおれも強いんだぞ」
ムッとした様子で弟が口を挟むと、男は苦笑した。
「ああ、そうだね、ごめんよ。……おや?」
という男の竿が引いている。
こんなところにまともな魚はもういまい。しかし、男は両手で竿を握り直すと、ひょいっとそれを引いた。
ばしゃっと飛び出してきたのは、大きな鮒みたいな真っ黒い魚だ。表面は黒物質に覆われているので、汚泥の付着した魚の形の泥の獣だろう。
それが釣られたまま黒い牙をむいて、男に飛びかかってきた。
私と弟が反射的に身構える。
が、男は冷静に竿を振ると、その竿の先で魚を切り落とした。
その手なみは見事なものだ。最小限の力で、泥の獣を斬り捨てたのだから。
びしゃっと地面に汚泥の塊が落ちる。
「これ、魚か?」
「んー、正確には魚じゃないかもね。泥の獣ってやつだから。でも、わたしが釣りたかった魚はこいつなんだ」
男はそういう時、泥でできた魚の残骸から虹色に滲む丸いものを取り出した。
「それ、なに?」
「これはね、コアっていわれるもの。核だね。例えば強化兵士みたいな複雑なモノは、ちゃんととったエネルギーを人間みたいなシステムで貯めておけるけど、単純な彼らはコアの周りに集めがちなんだ。この虹色のやつがそう」
男は続けた。
「汚泥は悪意のプログラムに染まった黒物質だけれど、彼らは複雑な情報がないと形を持てないらしくてね。それで、他の生き物を取り込んでそこの情報を得ようとするんだ。その情報を保管したチップを核としてエネルギーが溜まる。レディ、カップを頂戴」
そういうと、金魚が近くにあったマグカップを二つ、口で拾い上げて男の元に届けてくれた。
彼はコアを卵のように割って二つに分けた。
「チップは元がなんなのかわかんなくてこわいからね。ただ、こっちはただの栄養素。気持ち悪いかもしれないけど、チップに触れなきゃ共食い感はないよ。それに、ここみたいななんにもない場所で黒騎士が生きていくためには、こういう方法を使うのが一番だ」
どきりとした。
この男、我々が黒騎士だと見抜いている。それに気づいたのか、ほんのりと彼は困った顔をする。
「木の実あつめたりするのもいいけど、わたしのおすすめは魚釣りだね。魚は美味しいよ?」
ひょいっとチップを隣に捨てつつ、男はいった。
「はい。これはお近づきの印にキミたちにあげよう。マグカップも使って」
カップを差し出され、思わず受け取る。
「たりてなかっただろう。そうでなければ、あんな小童に追いかけられずに済んだ筈だから」
「ありがとう!」
「ネザアス」
小声で嗜めようとしたが、弟が早速それを口にする。私も様子を見てそれに習った。
我々黒騎士にはほとんどの毒物は効かない。例外はあるが、黒物質でできた魚の中から出てきたモノでは、我々は壊せないのだ。
「これ、サプリメントと同じやつ! おいしー!」
弟がそれに気づいて、ぱっと顔を明るくした。
「本当だ」
我々の味覚は鈍いが、肉体が欲しているモノは身に染み通りやすい。人間で言うところの、美味、と言う感覚に近いのか、サプリメントは我々にとって好ましい感触がするのですぐわかるのだ。
「そうやって補給していくといいよ」
「ありがとうー! おっさんと金魚!」
弟は物怖じせずに礼を言うが、私は、何か引っ掛かっていた。
「ありがとう。しかし、貴方は……」
竿を直してふらっと立ち去る準備をする男に、私は尋ねた。
「貴方も、黒騎士だろう? 何故、こんなところに。叛乱に加担しない黒騎士ならここにいるはずもないし、それに私は貴方を見たことがない」
そう尋ねられて男は苦笑した。
「それとも、あなたは、アバターで中は上層の幹部なのか?」
「ははは、どうかなあ。どちらにしろ、わたしは末端の黒騎士だよ。仕事が辛くて早々に逃げ出していてね、キミ達が知らないのも無理はない」
男は私の問いかけをぼやかした。
「で、逃げた先でこの子とのんびり暮らしていたら、急に大騒ぎが起こってしまって、正直、困っていたんだよ。やれやれ、ヒトの隠遁先で揉め事を起こさないでほしいものだ。でも、はっきりさせておくけれど、わたしはキミ達の敵じゃない」
にこりと笑って、男は首を傾げるようにした。
「わたしはロクスリー」
「ロクスリー?」
私は記憶の中を探したが、その名前に思い当たらない。ただ、男自体は、どこかで見たことがあるような気はしなくもないのだ。
だが、思い出せない。
「この子は、レディ・マルベリーだよ」
「マルベリー、そっか。赤くて可愛いもんな」
弟が笑顔になる。
金魚が彼の肩のあたりを漂う。
「彼らが騒ぎ出してから、わたしもゆっくりできる場所を追われているんだ。で、漁場を変えて移動している。だから、またキミ達と会うと思うよ」
私が目をしばかせると、彼は言った。
「ドレイクにネザアス、だったよね? それではまたね」
そういって、ロクスリーは立ち去っていく。
「ばいばい、ロクスリーとれぃでぃマルベリー!」
ばいばーい、と弟が手を振る間に、霧が晴れていく。
「あにさま、ロクスリーの金魚かわいかったな」
弟が手を振り終えて、私に話しかけてきた。
弟は、肩に飛んできたスワロ・メイを撫でやる。
「スワロもあんな感じで色々できるといいのにな。おれ、今よりもっともっと可愛がる」
「そうだな。あれは、ただの金魚のおもちゃじゃなかった」
そう答えながら、私はひとつ気づいていた。
あのロクスリーという男、私をドレイクと呼んだ。
(あの男、ネザアスはともかく、私の名前をどこで? 名乗っていないのに)
その答えを求めようとしても、霧が晴れると、彼の姿は最初からないもののように消えていて、何の痕跡も残らなかった。
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