第6話 熱烈なお客様

「あれ? まだバイトの時間まで30分以上あるのに、家に帰らず直で来たんだ」 


「まぁちょっと……色々あって。着替えてきます」


「おっけぇー。あっなんかさっき、すごい王子様を求めてるお客様が来たからできるだけ早めにお願い」


「わかりました」


 裏で柴先輩に言われ着替えたあと、そのお客様の対応をしようと角の席に向かったが。


 そこには、じゅるりとよだれを垂らしながらメニュー表を見ている小野さんがいた。


「このメニュー、私のために作ったのかな」


 めちゃくちゃ話しかけづらい。


 俺の事情を一切知らない柴先輩が後ろでニコニコ楽しそうに見てるから、助けを求めることはできなさそう。


「王子、さん? 王子さんじゃないですか!」


 小野さんは興奮気味に立ち上がり話しかけてきた。


 見つめてきてるが、高校で隣の席の福山佳樹だということは絶対にバレてない。


 色々思うところはあるけど、一旦頭を空っぽにして王子様にならないとな。


「小野絵里香ちゃん……だよね」


「おおお覚えてたんですか!!」


「もちろん。君みたいな可愛い女の子、俺が忘れられるわけ無いだろ? 来てくれて嬉しい」


「私も覚えてくれてて嬉しぃ……」


 小野さんは余程嬉しいのか、目がとろんと溶けて幸せそうな顔をしてる。

 

 喫茶店で王子様を演じ始めてそこまで月日は経ってないが、ここまで夢中になってくれてる人は初めてだ。

 周りのお客様は元の姿を知ってる人が多いため、少しからかい気味なところがあるが。

 小野さんとは出会いが出会いだけあって、本物の王子様だと思ってそう。


「まぁまぁとりあえず椅子に座って落ち着こ」


「そ、そうしゅる」


 テーブルに水を置き、背中を擦ってあげるとすぐ舌が回らなくなった。


 柴先輩から落ち着きがないお客様には優しく背中を擦ってあげれば良い、と少し前に教えてもらったが。          

 これって別に落ち着かせるためじゃないんだな。


「ご注文が決まりましたらお呼びください」


「まって」

 

「なにかございました?」


「いっいや! なにもございません!」


 じゃあなんで「まって」って言ったんだ?


「えーと」


 どうすればいいのかわからず柴先輩にアイコンタクトを送ったが、取り合ってくれなかった。


「サービスの名前に『姫』をつけるってやつお願いしましましゅ!」


「?」

 

 なんだそれ。


 俺そんなサービスが追加されたなんて知らな……。


「あ」

 

 小野さんが持ってるメニュー表、今後追加するか検討してるのをまとめたやつじゃん。


 ……なるほど。だから柴先輩は俺のことを楽しそうに見てたのか。

 止めないってことは好きにやっていいってことなんだよな。


「絵里香姫」


「ひゃい!」


「ご注文、お決まりになりました?」


「…………むゅり」


「すいません。今なんと?」


「むゅりぃ〜!!」


 絵里香姫こと小野さんは大声でそう言いながら、喫茶店を出て行ってしまった。


「佳樹くん。泣きたいときは泣いてもいいんだよ」


 柴先輩は俺が嫌われたと思って慰めに来たが、小野さんが逃げたのは別の理由。  


 その理由は出会いとその後のことを知る俺にしか、わからない。

 いや。変な目でやり取りを見てなければ、わかるはずだ。

 

 小野さんが俺、王子に心が奪われてるってことに。


「あぁ……」


 王子の正体がバレたら何をされるか分からない。

 絶対に正体を隠さないと。






【あとがき】

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