カインの逡巡 —黒騎士少年紀行—

渡来亜輝彦

あにさまとおれ

あにさまとおれ



「あにさまー! あにさまー!」

 弟の声が明るい。

「あれなにー?」

「あれ?」

「ねー、あにさまー! あにさまってばー!」

 弟の体力は無限だ。好奇心も無限だ。

 ニンゲンの子供でいうところの、六、七歳くらいだろうか。背は高いけれど、多分そうだと思う。

 ともあれ、そのくらいの大きさの弟だが、小さくてもとにかく体力も好奇心も無限大だ。

​​ かつて、彼本人から「餓鬼の世話は大変なんだ。特に小さいのはなー、加減つーのをしらんから」とのぼやきをきいたことがある。

 だが、きっとそれでも疲れたら寝てしまうであろう本当のニンゲンの子と違って、大して睡眠を必要としない黒騎士である弟の体力は本当に無限大なのだった。

 ​​私は当時は子供は苦手で、裏方の方を担当していたから、ほとんど子供と触れ合わなかった。それで、ニンゲンの子供の特性など知らなかった。知っていたら、きっともっと対処の方法があっただろう。

​​「もっと勉強しておくべきだったな」

​​「なにがー?」

 ​​弟がいきなり隣の岩陰からひょこんと顔を覗かせる。わっと私は驚く。

​​「ネザアス、いつからそこに」

​​「今だよ。あにさま」

 ​​えへと笑って彼は小首を傾げる。そして、興味津々な様子で、私を見上げた。

​​「なんで? あにさまは頭いいのに、なんで勉強するの?」

​​「そんなことはない。私はものを知らなさすぎるんだ」

​​「そうかなあ。おれはもっとしらないんだ。あたまわるいし」

​​ 弟はぼやくように言ってからにこりとした。

​​「だからなー、ほんよんで勉強したんだ! あにさまみたいになりたかったからなっ!」

 ​​そんな弟のくったくない笑顔に、私は何故かちよっと胸を締め付けられるのだった。

​​ 兄様みたいになりたかった。

​​ あの時、彼が必死に難しい本を読んでいたのは、本当にそんな理由からだったのか?

​​



 私と弟は、前線から帰るためにベースを目指していた。

 しかし、そもそもこんなところに子供がいるはずもないのだ。

 非戦闘員はすべて避難させたはずである。漏れたものもいるかもしれないが、それでも、我々のように平気で歩いているはずもない。

 年端のいかぬ子供が二人、戦場を歩いて旅をしている。

 そんな不審な姿の我々は味方からなかなか協力を得られず、我々二人でこのフィールドを進までばならなかった。


 私と弟の旅する場所は、元々は戦闘用、つまりバトルフィールドとして作られたわけではなく、娯楽施設や住居の一端だったらしいが、今回の黒騎士叛乱により、一般市民を排除して戦場とした場所だ。

 ナノマシンで作られた人工生命体というべき、戦闘用強化兵士である”黒騎士”の我々にとって、そこはただの市街戦の戦場のような場所であった。人間とは違い我々はさほど感傷的にはならない。そこは事務的に分析されるところだった。

 が、それは大人の姿の我々の場合でもあり、子供の姿になってからの我々には、また別の感情が浮かんではいた。

 記憶のある私はともあれ、記憶を喪失し精神年齢も外見と同じになっている弟の場合、そこは物珍しいもので溢れた、好奇心を刺激する遊び場にしかみえないらしい。

 廃墟と化したそこには、さまざまなものが残されていた。汚染されたここに住人が戻ることはもうない。だから、残されたものは有効活用させてもらうこともある。

 味方のない我々にはとにかく資材が足りないのだ。

 しかし、そこで見つけられるものは、実用的なものだけでもなかった。

「あにさまー、絵本見つけたよ!」

 弟が嬉しそうに本を抱えて帰ってきた。弟は探索が好きだ。

「なーなー、一緒に読もう!」

「そうだね。後でな」

「うん!」

 そんな様子に私は微笑んだ。

 感傷的にはならないとはいったが、それでもこのように荒んだ環境が続くと、なんとなく気分がささくれだつものだ。

 その中で弟の無邪気な様子は、救いにはなる。

「うん、ネザアスは楽しそうで良いな」

「そうかな?」

「そうだよ。いつも楽しそうだ」

「ああ。それはなー、あにさまと旅するの楽しいからだよ」

 そう言って笑う弟は、どう見ても普通の子供だった。


***


「はァ? なんて?」

 控室に戻ってきた弟は、私の言葉にぶっきらぼうに聞き返す。

「なんだよ、ドレイク。なんて?」

 道化師のようなコスチュームを着ていた弟は、着替えるところだったらしいが、私の問いかけに露骨に顔を顰めた。

「兄貴よ、アンタ、そんなこともしらねえのかよ。チッ、マジでつかえねーな。ったくトロくせえんだよ!」


 娯楽施設の一角にあたる遊園地は、我々の職場であった。

 戦闘用、しかも、黒騎士としては初期ロットの我々が、なぜそんなところにいたのか。それは、ありていにいうと左遷だ。

 旧型の我々は主戦力として前線に立たせてもらえなかったのだ。

 我々に与えられたのは、その他市民や強化兵士のための、福利厚生、慰安施設であるこの遊園地の管理業務だった。

 捻くれ者で皮肉屋だが、少なくとも私よりはコミュニケーション能力のある弟は、ゲートで子供のナビゲーションをしたり、ショーにも出たりしており、この施設でも表舞台に立っていた。

 それでも、左遷には違いないのだ。戦闘用として造られ、いつでも強くあれといわれて自己研鑽してきたはずの我々が、子供の遊び場に送られた。実力を垣間見せるのはお遊びの模擬戦の見世物。

 本来好戦的な性格の弟にとっても、この任務は相当の屈辱だったはずだ。当初彼がここで荒れていたのも知っている。しかし、彼は意外にも真面目に任務こなしていた。子供たちに向き合い、なにくれとなく世話を焼く。子供からも好かれているようで、彼も口ではともかく楽しそうにしているようにすら見えた。

 しかし、弟はこのとおり、私に対しては刺々しい態度が多かった。元から態度や素行も良くなく、口も悪い弟だが、私には特に辛辣だった。

 仕方がない。

 兄弟とはいえ、材料が同じ型番のナノマシンを分け合ったというだけなのだ。ニンゲンでいうところの家族の情というものが、我々にはいまいち理解できていない。

「ちゃんと勉強をしろよなー、アニサマ」

 などと嫌味をいいつつ、質問内容には答えてくれたものだが、嫌われているのかと思っていた。

 そんな粗野な弟だったが、意外と読書は好きだった。

 電子書籍でも読んでいるのかと思ったが、控室で一息入れるときに読んでいるのは、どこからか回収してきた紙の本だった。

 勉強熱心ではあり、読んでいる本は娯楽小説から漢籍、外国語の教本、百科事典と何でもござれだった。こちらが感心してしまうほどだ。

 そんな風に没交渉ではなかったが、この娯楽施設に閉じ込められた我々の関係は、良好とまでは言い難い。私が無口なせいもあり、彼とは必要以上の会話はなされなかった。

 ただ、弟は、沈黙が支配する控え室で独りごちることがよくあった。

「まったく、餓鬼ってのは大変だよなー。無限の体力あって、好奇心も無限だから。あれはなに、これはなにって、質問される身にもなってみろってもんだよ」

 弟のそれは長いこと、裏方の仕事を回してもらっていた私に対する当てつけかと思っていた。私の方が楽な仕事をしているのは明らかだった。しかも、報酬も扱いも変わらない。

 だが、今思うとアレはもしかしたら私に雑談を振っているつもりだったのかもしれない。私が無口なのを承知の上で、彼なりに気を遣って話をしたのかもしれない。

 誰に向けているのかもわからぬ彼の独り言は、私の反応を確認することなく続いていたが。

「今度はアレ調べてこいってさあ。ったく、今日中に調べて解答しなきゃならねえじゃねえか。あー、クソが。やってらんねえ」

 そんなことを言いながら、弟は多分子供が好きだった。

 当初は任務だから仕方なしに応じていたが、途中で本当に子供が好きになっていたのだと思う。そんな社交的な彼は閑職でも充実しているように見えた。

 当時の私には、なんだかうらやましく眩しい気がしたものだ。


***


「あにさま、どうしたの?」

 絵本を持ったまま、弟が小首を傾げた。

 私と弟がこの姿になったのは、偶発的なものか、仕込まれたものかはよくわからない。

 私も少年の姿になっていた。私は、大きくてもせいぜい十二歳ほど。もう少ししたかもしれないが、それほどの年頃の少年。

 しかし、弟はもっと幼い。私より小さくなり、記憶も失ってしまった弟だった。

 この姿になったのは、彼がこうなる直前の戦闘で負った大怪我によって、完全な姿での再生がむずかしかったこともあるのだろう。もともと私より背が高かった彼が、こんな風に小さくなったのは、私よりもダメージが大きかったということだ。

 弟は私をかばうような形で、右上半身を失っていた。再生能力があるとはいえ、そこまで損傷すると我々でも命の危険がある。

 その為、大人の姿の彼と違って弟の戦闘能力は限定されている。

 積極的に見捨てなくても、つないだ手を離して迷子になるだけで、周りにはびこる敵にやられてしまうかもしれないほど弱くなっていた。

 『生かすも殺すも君次第だ。お兄ちゃんの君が手を離せば弱体化している弟は生きては帰れない。君は一体どうしたい?』

 あの時、創造主カミは私にそう囁いていた。

 これは実験なのだろうか。カレは私がどうするか、観察しているのだ。

 本来、子供の姿など存在しない我々を、この状況下で子供の姿にしてまで。

「あにさま?」

 きょとんと弟が私の顔色を不安そうにうかがう。

「あにさま、元気ない?」

「ううん、なんでもない」

「そうだといいけど」

 心配そうにいってから、弟は思いついたように、あ、と声をあげ、持っていた絵本を取り出した。

「ねえねえ、あのねえ、あにさま。この絵本すごいよ。絵が綺麗なんだあ。見てみて」

 弟が私を元気づけようとぺらっと絵本を開く。

 かつての弟は、私に皮肉しか言わなかったのに、今の弟は私をひたすら称賛して励ましてくれる。どっちが本当の弟なんだろう。

 不意にそんなことを考えた。

「そういえば、ネザアスは、どうして私をあにさまと呼ぶのだ? 兄さんとか色々あるし、昔はドレイクという名前か、兄貴と呼んでいたろう?」

「んーとね」

 ネザアスは悪戯っぽい顔になる。

「あにさま、かっこよくてつよくて頭いいの、にいさんっていうだけだと表現できなさそうだろ。あにきはなんかイメージ違うし、でも、あにうえって今どき古いよね。おれ、悩んだんだよー」

 弟はにこりとする。

「で、すーごく調べて決めたんだ、あにさまって呼ぼうって。でも人前だと恥ずかしいからあにきにする」

 そう言われて私は思い当たる節があった。

 ごく稀に弟は「アニサマ」といって私を揶揄うようなことがあったけれど、それは決まって二人だけの時だった。

「あれっ? もしかして、それって、ここに来る前からなのかい?」

「そうだぞー。でもなー、前はあんまりよべてなかった。だって、ほかのひといるかもだから、はずかしいだろ」

 弟は楽しそうに笑う。

「ここにきたから呼べたんだよな。だからここであにさまと旅できてよかったー」

 素直に私を慕う彼と、私に皮肉を言う彼と。彼の本心がどちらかは、私にはわからないけれど。

「そうか、私もそうだよ」

 私は、その言葉に救われる。

「ネザアス行こう。次の目的地まで」

 私は弟に手を差し伸べる。うん、と弟が答えて手を繋いでくれる。


 私たちをここに残した創造主カミのことを私は怒っていたけれど。

 こうして私たちに子供の世界を味わうきっかけをくれたことに、私は感謝をしたいと思う。



本作の初出は「ぺらふぇす2023」にて折本にて配信いたしました。



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