4-5◆渡会 楓の願い

 明治時代に建てられた灯台の意味を、私は分かっていなかった。エレベーターもエスカレーターもエアコンもない時代に、建てられたということだったのだ。急な螺旋階段らせんかいだんを、延々えんえんと上り続けている。外展望までの高さは、二三メートルと書いてあった。ヒールの高いサンダルをいてきた自分を、呪いたくなる。


「狭いし急だし。今日、人ほぼ居なくて良かったな。すれ違うのギリだなこれ」

 先生が私の後ろから声を掛ける。このサンダルだと足を踏み外しそうで怖いから、先に上れと言ってくれた。さっき二組とすれ違ったが、お互いに少し体を寄せないと、ぶつかりそうだった。


「昔の人って…すごいですよね……。あ、もう少しで…到着するかも……」

 残りの段数を教えてくれる看板が、壁に貼り付けてあった。もうこれでラストだと思って見上げると、最後のところは、ほぼ垂直なんじゃないかと思えるような鉄階段になっている。この階段を上ると、外に出て眺望ちょうぼうを見れるようだ。


「えっ、渡会わたらい、その靴で登れる?」

「大丈夫です。行けます」

 ここまで来て外に出ないという選択肢はない。ロープをつかんで、慎重に階段を上る。外に出ると、目の前は見渡す限り海だった。風が吹き抜けて、暑さが少し鈍ったように感じる。ただ、日差しをさえぎるものがなく、すぐにじりじりとした暑さが戻ってくる。ふと足元を見ると、展望部分も二人がすれ違えるのがやっとという狭さで、柵もあまり高くない。他に人はいないようで良かった。


「うわ! これは登って良かったな……。ちょっと、ぐるっと回ろう」

 先生は私の肩を後ろから両手で持って進行方向に向ける。灯台の円周にぐるりとある展望部分を、一周歩こうということだ。ゆっくりと歩きながら、周りの景色を見る。青とみどりと白の、綺麗な海に囲まれている。こういうのを絶景と呼ぶのだろう。横をちらりと見ると、先生との距離があまりにも近くて、またすぐに海に目をる。心臓がねるのが分かる。歩いて半周くらいまで廻り込んだ時、先生が足を止めた。


「やっぱ日本海側が、一番遠くまで見えて良いな」

 柵の方に一歩寄って、手をかけて下を覗き込む。下にも人は誰もいない。下を覗くと、足元がふわふわするようで、鼓動が早まる。もう見ないほうが良さそうだ。顔を上げて海の方を見る。青い空を真横に横切って、水平線がどこまでも広く伸びている。終わりがない。


「すごい……海と空しかない」

 先生の距離と、高さにも慣れて、心臓は落ち着きを取り戻してきた。深く息を吸い込んで目をつむる。目を開くと、自分が柵をつかんでいる両手の外側に、先生の手が柵を掴んでいるのが見えた。一瞬、頭の中が真っ白になって、状況を考える。私は今、先生の腕の間にいる、ということだ。


「さっきの、事故の話……渡会わたらいのお母さんが死んだのは、誰が原因だと思ってる?」

 頭のすぐ後ろから、声が聞こえる。落ち着いたはずの心臓が、また速くなる。

「え?」

 先生の言葉の意図が分からない。どちらのせいか、そんなことをはっきりと聞いてきた人はいない。


「わ、わからないです……。わからないから、何を言われても言い返せない、今も……」

「それはつまり、言い返したいってことだ。父親は悪くない、かばいたいって思ってるんじゃないかな……」

 そうなのだろうか。父のことは責められない、という気持ちはある。けど、私は自分のために、言い返したいと思っているだけな気がする。


 もしも事故が起きなかったら……どうして事故が起きてしまったんだろう……誰が悪いのか、そんなことは無限に近いくらい考えた。けど考えても、得られるものは何もなかった。

 誰かのせいにしたくて、父と話したいわけではない。


「庇いたいわけじゃないと、思います……。事故は事実だし。誰か一人だけを責めても、何も戻らないし……」

「……こんなこと考えても、しょうもないか。ごめん、ひどい質問だった」


 私の頭をぽんと叩いて、先生が離れる。表情が分からないけど、寂しそうな声だった。いつもと全然違っていて、先生じゃないみたいだ。先生はもう歩き出しているので、背中を追いかける。今度は先生が先に階段を降りていく。


 先生はやっぱり、加害者の父にあまり良い感情を持ってない。もしかしたら私に対しても。聞くのは怖くてできないけど、そんな気がした。ぐるぐると廻りながら地上へ降りて灯台を出ても、先生はそのまま歩き続ける。私は先生の後ろを付いていく。

「先生、どこに行くんですか?」

 先生の足がぴたりと止まって、私の方を振り返った。


「うん……そろそろ、帰ろうか。結構遠くまで来たから。日が暮れないうちに帰らないと、祥子しょうこさんが心配するだろうし」

「え?……まだ、もう少しだけ」

 帰りたくない。もう少しここに居る時間はあるはずだ。まだ一緒に居たい。隣に並んで歩きたい。


「そんなこと言ってないで、帰るよ。若者は元気だな」

 先生はちょっと困ったな、という感じで笑う。若者だなんて言い方、まるで線を引かれたみたいだ。そのラインを越えたいのに。全然追いつけない。私はうつむいて立ち止まる。


「やだ」

 思っていることは色々あるのに、これしか出てこなかった。先生は近づいて、俯いた私をのぞき込む。

「ごめんな。また今度、祥子さんにでも連れてきてもらうと良いよ。そうすれば、夕暮れまで居れるから、今日は我慢して?」


 言葉より先に、身体が動いた。両腕で先生の首にしがみつく。やっぱり父のことを話すのは早すぎたのだろうか。先生は、私と距離を取ろうとしている。被害者ぶってる私に幻滅したのかもしれない。

「私のこと、嫌いにならないで……」


 先生は何も答えず、私の手を解くこともせず、じっとしている。呆れて怒る気にもなれないのかも。先生を困らせることをして、やっぱり私は子供じみていると嫌になる。手を離して、謝ろう。首にかけた腕を外して、身体を離す。ごめんなさいを言い終わらないうちに、先生の腕が私を抱き寄せた。身動きができないほどに、しっかりと腕の中に包まれている。

「嫌いなわけない……。そんなことされると、帰るのが惜しくなる」

 私の頭に頬を寄せて、先生が呟く。心臓がうるさい。もっと近づきたくて、先生のTシャツをつかむ。頭をそっと先生の肩に預ける。


「どうして、早く帰るんですか……?」

「怖くなった。渡会を傷つけそうで」

 早く帰ろうと言われたことに、むしろ傷ついている。

「一緒にいても、傷つきません。何が……怖いんですか?」

 肩に頭をもたせたまま、首をかしげて先生を見上げる。

「自分が……」


 首筋に先生の唇が触れる。柔らかくて熱い。ゆっくりと下に下がって、首の付け根あたりで止まると、更に深く唇が押し付けられる。思わず息を吐くと、一緒にかすれた声が漏れる。今まで出したこともない声で、恥ずかしくて先生にしがみつく。唇の当たっているところが熱くて、痛い。何が起きているのか分からなくて、先生を掴む手に力が入る。

「ごめん……、怖かったね。一緒にいるだけってことが、苦しいんだよ」


 唇が離れた後もまだ熱い。私はもしかしたら、先生の引いたラインを越えそうだから、帰ろうと言われたのだろうか。ずっと追い超せないと思っていたけど、もう手が届いているのかもしれない。けど、そのラインの向こうでどうすればいいのか分からない。

「全然……怖くないです。でも今日は……先生の言うこと、聞いてあげます」

 先生は少し笑うと、親指で私のほおをそっとでて、身体を離す。隣に立つと、私に合わせてゆっくりと歩き出した。

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