4.傷の感触 —触れる—
「あにさま、なんだか眠い」
荒地をひたすら進んでいると、弟に声をかけられた。
おそらくもうすぐ次の基地。
そろそろ、目視もできるようになろうかというところだった。
そこで、そう声をかけられて私は振り返った。
「ねむいよ」
弟が目をこすりながら、私にそう言った。
「なんか、急に眠い、みたい」
「そうか。ならば、少し休もうか。悪路ばかりだから、疲れたのかもしれないからな」
「うん」
ふわふわ右袖を揺らしながら、弟はうなずく。
「そうなのかも」
おもちゃの小鳥のスワロ・メイが、心なしか心配そうに弟の頭に乗る。
「お前は小さいのに、がんばって歩くから無理もない」
そういう私も、少し疲れを感じていた。
本来なら疲れなど知らぬ、強化兵士の我々がである。
(サプリメントが手に入っていないからかな)
私は密やかに危機感を感じていた。
我々黒騎士は、本来、人と同じ食料をそれほど必要としない。
その代わりに必要なものは、
戦闘用強化兵士の黒騎士である我々は、特に特定の栄養素の補給が不可欠で、それは食事からとりづらい。効率よく摂るためにサプリメントが支給されていた。
しかし、先の戦闘で爆発にも巻き込まれた我々は、所持品の一部をなくしていた。そのサプリメントだけは、現地調達が難しい。
なにせ、それを必要とするのは、ナノマシンである
活性化した汚泥により感染したものは、時に泥の獣と称される異形になることがあり、もとより我々はそれらと戦うために作られた存在であった。
さらにいえば今回は敵が黒騎士。
敵の栄養素を戦場にばらまくわけがなく、私も弟も自分の食い扶持は自分で用意していた。そして、それをなくしてしまっているのだから、調達は困難なのだ。
「どこか痛くはないか? 右の体などは」
そういえば、弟はこうなる前に、右上半身を融解させるほどの大怪我をしたはずだ。私はそれが気がかりになった。
「いたくないよ。ただ、ねむたい」
弟が左目も右目もこする。
「あまり目をこすってはだめだぞ。右目も見せてみなさい」
私は念の為、彼の右の眼帯をはずして、顔の傷に触れてみた。子供の姿になっても、デザインに組み込まれた傷あとは痛々しくのこっている。
「本当に痛くはないのだな」
「うん。だいじょうぶだよ」
「そうか」
近くの岩場に背を持たせかけて、弟を休ませる。
「ここなら危険は少ないと思う。少し休もう」
「んー。あにさま、おやすみぃー」
ネザアスは、すぐにすやーっと寝てしまっていた。
(私より疲労がつよい。体が小さいせいもあろうが、もしかしたら。あの、怪我のせいではないだろうか)
私はそんなふうに考えた。
(ネザアスは、あの爆発で我々が子供の姿になる前、右半身が融解するほどの大怪我をしていた筈だ。だから、子供の姿になっても、私と違って記憶が欠損しているし、より小さな姿になったのでは?)
私はそう考えていた。
弟の傷に触れた時、私はふと先の激戦の直前のことを思い出していた。
あの時、私は弟と大喧嘩をしたのだ。
私は彼の傷に不用意に触れ、彼も私の傷に触れてしまった。
***
「くそっ!」
右手に握った薬瓶を蓋を開けようとして、そのままぶちまけてしまい、彼は苛立ちを隠さない。
はぁはぁと息を荒げながら、彼は左手で乱暴に掴めるだけ白い錠剤をつかむと、そのまま口の中にざらざら流し込む。
その正しい用量がどれほどのものか知らない。ただ、弟が冷静さをかいているのも確かだった。
弟は錠剤を水でながしこむと、息を吐いた。その顔は真っ青で、脂汗をだらだら流す額を拭っていた。
弟の飲んでいるのは鎮痛剤の類だが、あらかじめ注射剤も使っているはずだ。それでも効かなくなっているようだった。
黒騎士、奈落のネザアスことユウレッド・ネザアスは、我々が受肉していない、電子の時代から右腕が欠損していており、右目の視力も失われている。それはモデルの問題であるらしく、私が何かと目の調子がよくないのと同じようなものだ。
電子時代、ただ我々が創造主アマツノの遊び相手として、彼に相応しい答えを返すだけの存在だった頃は、しかし、さほどそれで不自由をしたことはなかった。
電子の世界でも制約はあったが、肉体を実際に持つのと持たないのとでは大きく違いがある。それを踏まえると、肉体がなかったころの私と今の私が同じ存在なのかも、どこかあやふやになってしまいそうだったが、とまれ、そういうものだった。
泥の獣と汚泥を抑え込むのに、我々を現世でつくりだした創造主であるので、我々は戦闘能力についても期待されていた。そのため、不利になる“設定”は排除されるべきものだったが、うまく修正ができなかったらしく、あとあとで影響がでがちだった。
ネザアスとて戦闘のために右腕の修復や視力のカバーはいつだってできるようにされていたのだが、事実上、肉体修復には問題があるらしく、実際彼は修復を好んでいなかった。
しかし、強敵であるヤミィ・トウェルフとの戦闘では、上からの命令もあってネザアスには強制的に修復処置が行われ、私も視覚の強化がされた。
私は確かに視力が良くなり、遠くの索敵もできるようになった。が、私はそのためか、閃光に目がついていかなくなった。一度強い光を浴びると、視力が回復するまでに時間がかかってしまうのだ。
一方のネザアスはもっと深刻で、修復された右腕がうまく動かなかったらしい。筋肉が攣ってしまうらしく、無視して使うと激痛が走るらしい。そのためか、このところは、真っ青な顔をして、大量の鎮痛剤を飲んでいる彼をよくみかけた。
無理からぬことだ。
ドクター・オオヤギに事前に言い渡されていた。我々は元のプログラムの影響を受けてしまうため、修復すると不具合が出る。
「リハビリが要るからね。必要な時は、ゆっくり慣らしていく必要があるから、いつでも言ってね」
そう言われていたが、オオヤギの左遷中に、中央の上層部から修復して作戦に参加するようにお達しがあったのだ。当然、リハビリ期間など設けられなかった。
それは、あのアマツノですら把握していなかったことだったらしいから、我々の体に詳しくないものたちの命令だったのかもしれない。
「ネザアス」
私はみかねて声をかけた。
「無理はせぬ方が良いのではないか? 痛覚遮断もできるだろう? 何故しない?」
「っ、う、うるせえなあ!」
ネザアスは左手で右腕を抑えながら言った。
「痛覚遮断しちまったら、右手の感覚ごとなくなっちまうんだよ! それやると、戦えなくなる!」
子供の面倒を見るのを楽しんでいたが、弟の本質は戦闘用強化兵士。私もそうであるが、戦うことは我々の存在意義だった。
それは、何をおいても優先された。
「無理してでも慣らさなきゃならねえんだ!」
弟の右目が私を睨む。
新しく与えられた弟の右目は、彼が望んでいたウルトラマリンブルーだった。左目はそのまま夕陽の色をしている。そんなオッドアイの状態の弟の右目が、完全には機能していないらしいことは、視線の動きでなんとなくわかる。
しかし、問題は右腕の方だった。
傍目にもわかるレベルで指先がふるえている。痙攣しているのだ。
「唐突な修復には副作用がある。ゆっくり慣らす必要があると、ドクター・オオヤギが言っていた。今のお前は体がついていっていない」
「うるせえな! そんなことは、おれが一番わかってるんだよ! だが、この姿で戦えって言われたら、そうするしかねえじゃねえか! 鎮痛剤で誤魔化しながら、なんとかしてんだよ!」
弟は多少痛みが引いたのか、右腕から手を離す。
「おれは、急拵えの修復なんてされなくたって十分戦えたんだ。余計なことされちまったからこんな」
「その気持ちはわかるが」
と、私は珍しく彼の肩に手を置いて話した。
「今のお前に必要なのは休息だ」
私は、多分、慰めてやるつもりだったのだと思う。
「いくら我々とはいえ、その量の薬を発作のたびに服用するのはよくない。これ以上無理したとしても、戦闘にも良い影響が出ない。私が前線に向かえば、それで事足りる。お前は……」
休んでいろ、と勧めるつもりだった。
「は!」
ネザアスは嘲笑して、私の手を右手で弾いた。右手は冷たかった。
「うっせえな! 触るんじゃねえよ!」
ネザアスの視線は、いっそ憎悪が感じられる。
「ちょっと先に生まれたからって、兄貴ヅラしやがって! てめえにおれの気持ちがわかるか! お前がいれば役立たずのおれは不要だってか?」
ネザアスは私をふるえる右手で指差した。
「あのなあ! 言っておくが、アンタなんて前線にきても何の役にも立たねえんだよ! お優しいアンタじゃ、ヤミィなんかと戦えねえ! どうせ、肝心なとこで迷いが出る!」
私は静かにむっとしたが、まだ黙っていた。ネザアスは攻撃的にまくしたててきた。
「中央に呼ばれたのは、本当はおれ一人だったんだ。でも、黒騎士はおれとアンタしかいねえから、アンタはおれのサポートで呼ばれただけなんだよ! アマツノだって、おれにしか期待してねえからな! おれさえいればそれでいいんだ!」
だから、とネザアスは目を細めた。
「アンタはしゃしゃり出てくるなよ、足手まといで、邪魔だから! あの腐った遊園地に戻って良い子で待ってな!」
「何だと!」
私は思わず目を見開く。
珍しく、反射的にもやりと何かの強い感情が腹の底から頭をもたげた。
それを見てネザアスがニヤリとした。
「なんだよ、怒ったのか? はは、アンタのそういう顔、久しぶりに見たな。別にいいんだぜ。やるなら、いつでも受けてたってやる! いい加減どっちが強いか決着つけてやるからな!」
ネザアスは立ち上がった。まだ彼の足はふらついていたし、顔は真っ青のままだったが、強がっているようだった。
「まあ、そういうことだからよ。アンタは帰れよ! 前線には、絶対出てくるな!」
弟はそう言い置くと、私を残して去っていく。
私は彼を睨んでいたと思う。
私は、珍しく腹を立てていたのだ。
だから私は決意していたのだ。
今にみていろ、と、その時思ってしまった。私は弟が何を考えているのか、理解しようとしなかった。
私は、弟を出し抜き、彼が気づかぬうちに前線に出発した。
戦場に散る閃光は蛍の光のようだった。
特に基地の外に見える光が。
その閃光のもとで、同胞が失われているのを私も彼も知っていた。
彼、ヤミィ・トゥエルフは、その光をもろともせずに仁王立ちしている。
「長兄がくるとは意外」
ヤミィは口数の少ない男だ。
黒騎士たちを煽動したのは、彼だとされていたし、実際にカリスマ性のある男ではあった。
しかし、自分でも無口だと思っている私と同じぐらい、彼も口数の少ない男だ。私は、正直、彼がどのように皆を煽動したのか、わからない。
ここにくるまでに何人か、顔を見たことのある黒騎士が邪魔をしてきた。
私も黒騎士だが、黒騎士の数も最終的にはそれなりに多い。顔を見たことがある、程度の人物の方が多かった。
私は弟と違い、人間関係を率先して構築するタイプではなく、彼らに特別な思いはなかった。
しかし、それでも、同じ黒騎士を滅ぼすことには抵抗がなかったわけではない。
彼らはある意味では正気を失っていたが、彼らの言い分は理解できたのだ。
「我々は創造主に騙されていた。もっと自由に生きるべきだ」
彼らは口々に言った。そして、それを目的に狂的に襲いかかってきた。
私は、それが正しいかどうか、判別できない。ただ、私にとって、創造主アマツノの命令は絶対であった。命令、というより、約束と言っても良い。
私が受肉したとき、私と彼は約束をした。
だから、私は約束を守ってここまできたのだ。それだけのことだ。
そんな私に彼らはお前こそ狂っていると指摘を繰り返してきた。
「創造主の奴隷! お前こそ死ね!」
私はそういって襲いかかってくる彼らに反撃した。彼らも弱くはないが、私の敵ではなく、私は冷酷に彼らを黒物質の海に沈めた。
私は冷徹な男。それをモデルに作られた。だから、そんなことで感傷を感じるべきではない。
そうこうしていると、ヤミィが私に気づいたらしく、近づいてきた。
「長兄より、血の気の多いネザアスが先に来ると思っていたが」
「私では不足だろうか?」
「まさか。逆に厄介だ」
ヤミィは美丈夫だった。りっぱな体格と風格を併せ持ち、堂々としていた。私と弟がレギュラーから外され、左遷されていた間も、彼はアマツノの寵愛を受け続けていた。それだけの男であった。
その引き締まった顔は、表情をほとんど変えない。ただ、ふと唇が歪んだ気がした。
「実は長兄とは、一度手合わせしたいと思っていた」
「そうか」
来る。と私は思った。
ヤミィの殺気は強い。
私のように足元からゆるやかに漂うものでなく、ネザアスのように鋭く放たれるものでなく、この男の殺気はとにかく重く強い。
対峙すれば、それは恐ろしく強く感じられる。
私はその重みを実感しながら、刀を構えた。
私の剣は待ちの剣だった。
相手が仕掛けてくるところを、カウンターで確実に仕留める。相手によってはこちらから攻撃して、誘うようなこともするが、相手はヤミィ・トゥエルフ。
ヤミィは二刀を手に取ることもあるが、今は長剣を構えている。それだけに彼の力強い剣は生半可に受けられないと思った。私も緊張した。
ザッ、とヤミィが踏み込んできた。大柄だが速い!
私はそれを避けながら斬りあげる。ヤミィは流石にその直撃を受けてはくれなかったが、彼が後ろ向きにふらついたところで私は追撃した。
ガッと鈍い音がして、ヤミィは私の剣を受けると体勢を整える。私は深追いせず、元の構えに戻った。
「流石は長兄」
長兄。
その言葉に、わずかながら私の心が動揺した。
『そんなに気負わなくてもいいけど、君はお兄さんだから』
ととある声を思い出す。
『できたらみんなを守ってあげて』
黒騎士は、広義ではみな兄弟姉妹だ。そういう意味では、私は、その長兄。
その私が彼らを滅ぼすべく、ここに先兵として立っている。
(おれは、冷徹でなければならない。そうあるべきだ。自分が違うのであれば、冷徹な男を演じなければならない)
そう求められていた。
しかし、一方で私は本当は。
それを見透かしたようにヤミィが言った。
「だが、長兄は甘い」
「何がだ」
ヤミィの瞳に狂気じみた殺気が輝く。
「長兄は"優しい"。その優しさは命取りだ」
その瞳は、元のウルトラマリンブルーではなく、ネザアスとも違う赤い色だ。
彼こそ、選ばれたものの特別な瞳を持っている男だった。
と、その時、ヤミィの背後で強烈な光が弾けた。それは何かの爆発のようだった。
それに視力を奪われた私は、ヤミィの人影が踊り、彼の殺気が近づくのを感じた。
それと同時に私の背後から、鋭い殺気が私とは別のものに向けられながら近づいていることも。
「兄貴! どけ!」
その時、肩を掴まれ、押し除けられた。その手は左手で、私はそれがネザアスだと気づいた。
「ネザアス!」
私の不確かな視界に、黒と赤が交錯するのがわずかながら見えていた。
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