4-4◆渡会 楓の願い

 海沿いの道を、水族館に行った時とは逆方向にずっと走っている。今日の道は私の知らない道だ。両親がいた時も、祥子しょうこさんと暮らしてからも、この方面に来た覚えはない。祥子さんには菜月なつきと遊びに行くと言った。私は嘘ばかり上手くなる。


 また昨日、メッセージが届いた。差出人は前と同じ番号。内容は、『真実を知っているのか?』『自殺ではない、嘘つきの娘は嘘つき』『名前を変えて逃げるな』。


 父のこともだが、私や家族について、全く根拠こんきょのない嘘も沢山たくさん出回った。これを送ってきている人は、その中のどれかを信じている人、なのだろうか。一度広まったうそうわさは、それが嘘でも誰も訂正してくれない。言われた側は、自分で違うと説明するしかない。


 それでも、私の言うことの方を正しいと思ってくれるかは不明だ。当事者でも何でもない誰かから、私や父の身に起きたことを、憶測や嘘を交えて、先生の耳に入れられたら……。私が後から訂正しても、本当に信じてくれるのだろうか。今更何のために、こんなことを送ってくるのか、色々と考えて夜眠れなかった。おかげで今少し眠い。


「あの……どこに向かってるんですか?」

「うーん、特に決めてない。どこかに行くのが目的じゃないから。車走らせてるほうが、話やすいかなと思って。それとも、どこか寄りたい?」

 会って欲しいとお願いするときに、話を聞いてくれると言ったことは、まだ有効かと聞いたから、先生は私の話を聞いてくれるつもりでいる。


「すいません、私……先生の優しさに甘えてて」

 ただ私のために、時間を使ってくれている、それが馬鹿みたいに嬉しい。学校外で会うことは、先生にとってリスクしかないはずだ。


「何かあった?」

「私は、その……本当は、嘘つきなんです」

「え? どうした……。誰だって生きてれば、嘘くらいつくよ」

「……例えば、会って欲しいって言ったのは、ただ一緒にいたかっただけって言ったら、やっぱり嘘つきですよね?」

 驚いたり、怒ったりするかと思っていたが、先生は前を見たまま少し笑った。


「いいよ、別に。俺もこっちの方まで遠出とおでしてみたかったから、ちょうど良い理由ができたと思ってたし。やっぱり話したくなくなっても、そんな言い訳しなくて良いよ」

 先生は私に下心があるとすら思ってない。悩みを話すことが、怖くなったと思ってる。


 優亜ゆあと話したせいで、私にも可能性があるような気持ちでいた。優亜は綺麗で大人っぽい。今日は少しでも大人っぽく見えるように、オープンカラーシャツとセットアップのショートパンツを選んだ。靴は祥子さんの少しヒールの高いサンダルを借りた。けどずっと車の中に座っているのなら、別にいつものかかとの低いサンダルでも良かった。


「別に、話すのが怖くなったから、言い訳してるんじゃないです。私は―」

 本当に一緒に居たいだけで、と言おうとしたら、お腹が大きな音でぐぅぅと鳴った。

「あ、そうか。腹が減ってるんだな? 適当にどこか入るか」

「……はい」

 朝ごはんも食べて来たのにと思って、時計を見るとちょうど十二時になっていた。お昼になったらお腹が鳴るなんて、まるで子供だ。しばらくすると、右手に洋食屋が見えてきた。先生がここに入ってみようと言って、駐車場に入る。


「あれ、背伸びたか?」

 隣に並んだ私を、先生が不思議そうに見る。いつもは横に立って先生の方を向くと、と肩や首が目線に入るのだが、プラス五センチの効果で鼻と口が目線に入る。

「今日だけ、五センチ伸びてます」

 先生は私の足元を見ると、少し困ったような表情で笑う。

「あぁ、なるほど。転ばないように気を付けてね」


 めるまではいかなくても、もう少し感想がもらえると思っていた。確かにいつもよりゆっくり歩かなくては、バランスを崩しそうだ。先生は黙って隣を歩き、店のドアを開けてくれた。店内からデミグラスソースの美味しそうな香りが流れてくる。

「ここ、絶対ハンバーグ美味しいですよ!」

 私の様子を見て、今度は面白そうに笑った。



 洋食屋の店員さんが、この道の先に灯台があることを教えてくれた。橋を渡った先の島にあるらしい。橋は有名なので、名前は聞いたことはある。灯台は明治に建てられた文化財で、灯台付近の海岸は、夕暮れの景色が人気ということだった。この時季、今の時間帯はあまり人がいないから、邪魔されず景色が楽しめると言っていた。車で三〇分程度だったので、今日はそこを目的地にしようと決めた。


 日が暮れるまでいたら帰りが遅くなるので、長居はできない。けれど目的地ができて嬉しくて、車に乗って、先生の横顔を見ていた筈なんだけど。気が付くと車は停止していて、目の前に海が見える。

「起きた?」

 先生はノートPCから目を離して私を見る。運転席で何か仕事をしていたみたいだ。


「……え? 私、もしかして……寝てました?」

「うん。もう着いてるけど、もう少し休む?」

「いえ、休みません! すいません、私寝るつもりじゃ……」

 せっかくの一緒の時間を、無駄にしてしまった。昨日、寝れなかったせいだ。

「ご飯食べたら、眠くなるもんだよ」

「違います、そんな子供みたいな……。寝不足で……」

 両手で顔をおおって項垂うなだれる。私を見て、先生は笑いだす。


「いや、生理現象に大人も子供もないよ。じゃあ、寝れるくらい安心してたってことで」

 どうにも空回ってばかりだ。気持ちを切り替えなければ。折角せっかくの時間を無駄にしたくない。大きく息を吸い込んで、ドアを開ける。熱気としおかおりが流れ込んでくる。外に出て前を見ると、道路を挟んだ向こうに、延々と青い海が見える。肝心の灯台が見当たらない。


「灯台はすぐ左だけど、海もうちょっと近くで見たくない? まっすぐ行くと海に近づけそうだから、道路渡ってぐるっと迂回うかいしてみるか」


 先生が指をさした左側を見ると、灯台は直ぐ近くにあった。確かに、海の色がここから見てもわかるくらい綺麗なので、海の方に行ってみたい。私も海近くで見たいです、と言ってうなずく。

「寝不足って、大丈夫か? 塾の課題とか残ってるなら、早めに切り上げるよ」

「課題とか、全然ないです。昨日ちょっと色々考えごとしてて……。それで眠れなくて」


 夜、考えていたことを思い出す。あの時、先生は無理に言わなくても良い、と言ってくれたけど……。あのメッセージを送って来た人が、もし学校に、同じようなことをしてきたら? 他の誰かから噂として伝わる前に、私から先生に伝えるべきじゃないか。

「じゃあ、車で寝れたから良かったな」

 ニヤリと笑って私を見る。知らない誰かの言葉で、先生から悪く思われるのは嫌だ。たとえ結果的に同じでも、自分から伝えたい。


「あのっ、私……父に会いに行きます。日にちは決まってないですけど、近いうちに」

 先生が立ち止まって私を見る。その顔は驚いているというよりも、何故か悲しそうな表情に近い気がした。今、言っても良いのか、少し気持ちがぐらつく。

「……そうか。一緒に、住めるようになったのか?」

 私は頭を横に振る。私から先生に伝えないと、きっと後悔する。

「その……父に会って聞きたいことがあって。父が……起こした事故のことについて、なんですけど。父に会う前に、先生に話しておきたいんです」


「まだ、話したくないんじゃないの?」

「はい……。けど、他の誰かから、先生に伝わる方が、もっと嫌なんです。先に間違ったことを伝えられたら……それは違うと言っても、信じてもらうことが、難しいから」

 先生は、海の方を向いてふっと息を吐くと、歩きながら話そうと言って、私の背中をそっと押す。私はなるべく、自分が知っている事実だけを、起きた順番に話した。


 夜、両親が乗った車が、飛び出してきた歩行者を避けて、事故を起こしたこと。その事故で母と歩行者が死んだこと。裁判中と判決後に、様々な嘘や噂が流れたこと。そのせいで私は、学校に行かなくなったこと。先生は、相槌を打ちながら話を聞いて、途中で聞き返したり、質問を挟むことをしなかった。


「それで、何を……聞くつもりなんだ?」

 もっと驚かれたり、内容を確認されると思っていた私は、すぐにその質問に答えられなかった。

「あ……全て、です。事故のこととか……」

「どうして今、そんなことを。……事故について何か、気になることがあった?」

 口調はおだやかだが、私を見る目の鋭さに驚く。見つめられると緊張して、自分の心臓がどくどく脈打つのがわかる。


「事故のことを、言われるたびに……良く、分からなくなって……。女の人が飛び出さなければ、とか……。父の証言は……嘘だったのか、とか」

「本人に聞いても、嘘だったとは言わないだろ。裁判終わってるし」

 先生にしては珍しくとげのある言い方だ。けれど、加害者に対する世間の一般的な態度は、こんなものだった。これよりもっとひどい人も沢山いた。


「でも、会って話す必要があると思うんです。ちゃんと話さないと私も、何を信じていいのか、分からない気がしてて」

 私はまだ、父と直接事故のことについて、話し合ったことがなかった。私の目を見て思いを伝えてくれれば、きっと分かることがあると思っている。


「そうか……。お父さんに会ったら、その時のことも聞かせてくれないか? 凄く、プライベートな話だし部外者かもだけど、俺も渡会が心配だから」

「えっ……。いえ、部外者だなんて。先生のおかげで、自分の気持ちが分かったし。先生にも聞いてほしいです」

 心配してくれている。その言葉だけで、嬉しい。


「海、残念だね。砂浜じゃないな……。こんなに綺麗きれいなのに、入れない」

 もう海が眼前がんぜんにあるところまで近づいていた。確かに、浅瀬の波打ちぎわは、黒くて鋭い岩礁がんしょうになっていた。あそこにサンダルを脱いで入ったら、足が傷だらけになりそうだ。手前は青というより碧色みどりいろで遠くの方は青と藍色あいいろが綺麗なグラデーションになっている。


 人が入れないからこそ、ここまで美しいのかもしれない。残念ですねと言おうとして先生を見た時、その表情の冷たさに、どきりとした。誰も人を寄せ付けないような、冷たい横顔だった。


「灯台、行きましょう! 灯台は中に入れるって、店員さんいってましたし」

 大袈裟おおげさに笑顔を作って、話題を変える。先生はいつもの和やかな表情に戻って、そうだなと言って少し笑った。

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