6-6◆渡会 楓の憂鬱

 一人になった私は、長く息をいて気合を入れると、裁判記録の高裁判決こうさいはんけつ主文しゅぶんから読み始める。


 原判決げんはんけつを破棄し、禁錮きんこ五年、確定した日から五年間、その刑の執行を猶予ゆうよするとなっていた。原判決とは、地方裁判所で出た判決のことだろう。


 気になって地裁ちさいの資料ファイルを開いてその時の結論を探してみる。第四回が最後の公判のようだ。そこには懲役ちょうえき五年と書いてあった。執行を猶予するとも何も書いていない。


 たしか懲役と禁錮では、禁錮の方が刑罰としては軽いし、さらに猶予がついている。随分軽くなったということだ。


 もう一度裁判記録に戻る。主文の次は理由となっている。被害者の動きは、自殺行為に近く、予測することが困難だった、と推論できることから減刑となったらしい。父にも前方不注意の非はあるとなっている。


 読み進めると、検察による事故状況の説明が、証拠を交えながら行われていることが分かる。証拠も証言者もこの記録には省略されている。検察と弁護人が応酬おうしゅうをして裁判が進んでいく。証拠の話や証言が出てくると、この記録だけでは、確かにわからない。


 検察は、父が飲酒をしているらしき姿を見たことを、父の同僚の証言から主張している。しかし、弁護人がその同僚を証人として呼び、飲んでいるところを直接見たのではない、と言う事実を証人から引き出し、飲酒の事実はなく、証言は採用できないと結論付けていた。この辺りは、父の言っていたことと合っている。


 次に、被害者が突然飛び出してきたと言う父の供述について書かれている。検察は父が被害者を見落としたとしているのに対して、弁護人は回避できないタイミングで飛び出してきているとして、自殺だったことを主張していた。


 検察は被害者に自殺の兆候ちょうこうがないことを、交際相手や同僚を呼んで証言させていた。


 しかし弁護側は、被害者は当時新人教師だったが、かなり多くの仕事を抱えていて、月七十五時間以上の残業が続いていたこと、経験のない運動部の指導を任されていたこと、セクハラ、交際相手との不仲など、突発的に自殺してしまっても、おかしくない状況だったという反論をしていた。


 交際相手は、被害者が自殺をするような人ではないと訴えていたが、逆に自分が卒業研究で忙しく、被害者としばらく会っていない状態であったことや、デートの直前キャンセルが続いたこと、仕事で悩んでいた内容を知らなかったことなどを、責められていた。


 直近の被害者の心情など、分かる筈がないと言われている。


 この記録は人名を全て黒塗りにされている。文章の中に人が増えてくると、読みづらいし分かりにくい。私はファイルを手繰たぐりり寄せてページをめくる。そこで聞いたばかりの名前を見つけた。名前の他、証言内容、指摘した部分や回答など……沢山書かれている。


「あ……飯島浩太いいじまこうた……? あれ……これってタニが聞いてきた人?」


 飯島浩太という人は父の職場の医師で、父が飲酒していたと証言していた。資料の方には、院内での信頼低い、被告に度々態度を注意されている。女性からの評判悪い。事故当日以外も本人は繁華街で頻繁ひんぱんに飲酒。過去に未成年への飲酒強要などあり、未起訴。被害者と面識がある可能性あり、本人は否定。というコメントがついていた。


 この人は、父にあまり良い感情を持っていなかったのではないだろうか。被害者と面識ありとは、どういうつながりなのだろう?


 ユウタという人物は、優亜をクラブで拉致らちしようとしたと言っていた。あのとき一緒に、知っているかと聞いてきたということは、この人はユウタの仲間なのだろうか? それとも優亜の仲間? タニに聞いてみたら分かるかもしれない。


 今は記録を読むことに集中しなくては、と思い直し、裁判記録に戻る。更に、事故を回避できたかどうか? という議論に進んでいく。


 ここでは現場写真を示しながら進めていて、文章だけでは良くわからない。また資料に戻ってぱらぱらと捲って、現場をイラストにした図や写真があるページを見つけて手を止める。


 黒いタイヤの跡がついている横断歩道の写真。位置を変えて、その白線上の水たまりに落ちている、ネックレスを写した写真。


 横断歩道から離れた場所にある赤黒い跡。そのすぐ傍にベージュの革カバンと、周囲に散乱したその中身。カバンについた赤黒い血の跡。


 人の輪郭が、白線で描かれている写真。そして、助手席を写したものも。他にも色々あるが、写真はあまり見る気になれず、イラストの方を参考にしながら読み進める。


 検察は父が、注意義務をおこたったと主張している。弁護側は、現場写真や遺体についた傷跡などから自殺目的を主張し、回避ができなかったと説明する。


 被害者、行永さんの方が悪いと言うような印象を受ける。判決では、自殺と断言していないが、自殺行為に近いとなっていた。遺族の人たちは裁判の結果に納得したのだろうか? 死んだ家族をこんな風に責められたら、私だったら許せないかもしれない。


 もう一度、現場の状況が描かれたイラストに戻る。この状態、何か違和感がある。さっきは、殆ど見ないようにした写真を見返す。やっぱり何かがヘンだ。

 行永さんについて書いてあるページはないか、資料をめくる。


「……! そんな……こんなことって……」

 私は思わず手を止めた。そのページには、こう書かれていた。

 中田朔なかたさく行永陽奈子ゆきながひなこの交際相手。検察側証人。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る