泡沫の記憶

 室内に泡のたちのぼる音が響いている。

 治療室は、緑のかかったブルーライトに包まれていた。その光は美しく眺めていると落ち着くものだった。

 泡の音も、私にとっては馴染み深く懐かしい音だった。

 私、いや、彼にもだろうか。

 近頃。

 この部屋で眠る男に、私はリハビリを兼ねた任務が終わった後、会いに来るのが日課になっている。時間にして十分程度滞在する。

 その間、私は黙って水槽をみて泡の音を聞くだけで、話をするわけではないが、そうすると少し気持ちが落ち着く。

 私は立ち上る微細な泡を眺める。

 暗い闇の中から湧き上がる泡は、光に触れてまた暗い闇の中に消えていく。

 闇の泡沫うたかたから生まれて、闇の泡沫に消える。

 それは、ある意味では我々の本質なのかもしれず。

 けれど、泡の音を聞いていると、まるで彼と会話をしているかのような気持ちになる。


 *


「あにさま、泡の音がするねえ」

 部屋の前で弟にそう尋ねられて、私は頷いた。

「ああ。研究所だからな。培養槽かなにかがあるのだろう。しかし、それなら、我々に必要な薬剤が何かあるかもしれない」

「それは良いことだな」

 弟が素直に喜ぶ。

「でも、おれねえ、泡の音、すきだよ。ここの部屋探索するの、楽しみだ」

「そうか。我々には落ち着く音だからな」

 私は弟にそう告げた。


 廃研究所の跡地には、様々な装備が残されているため、我々は率先して立ち寄るようにしていた。

 幼い少年の姿の私は、同じく幼い弟の手を引いて、部屋を進む。

 前線基地の爆発から逃れた私たちは、こうして補給をつづけながら、ベースに戻るべく旅をする。

 そこは培養槽しかない部屋で、水槽がずらっと暗闇の中並んで青いライトを浴びていた。

 中には黒物質ブラック・マテリアルと呼ばれるナノマシンのカケラが入れられている。真っ黒なそれが泡にあそばれながら漂っているのを、私は見ていた。

 我々はこうして、闇の泡沫の中から生まれた。消える時も似たようなものだ。泡立てながら真っ黒な物質に戻って消えていく。


 あの時も、泡の音がした。

 微細な泡に暗闇の中で囲まれて、私はそのまま迷い込んだような気がしていた。しばらく身を委ねていると、泡のわきあがり、弾ける音がひびく。そんな中で、不意に私は目を覚ましたのだった。

 目を開いて視界に広がるのは、先ほど味わった閃光とは、真反対のくろぐろとした闇。

 もともと私は目があまり強くない。激しい光で目をやられたのもあり、闇に目が慣れるまで相当の時間がかかっていた。

(ネザアス?はどうなった?)

 私は自分の状況を思い出した。

 先ほどまで、私は、彼、黒騎士ネザアスと、敵であるヤミィ・トゥエルフと戦闘を行っていたはずだ。そして、ヤミィからの反撃によりネザアスは負傷し、戦線離脱する途中で基地の大爆発に巻き込まれた。

 閃光により視覚を一時的に奪われた後、体ごと吹っ飛ばされた記憶がある。

 きっと、私の側にも損傷があるのだろうと思ったが、意外にも体の動きは悪くない。痛覚遮断によるものか、と思ったが、そうでもないようだった。

 徐々に目が慣れてくる。足元の真っ黒な黒物質の残骸が、微細な泡を立てながら溶けていた。

 体を動かしていると、着ている服がどうも大きく、視界もいつもより低いような気がした。しかし、私が自分の身におこったことを理解するのには、もう少し時間がかかった。

 ネザアスはどうしただろう、と思って、私はそばにいたはずの彼を探した。名前を呼ばわると、近くから物音がした。

「ネザアス!」

「ううーん」

 私が彼の名を呼ぶと、ぼんやりと返事らしきものがあった。しかし、それはどこかおかしかった。私の声も少しおかしかった。それは、幼い少年のような高い声だった。

「ネザアス?」

「だれ?」

 何者かの幼い声が聞き返してきた。

「だれ? おれの名前、呼んだの?」

 それは聞き覚えのある彼の渋みのある声とは違い、なおかつ、物言いも相当幼い感じもするものだ。

 私は驚いていた。そこにいるのは負傷したネザアスではなかった。

 そこにいるのは、ネザアスとどこか似通った面影のある小さな少年で、ぶかぶかの衣類をまとっていた。

 そして、その時ようやく、私は自分もまた幼い少年の姿になっていることに気づいたのだ。

 私の動揺など知る由もないのだろう。目の前の少年は目を瞬かせた。

「あれ? おれ、あんたのこと、みたことある気がする。でも、なんだろ、わかんない」

 彼はぽつりとそういうが、どうやら記憶がないのか思い出せないらしい。

 うーん、と可愛らしく唸った後、彼は尋ねてきた。

「なあ。思い出せないから、教えて。あんたはおれのなんなの?」

 無邪気にそう尋ねられ、私は一瞬戸惑った。

「私は」

 自分は彼にとってなんなのだろう。

 同じ強化兵士の黒騎士。同僚。まだしも、戦友? いや、我々はそんな親密な関係ではなかったはずだ。それなら。

「私は」

 しかし、咄嗟に出た言葉は、自分でも意外な響きをもっていた。

「私は、お前の兄だ」

 泡が弾ける音がする中、私は彼にそう告げた。

「あに? にいちゃん?」

 彼は目を瞬かせて、何か思い出そうとしたようだった。

 やがて得心がいったのか、彼は深く頷いた。

「そっか、わかった。あんたはおれのあにさまなんだね」

 そういうと、彼は屈託なく微笑んだ。

「えへへっ、あにさま、おはよう」

 私と彼の周りでは、黒物質が泡を立てながらきえていく。それのいくつかは、私と彼の肉体を構築していたのかもしれなかったが、私は自然と不安に感じなかった。

 

 ニンゲンは胎児の時に聞く音で癒されると聞いたが、我々も同じものなのだろうか。我々はこの泡の音を聞きながら作られて、受肉した。そのせいか、泡のたちのぼる、水の中の音は、私の心を落ち着ける。

 私は泡を眺めながら、この姿の弟を初めて見た時のことを思い出していた。

「ねえねえ、あにさまも、泡から生まれたの?」

 不意に弟に声をかけられて、私は水槽から彼に視線を戻した。

 弟は、ニンゲンでいうといくつくらいだろう。元から背の高い彼なので、見かけよりも小さいのかもしれない。とにかく、弟はあどけない。えへ、と笑いながら尋ねてくる様は、可愛らしかった。

「おれは泡からだよー。水槽のガラスの中でね、泡の立ち上る中、生まれたの。つくってもらったんだ」

「そうか。ネザアスにも記憶があるのだな。私もだよ。ガラスの中、泡のなか生まれたのだ」

「わあ、あにさまも、やっぱりそうなんだ」

 弟は何故か嬉しそうに言った。

「嬉しいのか?」

「うん。だって、ニンゲンは、水槽の泡から生まれないんだって。他のやつに聞いたらちがうっていわれたの。だから、もしかしたら、おれだけなのかなって、時々心配になってた。あにさまは、おれのおにいさんだから、一緒だといいなって思ってたんだ」

 私はふと微笑んだ。

「そうだな。我々は兄弟だから、製造方法がほとんど同じなんだ」

「うん。おそろいなのいいな。おれはねえ」

 弟は、にっこり笑う。

「あにさまと兄弟でよかった」



 響く細やかな泡の音にききいっていた私は、遠くで自動ドアが開く音に、ふと我に返った。

 そんなことを漠然と思い返していたことに気づいて、人知れず苦笑してしまう。

 子供の姿であった、あの旅路の途中を思い出してしまうことは、ここにきてからよくあることだ。私にそのような感傷は無用だというのに。

 ここは、黒騎士研究所の一室だった。

 もとは、人造の強化兵士である黒騎士を組み立てる為の研究室であったが、今は、損傷した強化兵士達の集中治療用の処置室となっている。

 我々、傷ついた強化兵士たちは、損傷の激しい時に、培養液の入った治療用ケースに入れられて本格的な治療を受けることがあるが、それは我々が作られるときとほぼ同じ工程で行われているため、ここをそのように転用したのは良いことであっただろう。

「おや、ドレイクじゃないか」

 もう一度ドアの音が響くと同時に、誰かが部屋に入ってきた。そう声をかけてきたのは、ドクター・オオヤギだった。

「お疲れ様。またきていたのかい?」

 私は黙って頷く。オオヤギは、人の良さそうな笑みを浮かべた。

 ドクター・オオヤギはニンゲンの医者だ。しかし、我々初期ロットの黒騎士を作った際の開発チームの一人である。その中でも技術的な部分を担当していたこともあり、黒騎士をはじめとした強化兵士の治療の第一人者と言っても良かった。

 今の彼は左遷された身ではあったが、彼の力を借りる必要があって、この黒騎士研究所に彼を呼び寄せたのだろう。

『君達がここに運ばれてきて、左遷されていた僕がここに呼ばれたってことは、よほど状況が良くないんだな』

 オオヤギはそのようなことを言っていたが、事実、現状はそのようだった。

「この部屋、落ち着くだろう。ライトや泡の音な響き方、そういうのも気を遣ってね。治療にぴったりな落ち着く部屋を用意してもらったんだ」

 私は頷いた。

 彼は、愛想の良い爽やかな青年。愛嬌もある可愛げのある男だが、ドクター・オオヤギは私より長身で、白衣を着ているものの、強化兵士に紛れていても不思議ではない感じがする。

 なおかつ、彼はネザアスの外見のベースモデルになった人物でもあり、容貌も似ていたから余計かもしれなかった。

 しかし、性格の違いか、彼らを見分けるのは難しくない。好戦的なネザアスと違い、オオヤギはいつも穏やかだった。

「ドレイクは体調はどうかな? リハビリは順調?」

 私は頷いた。

「今は研究所周辺の警護の任務についている。体調に問題はないようだ」

「そうかあ。まあ、君には退屈な任務かもしれないけれど、元気そうでよかったよ。それじゃあ、君、もしかして、お仕事の後でここに毎日、立ち寄ってくれているの?」

「ネザアスの見舞いに」

「そうなんだ」

 といいつつ、ドクター・オオヤギは怪訝な表情を隠さなかった。

「そうかあ。それはネザアスも喜ぶなあ。彼、ああ見えて寂しがりなところもあるから」

 その部屋には、一人の男が治療を受けていた。叛乱により的に重傷を負わされた男だった。

 治療ケースで酸素マスクをつけたまま眠っている男は体の右側をほとんど機械に覆われていた。まだ意識が戻る形跡はなさそうだ。

 その男、黒騎士奈落のネザアスが、私の弟だった。 


 黒騎士ヤミィ・トゥエルフをはじめとした黒騎士たちの叛乱は、唐突かつ予想外なものであった。

 本来はニンゲンたちのために戦ってきた我々黒騎士、しかも、ニンゲンを熱心に守っていたはずのものたちが一斉に反旗を翻したのだ。

 発狂したとも称されるそれは、“悪意”に感染したからかもしれないし、別の問題からだったのかもしれないが、ともあれ、正気でいられた戦闘用の黒騎士は私とネザアスの二人くらいのものだった。

 元々旧型であるゆえに前線から遠ざけられ、子供向けの遊興施設で働いていた我々だが、そのような状況のために召喚されて前線で戦闘任務についた。

 しかし、大規模な戦闘に巻き込まれた私と弟は、負傷してここに運び込まれていた。

 特に弟の方は損傷が激しく、右上半身のほとんどを失うような怪我を負ったが、ドクター・オオヤギの治療により一命は取り留めていた。

 問題はないときいてはいたが、すでにここに来てひとつき。ネザアスは、まだ、意識を取り戻してはいなかった。

「心配してくれているんだね、ドレイク」

 ドクター・オオヤギは優しく言った。

「でも、もう少し寝かせてあげて。再生プログラムは、本人にも負担が大きい。無理に起こさずに眠っているうちにしてしまうほうが、楽なんだ」

 私は黙って頷いた。

「でも、その、一つ聞いてもいいかな?」

 ドクター・オオヤギは、気遣わしげにしながら尋ねてきた。

「その、君たちは確かに兄弟だよ。広義には黒騎士はみんな兄弟と言ってもいいかもしれないけど、君たちは使用したナノマシンが同じ。大きな塊を二つに分けてつくったから、正しく兄弟さ。だから、僕たちにはわからないつながりはあるのかもしれない。おまけに、君とネザアスは、派遣場所も下層ゲヘナの奈落遊園地で、顔を合わせる機会も多かっただろう。でも」

 とドクター・オオヤギは目を瞬かせ、はっきりと言った。

「タイブル・ドレイク。君は確かネザアスと、お世辞にも仲が良い兄弟じゃなかったよね?」

 ドクター・オオヤギは優しい男だったが、言うべきことは遠慮なく言う男だ。彼は不自然に思っていたことを、私にはっきりと尋ねてきた。

「ネザアスは確かに誰にでもつっかかる人だけど、君もネザアスに対してそっけなかった。特に最近は、君たち、結構険悪な関係だったと思っていたんだけど」

 そう指摘されて私は頷き、しばらく経ってから口を開く。

「ドクターのおっしゃる通り、私とネザアスの関係は良好ではなかった」

「うん」

 オオヤギは頷く。

「前線で君たちに何かあったの?」

 私の返事を、オオヤギはせかすこともなく待ってくれていた。ドクター・オオヤギのそういう態度は、私にとっては救いだ。

 私は、ふとネザアスの眠る治療水槽に視線を向けて、その水槽に立ち上る泡を見上げた。

「ドクターになら、本当の話を、話しても良いだろうか」

 私は、誰かに確認するように呟いた。

「本当の話?」

 私は頷いた。

「この話は、私は誰にもしないつもりだった。もしかしたら、重傷を負って壊れかけた私のみた幻だったのかもしれないと思った。ネザアスはきっと目を覚ますと、このことを忘れているだろう。私が、そのことを現実でおこったことなのだと、証明するものも持たない」

「うん」

「しかし、ドクターには聞いていて欲しいと思った」

 そういうとドクター・オオヤギは、姿勢を正した。まるで似ていないのに、すこし険しい顔をすると、彼はやはり弟と似通った面影があった。

「前線の戦いの後、ベースに帰り着くまでの話だ。私と彼、ネザアスはともに旅をした」

 私は目を伏せた。

「そこでは、私とネザアスは、まこと、兄弟というものであったとおもう」

 私が黙り込むと、泡の立ち上る音だけが響いていた。

 ああ、そうだ。

 我々の始まりはいつも、泡の音がする。

 闇の中、泡沫から生まれ、泡沫に消えゆく。

 ヒトに造られた我々の始まりも終わりも泡の中だ。

 しかし、それなのに、我々、いや、“おれたち“は、この音をまことに和やかだと思うのだった。

 おれも弟も、反発しようが、結局同じ闇から作られたのだから。感覚は似ている。

 だから、きっとドクター・オオヤギに話すことを、彼も反対はしないだろう。

「夢まぼろしのような話だが、どうか笑わずに聞いてほしい」

 私がそういうと、ドクターは首を振る。

「笑わないよ。君がそんな話をしてくれるのは、僕だってとてもうれしいんだ」

 彼は、私に近くの椅子に座るように促してくれた。

「いいよ。今日、僕、もう仕事がもう終わりなんだ。お茶でも淹れるから、ゆっくり話をしよう」

 そういって、ドクター・オオヤギは、ちらりと治療ケースの方に目を向けた。

「ネザアスもきっと聞いてるよ。たまには三人でお話ししよう。ねえ? いいだろう?」

 オオヤギがそう仕向けると、誰かが返事をするように、泡がはじけてとぷんと音を立てている。

 

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