5-4◆須藤 優亜の願い

 あれから一週間。度会わたらいさんは陸上部で中距離をやっている事、同中おなちゅうはここにはいない事。そして中庭で会話している内容をこっそり聞いて、先月から中田が本当に渡会さんを病院に連れて行っていて、今日は通院日らしい事も分かった。


 中田にはメッセージを送っているが既読スルーされる。もしかして不具合で届いてないのではないだろうかと思い、先週知り合って登録した北高のリョウヘイに『ヒマしてる』と送ってみる。


 即レスで『おれも』『今日会わない?』と返って来る。『いいよ』『ラテおごって』と返す。OKが返ってきた。

「こいつはこんなにすぐ返してくれるのに」

 溜息をついて、スマホを机の上に放り出す。


優亜ゆあ、まだ帰んないの?」

 教室の窓から梨花りかが顔をのぞかせた。

「ん……、ううん」

「何? どっち? これからカラオケ行くけど、どうする?」

「あぁ……パス。北高のリョウヘイと会うことになった」

「えー! うそっ! 優亜のタイプじゃないと思ってた。明日教えてね」


 梨花は、ぱたぱたと走って行く。あたしは机に頭を乗せて、放り出したスマホを、ぼんやりとながめる。今日のお昼も渡会さんと中田を見た。スマホを見ながら楽しそうに笑っていた。


 帰らずにここでだらだらとしているのは、通院が気になっているからだ。二人だけなのか、車で送ってもらっているのか、何話してるのか、いつまで続くのか。きりのように疑問が現れては、答えを見つけることも出来ずに、頭の中をただよっている。


 駐車場は北校舎の裏側にある。北校舎は古い校舎で中庭に面した側の一階を一年生が使っているが二階より上は、ほぼ物置だ。いくつかは文化系の部活が、部室として使っているらしい。


 あたしは、たらたらと立ち上がると、カバンを持って北校舎へと向かっていた。北校舎の窓からは、駐車場が見えるからだ。二人の姿を見たところで、メリットなんか一つもない。駐車場にいるかどうかもわからない。


 あたしはおかしい。自分がこんなにアホなことをしている事が信じられない。北校舎の二階廊下を半分まで歩くと、ちょうど空き教室があった。手を掛けてそろそろと引き戸を動かす。ややほこりっぽい匂いが立ち上がる。窓側、柱の傍から外を覗く。肝心の中田の車についは、車種も色も知らない。


「あっ……」

 度会さんが歩いて来ている。この校舎の向かい側、北門の塀に沿って停まっているグレーっぽい車のそばまで来ると、リュックを胸元で抱きかかえて、車に寄りかかる。

「怪我って……、全然元気なんだけど?」

 やっぱり一体どこを怪我しているのか、わからない。ふと思いついて、カバンからスマホを出してメッセージを打つ「度会さん、車の所で待ってるよ」画面にはあたしのメッセージだけが並んでいる。


 いつもそうだ。あたしのことを必要として欲しい人に、必要とされない。画面を見つめていると、既読がついた。そして着信画面が出る。初めて反応を返してくれた。急いで通話を押す。


「今、どこにいる?」

 低い声が聞こえて、一瞬返事に詰まる。窓の外にはこちらに向かって歩いてきている中田の姿も見えた。

「……別に。見えたから教えてあげただけ。本当に怪我してるの? 病院なんて一人で行けるんじゃない?」

 中田は周りを見ながら、車に近づく。車を解錠する電子音と『先に乗ってて』という声が漏れ聞こえる。


「…校舎の二階か。俺を困らせるのは別に良いけど、度会には何もするなよ」

 中田は校舎の方を見上げている。

「へぇ? そんなに心配なら、今すぐにあたしのとこに来て、見張ってれば?」

「それは無理だ。もう不用意に二人にならない。じゃあ、早く帰れよ」


 通話が切れて、中田が車に乗り込む。車が動き出して、北門から出て行った。あたしの何が、彼女に劣っているのだろうか。


 自分の身体に価値がある事を初めて知ったのは、放課後の教室だった。教えてくれたのは小六の時の担任。


 ママとパパの関係がおかしくなって、パパは家にあまり帰ってこなくなった。家に帰ると、ママはいつも機嫌が悪くて、些細ささいなことであたしは当たり散らされた。学校が終わっても、家に帰りたくなかった。あたしは、理由を付けては教室に残って、ぎりぎりまで学校で過ごした。友達には言えなかった。


 あたしの様子に気付いた担任の先生が話を聞いて一緒に残ってくれるようになった。三〇歳くらいの男の先生。授業が面白くて生徒から人気があって、あたしに特別優しくしてくれる先生が大好きだった。


 はじめは、自分の教室に残っていたけれど、先生が一緒に残ってくれるようになってしばらくすると、一番奥にある空き教室を使おうと言ってくれた。そこなら他の子にどうして残っているの? と声をかけられる事もなくなる。


 その部屋を使い始めると、あたしにだけ特別優しい理由が分かった。あたしは先生の欲望を満たすことができる子供だった。身体中をでまわされ、どの部分がどのようにキレイなのかささやかれ、気色きしょくの悪い要求を受け入れた。あたしの居場所は学校にしかない。受け入れる以外の選択肢はなかった。


 自分のされたことの意味は、その時は解らなかった。怖しくて声も出なかった。ずっと一緒にいたい、必要だと、卒業するまで言われ続けた。ママもパパもくれなかった言葉を、この大人がくれた。


 繰り返されるうちに、安心感が生まれた。何も考えずに大人しく受け入れさえすれば、あたしの欲しいものをくれ、言う事を聞いてくれた。実際、二人の関係を壊さない範囲であれば、どんなワガママを言っても応えてくれた。そして、中学生になって生理が始まると、あたしへの興味を失ってしまった。


「あたしは、すり減ってなんかないよ……」

 スマホから着信音がして、どきりとする。リョウヘイからのメッセージだ。場所を連絡してきてくれた。これから行くと打って教室を後にした。

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