2.濁りなき感情 —透明—

***


「ドレイクは、まるで透明なガラスみたいだな」

 突然そう声をかけてきたのが、上層アストラル中央局の重鎮であり、科学者であるマガミ・B・レイであったことに、私は内心驚いていた。

 というのも、顔は知っていたが、ほとんど彼と話したことがなかったからだ。彼が我々黒騎士の開発メンバーの一人であるのにも関わらず、彼は無駄な口をきかない青年であった。

 上層アストラルの休憩ルームでのことだ。


 マガミ・ビッツ・レイという名前である青年は、元は、ナノマシン黒物質ブラック・マテリアルの開発チームの一人の研究者だった。

 そもそもそのプロジェクトもプロフェッサーDの率いたもので、チームの主だったメンバーは元から彼の抱えていた研究生らしい。

 "創造主"と呼ばれる天才アマツノ・マヒト。

 サイバネティクス医療が専門である気の優しい医師オオヤギ・リュウイチ。

 ハッキングまで手がけていた人格破綻気味の天才プログラマー、フカセ・タイゾウ。

 体育会系で明るくキザなナノマシン研究者、ナカジマ・ギンジ。

 そして、物静かでアマツノと同じ天才肌のマガミ・ビッツ・レイ。

 その五人がプロフェッサーの元で、ナノマシン万能物質オールマイティ・マテリアルを開発し、この上層アストラルを構築し、我々を作ったメンバーの筆頭格だ。

 特に、我々初期ロットの黒騎士五人は、創造主カミであるアマツノ・マヒトが暇つぶしに作ったゲームソフトに起源を持つらしい。

 一度、開発チームが解散したことがあり、まだ幼く寂しかったアマツノは、チームメイトをモデルにしてゲームを作って遊んでいた。オオヤギから教えてもらった古い本のヒーローから人格データを取り、チームメイトの外見モデルをあてはめて、作り上げたというのが元の我々だ。

 電子の世界でアマツノの友人となった我々が、この世界で受肉したのは、彼が直面した危機がなじみの我々を必要とするほど厳しいものだったことにもよる。

 私は詳しく知らないが、アマツノ達の住んでいた世界は破壊に見舞われて、彼はそれを修復し再構築しようとしていたのだという。

 元のチームメイトは我々黒騎士の受肉にも協力していた。

 しかし、政治的思惑が強く動くようになったのち、彼等と創造主との関係はそれぞれ変化があった。

 ドクター・オオヤギのように、彼の方針に異を唱えて左遷されるものもいれば、マガミのように彼の側近となって辣腕を振るうものもいたのだ。

 マガミは技術的な部分より、創造主の政治的な部分の多くの手助けをした人物であり、良心的なオオヤギからは非難されることもしていたようだ。

 そういった側面もあって、私や弟はマガミから声をかけられることはなかった。ドクター・オオヤギが直々に製作に加担した私たちは、彼とも親しい。マガミにしてみれば煙たい存在だと思っていた。

 そのマガミに声をかけられたのだ。しかも、意味がすぐにわからなかった。

「とうめい?」

 鸚鵡返しに返すと、マガミは頷く。

 繊細な顔立ちの美青年といった外見のマガミだが、あまり愛想は良くない。口数も多くない印象だ。そんな彼から突然そう評されて、私は困惑していた。

「君はフカセさんと外見は瓜二つなのに、全然違うな。フカセさんは底知れない、何を考えているかわからない人だけど、なぜだか、僕は君のことがよくわかる」

「そのようなこと言われたのは、初めてだが」

 私は、内心困惑していた。

 弟をはじめ、私は普段何を考えているのか分からないと言われがちだ。

 私の肉体の外見モデルのフカセ・タイゾウにも『お前は俺と同じツラしてるのに、フワフワして、ほんま何考えてるのかわからへんな』とはっきり言われている。

「フカセさんは、なんていうか、濁った水の中にいるような感じでね。すぐにキレる割に、何を考えているのか、本当にわからない男なんだ。彼の対応には、僕も困ったものだよ。それに比べると、君はとても透明で素直だ」

 私が黙っていると、マガミはそのまま続けた。

「だから、僕は君が何を感じでいるのか、少しわかる気がしている」

 それは、どういう?

 私はそう尋ねようとして口を開こうとした。

 と、その時。

「あ、だれかと思ったら、ドレイクじゃないか。それに、レイくんも」

 そういって声をかけてきたのは、一人の青年だった。童顔と言っても良いのだろう。まだあどけなさすらのぞかせるその男が、創造主とよばれる、我々を作り出した張本人であるアマツノ・マヒトだった。

「珍しい取り合わせだねえ。君たち、仲良かったの?」

 創造主アマツノは、その日は調子が良かったのだろう。さながら、その彼の姿は昔の健康的な少年アマツノそのものだ。

 彼、アマツノが、かつてと徐々に変わりつつあるのは、彼の周囲にいるものは皆感じていることであった。

 彼が、ここで創造の神同然の扱いをされているのは、彼にこの世界の再建について、それだけの功績があるからで、多くのものが彼の肩にかかっていた。

 そして、彼もそれに答えようとしていたようだ。そこにはもちろん、野心もあっただろう。

 しかし、一介の人間がカミになるのは難しいことでり、アマツノはそのために徐々に精神が蝕まれているようだった。

 ドクター・オオヤギとの決別も、それが故。

 元は愛してくれていたはずの我々を、『旧型の役立たず』と断罪して徐々に遠ざけていったのも、それが故であろう。

 人の情を忘れてしまったかのように変わっていく彼を見ると、感傷を知らぬはずの私でも、心が掻き乱される気がした。

 ただ、調子の良い時の彼は、私がよく知る優しいアマツノ・マヒトではあった。今日がそうで、そのような彼を見ると懐かしくも安心した。

「やあ、アマツノくん、少しドレイクと話したいことがあったんだ」

「そうなんだね。レイくんは物静かだからな。似たタイプだから、ドレイクとは気が合うのかも」

 アマツノはのんびりとそういうと、ふと視線を後ろに向けた。

「ネザアスもそう思うよね?」

「あん?」

 アマツノは後ろにそう問いかけるが、ガラの良くない返しがある。

 柱の影になるところに、弟のネザアスが立っていた。

 黒騎士用の上級将校軍服を着ている弟だが、しかし、態度はいつもの彼で、アマツノの前でも特段改めない。

「アマツノくんこそ、ネザアスと一緒とは、今日はどうしたんだい?」

「ああ、ほら、三日前に僕に娘が産まれただろ? まだ名前がついていないんだ。どんな名前にすればいいのか、悩んでしまってね」

 アマツノは嬉しそうに言った。

 アマツノに娘が生まれたのは、知っていた。そもそも、私やネザアスが、この上層アストラルに呼ばれたのは、彼の子供の誕生を祝うための集会に参加するためだったのだ。

「それでね、ネザアスに娘の名前をつけてもらおうかなっておもっていて」

 アマツノは、嬉しそうに言った。

「ほら、ネザアスは、テーマパークのゲートで、アバターの名前をつける仕事をしているだろ。だから、とても名前つけるのがうまいんだよね」

「まあなあ。ちょっとしたゴッドファーザーってやつだぜ」

 弟は素直に得意げになった。

「まあでもよ、アマツノの娘の名前をつけるってなると、流石におれも緊張するけどなあ」

 弟は珍しく正直だった。

「へえ、それは随分な栄誉じゃないか」

 マガミがそういった。

「恩寵を持つ黒騎士でも、創造主の子の名前をつけられるものなんて君くらいだ。古来、名前をつけるというのは、特別なものにしか許されない仕事なんだ。さすがだね、ネザアス。おめでとう」

「いっ、いやあ、別にそんな大袈裟なことじゃあねえけどさあ」

 弟は、あまりマガミを気に入っていなかったが、それでもそんなふうに言われて悪い気はしなかったらしい。

「ということで、ネザアスに彼女の顔見せしようと思ってね。今から赤ちゃんを見に行くんだよ」

 アマツノは笑顔だ。

「実は、ちょうど君たちも誘おうと思ってたんだよ。ドレイクもレイくんも、お話が終わってから来てくれる?」

 アマツノは、私にもそう声をかけてきた。

「君達にも是非顔見せしたいんだ」

「もちろん」

 私は頷いた。

「じゃあ、後でね」

 創造主と弟が立ち去っていく。

 その背中を私はただぼんやりと見ていた。

 何故か、私は落ち着かなかった。胸の奥底にうっすら湧き上がる得たいのしれない感情が私を浮き足立たせていた。

「本当に。君は透明だな。ドレイク」

 不意にマガミ・ビッツ・レイの声が聞こえた。

「僕には君の心がよくわかる。君は、さっき、ネザアスに嫉妬したんじゃないのかい?」

 マガミの声に、私はどきりとした。

「嫉妬? これが?」

「もやもやと湧き上がる黒い感情があるのなら、それが嫉妬だ。受肉して初めて知っただろう。体を持つっていうのはそういうことだから」

 マガミはにこりともせず、無表情だった。そのまま、かれは動揺する私に言った。

「君は、本当は、自由で明るく優秀な弟が目障りなのではないかな?」

 マガミは初めて微笑みかけていた。

 私が、マガミの心からの微笑みを見たのは、それが最初だった。

「君は僕と似ている気がするよ。他人とは思えないな」

 なぜか、その時寒気がしたことを私は覚えている。


***


 目の前にある湖の水はどこまでも澄んでいた。透明な水は、底まではっきりみえていた。

「あにさま、この水飲めそうだね」

「ああ、黒物質に汚染されている形跡はない。他の毒物は、黒騎士の私たちにはあまり効き目がないしな」

 私はそういって水を飲んでみる。私の味覚はかなり鈍いが、体に影響があるレベルの毒物ならある程度わかる。

 とりたてて舌に刺激はない。

「大丈夫そうだ」

「水筒に汲んでいく?」

「ああ、そうしよう」

 ステンレス製の水筒は、最初の基地から持ってきたものだ。

 多少の糧食と飲料は持ってきたが、飲料の方が先に尽きた。元より我々はあまりヒトの食べ物を欲しないので、食べ物はそれほど要らない。この姿になってから、使用するエネルギーも少ないのか、補給もそんなに必要ではなかった。が、水分の必要性は感じている。

 綺麗な水が補給できる場所は、貴重だった。

 二人で水を汲んでいると、ネザアスがふと私の顔を見た。

「どうした?」

「あにさまは、とうめいだねえ」

「えっ?」

 どきりとして聞き返す。

「透明?」

「そう、とーめい」

 弟は頷いた。

「あにさまの目、とても透明だよ。青くてきれい」

 私は動揺をしずめた。

「そ、そうか。それは、黒騎士はみなこのような目をしているからな。ウルトラマリン・アイというのをきいたことはないか」

 弟の持つ以前の記憶は、どこか不安定だ。

 黒騎士に与えられた瞳の色が青いことを、忘れてしまっているかもしれない。その青の瞳は、創造主と同じ色で、黒騎士に与えられた恩寵であった。

「でも、おれ、ちがうよ。おれだけ、目の色もちがうし」

 と、弟はうつむく。

「おれもみんなと同じの欲しかったのに」

「それは」

 お前が特別だからでは?

 といいかけて、私はやめる。

 確かに。弟の左の瞳は、赤みを帯びた色だ。今は隠れている右目は白く濁っているから、元の配色はわからないが、左はもとから茶褐色だった。

 黒騎士たちにはウルトラマリン・アイと呼ばれる瞳が与えられていた。

 多少の個人差はあったが、弟のようにはっきり夕方の空のような茶褐色は珍しかった。ウルトラマリンの原色の色合いから採用された赤色だったが、弟と同じ色の瞳を他の黒騎士は持ち合わせていない。

 彼がその瞳を持つことを、私は当初彼が特別だからだと思っていた。

 彼が名付けを許されるほどのお気に入りであったからなのでは、と。

 しかし、彼の瞳が選ばれしものの瞳ではないと、今の私は気づいていた。

 だから、創造主と同じ瞳を与えられなかった彼の気持ちも、今はわからなくもない。弟は、それを気にしていたのかもしれない。

「その、ネザアスの瞳の色も綺麗だと思う。その色は特別だし、ネザアスの瞳も透明だぞ。黒騎士の瞳はきっと透明度が高いのだ」

 私は下手な慰めを口にした。

 この姿となってから、私はかつてより口数が多い。子供の姿になったことで、話しやすくなったのかもしれない。

「そうかなあ」

 弟は私の言葉にほんのり安心した様子になった。

「でも、あにさまのが透明だよ。他の黒騎士より」

「そうか」 

 弟には。

 と、私は内心気掛かりになった。

 透明だという私。

 ならば、弟には、マガミのように、私の心底が見通せるのだろうか。

 そうだとしたら、弟はどこまで気づいているのだろう。

 子供の姿になった弟の手を取った時、私の脳裏に、狂った創造主の声が響いていたことと、それに対して私が何を考えたのか。


『おやおや、ネザアスは随分小さくなったものだね。そうか、ちょうど良い機会だ。君に前から聞きたかったんだよ』

 それは創造主アマツノの声だった。

『レイくんにきいたんだ。君は、ネザアスに劣等感を抱いていたんだね。僕はちっとも気づかなかった。レイくんはよくみているよ』

 あの時、私の脳裏にそんな言葉が響いた。

『かつて神代、弟に嫉妬した兄は弟を殺してしまったと言うけれど、まさに今の何もわからない小さなネザアスの生殺与奪は君のもの。君はこういう時どうする?』

 いつものなんでもない観察実験をしているように、アマツノは尋ねてきた。

『君ならどうするの? タイブル・ドレイク。マガミ・B・レイくんの報告から、僕は君たち兄弟に俄然興味が湧いた。良い機会だ。僕たちは、君たちのことを観察させてもらうよ』

 その問いかけに、私は返事をしなかった。

 即答できなかったのだ。


「でもねえ、あにさま」

 弟に声をかけられて、私は我に帰った。

「とうめいはきれいだね。水筒の中の水まで透き通ってきれいだよ」

「そうだな。とても美しいな」

 私がそう答えると、弟はいった。

「おれのもあにさまの目もとうめいだから、見るものがきれいにみえるのかな」

 そう尋ねられて私は苦笑した。

「そうなら良いな」

「きっとそうだよ」

 私はまだ答えを出せていないけれど、私の瞳が弟から見て濁りなき透明なのなら、それで良いと、ふと思ったものだった。


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