第3話 やっぱり墓地を行く
雑貨屋を出た後、これといった理由もなく街を散歩して、日が暮れた頃合いに、アニスは東にある自分の家へ帰った。もう一度ルーの元に戻って森でのんびりするのも良い案だったのだが、単純に、そのときの心の風向きは別の方向を示していた。
その後も日常と変わらない。
アニスは食卓で夕飯のパンとスープをきれいに平らげて、母の皿洗いを手伝った。そして、お気に入りのゆったりした寝間着に着替えると、就寝前の準備を整えて、勢いよくベッドへ潜り込んだ。
時とは滑らかに進むもので。窓外では欠けた月が、白い明かりで地上を優しく照らしていて、アニスの部屋にもその光が微かに差し込んでいた。
おとなしく瞳を閉じたけれど、中々寝付けない。
無論ブランドンの注意を忘れたわけではなく、アニス自身、彼の言うとおりであることは重々承知していたのだが、それでも、どうにも幽霊のうわさのことを忘れることができなかった。
「……やっぱり、気になる!」
結局、彼女の気持ちは墓地に行くという結論に至った。
そうと決まるやアニスはベッドから跳ね起きて、クロゼットにしまった上着を取り出すと、さっと羽織り、床に並べた靴を履く。
ポケットにしまっていた飴玉を撫で、店主ブランドンに心の中で謝りながら、アニスは窓を力強く押し開いた。
そこでようやく、両親に気付かれないよう慎重に動くべきことに気付き、そっと窓のふちに足をかけると、ゆっくり、静かに地面へと足を下ろした。
しんとした空気に、昼間よりも冷たい風が吹きつける。
そんな寒さにもめげず、うわさの場所へ向かう一歩を踏み出した。
「まだ出歩いている人もいるだろうし、こっそり行かなきゃ。特に、ブランドンおじさんには絶対見つからないように……」
言い聞かせるように呟いて、家の庭を抜け路地に出たアニスは、月の光の当たらない影の中を選んで歩き始めた。
ぽつぽつとロウソクの灯りが点る家を横目に、昼間とは打って変わって誰もいない円形広場を抜け、森へ続く北の通りへ向かう。
道中、がやがやと騒がしい音が聞こえてぎょっとしたけれど、酒場が繁盛していただけのことで、ほっと息をついた。
こうした一事を含めても、幸運なことに、誰かに見つかるような危機はまったく起こらず、アニスは簡単に街を抜け出すことができた。
まっすぐ進めば森へと続く野原で、ちょっと立ち止まって、地面に零れ落ちてきそうに思うほどにたくさんの星々を見上げると、アニスは再び決意を満たした。
「ここまで来れば、あと少しかな」
一人頷き、胸を張って、足元に揺れる草むらを西へと踏みしめていく。
正直なところ、いくら好奇心旺盛なアニスといえども、夜を恐ろしいと思う気持ちも大きかった。それを紛らわすには、むしろ堂々と立ち回るのが一番だというのが、彼女に考え付いた案だったのである。
そうやってのしのし歩いた先に、まもなく目的地は見えてきた。
ちょうど、森の端にひっそりと並べられた墓石。
その意味するところは、まだ人の死というものを経験したことのないアニスには馴染みが薄かったけれど、裾を伸ばして居住まいを正した。
深く息を吸って、境界という境界もない墓地へと一歩を進める。
しかし、目に映る結果は明らかだった。
「まぁ、そうだよね」
白い影のすがたなどは微塵もない。やはり、うわさはうわさだったのだ。
落胆するとともに、どこか肩の荷が降りたような気もした。
真相を確かめたのだから、長居をする必要もない。
アニスは大きく伸びをして、くるりと回れ右をすると、ふと、何かの音が耳に聞こえた。
「……?」
音色は吹く風に乗って流れていた。よく耳を澄ますと、それはアニスも聞いたことのある唄だった。
街の詩人ヒースが語っていた、親しい人との別れの唄。
その物悲しい調べにおどろおどろしさはなく、生きている人の声が感じられた。
優しくてか細い、女のひとの声だ。
気付けば、アニスは声のする方へ歩み出していた。
一歩、一歩。慎重に近づいて、木々の分け目へと入り込む。
そこには、周囲から隠れるように、一つの石碑があった。
そしてもう一つ。
白い影と呼ばれた、うわさの幽霊だ。
「あっ」
アニスは思わず声を上げた。彼女の声に、幽霊もびくりと反応した。
幽霊の形が徐々に動き、アニスと相対する。
彼女の夜闇に慣れた目はようやく、その正体をはっきりと掴んだ。
目の前にいるのは、真っ白な髪を流した、同じくらいの年頃の、女の子だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます