第4話 出会いと異変

 お互い戸惑いと驚きを隠せず、しばらく見つめ合いが続いた結果、先に我に返ったのはアニスの方だった。

 こんなとき、なんて呼びかければいいんだろう?

 頭の中でそんな問いがぐるぐる巡るなか、とにかく相手の警戒を解きたい一心で、彼女は無意識に口を開いた。


「え、えっと……こんばんは!」


 静かな夜には不釣り合いな、元気な挨拶が宙を漂う。

 対面する白髪の女の子は、明らかな迷いの表情を見せた。口をもごもごさせているあたり、反応しようか否か悩んでいるらしい。

 とうとう、女の子が答えた。


「ここから、離れて……夜の森は危険だから」


 夜に負けず劣らずひそやかな声が、しかし透き通るように響く。

 そこに敵対的な調子は微塵もなくて、むしろ相手を心配しているものであることがアニスにも分かった。

 もちろん、言うまでもなく夜の森は子供ひとりで出歩く場所ではないだろう。

 だからこそアニスは、その忠告を素直に受け取ることと同じくらい、女の子のことが気になっていた。

 そして、ちょっぴり思案した末に、ある一計を案じたのだ。


「じゃあ、一緒に帰ろうよ」

 

「えっ」


「だって、ここにいたら危ないのはあなたもおんなじでしょ。それに、色々話も聞きたいし」 


「そ、それは……」


 アニスの言葉に、どういうわけか女の子は狼狽して、うつむいてしまった。

 これにはアニスも首を傾げて、やっぱり先に事情を訊ねようと思い、彼女へ歩み寄ろうとした。

 異変が起きたのは、そのときだった。


「あ……れ……?」


 踏み出そうとした足が、急に力を失ったのだ。

 さらに、貧血を起こしたように呼吸が浅くなり、視界の端が段々と色を失っていく。

 その間ずっと、アニスの耳には"音"がまとわりついていた。

 獣のような唸り声にも、人間の怨嗟にも聞こえるような、暗く、不快で、重たい雑音ノイズ

 不思議なことに、その音は一つのイメージを彼女の脳裏に浮かび上がらせた。

 夜闇と木々に覆い隠された森の奥。およそ知りうるどんな生き物とも結びつかない、どろどろした、大きな大きな黒い塊。

 まさに怪物ともいうべき存在が、手を伸ばすように塊を長く広げていく。

 何者をも呑み込んでしまう闇が目前に迫る。

 悲鳴をあげる間もなく、アニスの意識はぷつりと途切れた。



 アニスが草地に倒れ込むと同時に、白髪の女の子は駆け出していた。

 そして、両腕で抱えた長剣が滑り落ちないよう慎重に手を伸ばし、ぐったりした彼女の体をどうにかこうにか支える。

 口元に耳を寄せると、苦しそうではあるけれど、確かに呼吸をしていた。


「よかった……」


 女の子はほっと安堵の息をついた。だが、今度は腕の中のアニスをどうすればよいのかという問題があった。


「とりあえず、森から出なきゃ」


 短い間に決心すると、心の中で断ってから、女の子はアニスの腕を器用に動かして、剣を抱えさせた。それから、ひょいとアニスの体を持ち上げた。お姫様抱っこの体である。


「これでも、剣のおまじないは作用するのね……」


 そんなことを一人呟くと、彼女は森の端から抜け出し、一つにまとめた白髪をなびかせて、微かな月明かりの照らす草原を下ってゆくのだった。

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