5‐3◆須藤 優亜の願い

「いや、当番の先生に転送されるようになってるんだよ。あの日は地理の佐竹さたけ先生が電話を受けて、こっちに回ってきた」

「そっか……にしてもあの格好、もしかして寝てた?」

「まあ、あと三〇分遅かったら、危なかったかもな」


 窓からまた風が入って来る。冷たくて心地ここちよい。中田は窓の外に目をりながら答える。今まで見た事のない穏やかな表情だった。男の顔を見て、こんなことを思うのは滅多にないが、良くできているなぁ、という表現が一番ハマる。


「あたし、あの時の髪型わりと好き。ね、明日やってきてよ」

「え? やらないよ」

 すぐに元の真面目くさった顔に戻ってこっちを見る。

「なんで? 今の髪型老けて見えるよ。絶対あっちの方がいい」


「分かった。須藤の個人的な意見として、参考にします」

「梨花も言ってたし」

「せめて三人から同じ意見があがったら、証明されたと考えるよ」


 思い通りの反応が返ってこない。そこは、へらへらして喜ぶ所じゃないか。事務的な返しばかりで、表情がくずれない。またキレてしまいそうだ。あたしを見ている中田の表情が、少しくもる。


「交番に行った時、ちょっと言い過ぎた。ごめんな」

「え…、別に、気にして……」


 まさか先に謝って来るとは思っていなかった。クラブでの出来事で傷ついてる風を演じて、未だに見る事が出来ない中田の下心を、見せてもらおうかと思った。でも、本人が説教したことを悪いと思ってるから、逆にこの流れを使おうか。


「ないって、言うと嘘になっちゃうかも」

 頭を少し右に傾けて、やや上目使いで中田を見つめる。

「あたし、あの後家に帰ってから先生に言われた事、ずっと考えてた」

 少し眉を寄せて下を向く、瞬きを2回。視線を落としたまま、先に顔を上げ、それから目線を合わせる。

「本当はすごく嬉しかった。キャラじゃないから、生意気なことしちゃったけど。あんな風に言ってくれる男の人、初めてだったし」


「そうか。思ったより恨まれてなくて、安心したよ。で、話って?」

 淡々と話を切り替えようとするな。あたしの顔を、黙って見つめてくる流れのはずなのに。

「……助けて欲しい。あたし、別に好きでクラブ行ったりしてない。本当はやめたいと思ってる。」

 身を乗り出して、机の上にあるPCに両手を乗せる。少し手を伸ばせば、触れられるくらいまで距離を詰めた。


「けど、友達だけだと、どうしても埋められない寂しさがあって……時々、大人の男の人? そういう人に話聞いてもらって、甘えたくなっちゃう。だから、たまにこうして二人で、会って欲しい……」


 だから、の手前で中田の胸元に一度視線を落として、会って欲しい、の所でためらいがちに視線を合わせる。あたし程の女子高生にここまで言われて、冷静でいられるわけがない。どう返してくるか楽しみだ。


 中田は首の後ろに手をやって、目線を落として考え込む。

「その、寂しさを埋めるために、お話がしたいわけ?」

 窓枠に肘をついて、あたしを斜めにじろりと見た。それは子供の悪戯いたずらとがめるような優しさを含んだ視線で、どきりとする。

「そう、……だめ?」

「だめだ。二人で話しても解決しない。俺よりも、カウンセラーの大山さんが適任だ」


 即答で断られて、返しに詰まった。どうしてここまで拒否されるのか、分からない。この誘い方は、あたしの中では負け知らずだった。下心を悟られたくなくて、体裁を取りつくろっていたヤツらだって、二人で会う口実が見つかったとばかりに、受け入れてくる。


「なんで? 何がだめなの?」

「注意したでしょ、自分をすり減らして、自分の価値を確認することをやめるように。話がそれだけなら、早く戻って昼飯をちゃんと食べなさい。大山さんには連絡入れておく」


 全然わからない。自分をすり減らしてる?

「何……それ。度会さんには、話に行ってた。あたし見た。なんであたしはだめなの?」

 中田が困ったという様に眉を寄せる。


「用事があるからに決まってるだろ」

「なんで? 文系クラスなのに? 授業持ってないし、用事なんかないじゃん」

「通院の面倒を見てるんだよ。俺が怪我させたから。別に須藤を否定しているわけじゃない」


 怪我なんて気付かなかった。度会さんは、ちょっと怪我したくらいで、中田にかまってもらえてるんだ。あたしの方が絶対、もっとひどい目にあってる。あたしの面倒も見てくれたって良いはずだ。

「会ってくれないなら、番号教えてよ」

 まるでもてない男子みたい。必死すぎて自分でも引いてる。こんなこと言うなんて。


「いいかげんにしなさい」

 中田は溜息ためいきをついて背もたれに身体を預けてあたしと距離を広げる。


「教えてくれなかったら、あたし今から服脱いで叫ぶ。やめてぇーって」

 ブレザーを脱いで机の上に投げる。

「え? ま、待て! 早まるな」


 中田があせって背もたれから身を起こす。あたしは、シャツのボタンを一つ外す。

「教える。……教えたら、すぐ教室に戻ってくれるか? それなら教える」

 こんなに焦るところ、初めて見た。

「戻る」

 中田は渋々しぶしぶと言った様子で、スマホを取りだすと番号を表示させる。スマホごと奪い取り、通話アプリに登録する。さらに連絡先のアプリを開いてスクロールする。

「あたしをお友達登録しといてあげたから。ブロック禁止ね」


「わかった。もう返せ」

「ねぇ、このヒナコって誰? 渡会さんにチクろうかなぁー」

 中田があたしの手からスマホをむしり取る。たぶん相当怒ってる。まぁ今日のところは約束通り、引き上げよう。


「じゃあまたね、連絡する」

 ブレザーをつかんで立ちあがり、扉の方へ向かう。

「須藤、それ外れてる」

 中田が自分の胸元を指さす。そう言えば、さっきボタンを外したのだった。

「ありがと」


 ボタンを留めて、準備室を後にする。笑い出したいのを我慢して、外廊下に出る。あんなに焦るなんて、こらえ切れずに笑いが漏れる。

 けど、本当にただあたしの話を、聞いてくれようとしていたんだ。あたしに何も求めてくれなかった。


 外廊下から下を見ると、中庭が見える。昨日と同じ所に度会さんがいた。中庭は、南校舎、特別教室棟、北校舎でコの字に囲われている。彼女が座っているベンチは物理準備室の斜め下だった。


 今なら一人でも、彼女を見に行けると思った。教室のある南校舎に戻り、ゆっくりと階段を降りる。中庭にはベンチと石のテーブルが、何組か並んでいる。

 度会さんたちが座っている隣のテーブルセットが空いていた。深呼吸をすると、彼女が見える位置に腰を下ろした。スマホで顔を隠しながらそっと盗み見る。


 大きくて茶色っぽい瞳が印象的だと思った。カラコンなのだろうか。けど、アイメイクはしてないみたい。梨花の色素薄い感じという表現。まさにそんな印象だ。もし目が元からあの色だと、子供の頃は珍しがられたのではないだろうか。


 華奢きゃしゃだけど病的ではない健康的な細さ。少しだけ手を掛けた、こびのない見た目。あたしとはまるで逆だ。どうやら二人はドラマの話をしているらしい。ヴァレリー帝国に戻ってきたグレイが……と言っているので、あたしも見ている配信の海外ドラマだ。共通点が一つはあるわけだ。


 風が吹くと、ひらひらと髪が揺れて細い首が見える。キレイだな、と不意に思ってしまい、急いで席を立つ。物理準備室の方を振り返ってみると、中田の姿はすでにない。もしかしたら、あの窓。

 中田の座っていた位置から、彼女の姿が見えていたのではないだろうか。

 窓の外を見ていたあの表情、あんな風にあたしのことも見つめてくれたらいいのに。

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