5.弟の告解 —蛍— -2


 私は足早にネザアスのところに戻った。

 いつのまにか、日が暮れ始めていた。

 岩場に戻ると、近くに水場があるらしく、蛍がちらほら飛んでいて、なんだか私は不安になった。

 あの蛍の池のように、まるで蛍が小さな子供を連れていってしまうのではと、不安になった。

「ははっ、スワロ。ほたるきれーだなあ」

 不意に弟の声がきこえた。

 ネザアスはもう起きていて、蛍を追いかけて遊んでおり、機械仕掛けのスワロ・メイが周りを飛び跳ねている。

「ネザアス」

 不安から思わず声をかけると、ネザアスは私に気づいた。

「あ! あにさま、おかえりなさい!」

 弟は、先ほどより元気になっていたようだ。私は内心安心した。弟は蛍の飛び交う場所から、私の方にぱたぱた走り寄ってきた。

「あ、ああ、起きていたのか? もう大丈夫か?」

「うん。ちょっと寝てたら眠くなくなった。目が覚めたらあにさまいないから、ちょっとびっくりしたけどな」

「それは悪かった。眠っている間に行けると思ってしまって。ひとこと書き置きでもすればよかったな」

 私は自分のいたらなさに自己嫌悪する。が、弟は首を振った。

「ううん、大丈夫。おれ、待ってたらあにさまが帰ってくるってわかってたぞ」

 だから、待ってた、と無邪気に彼は言う。

「わかってた?」

「うん、あにさま、おれを置き去りにして行かないもん」

「そうかな?」

「うん、前にも置いていってってたのんだけど、結局、置いていってくれなかったもん。あにさま、そういうやつなの、おれ、しってる」

 私はちょっと面食らいつつも、彼のまっすぐな視線に目をそらしてしまい、慌てて話を変えた。

「そうか。ところで、ネザアス、良いものを手に入れたぞ」

 私はポーチをふところから出して、中身を改める。中にはいくつかの補給用の固形食料や応急処置用のキットが入っていた。その中に、ひとつ、回復用サプリメントがはいっていた。

「あ、それ、サプリメントだ! あにさま、どこで見つけたの?」

「近くの詰め所跡地で、通りすがった白騎士にもらったんだ。見つかってよかった」

「うん。おれたちには、それ、要るもんな」

「うむ。それでは早速」

 と、私は、パキンと飲み口を割る。

「これはネザアスが取りなさい」

「えっ?」

 差し出してその手に握らせると、弟は困惑したようだった。

「あにさまは?」

「私はいいから」

「でも、あにさまにも必要だよね?」

「私はあとで固形食料でも食べていれば十分。それにこれは、あの白騎士がネザアスに渡したかったものだろうと思う。お前のおかげでキットを貰えたのだ」

「でも、あにさまも足りてないよ?」

 私はネザアスの頭を撫でつつ言った。

「お前は小さいのに頑張って歩いてきたのだから、私より疲れている。たくさん補給しないとダメだ」

 弟はそんな私を黙って見ていたが、ふと、しゅんと視線を下げた。

 私はどうしたのだろうと不安になる。

「ネザアス?」

「ごめんなさい」

「えっ?」

 私は意外な謝罪にきょとんとした。

「あにさま、ごめんなさい」

「どうして謝るのだ? ネザアスは何も悪いことしていないよ」

「あのな、おれ、ねてるあいだ、少しだけ思い出したのあるの」

 弟はぽつりと話し出す。

「おれ、むかし、あにさまにいじわるした」

 私は目を瞬かせる。

「いじわるなこと、いってた」

「そうだったか?」

 いつのことを言っているのだろう。私が首を傾げると、

「うん。おれ、あにさまが羨ましくて」

「羨ましい? 私が?」

 私は目を丸くする。

「どうして私なんかが」

「だって、あにさま、すごいもん。強くてかっこいいし」

 弟は俯く。

「おれとちがうから。だから、うらやましかった」

 弟は続ける。

「あまつの」

 その名前にどきりとした。彼がこの姿になってから、その名前を持ち出すのは初めてだ。

「あまつの、あにさまのこと、お気に入り。あにさまとだけ、出かける。おれは、そういうときはつれていってもらえなくて、さみしかった」

 そういえば、そういうことはあった。

 上層部との打ち合わせなどのとき、わざとネザアスを置いていった。けれど、あれは、気に入っていたからではない。私が使いやすかっただけのことだ。

 間違っていると思えば口を出してくるネザアスより、黙っているだけの私が都合が良かっただけなのだ。

 しかし、弟は視線を下げてしゅんとしている。

「おれ、だから、うらやましくて、いじわるいってた。それなのに、あにさまは、おれのこと大切にしてくれる。だから、ごめんなさい」

 ああ、そうか。

 私はその時わかった気がした。

 私が彼に嫉妬したように、彼も私に嫉妬していたのだ。

 私は、自由奔放で主の意思など無関係に振る舞う彼が羨ましくてならなかった。そんな彼を創造主アマツノが愛して、自分の娘の名付けをさせたのが妬ましかった。

 私と彼は、きっと大差ない。同じ素材で作られたものだ。結局、この感情の出どころは同じだ。

 私と彼は、兄弟だから。

「ネザアス、私は気にしていない」

 おそるおそる彼が私を見上げる。私は彼の頭を撫でつつ、

「私は気にしていない。済んだことは、謝らなくてよい。私こそ、至らぬ兄ですまない」

「そんなことない。あにさまはすごい」

 慌ててネザアスが私を褒める。

「あにさまはね、すごくてかっこいい、おれのあにさまだよ?」

「ありがとう、ネザアス。でも、ネザアスもすごいよ」

「ほんとう?」

「ああ。ネザアスは私の自慢の弟だから」

「じまん? ほんとうに?」

 弟が目を輝かせた。

「本当だよ。勉強家で仕事熱心な自慢の弟だ。子供たちの話を聞いたり、見送ったり、つらい任務も、一人で笑顔で一生懸命やってたものな。えらいぞ」

「うん」

 弟が左目を少し潤ませた。

 ああ。何故。

 大人の私は、この言葉が素直に言えなかったのか。もしそうなら、ネザアスだってもっと早くに救われた。

 この姿は、私に素直に口を開かせる。元に戻れば、きっとたくさんのしがらみが、私の口を閉じさせる。

 私は弟のことを何も知りもしなかった。私が口を閉ざすから、彼も何も言わなかった。

 私は彼のことを結局何も知らないのだ。

 だから、今のうちに弟とたくさん話がしたいと思った。

「あ、そうだ」

 ふと、ネザアスが左目を瞬かせた。

「これ、半分にできる!」

 弟がサプリメントの真ん中ほどを、パキンと割った。そして半分を私に差し出す。

「あにさまも食べよ」

「いや、大丈夫だよ、ネザアス」

「あにさまがたべないと、おれもたべない」

 弟は真剣な顔だ。私は苦笑した。

 ひとつ共通点を思い出す。

 私も弟も、とても強情だ。

「言い出したら聞かないからな。わかった。でも次に見つけたら、お前の方がたくさん取るんだぞ」

「うん」

 にこ、と弟が笑う。

 私はサプリメントの半分を受け取って、微笑み返す。

 と、その時、私の脳裏に声が聞こえた。

『そっか。きみはそんなふうに答えるんだ』

 どきりとして私は顔を上げる。

『意外だね。ドレイク。聞こえてる?』

 私は眉根を寄せた。

 この声は、彼だ。創造主だ。

『でもわかったでしょ。邪魔に思っていたのはネザアスもだよ。彼も君を排除しようとしていた。許すんだ?』

 ふふっとそれは笑う。周りに複数名がいるのか、笑い声は多重に響いた。取り巻きと共に私たちを見ているのか、彼は。

『君たちは興味深いよ。オオヤギさん達の教育の賜物かな。まるで人間みたいだ。でも、君はこのまま弟を守っていくつもりなの? 彼は邪魔になるよ? 彼が弱ってるの、わかったでしょう? 彼が小さい姿になったのは、修復できるギリギリがそのサイズだってことだよ』

 この声は弟には聞こえていない。私だけに聞こえているものだ。

『——足手まといの弟を引き連れて、君がどうするのか、見守らせてもらうよ』

(アマツノ!)

 私は狂った創造主の名を心の中でつぶやいた。

『楽しみにしているよ』

(何を勝手に!)

 そんな声を私は振り切った。

(何が楽しみにしている、だ! 私とネザアスは、見せ物じゃない!)

 私は珍しく義憤に駆られていた。暮れゆく空を睨みつけていると、弟がそれに気づいたようだ。

「あにさま、どうしたの?」

 怪訝そうに弟が首を傾げる。

「いや、なんでもないよ」

 弟は少し心配そうになりつつ、ふと、目を瞬かせた。

「あ、あにさま、あれ見て」

 弟は、少し離れた水場の方を指さしていた。

 暗くなったそこにチラホラと黄色い光が瞬いている。

「蛍、すごくたくさんいるよ」

「本当だ。暗くなると壮観だな」

「ほたる、綺麗だな。スワロもそう思うって」

 弟は素直にうっとりとしていった。

 蛍の飛び交う風景は、むしろ私には不気味なイメージすらあったけれど、その時は弟の言う通り、幻想的で和やかだった。

「せっかくだから、あのあたりを通って行こうか」

「うん」

 蛍のふわふわ飛び交う中を、弟の手を引いて私は進む。近くでゆるやかな水の音がした。

 子供の手を離したらどこかにいってしまうかもしれない。弟がかつて言っていたことが、今の私にはよくわかる。

 だが手を離さなければよいのだ。

 足手纏いだろうが、なんだろうが、私が守ってあげれば良い。きっと、弟だって、子供達にそうしていた。

 そんな中、私に、弟がサプリメントを齧りつつ笑いかける。

「あのね」

「うん?」

「今度はね、おれがあにさまにサプリメント、見つけてあげるね」

 ふふ、と私は笑った。

「そうか。それでは期待している」

「任せて!」

 弟の左目に蛍の光が映り込んで、キラキラしていた。

 それをみているうちに、先程はあんなに不安だった蛍の光が、私にも美しく楽しいものに思えていた。

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