少年紀行

1.番傘雨情 —傘—

 ざあざあと外では雨の音がしていた。

 下層ゲヘナ、それも戦場に降る雨は、より多くの汚泥を含む重たい雨だ。それがしとしと続くのは、私でなくても気が滅入る。

 黒騎士の我々は、汚れた雨に濡れても多少平気だが、ずぶ濡れは好ましくないのも確かだ。

 降る雨は、重く冷たい。

「見つけた対汚泥コート済みのビニール傘が、壊れてなければ良かったのだが」

 廃墟の屋根の下、私はためいきをついていた。

 最前線の基地の爆発から逃れ、最寄りの基地では白騎士から協力を断られたわたしたちは、道中、廃墟に立ち寄りながら風上の基地を目指している。

 その間の物資は現地調達するしかない。

 少年の姿になった我々は、最初に衣類に困ったのだが、これについては、ある程度サイズ調整のできる衣類をもっていたことと、基地に少年兵用の衣類があったのでことなきを得た。武器については元から持っていた剣を二人とも下げているが、今のところ危険にはあっていない。どれほど戦えるかはわからなかったが、満更、戦闘能力がないわけではないはずだ。

 荷物はそれなりに持てる。

 少年の姿になったといえども、私たちは黒騎士。ニンゲンの少年とその力の強さは違う。

 だから、必要なそうなものは、見つけた背嚢に入れてせおってきていたのだが、残念ながら回収したビニール傘は、破れていた。小雨ならともかく、本降りになると、とても使用に耐えるものではない。

 突然降り出した汚泥を多量に含む雨は、我々にとっても毒だ。私達は素直に廃墟の一角で雨宿りをすることにした。

 そんな中、ぱたぱた軽い足音が聞こえた。

「あにさま、ほかの傘見つけた!」

 室内にいないと思っていた弟が、小さな手に大ぶりの傘を二つを広げながら走ってきた。黒と赤の傘だ。

「これなら雨大丈夫だ! 雨でも進めるね!」

「本当だな。こんな黒物質ブラック・マテリアル対策してある傘が残っているとは」

 弟の持ってきた傘を確かめる。

 確かに表面に対汚泥のコーティングがされている。ただ、黒い傘には、骨が折れているところがあって形が歪だ。

 だが、体の大部分は隠せる。

 ふむ、と私は唸った。

「少し折れているが使えそうだな」

「あー、それ、大丈夫。あにさま、おれ、直せるよ? 工具もみつけたの!」

 弟が目を輝かせて言った。

「おれ、傘、直すの得意だもん。あにさまのも、直してあげるね」


 ***


「くそっ、こんな雨ばっか降ってるエリアを担当にされてもな。あー、くそっ、ふざけんなよ! おれはジメジメしたのが嫌いなんだ! せっかくあつらえた着物が濡れるじゃねえかよ!」

 弟の独り言は、いつも誰に聞かせるつもりもないくせに大きかった。

 下層ゲヘナの広大な土地を活用するために作られた、テーマパーク奈落に派遣されていた私達。そのテーマパークには、花札をテーマにした十二のエリアが存在した。弟はその全てを網羅しつくしていたが、主な根城は霜月のエリアであった。

 霜月のエリアは、十一月の花札の絵柄に沿って降雨が多い設定がなされており、必然的に弟は雨の中、ゲストを案内することが多かったらしい。

 弟はそれをぼやいているらしいのだ。

 しかし、弟はおとなしく雨の不利益ばかり被る男でもない。

 弟は派手好きであるから、雨の中で一際映える綺麗な番傘を、いくつもあつらえていた。

 元からの"設定"にのっとり、弟には右腕がなく、その点は不自由を強いられていた。が、弟はそれを逆手にとったように、傘を投げつけるようにして、ばさあっと華麗に開いていた。

 さながら大見栄を切るようなものであり、その姿はなかなか格好が良いため、ゲストの子供達にも好評であったらしい。

『ネザアスさん、かっこいいね。もう一度やってよ』

『ネザアスさん、やり方教えて』

 そんなふうに頼まれているのを見かけた。

『いいぜえ。まあしかし、おれみたいにかっこよくなるには年季が必要だけどな』

 弟は粗暴な男で、戦闘時には我を忘れるほどのめり込むことすらあったが、子供には基本的にやさしかった。

 そして、子供の心を掴むのもうまかった。

 彼はここに来る子供たちにとって、ヒーローであったし、乱暴な彼とて、子供の前ではせめてその体裁を保っていた。

 しかし、その日は雨が強くて誰も来ず、団体での見学も中止になった。

 来場者がいないので、彼も案内人ガイドの仕事がなかった。

 我々の担当先は違う。

 私はほとんど保守などの裏方業務だ。

 しかし、同じ強化兵士の黒騎士として、客もおらず、任務のいない時に待機する詰所は同じだった。

 そういう時、私と弟は同じ詰め所で並んで座ることもあった。

 デスクワークというものも特にはないので、時間が過ぎ去るのを待つだけだ。我々の間には取り立てて会話もなく、めいめいの好きなことをするだけで、空間を共有しているだけだった。

 暇を明かした彼は、ゲストの子供用の番傘の手入れをし始めていた。

 弟は基本的には結構器用だった。

 体の不自由はあろうが、大抵のことは自分でしてしまうし、私と違って何かと対応ができる。

 傘の補修も、足で押さえつけるようにしながら、傘の骨を直しているのをよく見かけていたし、今日も器用に壊れた傘を直していた。

 しかし、たまたまその傘だけは修理が大変だったようだ。右手の使えない弟は、ぐるりと回ってしまってうまくいかない傘に手を焼いており、舌打ちしていた。

 そして、とうとうぼんやりと窓の外の雨を見ていた私に、視線をくれた。

「暇ならちょっとこれ持っててくれよ」

 私に声をかけてきたのか、とばかり彼を見ると、弟は頷いた。

「なんで確認するんだ? アンタの他に誰もいねえだろうがよ。ったく。まあいい。いるならたまには役にたて。ちょっとこれ、押さえててくれよ」

 弟の物言いは相変わらずぶっきらぼうだったが、いつものことであり、それで腹を立てることはなかった。

「承知した」

 私は短く答えて、傘を手にする。

 弟は補修用の部品を手際よくとりつけて直していく。

「いくらテーマパークったってさ、雨は汚泥が多少含まれてるんだよな。なんかあってからじゃ遅いからよ。ちゃんと直しておかなきゃなあ」

 弟はそういった。

「本当は新しいのが欲しいんだが、予算がねえ。贅沢いえねえからなあ」

 彼は一人で一方的に何か話していた。別に私の相槌をまっているわけでもなく、独り言の延長のようだ。

 そうして、ひとしきり独り言のように話し終えた後、弟は直った傘をばさあっと広げて肩にかけた。

「ふふ、これで元通りだな」

 弟は鮮やかな色が似合う。その番傘は赤い。

「やっぱりさあ、見栄えがよくねえとなあ。マイナス要素の雨の中にいるんだ。ここは、かっこよくなきゃ、意味ないぜ」

 じめじめした雨のエリアに派遣されていても、弟は適応して華々しく。

 その鮮やかさが羨ましくなかったかというと、多分、嘘になるのだった。


 ***


「ほら、あにさま、直ったよ」

 弟は、器用に左手と口を使って折れた骨を直した。ところどころ過去の記憶が曖昧な弟だが、傘の修繕は覚えていたようだ。

 子供の姿になっていても、弟の右手は修復されていなかった。

 直前の戦闘の時だけは、元の設定を覆すプログラムがなされていた。

 我々は修復され、彼には右腕と右目の視覚があたえられていたはずだ。

 しかし、少年の姿になった彼は、再び右の視力も右腕自体も失われた。

 それは、あの戦闘の負傷の影響もあるのかもしれないが。どちらにしろ、弟は気にしたふうもない。

「はい、あにさまは、黒いの」

 そういって弟に渡されたので、私は黒い傘をさしてみた。すると、弟がわあと声を上げる。

「あにさま、黒い傘似合うね。かっこいいなあ」

「そうだろうか」

 弟がきらきらした目で私を見上げてくるのは、少し気恥ずかしい。

「うん。似合うよ。あにさまは、おとこまえだから、とてもそういうのにあう。かっこいいなあ」

「ネザアスの赤い傘の方が伊達で良いのでは? 私は地味なものしか無理だから」

「おれはだめだよ。あにさまみたいに、しぶくないから、派手にしちゃう。あにさま、おとなのおとこだから黒が似合うんだな。いいな。おれもそんなふうになりたい!」

 やたらに褒められては、私もちょっと恥ずかしい。私は慌てて話を変えた。

「し、しかし、ネザアスはすごいな。こんなにきれいに傘を直せるなんて。私には無理だ」

「えへへっ。おれ、傘にはくわしいんだ。雨はそんなに好きじゃないけど、結構、傘、好きなの。傘に雨がはねる音とかも」

「ああ。なんとなくわかる。癒される気がするな」

「うん。あ、でもね」

 と弟は笑う。

「ばさあって開くのも、カッコよくて好きなんだよ」

「ああ、あれはかっこいいな」

「うん。そうでしょ」

 そういうと弟は、かつて大人の彼がやったように傘を地面に投げるようにして開き、大きく回して肩にかける。

 小さな子供の姿でも、それはなかなか様になっていた。

「かっこいいでしょ?」

「ああ」

「これなー、すっごいすっごい練習した」

 弟が思わぬことを言った。

「練習?」

「うん、練習。だって、ざあざあ雨が降ってるとこにいたんだもん。おれ、カッコよくなにかしたかった」

 弟は続けた。

「おれは、あにさまみたいなおとこまえ、ちがうし、ただ差しててもかっこよくない。せっかくだから、かっこよくしたかったんだ。だから、どうしたらかっこよくみえるかなーって、勉強したんだよ」

「そうなのか。お前はそのままで十分伊達男だし、目立って格好も良いと思うが」

「だめだよ。もっとかっこよくしたい。まだまだ、これ、研究中なんだよ」

 私はふむと唸った。すると弟は、そっと声をひそめた。

「これな、おれの『せんばいとっきょ』なの。だから、コツはひみつなんだ。でも、あにさまだから」

 と、弟はうれしそうに言った。

「もっとかっこいいの、できたら、あにさまにもやり方こっそりおしえてあげるね!」

 私は思わず微笑んだ。

「ありがとう。しかし、ネザアスは努力家なのだな。私も見習わなくては」

「へへ、あにさまにほめられた!」

 かつての弟が、人目のつかないところでそれを練習する姿を想像する。なんでもできる伊達男だと思っていたが、彼は彼なりに努力していたのだろうか。

 努力家なのだな。

 しみじみとそう思った。

 けれど、この少年の彼でなく、大人の彼に私がそんなことをいうと、きっと怒るのだろう。

『何寝言言ってやがる! 寝ぼけてんのか、真昼間から!』

 そんなふうな彼の声が想像されて、私はちょっと苦笑してしまうのだった。

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